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6

  手の上に乗っている豪奢な造りをした封筒。それは、金色に光り輝いている。

  現在、アリスは謹慎中であり、こうして自由に歩けるのは屋敷の中だけだ。

「光ってる……。こんな手紙を受け取るのは初めてだわ」

  だが、夜中の二時頃、自分の屋敷の中庭で一人足を忍ばせているという状況は、どう見たところで怪しさを払拭出来てはいなかった。

  暗闇に光り輝いている金の手紙と、何やら最近問題を起こし気味である公爵令嬢。

  皆に抜け出したことを気付かれる前にこっそり戻れば問題ないだろうが、見回りにだけは警戒しなければならない。

  こうして彼に呼び出されるとは思ってはいなかった。一度だけしか会ったことのない彼に。

 ──突然の呼び出しに素直に従ってしまう私も私だけれど。

  夜会で悪者とされた日。傷だらけの猫と出会った日に彼は突然現れ、突然消えた。

「やあ、アリス嬢。こんばんは。こんな夜遅くまで御足労頂き、恐悦至極でございます」

「貴方は……」

  フードを目深に被った漆黒の色をした髪を持つ青年。その鮮やかな緋色の瞳を向けて、彼は僅かに微笑んだ。

 ──綺麗な人ね。まるで精霊みたいに美しくて。

「御機嫌よう。この手紙の送り主は貴方様でございますか?」

「うん。これは本物だ。私の小鳥が正真正銘、貴女にお届けした手紙に違いない」

「ところで貴方は……。精霊使いの方とお見受け致しますが……私に何か御用がおありなのですか?」

  アーネストがルチアに呼ばれ、アリスがお役御免となった今日の出来事はアリスに暗い影を落としていたが、その日の夕方頃に、最近傍にいる黒猫が手紙を咥えてきたのだ。

  先程までアリスの足元に頭を擦り付けていたようだが、いつの間にか姿を消していた。

 ──まるで御伽噺のよう。

  あの日の夜に一瞬だけ姿を現した幻のような青年は、アリスの持っていた金色の手紙を軽く掴んだ。

  金色の便箋に優美な白い指先が軽く触れた瞬間、パチンと火花が散ったと思えば、金色の霧で光っている。

  霧散したそれは夜の空気に溶けていく。

  男はフードの下の繊細な造りをした双眸を緩めると、笑みの表情を形作る。ルビーの宝石にも見える程、深い色合いをした真紅の瞳を縁どる睫毛は髪と同じくしっとりとした濡れ羽色。涼し気な目元に浮かぶのは、好奇心だろうか? 軽薄にも優しげにも見える口元は楽しげに笑んでいる。すっきりとした高い鼻梁と彫刻のように整った頬のライン。印象的な麗人だ。

「麗しき姫君。どうか私に協力していただけませんか?あの偽りの少女の姑息な手に引っかからなかった数少ない私の同胞よ」

「姑息な手でございますか?」

  舞台役者のように大袈裟に腕を広げる青年は、何を目的としているのか判然としない。

  そもそも姑息な少女とは誰のことなのか、彼が何を交渉しようとしているのか、アリスには分からなかった。彼とはあの夜、すれ違って意味深な言葉を投げかけられただけなのだから。

「私の名前はマティアス=ユニ=ミラーと申します。これでも国に認められた魔術師ですよ。通り名しか皆様は知らないと思いますが」

  それは物語に登場する魔法使いのような出で立ちで。

  貴女の望むこと、叶えてみせましょう。私と協力をして頂けるのなら──などと、御伽噺じみた児戯のような甘い誘惑を投げかける。

 ──貴方に私の願い事を叶えられる訳がないわ。

  冷めた視線を返すアリスに、マティアスは緩やかに微笑むと、とある令嬢の名前を口にした。


「ルチア=メイヤード」


  はっと身を固くするアリスを見て取ると、彼は予想通りと言わんばかりにウインクをした。


「彼女ばかりがここまで持ち上げられていること、おかしいと思いませんか?お嬢さん。聖女と言えど、王太子と結婚という話が湧いて出るのも違和感を拭えない」

「それは、精霊と意思疎通が出来るというのは、それ程までに稀有な力という証拠ではないのですか?」

「彼女の仰ったことは、全て是になる程に?」

「何故、私に協力を求めていらしたの?」

  評判のよろしくない令嬢に人目を忍んで会いに来るとは物好きにも程がないだろうか?

「それは貴女が王太子の婚約者で、彼らの傍に最も近くにいると同時に、裁定者に興味を持たれている者だから」

「……」

  享楽的な雰囲気とは裏腹に彼の目に宿る熱量を見て、少なくともアリスをからかいに来た訳ではないことは分かった。

 ──そもそも裁定者って何のことなの?

  アリスには首を傾げる暇もなかった。



「取引をしよう。お嬢様」

「………」


  アリスの願いを一つ叶える代わりに、協力して欲しいという実に分かりやすい取引だった。

「契約ほど、信用出来るものはないですからね。分かりやすいくらいがちょうど良い」

  アリスの望み。それは。


「私のあの方への想いを葬って頂くことは可能でして?どんな方法でも良いの」

「成程。随分と無茶な願いをお望みのようだ……。人の心なんて魔法で好きに操ることなんてなかなか出来ないというのに。例外はもちろんあるけれど。……ふむ、方法がない訳ではありませんよ」

  限りなく無理のない方法で貴女の恋心を押し込めることは出来ますよ、と意味ありげな表情で告げる彼こそ、裁定者のようだった。

 ──私が壊れてしまう前に。どうか。

  マティアスはアリスの背中に手を添えて、誘導する。

「貴女の心に手を加えるのですから、なるべく障害のない方が良い。こちらへおいでください」

「待って。私はこの屋敷からは……」

「出られないのでしょう? 大丈夫。屋敷内であることは変わりませんので。そのまま、こちらへ」

  サクッとアリスの靴が踏んだのは、青と赤が交互に光り、明滅している魔法陣だ。解読不能な言語がサークルに所狭しに書き込まれている変わったものだったが、これは確かに本で見たことのある陣だ。

  ふわりとアリスの身を包む光と共に、感覚的に理解した。今、自分が世界から切り離された空間にいると。

「この結界は、外界と私たちを隔離する効果を持っているので、この中から出ない限りは密談には最適ですよ。魔法を使う素養のある者しか、この陣は見えない」

「……」

「身に覚えがあるようですね。そういった方々はまれにいらっしゃいますが、貴女もそうだったのでしょう。訓練していけば使えるようになるはずですが、普通の方は魔法などに手を出さないですからね。魔術書がなかなか出回ってないですから。貴女のように素養を持っていても気付かないままの方がどれだけ多いことか!ああ……人類の損失ですよ……」

  ならば、アリスの家にあった魔術書はその例外だったということなのか。

  嘆かわしいと言わんばかりの彼に若干引きつつも、本題はそこではなかった。

「いえ、別に私は魔法を使いたい訳ではございません。ただ、驚いただけです。そうでなく、私が何の協力をすれば良いのか詳しくお聞きしたいと……」

「話が早い子は好きですよ。単刀直入に申し上げます。あのルチアという女の鼻を明かして欲しいのです。殿下の傍に居て、あの女と接触することが出来る貴女が一番都合が良いのです」

 ──ふふ。なんて直截な物言いをなさるのかしら。あけすけすぎて、好感が持てるくらい。

  これは分かりやすい取引だった。アリスを信じられるだとか、アリスならばやれるなどというふわふわとした甘い言葉ではなく、具体的すぎる程の理由でもって持ちかけられた取引。

  情などではなく、アリスの立ち位置とアリスの願い事を叶える代わりに奉仕するという契約。

  今のアリスにはこれ程までに信用出来る関係などなかった。

  利害の一致による協力関係。そんなある意味での信頼関係は強固だ。

「成程。貴方はルチア様をどうにかしたい。私は願いを叶えてもらい、その代わりに取引する。ここまでハッキリしているのならば、道理ですわね」

「それに、アリス嬢も違和感を覚えているから、私の言葉に耳を傾けてくれているのでしょう?」

「そうですわね。ルチア様を肯定しない方というだけで、説得力は増しますし、些か興味を覚えます」

  それ程までにルチアを完全肯定している者が多かった。不自然すぎることに気付いたアリスが弾き出される未来も遠くはない。

 ──私はただ知りたかった。この理不尽なものの正体を。

「取引成立ですね。……貴女の願い事ですが、本当に先程のものでよろしいので? 乱暴なやり方になる上に、状況は悪化する恐れがありますので、別の願い事をお勧めしたいというのが、私の本音ですが」

  マティアスの顔に宿ったのは、心からの心配だ。アリスを利用すると言った割にその顔には、人らしい情緒で溢れている。

「構いません。私の心が壊れてしまうよりはマシでしょうから」

「……貴女の心にあるものは完全には消せませんから、これはより辛い選択になるやもしれません」

「何でも構いませんわ。今よりは息がしやすくなっているでしょうから」

  目の前にいる麗しい青年は溜息を零した。

「……貴女のその恋心の核となる感情を別のものへ変換。分解……は止め。……そのまま再構築。時間の流れを加速……。淀みは全て収束……。この方法が最善……ですか」

  何やら分からない言葉を口の中で呟いているが、アリスに施す魔法についてなのだろう。

  苦々しい表情の彼が、今のアリスには神様のように思えた。


「ありがとうございます! マティアス様……」

「そこで最上級の微笑みを見せられるとは思いませんでしたが」

  そっとアリスの額に当てられた彼の人差し指。

「今日の貴女と明日の貴女は別人になること。どうかお覚悟を」



  覚悟ならとうに出来ていた。これが一種の逃げであることも自覚していた。

  目の前の雑事に気を取られて、成すべきことが為せないことこそが、一番アリスにとって悪徳だ。

 ──アーネスト様。私は正妃になったとしても貴方を支えていきます。これは、そのために必要な措置なのです。

  その方が誰にとっても幸せだと、この時のアリスは心から信じていたのだ。


 

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