67.5 sideルチア
「もういいわよ」
「はい。ルチア様……」
ルチアを見る男の瞳は恍惚として、足取りは酷く朦朧としていたが、彼女は満足仕切っていたため、男を部屋から追い出した。
快楽によって気怠い体は重くて仕方なかったが、芯からすっきりとしているのも事実だった。
節々が情事による痛みで悲鳴を上げているが、ルチアにとってはどうでも良いことだ。
この後、何か煩わしいことが待っている訳ではないのだから。
──だって、この城に私に逆らう者なんていないのよ。
この王妃の部屋も、おねだりしてみたら簡単に手に入った。
ルチアの子飼いたちが尽力して、提供してくれたこの1室に満足しながらベッドに横になって、素肌にシーツを巻き付ける。
侍女や執事が不満そうな目線を向けている気がしたけれど、貴族でない限りルチアを害することなど出来やしない。
貴族たちを掌握した今、国王陛下や王妃ですら怖くない。
彼らの真意は見えないが、ルチアに反対しないところを見ると彼らも屈したのだろうと思う。
──邪魔なアリス様も居ないし、私は満たされているわ!
アーネストが城から出ていったのは完全な誤算だったが、どっちにしろ彼もずっとアリスに付いている訳がないだろう。
──だって、アリス様は大罪人なんですもの。アーネスト様と結婚なんて有り得ない冗談だわ。
ふふ……と思わず笑みが零れるのは満足感からだろうか。
今のルチアはこの国の全てを手に入れたも同然だ。
1つ面倒があるとしたら。
ルチアの頭に過ぎるある騎士の姿、ユリウスの姿と彼の小言だ。
どんよりと濁った泥のような瞳で彼は言う。
『御身を穢すことはあってはなりません。我々を裏切らないで下さいね?』
「なんて馬鹿なのかしら。そんなの関係ないのに」
純潔でなければ聖女ではないなんて決まりはない。
こうして純潔じゃなくなったけれども、精霊の声は聞こえる。
「なあに? 誰か来るって? いいわよ。放っておいて」
面倒くさそうに下級精霊に答える。
ルチアに手出し出来る訳がないのだからと、たかを括っていた。
それは驕りでも油断でもなくて、ただの世界の真実で当たり前のことだった。
「ふふ、気分が良い!」
今やこの町は、ルチアの町として生まれ変わり、ルチアが絶対勝者として皆の上に立っているのだ。
もう少しでルチアは念願のお姫様になれる。
可愛くて皆に認められる聖女で、この国に相応しい未来の王妃には、それに相応しい王子様が居なければならない。
あとは、王子様さえいれば、完璧なのに。
アーネストはアリスを選んで出て行ったのだ。
──もしあの女が見つかったら、身の程を思い知らせなければ!
これも姫としての務めだろう。アリスに対して恨みつらみはないけれど、彼女をただ1人の聖女兼姫君として放っておく訳にはいかない。
あくまでも姫として相応しい行動を取るためだ。他に他意はないけれど。
「やっぱり磔刑かしらね?」
物騒な台詞が、彼女の小さな唇から漏れ出した。
カタン。
何か音が上から聞こえたような?
「疲れたのね、私も」
さすがに男を取っ替え引っ替え3回戦挑んだのは無謀だったかもしれない。
ベッドから立ち上がり、近くに落ちていたバスローブを羽織った瞬間のことだった。
カタン、という音の後に、天井の端にあった格子の隙間から何かが降ってきて音もなく地面に着地したそいつは、優雅に礼の形を取ったのだ。
「ごきげんよう、ルチア様」
濡れ羽色の髪がサラサラと肩を流れ落ち、使用人のスカートがヒラリと揺れる。
アメジストの瞳を縁取る睫毛は憂いを帯びたように影を落としているというのに、口元は綺麗に弧を描いている。
悲しげにも戸惑い気味にも見えるし、純粋な微笑みにも見えて、どんな感情と言われても納得してしまうような、何を考えているのか分からない表情。
得体の知れない不気味さがそこに漂っているというのに、彼女にあるのは美しさと妖艶さと言われるようなそれ。
ふいに自分の姫としての立場を奪われると錯覚してしまって、恐怖に頭の中が真っ白になった。
「なんで貴女がここにいるの!」
震えた指先を思い切り突きつければ、彼女は残念そうに首を振った。
「聖女が現れた時、私もその存在を歓迎致しましたが、ここまで増長されるとは思ってもみませんでしたわ」
──この女、私に反抗する気なの?
やはりアリスはルチアを敬わず、どうやら魔法が効いていないようだった。
「あら、何を焦っておられるの?」
優しく微笑んでいるアリスが怖いと思ったのは、何故だろう?
──この人、怒っている?
ルチアに怒りをぶつける者なんて今まで居なかったというのに、そんな理不尽な彼女を疎ましく思った。
「……な、何しに来たんですか?今更アリス様の場所なんてないのに」
──そうだわ。怖がることなんて何もない。
「私の場所なんて、今はどうでも良いことですわ」
本当にどうでも良いのか。それとも気にした素振りすら丸ごと投げ捨ててしまったのか。
判断をつけることが出来ないまま、彼女の艶かな唇が何かを告げるのを待つしか出来ない。
「ルチア様、今からでも皆様方の洗脳を解く気はおありですか?」
「なっ! そんなことしたら!」
──私がお姫様でいられなくなる!
こちらの断固拒否の態度から、交渉決裂だとアリスは判断したのか、やがてぽつりと小さな声で呟いた。
「残念だわ」
そこまで大きな声ではなく、どちらかと言えば控えめな声だったのに、彼女の澄んだ声が部屋の中に響き渡る。
チリン、と鈴の音が聞こえる。
瞬きする合間にそれはアリスの腕の中に居た。
「その猫……」
どこかで見覚えがあると記憶を遡ろうとした瞬間、チリンと音を立てたと思ったら、その黒猫はルチアのすぐ前にちょこんと鎮座していた。
「え!?」
アリスとは少し距離が空いていたのに、この一瞬で?
「にゃああああ!」
黒猫が鋭くひと鳴きしたかと思えば、ルチアに向かって体当たりでもするように突進してきた。
「きゃっ!」
ぶつかると思った瞬間、ルチアは見てしまった。黒猫の姿がルチアの体の中へと吸い込まれるようにして消えて行く瞬間を。
「何を、」
したの!?とは聞けなかった。
ルチアはその場所に崩れるようにして意識を失ってしまったからだ。
体の中をめちゃくちゃに弄り回す不快さを感じ、何かを引き抜かれた感触が最後で、ルチアの意識はぷっつりと途切れたのだった。




