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「君は現状を理解していないようだ」

  アーネストの地を這うような声に、アリスは少なからず怯えていた。

 ──殿下はこんな声を出されるのね。

  本人は少しだけ怒りの感情を向けただけなのだろうが、未来の王たる風格がそれに拍車をかけて、末恐ろしい雰囲気を漂わせている。

  怒鳴った訳でもなく、表面上は穏やかだからこそ、尚更怖い。

 ──けど、ルチア様は。

「何を言っているんですか? 何を見せるつもりなんですか?」

  彼の気分を大いに害してしまっていることに気付いていないのか恐れる素振りなど一切なく、親に「なんでなんで?」と反抗する子どもみたいな声を上げている。

「何をやらかすか分からないからね。彼女を拘束して例の部屋へ連れて行け」

  アーネストの言葉に粛々と従う騎士たちは、ルチアの背後に周り、彼女の手首に手鎖を巻いていく。

  じゃら、と硬質な金属の音が響く。

「何するのよ!」

  ルチアは抵抗して、騎士たちを振り払おうとするが、そこは女性の力だ。騎士たちに叶うはずもなく。


「精霊たち。私を助けて!」

  余裕のある表情で高らかに告げるルチア。

  騎士たちを見つめ、意味ありげな表情を浮かべていることから察するに、いつものように洗脳の力を使おうとしたらしい。


「……?」

  ルチアがしたり顔で魔法を使おうとしたが、騎士たちには何も変化が起こることはなく、ただルチアを怪訝な目で一瞥しただけだった。

「精霊たちよ! この者たちを私の支配下に!」

  ルチアはそれが失敗したとは微塵も思っていないのか、再び自信満々の笑みを浮かべながら声を上げた。

「何を……?」

  数人の騎士たちはルチアの独り言に目を白黒させながら、慣れた手付きで手鎖を使って拘束していく。


  そこまで来てようやくルチアは異変に気付いたようだ。

  余裕ありげに歪んだ笑みを浮かべていた顔は、徐々に余裕なさげなものに変わっていく。

「なんなの! 精霊のくせに役立たずね。これだから下級精霊は使えない!」

  あげくの果てに今まで協力してくれていた精霊たちに暴言を吐く始末。

 ──ルチア様を認めて魔法を使ってくれていた精霊たちなのに。

  今までその精霊のせいで痛い目には遭ってきたが、聖なる存在がルチアのような女に貶められるなんて許せる訳がなかった。

 ──この国は精霊に祝福された国なのに。そのことは知っているはずなのに、こんな言い方をするなんて。

  聖女とは名ばかりで、精霊に対する敬いなんかは、既に放り投げてしまっていたらしい。

「名のある精霊たちよ!」

  再び精霊たちを呼び出そうとしたルチアだったが、周りの人々は洗脳される気配もないし、ルチアを助けようとする存在は一向に現れる気配がない。


「なぜなの? なんで、精霊たちが言うこと聞いてくれないの!?」


  もう洗脳は使えないようだ。


「いい加減諦めて大人しくしたら?」

  煩わしい、と言わんばかりに頭を僅かに振り、冷たい目でルチアを見据えた後、アーネストはアリスの肩を抱き寄せた。

「何が起こったのか、アリスも知りたいと思うけど、正直見るのはおすすめしない。僕としては待っていて欲しいけれど」

  ルチアと騎士たちは、その何かを見に行くらしいのに1人だけ躊躇して知らないままで居たくはない。

「いえ、真実を見届けることが出来るなら、それが良いと思います」

  アリスの言うことが分かっていたのか、アーネストは1つ溜息を吐いた。

「たぶん、いや……絶対見るものではないよ。ああ、こういうと逆に気になってしまうか……」

  どうやら本当に見せたくないらしく、渋面になってしまっている。

「殿下」

  アリスは彼の目を真っ直ぐに見つめた。

「……絶対に怖がらせると思うけど……」

  アリスが覚悟を決めている様子を見て、早めにアーネストが折れた。

「ああでも、君にあれを見せるのか……。ごめん……アリス」

  相当酷いものをルチアには見せるらしい。アーネストは酷く申し訳なさそうにしているが、アリスとしては彼の見ているものを共有しておきたいと思うのだ。

 ──殿下が私に隠してきたものは、きっと今までたくさんあったはずだもの。血なまぐさいことも恐ろしいこともきっと……。

「ちょっと離して!……むぐっ」

  騒いでいたルチアは猿ぐつわを噛まされた。


  拘束されたルチアが鎖を引っ張られて連れて歩かれる様は、つい数日前までは有り得ない光景だった。

  たった数日で情勢が逆転した。

  王宮の最奥部へと足を踏み入れるかと思いきや、アーネストが案内していく先は、どこかどんよりとした薄暗い空間で、王宮でも人気もない場所らしかった。

  2人の騎士とルチアの呻き声。アーネストとアリスの足音だけだ。

「地下?」

  人気のない廊下から古びて頻繁には使われていない真っ暗な階段への格子の鍵を開けると、錆びた音が辺りに響く。

「ここから先は滅多に人は立ち寄らない場所で、外に出しては置けないと判断されてしまうと、ここに移動されることになるんだ」

  階段を降りる度に温度が下がり、埃の匂いがつよくなっていく。

  素っ気ない金属の部屋が隙間を埋めるように満たしている──つまりは地下牢らしい。

  牢だというのに、静まり返っていて人の気配は全くない。歩くアリスたちの足音や、ルチアが何か喚いている以外は物音が一切なかった。

  牢の中を覗いてみて驚いた。

 ──私たちが知っている地下牢ではなくて、もっと別の……。

「確かこの辺りだったかな」

「え?」

  アーネストが足を止めた1つの牢の先。

 

「あっひゃひゃひゃ、ひ、ひゃは!ひっひひひひひひひひひひひ。あああああ」


  突然狂ったような人の笑い声が響いて来た。


「だれかきた!ころさせて、ころさせてくれ!」


  この状況を苦にして自殺でも考えているのかと最初は思った。

  牢の中のその男を見て息を飲む。

  ボサボサの髪に、伸び放題の髭。濁った瞳に、深く刻まれた顔中の皺。

  その男の顔に浮かべられた狂気の笑み。

  何も言えずに居たアリスだったが、その男はアリスを目にすると、にやぁりと気味の悪い表情を浮かべて。


「女だ……。今度こそ……本物の聖女か?」



 ──何を言っているの?


  呆気に取られたアリスだったが、その男は狂喜にひたすら甲高い声で笑い始めて止まらなくなる。

  隣のアーネストが「まだこの調子か」と呟く声が聞こえる。


「ああ、俺は何も悪くない。俺は正しいことをしている。ふっ、あっへへへへへ、探さなければ、本物の聖女を、お前を殺して探さなければ」

  何やら要領を掴めない発言をする男に、アーネストは頭を振った。

「殺しても見つかる訳がないと前にも言った」

「全ては精霊のお導き! あっひゃっひゃっひゃひゃぐひぃ! 見つけたら真実! あっへふぎひゃあ……俺は、正しい?この、国の真実を俺が血を、」

  虚ろな瞳。狂った笑い声。

  再びアリスに意識を向ける。ルチアは騎士たちの隙間に拘束されたまま、彼らの隙間からこの事態を目撃している。

  この男に元凶である聖女を近付けたら何が起こるか分からないと、この場の誰もが認識していたからだ。

  ルチアが体を振り解くようにくねらせるので、自然と拘束は厳しくなっているらしく、騎士たちは腕ごと体にも縄を巻き付けている。


「……聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女聖女…………、あぁあ!女の子は、皆……か、弱いから優しくしなきゃいけないよ?そうだよな。僕も知ってるよ。でもそれはそれだよ?」

  途中で口調が代わり、宙に向かってブツブツと呟き出した。


  そして。



「ああああああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁあ!女を連れてこい連れてこい連れてこい連れてこい! ああああああぁぁぁ俺がこの手でええええぇ!」


  発狂した。


「俺が聖女を見つけるからああああああああぁぁぁ! ふぎぃいいいい」

  涎を垂れ流し、髪を掻きむしり、おかしなステップを踏み始める囚人。


「今日の対話は無理そうだ。まさか女性を近付けるだけでもこうなるとは。なあ……」

「今更だが、アリス様にこの光景をお見せして良かったのだろうか……」


  ひそひそと騎士たちの話し声が聞こえて、自分はかなり心配されてたんだと納得した。

  騎士たちが時折、心配そうにアリスに目を向けていることは知っていた。


「元はルチアに洗脳されて罪を犯した男の1人だよ。こんな感じの男たちが、この地下には何十人か居て、等間隔で収監されているんだ。皆、罪人だ」


  アリスははっとした。

  無理矢理ねじまげられた感情が後に悪影響を及ぼさない訳がなかったのだ。

  洗脳され、それが解かれた後に彼らを襲うのは、己が仕出かした暴挙の数々。

  犯罪を犯した当初は、聖女のためという目的があったけれど、正気に戻った頃には、それはただの犯罪だ。

  罪悪感を覚える人もいるかもしれない。自らのしたことに恐怖を覚えて壊れてしまう人も。

  使われなくなった地下牢が、まさか精神病棟のようになってしまっている程なのだから。

 ──私……。私……。

  洗脳されたままで良かったとは言わない。

  だが、調停者と断罪者──あの黒猫とアリスがルチアを裁いたことで、一夜にして精神崩壊者がこんなにも出てしまったのだ。

  自らの行動によって人がこんなにも変わってしまうことが恐ろしい。

  震えで立っていられなくなる自分の足を叱咤する。

「ああ……皆、目覚めたようだ……」


  少し先の方からも奇妙な笑い声や泣き声が響いてきた。何の意味もなさない音だけが辺りに充満し、確かにこの状態なら隔離するしかなかったのだと理解出来る。

  距離を開けて収監しているとしても、音は反響する。


「先程の者はね、どうやら聖女を見つけるために女性を殺して回りたいらしいね。奇跡を持つ者は聖女に違いないだろうって。皆おかしくなった……。君に心酔した者たちは、どれだけ罪を犯したんだろうね。君はその全てに責任を持てる?」


  拘束され縛られたルチアに穏やかに問いかけるアーネストは、やはり静かに怒っていた。


ちなみに出てきた罪人の思考の流れを分かりやすく書き出してみるとこうなります。


正気に戻り、聖女とはいえ自らをここまで堕落させたルチアを恨む→もしかしたら自分が聖女と思っていた女は聖女ではなかったのかもしれない→確認しなければ→精霊に加護を受けているならば殺しても復活するに違いない→そうだ!本当の聖女を探そう。助けてくれるかもしれない→とりあえず女性を殺してみよう。



みたいな感じですが、だいぶ狂っています。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 読みやすくダレがないので先が気になっても待てます。 [気になる点] どこまでの罪を犯したらここまで精神崩壊するのだろう。 ただ単に婚約者を虐げただけ、国庫を軽くしただけでこんなに精神崩壊す…
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