第一話「ココロとこころと心と心奈」(中)
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「よかったら今日の下着の色を教えてくれないかな?」
武良武羅雄は、欠片ほどの躊躇もなく迷いもなくも容赦もなく、微塵の羞恥心も疎外感も違和感も覚えることなく、呼吸をするようにまばたきをするように心臓を動かすように、挨拶であるかのように義務であるかのように宿命であるかのように、ごく自然にごく必然にごく当然に、そう言ってみせた。
変態。
この場合、生物が幼生から生態になる過程で形態を変えることではなく、性的錯綜があり、性欲や性行動が普通とは変わっている状態を指す。
“変態の中の変態”(エロス・オブ・エロス)。
“性欲の海”(セクシャルシー)。
“女好男嫌”(ウルティメイタム)。
“性聖”(セイクリット)。
周囲の変態たちから、畏敬の念を込めた様々な“異名”で呼ばれる彼。
彼の変態ぶりは、男女関わらず、僕らの立毛線を刺激してやまない。
彼がひとたび行動を起こせば、周囲の警察を総動員させる。
彼の配下の変態たちは、数知れず。
“支配者”(セクシャル・マスター)――武良武羅雄。
僕の親友である。
「い、いやですよ。そんなの教えられません」
もはや恒例となったこのやり取りに、律儀にもきちんと恥じらいを含んだ反応を返す羽音ちゃん。本当に偉い。真面目だ。そんな羽音ちゃんを見て、武羅夫はその端正な顔にはおよそ似つかわしくないようないやらしい笑みを浮かべた。淵の黒い眼鏡の位置を直すような仕草をし、目に軽くかかるほどの前髪をかき上げる。
「なぁに、別に構わんがね。この眼鏡は服を透視する機能を持つ。隠したって無駄なのさ。君の制服のその下は、俺には丸見えだよ、羽音ちゃん」
「あぅあぅ……」
目に涙を浮かべ、自分の腕で全身を隠すような仕草をみせる羽音ちゃん。
恒例だ。
あまりに恒例。
あまりに日常。
あまりに当然。
あまりに反射。
日常生活の一環、挨拶代わりに必ずと言っていいほどの頻度でセクハラを敢行する武羅雄。故に心奈を始めとする周囲の女子たちは彼のセクハラ行為に対する絶対的な免疫を備えているのだが、羽音ちゃんだけはいつまでたっても新鮮で恥じらいのある反応を返すのだった。可愛かった。
「おい、武羅雄。そろそろセクハラやめてやれよ」
そして、止めるのは僕の役目なのだった。
いい加減慣れてもいい頃だけれど、羽音ちゃんは本当に心の底から恥じらいを持った可愛い少女なのだ。そもそもセクハラに慣れるということ自体がかえってって問題ではないだろうか。武羅雄は今のところ手を出してはいないが、将来遭遇するセクハラでも同じ結果になるとは限らない。いや、今に武羅雄が本気で手を出してくる可能性だって否定はできない。何より、羽音ちゃんの感謝と敬意に満ちた愛らしい眼差しを向けられるのがたまらない――というのは心奈しか知らないのだが。
「うわ、純史! お前、今日はハート柄のピンクのトランクスかよ。ありえねー」
「……」
自分でも豪語していたが、武羅雄のかける黒縁眼鏡――その名を神殺――には、透視効果があるらしい。
いや、さすがに冗談だとは思うけれど。そんな男の理想をそのまま実現したような究極の神器がこの世界に存在するわけがない。冗談じゃなかったら武羅雄を撲殺してでも絶対に奪取する。
いや、僕が欲しいというわけではなく。あくまで武羅雄のセクハラ行為を阻止するために、ね。断じて我欲じゃあないよ。
ちなみに今日の僕の下着はピンク&ハートのトランクスだった。
「あ、あの、人の下着の色とか、軽々しくばらすのは、よくないと思います!」
完全に真剣な表情で、自分の中の勇気を一気に集中させたかのような勇敢な声色で、武羅雄に食って掛かる羽音ちゃん。やはり冗談が通じない子だが、そこが彼女の魅力でもある。っていうか無駄に真剣なところが素で可愛い。
「そっかそっか。そうだよね。確かに他人にばらすのはよくない。なら、本人にだけこっそり言うならいいよね? 今日の羽音ちゃんの下着の色は……」
そう言って、武羅夫は羽音ちゃんにそっと耳打ちする。
瞬間、羽音ちゃんの顔は“ぼんっ”という効果音がなるほどの勢いで真っ赤に染まり上がり、次いで彼女は超高速のダッシュを以って教室から飛び出していってしまった。
「……」
もしやビンゴだったのだろうか。いやいや、そんなはずはない。きっと、男子の中でも指折りの美少年である武羅雄の顔が耳元まで接近したことが恥ずかしかっただけだろう。羽音ちゃん、そういった免疫はまるでなさそうだし。仮に武羅雄が羽音ちゃんの下着の色を言い当てたのだとすれば、僕は武羅雄を倒さなくてはならなくなる。世界平和のために。これ以上の被害を、犠牲者を、出さないためにも。心奈の前では考えることはできないけれど。
「いつものこととはいえ……羽音ちゃんは純粋な子なんだから、あんまちょっかい出すなよ、武羅雄」
「かかか、いやいや、セクハラは俺の生きがいだぜ? それに相手の反応が面白ければ面白いほどやりがいがある」
最低の人間が吐く台詞だった。
僕たちはもう慣れてしまっているけれど、初対面の人間――およそ彼の実体を知らない人間が初めて彼と接するとき、なまじ顔の造りが端麗であるだけに、それはもうとんでもない反応が返ってくるのである。僕とて例外ではなかったが。羽根ちゃんのオーバーとも取れる反応も、最初の頃に比べれば随分とマシになったものだった。さすがに病院送りはやりすぎだ。
この男と始めて対面したとき。
僕は戦慄を覚えた。
僕だって男だ。“そういうもの”に興味がないわけではないが、それでも彼に“同族意識”を抱くことなど到底できなかった。存在の規格が、そもそも違うのである。
人間の三大欲――「食欲」、「睡眠欲」、「性欲」。この三つの欲のうち、こと「性欲」に関しては自意識による厳重な規制を必要とする。
腹が減れば食事を摂る。眠くなったら寝る。
では、性欲が溜まってしまったら。性欲の対象を蹂躙できるか。
普通の人間にはそれができない。なぜならばそれは、現代社会においては重大な背徳行為だからだ。人間は“意識”で“欲”を抑制することができるよう、巧みに創られた。
しかし、“支配者”――武羅雄は三大欲の中でも、性欲が飛び抜けて深い。
故にこそ彼の内側では、自意識による性欲の抑制が難しく、“性欲>意識”というような本能的不等式が成り立ってしまうのである。
今はまだセクハラ行為のみに留まってはいるものの――セクハラ行為を留まっていると表現するのには多少なり罪悪感が伴うが――今後彼が大人しく牙をしまっておくという保証は、どこを どう探しても存在しない。
そう考えてしまうほどに、彼の存在は、僕に衝撃と恐怖を与えすぎたのだ。
「……ねぇあっくん。友達に対してそんなこと思うのはさすがにひどすぎだと思うんだけど……」
「お前が突っ込んでくれて、よかった」
冗談で心中独白していたら、いつの間にか引き返せないところまできてしまっていた。これではまるで武羅雄が怪物ではないか。
本当はただの変態。えろ。ばか。以上。
「ところで、心奈」
「ん? 何かな? 本当はセクハラシーンを見たくて仕方がないのにもかかわらず羽音ちゃんの純真な好意を得たいがために彼女を助けている不純なあっくん?」
「……今日の帰り道、商店街でも寄ってくか。好きなもん買ってやる」
「わーお! あっくん太っ腹〜!」
「……」
これでもかというくらいに邪気をたっぷりと満遍なく豊富に含んだ無邪気な笑顔を浮かべる心奈。
っていうか、さすがに僕もそこまでは思っていない……。
「わーお、あっくん太っ腹〜」
隣では変態が心奈の真似をして(しかも気色の悪いことこの上ないジェスチャーつきで)いたので、八つ当たりに渾身の力を込めに込めたボディーブローをぶち込んでおいた。
4
「あ、白河くん白河くん。お願いがあったりなかったりあったりなかったりあったりしちゃうんだけど」
昼休み――食堂での昼食を終えて教室に戻ろうとしていたところで、美好先生に声をかけられた。大量の荷物――おそらくは教材だろう――を細すぎる両腕に積み上げた形で抱え、その重さに若干、苦痛の表情を浮かべながら、ばつが悪そうに。
大方、これら荷物を運ぶのを手伝ってくれと言われるのだろうが。そもそもこんな大量の荷物、最初から先生一人で持とうと思う時点でいくらか無理がある。それほどの量だった。
「あ、ぼたん先生! ちゃーっす! 今日もキュートでハートフルですね! あの、まだ今日の下着の色聞いてませんでしたよね?」
ここで変態が喰らいつく。
「え? 水色だけど?」
教師も教師だった。
僕は先生の抱えている荷物を上からそっと取り上げ、自分の腕に抱える。
……重い。
とてもじゃないが、あんな細腕で容易に抱えられる重量ではない。
「引き受けますよ。この荷物、どっかの教室に運べばいいんですよね?」
「あー、違う違う! 生徒に対してそんなこき使うようなマネはできないよ〜。あのね、委員長さんに、これから委員会があるって伝えてほしいんだけど……」
「……」
どこまでお人よしなのだろうか、この人は。
たったそれだけのことで、ばつの悪そうな表情を浮かべないでいただきたい。逆にこちらが罪悪感を覚えてしまう。荷物運びを手伝わせる――いったいどこが生徒をこきつかうような行為なのか。教師としては、理想に近いとはいえ少し甘すぎる気もした。
しかしその親切で愛らしい人柄は、教師としても、人間としても、彼女が周囲の生徒たちに愛されているという事実を示す証拠でもあった。
先生は、「だめ、かな?」などと小声で呟きながら、こちらを伺う。
「もちろん、いいですよ。伝えときます」
僕は先生に答える。
先生は安堵したような表情を浮かべた。
「だけど――」僕は先生の荷物を奪い取り、続ける。
「だけど、この荷物を運ぶのも手伝わせてもらいます」
「うえっ!? い、いいよいいよっ! それはあたしの仕事だし、白河くんは昼休みをエンジョイしなきゃ!」
先生は慌てたように、荷物の奪還を試みる。
しかし僕は荷物ごと腕を高く上げることにより、それを阻止した。重さに腕が震えるが、ここは男の見せ所というものだ。
「取り返したかったら、どうぞ。……届けばですけど」
「……むー。意地悪だね、白河くん」
先生は何度か飛び跳ねて僕から荷物の奪取を試みたものの、ついに観念したようで、拗ねたような、それでいて笑ったような曖昧な表情を浮かべながら、そう言った。
「っつーことで、変態。僕はこれから先生の手伝いをしてくるから、先に教室に戻っててくれ」
「ほいほい。軽く5人くらいにハラスメントしながら帰るわ」
言うや否や、変態は早速近くの女子に声をかけ始めた。
相変わらず行動が早い。
「……それじゃ、行きましょう、先生」
「そだね。ありがとね、白河くん。こっちだよ」
先生は歩き出し、僕はそれに並ぶようにして、歩く。
軽く勉強の話や、危機的状況下にある成績の話、そして他愛のない世間話などをしながら、僕たちは目的地を目指した。
美好ぼたん――我らが2年4組正担任にして、日本最年少の教師。15歳。僕よりも、2歳ほど年下の、“少女”。
資格云々の話はよく分からないが、こうして教職に携わっている以上、彼女は既に大学課程を終えているのだろう。はたして日本国に飛び級制度なんてあったのかと疑問に感じないこともないものの、そこはそれ、実物が目の前にいるのだから、彼女自体が結論だ。
腰の高さまで伸ばした金髪のストレートヘアはツーサイドアップに。青いリボンはウサギの耳のようにぴょこぴょこと躍動している。顔の作りも、年齢相応の幼さを見せるものの、非常に整っていて可愛らしい。
……こうしてみると、ただの可愛い女の子なんだけどなぁ。
「ん? どったの白河くん? 人の顔ジロジロ見ちゃって?」
「あ、いえ……。それよりこの荷物、どこに持っていくんです?」
腕にかかる負担をリセットするかのように荷物を一度持ち直し、先生に問う。
「んとね〜、体育倉庫」
「……」
体育……、倉庫?
三好先生の担当教科は、化学。およそ体育倉庫とは関係のない教科のはずだけれど……。実験で使うものなのだろうか。この学園には文理区別が存在しないので、文系型の僕も三好先生の化学の授業は受けている。しかし、そんな妙な実験が教科書に載っていたか。さすがに教科書をすべて見終えたわけではないのではっきりとは分からないが、高偏差の高校に籍を置いている以上、僕とて予習くらいはしている。少なくとも予習範囲――だいたい一ヶ月先程度か――には、そんな実験はなかったように思う。この広大な学園には相応数の教師が在籍しているので、基本的に教師はひとりあたりひとつの学年しか受け持たない。だから、他学年の授業という可能性もほとんどないに等しかった。
「体育の秋庭先生に頼まれちゃってね。……えへへ。まだ新米だし子供だし、これくらいの雑用はしないと……さ。ほら、除け者にされちゃうのとか、やっぱつらいし。ただでさえあたしみたいな子供教師は奇妙な存在だってのに、これ以上余計な波風とか、立てたくないからね!」
精一杯明るく見えるような――そんな、無理をしていることがまるでばればれの笑顔を浮かべて、先生は言った。
ばればれの笑顔を浮かべて、言った。
「……」
あのゴリラ……。
15歳の教師。傍目に見れば、明らかに異端の存在。
明晰に過ぎる頭脳。超凡な才能。
しかし、その頭脳も才能も。尊敬の対象になると同時に、妬み対象ともなる。
異端を排除し、周囲を平常化させようとするのは、人間の、否、動物の本能。
弱肉強食ならぬ、強肉弱食。
「……先生」
「ん? 何かな?」
振り向く彼女の笑顔は、あくまでも明るかった。
「……僕、あの変態のことが大嫌いなんですよ」
「変態って、武良くんのこと? だめだよ、白河くん。友達なんだから、ちゃんとなかよくしないと」
そう答える彼女の笑顔は、明らかに純粋だった。
「だから、もし、先生が、他の先生に用事とか頼まれたりしたとき――こうして呼んでくれると嬉しいです。あいつから離れる大義名分になりますから。それと、僕ってこんな性格だから友達少ないんで、たまに話し相手になってくれるとさらに嬉しいです」
「え――だって白河くん、武良君とも仲がよさげだし、友達は結構いるじゃ――」
彼女の笑顔は、若干の陰りと戸惑いを含んでいた。
「先生。僕は困ってるんです。“困っている生徒を助けるのは、先生の役目”って、先生の口癖だったと思いますけど」
僕の笑顔は、純粋なものだったと思う。
ココロから、純粋な笑顔を浮かべられたと思う。
「――……。 うん! わかった! 仕方ないなぁ、“純史くん”は」
先生の笑顔は、とても明るくて、純粋で、そして嬉しそうだった。
賢い先生のことだ、僕の言いたいことを、言葉の意味を、きっと理解してくれていることだろう。
「それでこそ、先生ですよ。“ぼたん先生”」
生徒と教師。
だから何だ。
それ以前に僕らは人間同士だ。
友達になりたい人と友達になって、何が悪い。
こうして僕の個性的な友人の一人に――美好ぼたんは、追加された。
「ふう、到着。お疲れさま、純史くん。これを置いたら、戻っていいからね」
「はい」
ぼたん先生、僕の順で、体育倉庫に入っていく。薄暗くて周囲はよく見えないが、土のような汗のような、不快な匂いが鼻をついた。
「……若い男女が二人きりで体育倉庫に。なんかえっちぃシチュエーションだね」
「このマセガキがっ!」
「やだなぁ、純史くんだって、ちょっとは考えたりしちゃったりしなかったりしちゃったりしなかったりしちゃったり……」
「まぁ、少しは……って僕は武羅雄か!」
「え? けど最近じゃあ、武良くんよりも純史くんの方が変態って呼ばれることが多い気がするけど」
「そ、それはみんな武羅雄に免疫があるからで……それに、男は誰だって……」
ああ、もうなんか僕が変態みたいな流れになっているじゃないか。言い訳をしている時点で終わっている。
「だめだよ、えっちぃことばっか考えてたら。何か別のものでそういう煩悩を発散しなきゃ。ゲームとかでもいいしね」
「……先生も、ゲームとかするんですか」
まだ年端もいかない少女とはいえ――ぼたん先生のような才女ともなれば、本やら勉強やらに趣味は偏るかと思っていたのだけれど。それはさすがに偏見というものか。
「うん、エロゲーとか! 楽しいよ!」
「あんたは教師だが明らかに18歳未満だ!」
それに、生徒にエロゲーを勧めるな!
あんたこそ煩悩の塊だ!
「あはははは! まったく、冗談だよ冗談〜!」
「はぁ……」
なんだか、どっと疲れてしまった。
だけど同時に、とても楽しかった。
才女にして、気さく――彼女が同じ生徒として僕らと出会っていれば、大量の友人が常に彼女の周りを囲んでいたことだろう。
こんなに面白い人と友達にならないなんて、教師たちは、本当に愚かだ。
こんなに面白い人と友達になれたなんて、僕は、本当に運がいい。
ぼたん先生の無垢な笑顔を眺めつつ、僕はふと、そんなふうに思った。




