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王宮は様変わりしていた。悪い方へ。
とにかく贅を凝らしたと言わんばかりに、色合いなど一切考慮されずに散りばめられた宝石たち。
以前は品も良く高貴だった、王宮の廊下に敷いてあった絨毯は消え失せ、代わりに聖女の髪の色であるピンクブロンドの絨毯が敷かれていたのだが、これが酷い代物だった。
縁に宝石が添えてあるとか、ポイントとして宝石が付けられているとかならまだマシだった。
デカデカとした派手な趣向を凝らした透明で無垢な石──つまりダイヤモンドがまさに砂利のように絨毯に無造作に零してあるように見えるのだ。
ダイヤモンドは品のある控えめな輝きが美しいのだが、その貞淑な美しさもセンスのない配置では全て台無しになっている。
まるで絨毯の上に小石でもあるような風貌。しかも、大きさが不揃いなものを集合させているので、集合体恐怖症になりそうなくらい夥しく見える。
あと、純粋に歩きづらく、アリスとアーネストは石の隙間を縫って、器用にひょいひょいと歩いていく。
「うわあ……」
高級そうな壺に無意味に貼り付けられたエメラルドとラピスラズリ。
ピンクと翠と夜色が不調和だが、壺を置いてある木台は以前のものに金メッキを塗ったらしい。
極めつけは、手のひらサイズのルチアの彫像が壺の周りにズラリと並べられている光景である。
「あー……」
アーネストの目が死んだ魚のように虚ろになっていたが、無理もない。
──ルチア様には美意識がないのかしら。どうみてもこれらはルチア様の影響よね。
自分たちがいなくなってからこんなどうしようもない状態になったのだから、十中八九ルチアの仕業だ。
正確に言うと、ルチアには美意識がないのではなく、センスがないのだが、アリスは素でこのセンスを持っている人間が存在しているとは露程も思っていなかった。
自己顕示欲が暴走し煮詰まったような。
「と、とりあえず移動しよう。ちょっと窮屈な場所に入り込むけど、許して」
アーネストがアリスを連れて入った先は天井裏という普通に暮らしているだけの令嬢ならばまずは有り得ない場だった。
「何故、こんな遠回りを……。普通にルチア様とお会いするだけなら、このような場所……」
天井裏だけあって換気口の隙間から見える景色は高い。
王宮の天井裏というだけあって、普通の天井裏よりは広くそこまで窮屈ではなかったが、生まれた時から令嬢育ちのアリスには衝撃だった。
──こんな場所があるのね。
僅かに込み上げる恐怖を押し殺してはいるものの、こちらの声に少し張りがないことに彼は気付いているのか、慰めるように肩を撫でた。
「僕の予想だけど、この時間帯だと……」
言い倦ねる彼はアリスにチラリと目を寄越すと、はあ……と重い溜息をついた。
何故、アリスが溜息を吐かれるのか。表面には出さずにいたが、彼女の声なき不満に勘づいたのかアーネストはあからさまに慌てた。
「いや、違う。アリスに非はないんだ。聖女が感心するくらい、おつむが弱いだけだからね。ただ、アリスを動揺させたくないだけだったんだけど、僕もどうして良いか分からない」
「何を意味不明なことを仰っているんですか」
要領を得ないことをぶつぶつと呟くアーネストはほんの少し動揺していた。
「これは僕の影からの情報だから何とも言えないんだけど、聖女は正妃の部屋にいるらしい」
「はい?」
どういう了見で王妃の部屋に居座っているのか。その図々しさはどこから来るのか。
あの部屋は正妃の部屋だけあって、王家の極秘事項が紛れていてもおかしくない。その場所を王妃が簡単に受け渡すとは思えない。
──つまりルチア様が圧力をかけて?
「彼女の最近の素行からして、もしかしたら……。嫌な予感がするな……。後、少し移動したら聖女の居る部屋の真上だけど、行く?」
「……? そのために来たのでは?」
「それはそうなんだけど。実際にここまで来てしまって少し躊躇したというか……まあ。どっちにしろ、アリスと猫を会わせないと行けないから、そんなこと言っていられないけど」
「変な殿下ですね?」
気まずそうな何か奥歯に挟まったような物の言い方をするとは思っていたけれど、この時のアリスは聖女の愚かさを甘く見ていたのだろう。
実際にその現場に直面するまでは。
「……気持ち良くしてね?」
「はい…ルチア様……」
感極まったような男の声と、可憐な女の子の声を合図に、それは始まった。
続く衣擦れの音と、艶かしい水音や喘ぎ声。
ちょうど彼女らが居る部屋の真上で、アリスが顔を真っ赤にして声を上げそうになったところをアーネストが口を手で塞いで留め、しばらくした後、思い出したように視界ももう片方の手で塞いだ。
アーネストも動揺していたらしく、咄嗟に行動出来なかったようだ。
「アリス、そのまま後退して。さっきの分かれ道のところまで」
アーネストにかけられた声に必死になってコクコクと頷く。
涙目で這いつくばって後ずさる姿はなんて無様で滑稽だろうと思いながらも、これは戦略的撤退だ。
──あの2人……あ、あんな声をあげて、あんな! あんな、恥ずかしい……!
先程の分かれ道付近──少し余裕のあるスペースで、アリスは壁に背中を付けながら涙を乱暴に拭っていた。
羞恥心から顔を真っ赤に染め、涙が次から次へと溢れてくるアリスを気の毒そうに見つめるアーネスト。
どうやらルチアの素行について少し情報を仕入れていたらしいが、それをアリスに伝えるか迷っていたらしい。
「真っ最中だとは思わなくて……。まさかとは思ったけど、そんな図ったようなことはないかなって思ってたら……」
まさにドンピシャだったと。
アリスは耐性が一切なかった。正妃教育で学ぶ初夜のことも、教師は『殿下に身を任せていれば問題なし』とだけしか言ってくれなかった。
──でも、まさかあんなことをするなんて!
「アリス、さっきのあの2人のアレは特殊なアレだからすぐに忘れた方が」
「と、とくしゅなアレってなんですか!」
思わず舌足らずになるアリスに彼は優しく声をかけてくれる。
「アリス、君は何も知らなくて良いんだよ。アレは悪い夢だと思って」
優しく正面から抱き締められて、胸元に寄りかからせて宥めてくれている。
「男性は皆様ああいったことを好まれるのですか……」
「いや、それは語弊が……。それに僕はアリスに優しくするって決めて……って今はそれどころではなくて!」
懐から出したハンカチをアリスの目元に優しく当てた後、アーネストはわざとらしく咳払いをした。
「もう少し待ってから突入しよう」
「いつ終わるのですか?」
涙目のアリスの問いに明確に答えられるものはいない。




