入ったことのない店に入るのって凄く緊張するよね。美味しいって評判を聞いたラーメン屋に朝から行って、結局入る勇気が出なくて牛丼食べて帰るみたいな事あるよね。
レジーナの小屋から、獣道を抜けて三十分程度歩くと、古いが煉瓦で舗装された道に出た。
そこから更に三十分。棒のようになった足を必死に前に押し出して歩くと、建物が立ち並ぶ町に出た。
当然のようだが、人が沢山いる。僕にとっては異世界の住人だ。レジーナもそうだが、顔付きも日本人とは違っていて、本当にここは別世界なのだと感じる。頭の上に果の入った籠を乗せて歩く女性も、露店で何か宣伝文句らしき事を言いながら鳥の肉をぶつ切りにしている男性も、まばらに立っている騎士のような格好の男性も、全てが新鮮だ。
「イットー。キョロキョロしないで。カモだと思われたらマズいことになる」
「え?今何か言った」
「イ……イットー!」
レジーナは土産店の鼻眼鏡を試している僕の首根っこを捕まえて店の前から引きずり出した。
「落ち着いて、イットー!貴方は一文無しなんだから、何も買えない!買えないのに商品を試しちゃダメ!」
優しいレジーナに怒られるとシュンとなってしまう。ここは大人しく彼女について行こう。
店通りを抜け、裏道に入ると、白い鳥の絵が描かれた吊るし看板があった。ここが白鷺亭だろうか。
その時、扉が弾けるように開いて男が文字通り飛び出して壁に衝突した。
「ぐぇっ」
扉の中から青年が出てきて男の前に仁王立ちした。
「二度と来んじゃねえ!」
男はほうぼうのていで立ち上がり、店通りの方へ駆け出した。
青年はしばらく鋭い目付きで男の行先を見ていたが、やがてレジーナに気付いて表情を緩めた。
「おや、レジーナさん。珍しいですね」
「そっちもね、レイル。あんなに怒るなんて珍しいじゃない」
「そうでもないです。もっと店に来てくれりゃあ怒りっぱなしなのが分かります」
「そんなの分からなくっていいわよ」
「ハハハ」
レイルと呼ばれた青年とレジーナは軽口を叩きながら店に入った。がちゃんと扉が閉まる音がする。
待て待て待て。あいつ、僕の事が目に入らなかったのか?正直言って日本では考えられないような暴力的な出来事に腰が引けてしまっている。店にも入りたくはないが、ここで一人になる方が嫌だ。
白鷺亭の扉に手をかけて、中に入った。
店の中は薄暗く、酒の匂いがぷんぷんとしている。目の前にあるカウンターにレジーナが居たので、急いでその背後に回り、気配を消した。裾も掴んだ。
「ねえ!」
「らっしゃい、おや!レジーナじゃないか」
「こんにちは、ダスクさん」
ダスクと呼ばれたひげ面の大男は朗らかに笑って、手にしていた飲み物のジョッキをレジーナの前に置いた。
「随分だったじゃないか。こいつぁ俺の奢りよ!」
「おいダスク!それ俺が頼んだ酒だろ!」
店の奥で男が拳を振り上げる。レジーナはそちらに向かって軽くジョッキを持ち上げた。
「それで、あんたがウチに来たって事は金に入り用なのかい?それともそこらの店じゃ捌けねえ何かを手に入れたのか」
「そこらの店じゃ捌けないのは確かね。イットー!私の裾を掴むのを辞めて、挨拶くらいしなさい」
まいった。僕はこういう声の大きな大人が苦手なんだ。中学校の頃の生徒指導の先生を思い出す。
「つ、剣城逸刀です。よしなに」
「ツルギイットー?ふむ」
大男は僕の事をジロジロと眺めた。
「服はいい仕立てだが少々汚れてる。眼鏡は作りが良さそうだし金になるな。中身はどうだろうな。見てくれはいいがヒョロっちい。若いのに銀髪なのは客受けが良さそうだ」
「ダスク!」
レジーナがジョッキをドン、と置いた。ダスクはまた朗らかに笑った。
「冗談さ、冗談!仕事の世話だろ?」
「ええ、なんでも行くところがないみたい。昨日は私の小屋に泊めたけど、ずっとそういう訳にもいかないし。住む部屋の世話もしてあげたいわね」
「待てよ、家に泊めた?」
横から誰かが口を挟んだ。レイルがこちらを睨んでいる。
「おい、てめえ……レジーナさんに何か……」
「い、いや、僕はただ世界遺産認定を……」
「何言ってんだテメェ?」
レイルは僕に詰め寄り、そして宙を浮いた。ダスクがカウンター越しに彼の首を掴んで持ち上げている。
「ぐっ……離せっこのタコジジィ……」
レイルはカウンターの中に引きずりこまれた。
「落ち着け、レイル。すまねえな、イットー。こいつもあんちゃんみたく森の中でレジーナに拾われてウチに来てよ。そっからレジーナに恩義を感じてる。悪気がある訳じゃねえんだ」
レイルはしばらくもがいていたが、やがてダランと手足を投げ出した。ダスクが手を離すと、ブクブクと泡を吹きながらカウンターの奥に沈没していった。
「えっ大丈夫なの」
「イットーは心配性か?しばらくしたら目を覚ますさ」
レジーナがクスクスと笑う。ダスクはガハハと笑う。僕も付き合い程度にフヒヒと笑った。
「……さて、本題に入ろう」
ダスクがその丸太のような腕をカウンターに置いた。弾みでジョッキが軽く浮いた。ダスクが真剣な顔をしているので、僕も姿勢を正した。
「イットー……お前さん、今まで仕事した経験は?」
「い、いや」
「なんと、その年で仕事した事ねえのか!」
ダスクは驚いている。この世界では僕くらいの年なら働くのが普通なのか。
「じゃあ、何か特技はあるか」
「特技……一応、異能があるけど」
「異能か!そりゃいい。見せてみな」
ダスクの指が額に伸びて、フリック。
「痛いっ痛い!」
「我慢しな。えーと、うわ、気持ちわりぃもん見ちまった!何してんだイットーお前おかしいのか?えーと、えーと。『否定』?なんだこりゃ。変てこな名前だな」
ダスクは僕の額を二回叩いた。一度目で意識が飛びかけ、二度目で意識が引き戻された。
「悪い。こりゃ使えねーよ。『炎』とか『バカ力』とかなら良い勤め先があったんだが……」
自分の力に失望したのはこれで何度目だろう。ダスクは腕を組んで、短く刈りそろえられた顎髭をジョリジョリと擦った。
「レジーナの拾いもんだから、下手な仕事はさせられねえしなあ……どれだけ出来るかも分からねえ……ウチは手が足りてる……となると……女の子ならなぁ……」
ダスクはブツブツと呟いて僕の事を舐めるように見ている。だが、その呟きの内容は決して良い方向の物とは思えなかった。
ダスクの視線が僕の首あたりで止まった。
「女……待てよ。そのシンボル……見覚えがある。そいつを付けた女の仕事を世話してやったな」
シンボル?首元を触ると、金属片のようなものが手に触れた。これは……。
「こっ、これを付けた女の子の仕事を世話したんですか!」
「ああ、そりゃどっかのブランドもんか?彼女は確か、町の外れの……」
「教えてください!その女の子の勤め先!」
「ちょっと、どうしたの?イットー」
レジーナもダスクも怪訝そうな顔をしている。二人は知らないだろう。これは、校章だ!校章を付けた女の子と言えば、クラスメイトに決まってる!