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「目を覚ましたら朝だったんです」
当たり前のことで自分でも何を言っているのか分からないが、アリスにとっての事実はこれである。
パーティで果実酒を口にして随分と飲んでしまったところまでは覚えている。
聴取の第1段階を終わらせ、パーティでの来賓客をもてなしたアーネストが、就寝時間になっても庭園で剣の素振りをしていたらしいと従者から聞いたアリスは、窘めるつもりで彼の元へ赴いた。
途中から寝てしまった私が言うことでもないけれども、執務が終わったのなら体を休ませるべきなのではないだろうか云々と。
「……」
「……? 何かおありでしたか?」
少し意見したアリスをジト目で見つめるアーネストは何か言いたげで。
思えば、執務室に入室してからも何か様子がおかしかった。
アリスを目にした途端、彼はほんの少し頬を染めたかと思えば、目を逸らしたまま挨拶をしたのだ。
普段は目を逸らしたりなどしない方だったから、アリスは訝しんだ。
アーネストはぽつりと問い掛ける。
「昨日のことはどれだけ覚えてる?」
アリスとしては記憶が途中からさっぱりなので、きっと寝てしまったのだろうと思い、答えたのが先程の台詞である。
目を覚ましたら朝だった。つまりあのパーティの時間帯からずっと寝ていたということになり、つまりはその間ご挨拶が出来なかったということで、アーネストには迷惑をかけてしまった。
「寝てしまって申し訳ありませんでした。全てをお任せすることになってしまって……」
「寝てしまって?」
「はい……。途中から記憶がないので、その時から寝てしまって朝になったのでしょう……」
──私としたことが、こんな初歩的な失敗をしてしまうなんて。
アリスは猛省していたが、ふとアーネストの方にチラリと目をやり、目を瞬いた。
「殿下? どうされたのですか?」
「いや……。なんでもない……」
頭痛でもするのか頭を押さえている姿が目に入る。
「アリス……君はもう酒の類は、僕の前でしか飲まないで」
苦々しげな声。
「ごめんなさい……。そこまでご迷惑をおかけしてしまいましたか……? いきなり爆睡なんて淑女としては……なってないですわね……」
「……本当に記憶がないの?」
「……? はい? 果実酒を随分飲んでしまってからは……お恥ずかしながら……。記憶がないということは意識を失ってしまったんでしょうね。……え? 殿下」
ついに机に突っ伏したアーネストを見て、アリスは慌てた。
そこまで迷惑をかけてしまったのだろうかと。
──申し訳ないことをしてしまったわ。
迷惑をかけた自分が口出しするのも烏滸がましいが、それでもアリスは話を戻した。
「話は戻りますが、やはり夜は休んだ方が良いと思いますの。夜中に剣の訓練というのもお身体に悪いでしょう?」
「……ソウダネ」
「片言ですわよ。どうされました?」
やはり何か調子がおかしい。
「差し出がましいことを申しましたが、私は殿下のことが心配で……。ルチア様もまだあの調子なのでしょう?」
「……ちょっと来て」
アリスを手招きしている彼の元に素直に寄っていく。
何の用なのかと不思議な心地でいれば、腰を引き寄せられる。
「きゃっ」
わざわざ手招きまでして何事かと思えば、突然膝の上に乗せられた。
「で、殿下!突然何を!」
「……うーん。こうしてると何か思い出さない?」
何やらこちらを観察している様子だ。アリスが恥ずかしがって赤面して余裕を失った姿でも見たいというのだろうか。
「あ、悪趣味です!」
引き寄せられた腰にあった彼の手を思いきり振り払い、慌てて彼の膝の上から下りる。
「うん、知ってた」
何やら無の表情になったアーネスト。
と思ったら悩ましげに呟く。アリスに何かを言ったというより、これは独り言のように聞こえる。
「……これは相当だなぁ」
「何を仰っているのか、分かりかねます。私がここに訪れたのは、殿下の玩具になるためではなくて、情報共有と謝罪のためですのに!それを貴方は……乙女心を弄ぶような……こんな」
「僕は男心を弄ばれた気分だよ……」
「先程から何を仰ってるの?」
「いや、いい。うん。アリスはそのままで居て……」
何やら遠い目をされたのが解せない。
どうやらこの件についてはこれ以上話す気はないようで、アーネストは切り替えるように咳払いをする。
「早朝も何件か、ルチアと貴族の元に立ち会ってきたけど、本当に綺麗さっぱり洗脳の効果はなかったようだよ。ルチアと出会って再発したらどうしようかと思っていたけど」
「記憶はそのままでしょう?」
「そうだね。だから素直に罪を告白する賢明な貴族もいるよ。情報提供のその後の対応に関してはエリオットに一任しているよ。そうしたらたくさん出るんだよね。不正な改竄記録がね」
そんな大変な状況なのに、何故アーネストは剣の素振りをやっていたのだろうと、やはり気になったがとりあえず話に集中することにする。
「ユリウスのことは覚えてる?」
唐突に彼の口から飛び出したその名前は、アリスにも覚えがあった。
「あ……随分と過激派だった方たちですね」
「そうそう。初恋もまだの人程、洗脳がよく効いて信者みたくなってた現象。その者たちなんだけど」
さぞ荒れたのだろうと思っていれば、アーネストは予想外のことを言った。
「彼ら、特に荒れている訳じゃなかったんだ」
「え?」
1番反動が酷いと思っていたのに。
「表向きは悲しそうにしてたんだが、範疇内というか、思ったより普通だったというか。逆に怖い」
──私が爆睡している間に何やら懸念事項が……。
さらに申し訳なくなった。
「あと、昨日報告があったんだけど」
「まだ何かありますの?」
「聖女の引き渡し要請が神殿からあったんだ」
これだけ問題を起こして目立ってしまったルチアを神殿はどう扱うのだろうか。
──揉み消す……のかしら? でもそれなら素直に引き渡し要請をしてくるのは、違和感があるような気がするわ。
そういえば、とアーネストは思い出したように付け足した。
「堕ちた聖女の記録について調べていたんだけど、驚いたことがあるんだ」
「……驚いたことですか?」
堕ちた聖女とは、過去に聖女になり、調停者や断罪者によって力を使えなくさせられた聖女のことだ。
「記録が最小限すぎるんだよ」
どうやら断罪された聖女の情報が最小限すぎるようだ。華々しく現れ、ひっそりと去っていった堕ちた聖女たち。
「なんというか、呆気ないと思わない?聖女が断罪されるならもっと記録が残っても良いと思うんだけど。いつの時代も記録が少ない」
「本来は、調停者による断罪自体が呆気ないくらい簡単なものだからではないでしょうか?」
その点については思ってもみなかったのだろう。アーネストは意外そうに目を瞬かせる。
実際に体験したアリスだからこそ、分かる。
今回はルチアが洗脳を駆使したため、断罪するのに苦労してしまったが、もし洗脳がなかったとしたら、断罪するのはもっと簡単だったに違いない。
「断罪自体は呆気なく終了しましたわ。選ばれた者とはいえども、私がしたのは調停者を連れて行っただけ。必要なのは、選ばれた者の意志だけで、他に必要な儀礼など一切なかったのですから」
「確かに。ルチアが例えば洗脳なんて方法を取らなければ、ここまで複雑にならなかったかもしれない」
洗脳による肯定者が多かったために、ここまで苦労したのだ。
本来ならもっと簡単に行われたのだろう。
調停者という存在に、喪うことを望まれたらすぐさま力を奪われる聖女。
つまり今回の聖女にように、問題を起こし、悪事が広まること自体が稀だった。
つまりは今回こそがイレギュラー。
「道理で記録がないと思った。ようするに、今までは対処が早すぎて記録に残らなかったってことかな」
聖女が道を踏み外し、この国に悪影響を与える前に速やかに対処する。記録に残る前に、それは呆気ない程に迅速に行われる。
精霊である調停者の意志と選ばれた断罪者の意志が重なりさえすれば。
「聖女とか言われるから仰々しく考えていたけれど、つまり精霊王はこの国を守るための対話者が欲しかっただけなんじゃないだろうかと僕は思う。精霊魔法を使って何かを成したなんて記録、あまりないんだよ。本当に最小限すぎる」
預言者は、人ならざる高等な存在からのメッセージを預かる者。
「つまり精霊魔法が使えるようになるのは、副産物……?」
つまり、精霊の力を使えるから聖女なのではなかったのだ。
聖女が現れたということは、精霊たちは何かを伝えようとしていた?
2人で顔を見合わせていた最中、報告が入った。
「殿下! 緊急事態です。元聖女が部屋にいません!!」
「は!?」
それは青天の霹靂だった。




