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目の前でルチアが倒れ伏して、体に巻いていたシーツがはらりと落ちたのが目の端に入って、そっとアリスは目を逸らす。
黒猫はルチアの影からすうっと出てくると、アリスの足元に座り込む。
「にゃあ」
「どうしようかしら、この状況」
「とりあえず、もう少ししたら……」
天井の方から聞こえるアーネストの声に答える前に、がちゃりとドアが遠慮なく開けられた。
思わず身構える。
傍から見れば現行犯にしか見えないこの状況。
本格的に不審者になりかねないと危惧したところで、入ってきた人物を見てアリスの方が固まった。
その姿は、アリスにとって馴染みのある1人の男性で。
「お久しぶりですね! アリス様。……うわっ。痴女の裸だ。目が穢れる……」
彼にしては珍しく上機嫌な声の後、心底気持ち悪いと言うようにルチアから目を逸らして、口元を吐き気でも催したように押さえている。
「エリオット様……、相変わらずですね?」
久しぶりに会ったが、彼はあれから一切変わっていない。
「エリオット。世話をかけた」
アーネストは天井の上から、勢い良く飛び降りてアリスの横に居たが、ルチアが目に入ると嫌そうに顔を背けた。
「なんでこの女は裸なんですか、痴女なんですか」
手に持っていた厚紙を何やら組み立てて箱のような形にすると、ルチアの上から大雑把に被せて、とりあえず視界から消しているエリオット。
「えっと、先程まで、ここで……その、じょ……情事が………あの」
とりあえず説明をしようとしたところで、顔にじわじわと熱が集まってきて、アーネストの背中に隠れた。
「どうしよう、エリオット。僕のアリスが今日も可愛い」
「知りませんよ、殿下の惚気なんて」
エリオットはアーネストの惚気をとりあえずスルーすることにした。
「とりあえずお2人はここを離れて隠れた方が良いですよね。殿下、いつも貴方は突然すぎるんです。先程、影から手紙を受け取りましたが、文面が『今から城に帰る。元王妃の部屋もとい現聖女の部屋に迎えに来て欲しい』って、何をどう受け取れば良いのか分かりません」
「エリオットのことだからタイミングなど全て察した上で行動してくれると思ったんだ」
「まあ、この付近の人払いは済ませましたが。とりあえず別室に潜伏する場所を作りましたので」
2人のコンビネーションに瞠目した。
──言葉を交わさずに通じ合うことが出来るなんて。
少しだけ羨ましいと思ったのはここだけの話だ。
「いや、たぶん潜伏する必要はない気がする。正面から入り直すことにする」
「は?」
エリオットの『何だこの人。ついに耄碌したのか?若いのに』とでも言いたげな冷たい顔に、アーネストは苦笑して一言添える。
「たぶん捕まえられることはないはずだから」
エリオットは窺い知らぬことだが、聖女の魔法を解いたはずだから、洗脳もおおよそ解けているはずだ。
少なくとも、王太子を無下にする程、聖女に傾倒する者はいないはずだ。
たぶん。
目の前で倒れ伏した彼女は、以前と気配が違う気がするのはアリスの錯覚だろうか?
「1度ここから出るから、何食わぬ顔をして僕たちを迎えてくれないか。騒ぎにはなると思うけど、君が平然としていれば周りのものもおちつくと思うから」
「まあ、良いでしょう」
「よろしく」
エリオットの肩をぽんと叩いた後、くるりと彼はこちらを振り返り、どきりとしたアリスは思わず上目遣いで見上げた。
この後、どうするつもりなのだろう?
アリスは断罪者としての役目を果たすべく、この場に居合わせることと、黒猫をルチアの元へ届けることしか考えていなかった。
「アリス、行こうか」
再び屋根裏へ戻るのかと思いきや、アーネストはおもむろに窓を開けている。
「夜は警備が強化されるけど、エリオットのおかげで少しは手薄……となると、1番安全そうな経路は……」
ぶつぶつと呟いていたアーネストだったが、アリスの腰を突然引き寄せるので、彼女はすぐに顔を染める。
恥ずかしそうに俯く婚約者を眺め、アーネストは少し嬉しそうにしていたが、エリオットがすかさず一言。
「そういうのは2人でやってください」
「違います! 断じてそのような!」
「分かった。自重するよ」
必死になって否定しようとするアリスと裏腹に、アーネストは爽やかにそれを肯定する。
──まさか、私の気持ちがほとんど露見しているのでは?
樽の中に入っていた時のボロが原因なのだろうか。それとも他に何かをやらかしたか。
──殿下も私が何かをやらかしたと……仰ったわ。
思い当たる節がなくて首を傾げているうちに腰を抱かれ、窓の側へといつの間にか近寄っていた。
「じゃあ、少しの間捕まっていて」
「え? ……きゃあっ!」
何をするつもりなのか伝えられないまま横抱きにされ、とっさに彼の首に手を回してしがみついた。
「気をつけるんですよー」
間延びした声のエリオットは、この状況に特に驚くこともなく、手を振っている。
それからは早かった。アリスを抱えたまま、窓の外へと踏み出したアーネストは、城の壁を僅かな足場──といっても出っ張りが少々だったが──を使っていとも簡単に移動していた。
3階の高さ。あまりの高さに縋ることしか出来ずにいたが、アーネストはアリスを抱えているのに、重さを感じていないと言わんばかり軽い足取りで地面に着地した。
「無茶が過ぎますわ!」
「脱走で慣れてるから平気だよ」
──普段から脱走しているのかしら、このお方。
新たな事実と疑惑に胡乱な目を向ける。
そんなアリスの視線を気にすることもなく、アーネストは人気のない裏庭を見渡し告げる。
「人の目を潜るのは割と得意だから任せて」
「目が輝いていますわよ、殿下」
ちなみに人の目を潜ってというのは本当だった。見回りが過ぎ去ったのを確認して、気配を探りながら移動していくのだ。
何故か分からないが前方から人が来るのが分かると、慣れたように身を隠す。
どうやら王宮から抜け出すのは日常茶飯事だったようで、王宮内だったら彼は無敵だった。
見つかるか見つからないかはけっこうギリギリすぎてハイリスクではあったので、作戦に起用するのは無理だと思うけれど。
聖女の魔力が失われた今だからこそ出来る大雑把な動きだ。
そして、王宮の外へ抜け出した2人は、門から少し離れた先で様子を窺っていた。
門番も槍を片手に辺りを窺っているが、ここに正面から入って本当に問題ないのか、アリスは不安に駆られた。
──洗脳、解けています……よね?
アリスが逡巡している間、再び腰を抱き寄せられる。
アーネストとの軽い接触にドキマギする前に違う意味で、アリスは鼓動を高鳴らせた。
「こんばんは。夜分遅くまでご苦労」
アーネストは門番に平然と声をかけたのだった。
──そんな正面から! 何を!
正面からというのは、正真正銘、正面からぶち当たってみるという意味だったのだ。




