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「アリス。この黒猫と話しているの?」
黒猫と対峙するアリスに、疑問符だらけで声をかけるアーネストの様子から察するに、調停者の声は自分にしか聞こえなかったらしい。
その証拠にマティアスも苦笑しながら、今までの苦労を辿るように疲れきった声でぼやいた。
「意思疎通が大変だったのですよ。こちらの精霊魔法を駆使して、調停者の真意を探ろうとして四苦八苦の日々……。だというのに、やはり契約者はいとも簡単に言葉を聞けるのですね。ああ……これで猫の世話はしなくて良い……」
後は任せたと言わんばかりのマティアスの様子から、使い魔と見紛う程一緒に居た割にはそこまで仲が良い訳ではなかったことが判明した。
『世話をされた覚えはない。猫の姿でさえなければ……豊潤な魔力があれば、上手く隠蔽して、もっと断罪者の傍に居たものを』
アリスに伝えてくる調停者の言葉を聞く限り、利害の一致とでも言うのだろうか? 不本意だと言っているようにも聞こえた。
姿をたまにしか見せなかったのは、アリスの傍には魔力の問題もあって、あまり居られなかったからかもしれない。
隠蔽というのは、よく分からない。
──魔力が足りていたとしても、そもそも猫だから、1匹で自由にしている可能性もあるわね。
魔力を求めてマティアスの元に通っていたとしたら、とても薄情で現金すぎるけれど、自由で猫らしい身勝手さに愛嬌を感じて、思わず頬を緩めてしまう。
「そういう訳ですから、後はこの猫を王宮に滞在しているらしい聖女のところに、貴女の手で連れて行ってみてください。たぶん何か意味があるんですよ」
「たぶん……ってどういう……。それに王宮に向かうのも大変なのでは。それに何故今なのです?」
アリスは今、貴族たちの間で血眼のようにして探されている、いわゆる指名手配犯みたいなものだ。
住民たちが信じてくれているとはいえ、何故騒ぎが広まっている今この時に動く必要があるのか分からなかった。
捕まる前に行動出来ていたら、もっと上手く立ち回れたのではないだろうか。
「今しか無理だったんですよ、アリス嬢。調停者は……聖女を止める力を持つとはいえ、その力を使うには条件があるらしいです」
「条件?」
初めて聞く内容に思わず息を飲む。調停者は断罪者と共に聖女を止めに行くとばかり思っていたせいで、そのように制約があるとは思っていなかった。
「ある程度、聖女の評判が地に落ちて評判が悪くないと、調停者の力は通用しません。人々の信仰があればある程、それが聖女を守護し、あらゆる外界からの攻撃を防ぐという厄介な性質のためです」
「成程……。それならば、調停者がすぐに事態を解決できなかった理由が分かります。聖女に傷付けられたという理由だけではなかったのですか」
つまりは二重に不利を重ねている状態だったのだろう。今代の聖女は最初から一貫して洗脳を駆使していたが、もし洗脳が途中から行われていたとしたら何かしら綻びが出やすく、今よりも楽に事を運べたのではないだろうか。
「神という存在は信仰により大きくも小さくもなると各地の伝承で伝えられているようですが、簡単に言ってしまえばそのようなものに近いですね。なので、彼女が信仰されているうちは、我々に手出しは出来ない。ついでに言ってしまえば、聖女は貴族たちの間で信仰されていたから、王宮や屋敷などあの付近では滅多なことを口に出来なかった」
「細かいことはともかくとして、あの付近はルチアにとって聖域のようなものだったということは確かだね。貴族たちの多くは洗脳され、信仰されていたからね。さぞかし居心地が良いことだろう」
忌々しげに眉を顰めたアーネストの発言は言い得て妙だと思う。
聖域。確かに貴族社会での評判を聞く限り、あの場所はルチアにとって庭のようでもあり、聖域なのだ。
多くの者が慕ってくる上に、影響力がある者たちを味方に付けているのだから。
ふと気になったのは。
「滅多なことを口に出来ないというのは?」
一瞬さりげなく流してしまったが、もしや今まで危ない橋を渡っていたのだろうか?
──滅多なことを口にしてしまったような気が……。
「聖女が幅を利かせていたせいで、あの場所は精霊の力で充たされていた。ここまでは分かりますね」
「はい……。洗脳していたからこそ、信仰は強くなり、信仰が強くなっていたからこそ、さらに洗脳は強くなり……、悪循環でしたよね」
「あそこの精霊たちは、聖女に告げ口をするのですよ」
「ええ!?」
思わず声を上げかけて、すぐに口を押さえた。
「すみません。大声をあげてしまい……。殿下と散々企みごとをしていたものですから……」
「精霊は、人間の言葉が分からない。ですから、あそこの精霊たちは貴女たちの策略や謀略を告げ口してはおりませんが、魔力を持つ私が特定の人物に『断罪者』なんて口にしたら怪しまれて告げ口されます。どうやら聖女はその単語を下級精霊に教え込んだようなので」
マティアスや黒猫があまり接触して来ずに、具体的な説明をしなかった理由がやっとこの時に理解することが出来た。
ただ今のまま、頑張って欲しいとそれだけ言われ続けた理由も。
手紙も、何らかの形で精霊が目にしないとも限らない。断罪者という単語だけは分かるとのことだったから、マティアスは徹底したのだろう。
以前、町で出会った時も決定的な事実を告げはしなかった。時が止まっていたというのに、精霊に警戒していたのか。
「精霊なんて姿を隠しているものもいるし、私にもよく分かりませんから。手紙を透視する精霊や盗み聞きをする精霊もいそうですし、よく分からないので念の為」
「僕たち、断罪者って口に出してばかりだったんだけど、大丈夫だったのだろうか」
「もしかしてと思うのですが、だから私は追放されたのではないでしょうか? 目障りという理由もあったと思いますが、断罪者を探していると思ったのでしょう」
「アーネスト殿下が一緒に出ていくことは予想外だったのでしょう。色々と支離滅裂ですが、殿下に対して執着しているのは明らかですからね」
マティアスの言葉に、アーネストは心の底から嫌そうな表情を隠そうともせずに、その麗しいかんばせを思い切り顰めた。
「僕はアリスに執着されたかった」
「こんな時に何を仰っていらっしゃいますの?」
思い切り冷たい視線でじっとりと見つめたつもりだったが、アーネストは爽やかに微笑むだけだった。
「話は戻りますが、そういう訳ですからこちらはどうも後手に回ってしまいました。ですが、国内の聖女批判はある一定数を超えたので、そろそろ手出しが出来る頃でしょう。さすがに影響力を持つ貴族だけでは信仰が足りなくなってきた頃でしょうし」
そろそろ手出しが出来る。
すなわち反撃は今からだということだ。




