他人の家って自分の家と全然違うから戸惑うよね。ご飯食べてく?とか言われてお呼ばれしたら玉子焼きが超甘かったりするよね。
「さ、ここよ」
僕は心の中でうむ、と頷いた。なるほどレジーナの小屋はいかにも狩人の住む場所らしかった。狩人が住むとしたらこんな場所しか考えられないだろうなという装いだ。
「入って楽にしてて。ペイルベアーを処理したら毛皮を床に引いてあげるわ」
レジーナは熊を下ろして、ナイフで熊の喉の下に切れ込みを入れて毛皮を削ぎ始めた。肉と皮を切り離し、手で強引に引き裂く。ダメだグロすぎる。生すぎる。こんなもの見ていられない。僕は先に小屋に入っていよう。
レジーナの小屋は中も狩人らしい作りになっていた。なるほど、一般的な狩人の部屋だ。
「入ったらスリッパを履いてね!」
レジーナの声が飛んでくる。玄関の脇、山盛りのポプリの下に毛皮のスリッパが並んでいる。一つ選んで履くとポカポカとしてきた。
狩人らしい部屋の狩人らしい椅子に倒れ込むように座って大きく伸びをした。どっと疲れが湧いてきた。何しろレジーナの後を追って何キロも歩いたし、その間に5回ほど罠にかかって宙吊りにされたのだ。3回目からはさすがにレジーナもうんざりしてる感じだったな。
僕は狩人らしい椅子のボタンを押してリクライニングを倒した。これくらいは勝手にしたっていいだろう。全身が悲鳴を上げているようだ。背中もじんじんと痛むし足もパンパンだ。この椅子にはマッサージ機能もあるようだが流石に使う事は憚られた。
天井に猫のウォールステッカーが貼ってある。お洒落だ。
いつまでそうしていたのだろう?気付けば僕は毛布を被せられていた。
「よっぽど疲れていたのね。全然起きないんだもの」
レジーナは僕が座っているものとは別の椅子にまたがるように座り、マグから飲み物を飲んでいる。
「ご、ごめん。勝手にくつろいでしまった。リクライニングも」
「いいのよ。ベッドに座らなかっただけ上出来じゃない。貴方も飲む?」
レジーナはそう言ってマグをよこした。茶色くて湯気の立つ飲み物だ。そういえば叫んだせいか喉がカラカラだ。両手でマグを握るようにして傾けた。少しトロリとしているが、この芳醇な香りはコーヒーに近い。半分ほど残っていたそれを一気に飲み干した。
「落ち着いた?」
「……ああ」
コーヒーに近いと思ったが、飲んでみるとなるほどこれはコーヒーだ。濃いブラックの、起き抜けに飲みたい味。つまり、喉が乾いている時に飲むものではなかった。
「じゃ、そろそろ聞かせてくれるかしら。貴方がどこから来て、何故森の中にいたのか」
「あ、ああ。エヘン、エヘン。ゴッホゴッホゲホゲホゲホ」
「……大丈夫?もう一杯飲む?」
「いやいい!いい!ちゃんと話せるよ」
僕はレジーナがマグに伸ばした手を制止して話し始めた。
僕がこことは違う世界に居た事。気付けば女神と名乗る女がいる空間に出た事。そこで加護によって異能を得た事。女神に叩き出されて、森に落ちた事。下品な声で叫ぶ猿なんて見ていないという事。僕は叫んではいないという事。喉が枯れているのは叫んだからではないという事。よしんば叫んだとしても僕は猿ではないという事。
レジーナはたまに頷いたり、質問を差し込みながら聞いてくれた。最後まで話すと、レジーナは難しそうな顔をしながら口を開いた。
「えーっと、つまり、貴方は異世界の住人。女神、これは恐らく人間を抱擁する主神のディナ様ね。ディナ様に加護と、魔王を討伐する使命を頂いた。そして森に落ちた……」
レジーナは何かを考えている。こういう時は黙って相手が結論付けるまで大人しくしているのが賢いやり方だ。
レジーナの指がピンと立った。
「……証拠。もし今の話が本当ならば、貴方は特別な異能を持っているはず。ステータスを見せてくれないかしら」
「う、うん。いいよ。そのステータスっての僕はどうするか分からないけど」
「大丈夫。じっとしてて」
レジーナが僕の額に指を当てた。そして弾みをつけて擦った。
「痛っ!痛いって」
「じっとしてってば!えーと、このフォルダは…違う。このフォルダ…うえ。変なの見ちゃった。このフォルダ…」
頭の中でカチカチと音がする。レジーナは僕の額を弄り回している。これ大丈夫なのか?変なことされてないだろうな。
「えーと、あったあった…『否定』?これが貴方の異能?変な名前ね」
レジーナは僕の額を2回指で突いた。どうやら妙な辱めはこれで終わりのようだ。
「……そんな変なスキル名、見たことないし。女神様に特別な異能を頂いたってのは本当みたいね。いいわ、信じてあげる」
「よっし!」
思わずガッツポーズを取ってしまった。初めて女神に感謝したぞ。割とギリギリの所で一応の信頼を得たような感じだが、この際気にしないでおこう。
「もし貴方が女神の威光を借りる変な人だったらシメちゃえばいいだけだしね」
立ち上がったレジーナの腰のナイフが鈍く光り、僕はガッツポーズを取ったまま固まった。レジーナのまるでお姉さんのような雰囲気で気付かなかったけど、もしかして僕は、結構な綱渡りをしていたのか?よく考えたら、女神の話を言われるがままに話したのは危なかったのでは?
「さ、ご飯にしよっか。イットーのおかげで思いがけずペイルベアーも狩れたし、今日はご馳走してあげる。と言っても、貴方が寝てる間に作った、簡単な物だけどね」
ぼくの気持ちをよそにレジーナはキッチンから皿を持ってきた。
「あ、ありがとう…これは、何?」
「口に合わないかもしれないけれど。ペイルベアーの内臓を使ったサンドイッチよ」
「内臓……?サンドイッチ……?」
茶色いパンに茶色いペースト状の物が挟まれている。しかも、緑色の粒状のものがチラチラと見える。それが、4切れほど。まさか、これを食うのか。
食欲ではなく、緊張で唾を飲んだ。異世界の食事だ。温室育ちの僕の口には合わないだろう。しかし、レジーナがわざわざ僕の為に作ってくれた物を口に合わないから要らないなどとは言えない。
「い……イタダキマス」
僕を意を決して、一口サイズの茶色い塊を口に放り込んだ。口に入れた瞬間、物凄い香りが口内に広がった。
「こ、これは!!」
恐らくこれは熊の内臓を丁寧に裏ごししたパテだ。緑色の物はハーブだ。爽やかなハーブが熊の野趣溢れる香りを隠すのではなく引き上げて格調ある物にしている。パンはきちんと両面がトーストされておりパテの濃厚さをしっかり受け止めている。
「う、美味い……!」
僕は一つ目のサンドイッチを食べ終わるとすかさず次のサンドイッチを手に取り口に放り込んだ。こっちは刻んだナッツが練りこまれて食感も香りも変化が付いている。
胃に血が集まる。舌がプロフェッショナルの手腕を称賛する。サンドイッチに注視するあまり眼球の活動が鈍くなる。レジーナがニコニコ笑っているのがチラリと見えたが、賛辞の言葉を述べる事さえ出来ない。今まで色々と酷い目にあった。辱めにもあった。しかし今この瞬間でそれも帳消しだ。女神、帳消し!異能、帳消し!出しゃばり、帳消し!背中の痛み、帳消し!室田、帳消し!全て帳消しだ!異世界バンザイ!食いしん坊バンザイ!
それにしてもサンドイッチとはね。サンドイッチはサンドイッチ伯爵が賭け事をしながら片手で食事が出来るように開発させたというのが名前の由来と言われているが、まさかこの世界でも同じ形態の料理がサンドイッチと呼ばれているとは思わなかった。サンドイッチ伯爵がこの世界にもいたのかな。イギリス人なのかな。