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  ルチアが居なくなったという特別査問室。

  そこはもぬけの殻で、ルチアの姿はどこにもなく、見えない壁も健在だった。


  空中にぺたぺた触るように、壁がある辺りを探るアリスとは裏腹に何かを考え込んでいる様子のアーネスト。

「昼休憩の間に忽然と姿を消しました……。僕たちは何も……知りません……」

  重罪人を逃がしたことから慌てふためく文官たちや騎士たちにアーネストはゆるゆるとかぶりを振った。

「君たちのせいでないことは分かっているから、そこまで青ざめなくても良いよ。この壁を無効化出来るのは一部の者だけだし、もともと見張る部屋でもなかったんだから」

  何かを考えている様子のアーネストに視線を向ける。

 ──殿下もお気づきになられた?


  アーネストの説明によれば、ルチアを脱出させたのは、王家の誰かだということになる。

  王家の血を引く者は限られているが、アーネストの兄弟たちは国外に居るため、まず外して良いだろう。

  王家の血筋を引く親戚筋はどうだろうかと考え始めた矢先のことだ。

 ──確か王族の血が薄いと効力を発揮しないと聞いたことがあるような?

  アリスも思案し始めていた折。

  何やら真剣に考えていた様子のアーネストは顔を上げるとこう言ったのだ。


「親戚筋を含めた王家の血筋の者が王宮に来た記録もなく、それを極秘事項に隠蔽した形跡もたぶんなかった。王夫妻の1日のスケジュールを鑑みてもこの部屋に近付く時間帯はなかった」

「恐れながら殿下……、それはどこの情報で?」

「メモ程度の簡易的な報告書を皆に細かく提出させていたんだ。それに先程、軽く目を通した。もちろん裏を取る必要はあるけれど」

  ちなみに総括はエリオットらしく、殿下への繋ぎは完璧だったらしい。

  はあーっと大きな溜息を吐いた彼は目を押さえながら付け足した。


「この部屋に近付けた王族は、今のところ僕だけだよ」

「……え。でもそれは……」


  有り得ないだろう。ルチアをここに連れて来た当の本人が、逃がすなんて。

  アーネストが犯人だなんて。


「簡単に推理すると僕が犯人ということになるけれど」


「それは有り得ません!」


  思わず口を挟み、アリスに一斉に視線が集まった。

 ──大声を出してしまうなんて……私としたことが。


  恥じらうアリスに、アーネストはどことなく嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう、アリス」

「……い、いえ」

  話を遮るような真似をしてしまった。


「大丈夫ですよ、アリス様。ここに居る者は皆、アーネスト殿下が犯人だなんて思っていませんよ」

「ええ、殿下がどれだけ尽力されているか……それを知らない者などいませんからね」

「皆さん……」

  アーネストは皆に慕われていると同時に、確かな信頼を得ていたのだ。


 ──私が心配することでもなかったのかもしれない。


  ほっと息をつくと同時に、先程までぺたぺたと触っていた見えない壁のある部分に違和感を覚えた。


「あの……ここ少し手が入るような?」

  見えない壁。他より少し窪みがあって手が沈み込むような気がする。

  アリスの手は向こう側に貫通したりはしないけれど、確かに壁に手が埋まる感触。見えない壁はツルツルとしていて無機質で冷たい感触だというのに、ここだけぐにぐにと気色悪い感触だった。


「これ……壁がへこんでる?もしかして、無理に抜け出した形跡じゃないか?」

「あの、殿下。これって破壊出来るものなのですか?」

「普通は出来ないはずだよ。こんなの初めて見た」

「これは殿下が犯人ではない確かな証ですわ。殿下でしたら、こんな破壊行為を行わなくても容易にルチア様を連れ出せますもの」

「ふふ、まあ隠蔽工作っていう線もあるよ、アリス。僕が犯人でないという確かな証拠ではないかも? ……なんて」

  明らかに面白がっている節が見受けられる。自分が犯人でないと分かっているからこそ、このような冗談が言えるのかもしれない。

  これも言葉遊びの1種。

「あら? 透明な壁相手に隠蔽工作も何もないのでは? 透明ですからその必要がないでしょうし?」

「でもアリスは気付いたよ? 他に気付く人もいるかも? ……僕のために必死に否定材料を探してくれてるアリスを見るのは嬉しいな」

  どうやらそれが目的でこんなお遊びを入れたらしい。

  それと同時にどうやら何か掴めた様子にも見える。思い当たる線があるらしく、迷宮入りにはならないからこその余裕というか。

「神殿に送り込んだ間者に至急、連絡を取ってくれないか?」

  アーネストが騎士に投げかけた言葉と、当然のように頷く騎士の1人。

  間者というのは、騎士の中から送り込まれているらしい。

「ふふ、随分前に禁忌書庫をあさっていた時に面白い資料を見つけてね。……いや、まさかとは思ったんだけど、どうやら本当らしくて」

「もしや、今回のルチア様の件、神殿の者が関わっているということですか?」

「簡単に言えばそうかな。神殿の者が王宮に入り込むのは無理だろうけど、王族が犯人というよりも現実的だよ。それだと安直すぎるんだ」

  ここまでアーネストが言ったところで、アリスの後ろに、にょきりと登場した主の声。

「確かに。殿下でしたらもっと上手くやるでしょうね。それも痕跡なんて一切残さず、違和感すらも残さずに」

「きゃっ、エリオット様!」

  唐突に現れたエリオットは、相変わらず目の下にクマを拵えているが、前とは違い覇気があるのが窺えた。

「殿下なら卑怯な手を使って、完全犯罪を成し遂げるはずです」

「エリオット。君が僕に対してどういうイメージを持っているかは分かった。色々と訂正したいところだけど、まあ今は置いておくとして。……そう、エリオットの言う通り、王族が犯人だとすれば、その王族は相当馬鹿だ。ルチアをここから出すだけだと疑われるのは王族だけだからね」

  騎士の1人が手を上げた。

「もし殿下ならどうやって完全犯罪を成し遂げますか?」

「うーん。身柄を移動させるのが定石じゃない? まず周囲を操作して、公式にルチアをあの場所から出さざるを得ない状況に持って行って──」

 ──今サラッと周囲を操作するって……。

「それで協力者は自殺に見せかけて殺すんですよね、殿下」

「エリオットは僕に何か恨みでもあるのか。……アリスに非道な人間だと勘違いされるだろう……」

  アーネストが窘めるが、騎士の1人が口を滑らせた。


「え、でも殿下。腹に据えかねた時とかは、結構、容赦ないですよね?」


「え? なにこの状況。なんで僕が袋叩きにあってるの」


  思わずアリスはクスリと笑う。

「殿下がすることには全て理由があると知っておりますから。今更、私から何かを言うまでもありませんわ」

  自分のことは気にしないで欲しいと暗に伝えれば、エリオットが珍しく笑った。微笑むとか嬉しそうにとか、そういうのではなく、ニヤリと。

「お熱いじゃないですか。つい最近、殿下から『不安で仕方ない』とか酒の席で聞いたような気が──」

「あー!エリオット、仕事にとりあえず戻ってくれ。裏を取る作業と……あとは追って沙汰する」

  どうやらこの場では言えない何かを頼むらしい。

「アリスもとりあえず、今は部屋に戻っていて」

「マティアスに協力をお願いしてみますわ」

「あ、なら裏を取る方に回ってもらいたいな。魔法のことはよく分からないけど、嘘かどうかを見分ける術とかあったら助かるなあ。なるべく王夫妻には迷惑をかけたくない」

  少しでも疑いがかからないように、早急に裏を取るつもりなのだろう。

「分かりましたわ」

 

  相談したところ、マティアスは自白剤のような効果を持つ魔法を知っていた。

「お願いできますか?」

「アリス嬢の頼みですし、殿下に貸しを作るのも楽しそうだし、もちろん快諾ですとも」

  後半の台詞が不穏すぎる。本人は楽しそうだけれど。

「にゃーお」

「あら」

  アリスの影から出てきたのは、調停者。今日も黒猫らしく前足で体を掻き、のびーっと体を伸ばしていた。

「何か手伝ってくれるのですか?」

  思わず声をかけたアリスだったが、黒猫は声高く鳴いた。

 ──任せておけ、と言われているみたい。

  尻尾を振りながら近付いてきた猫の背中を軽く撫でた瞬間。

「っ! きゃっ!」

「にゃ!」

  周囲が光り輝くと同時に「いってらっしゃい」とマティアスが手を振るのが見えた。

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