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地下通路の中にあった1つの部屋は、貴族の部屋には及ばないものの、地下室として考えると大分恵まれている。
「アリスはどんな服を着ても可愛いよね。いつものお姫様なアリスも良いけど、今のアリスに専属で仕えてもらうのも良い」
結局選んだのは使用人の服だ。町娘として変装しても変に浮きそうだったからだ。
まさか褒め殺しになるとは思わなくて、アーネストからわざとらしく顔をツンと逸らして、「そういうのは間に合ってますわ」と可愛らしくない発言で答えた。
「僕も同じように使用人の服装にしようかな」
誰が用意したのか女性用の給仕服とセットで用意してあった執事服。
それを手に取ったのを見て、アリスは慌てた。
「殿下もその格好をされるのですか?」
「うん。前はお嬢様と使用人だったけど、今回はアリスとおそろい。使用人同士で恋をして……というのも良いよね」
「……! 殿下は、女々しいですわ!」
恥ずかしくなって、はっきりと失礼な発言をしてしまった。ちらりと見上げれば、彼は当たり前のように言った。
「アリスとはどんな関係でも、結ばれたら良いなって思う。普通の貴族同士でも使用人同士でも、禁断の恋でもね」
「……どうして殿下はそこまで歯の浮くような台詞を仰るようになったのですか? 前は……そんなことなかったのに」
「ちなみに、本気だからね」
「……」
アーネストが本気らしいということは薄々分かっていた。長年見てきたのだから、それが本音かどうかくらいは分かるつもりだ。
自分がどんな顔をしているか分からないまま、視線をさ迷わせていたら、アーネストは傍に来てとんでもないことを宣う。
「……可愛い。ねえ、アリス。少し抱き締めても良い?」
「嫌です」
思わず即答してしまったが、抱き締めるのにわざわざ許可を取ろうとするところが少しおかしい。
「駄目?」
「抱き締める理由がありませんから!」
アリスが容赦なく返すのを見て、彼はどことなく安堵したように息をついていた。
どうやら地下に来てからアリスが落ち込み気味なのを見て、少し賑やかな雰囲気にと変えてくれたのだ。
いつも通りのつれない返しにアーネストは安心したとでも言いたげで。
──もう。過保護なんですから……。
ほわりと暖かくなった気がして反射的に胸を押さえた。
2人とも使用人に扮して、部屋を出ていくことにして、気恥しさからアーネストの腕を先程のように掴めなかったアリスは、彼の服の裾をちょん、と摘んだ。
「可愛い掴み方をするね」
「いい加減、可愛いは禁止です!次、似たようなことを仰ったら罰則ですからね!」
アーネストはふっと小さく息だけで笑って。
「可愛い」
「馬鹿にしていらっしゃいますの?」
「いや……。どんな罰があるのかなって……」
「……」
もうしばらくの間は、この人を相手するのは止めよう。
密かに決意したアリスは、アーネストの後にひたすらついて行くことに集中した。
カツンカツン、と地下通路の硬質な床を踏む靴の音だけが響いていく。
しばらくの間、無言で歩き続け、やがてアーネストはアリスに声をかけた。
「ここまで歩かせてごめん。たぶんこの辺りだから」
「こんな暗闇なのに分かるのですか?」
本当に王族の頭の中はどうなっているのだろうか、少し覗き見したいような気もする。
「この壁、この辺りをある程度の力を込めて殴りつけると……」
持っていた剣の持ち手をガンガンッと音を立ててぶつけると、壁に沿った天井の一部から切り込みが入って──。
地響きのような音を立てながら少しずつ壁が扉のように開いていく。
「まあ!」
壁が開いたその先には階段が上に向かって伸びていた。
「先程入ってきた場所のようですわね」
「いきなり明るくなると思う。じゃあ、行こうか」
2人はそのまま階段を上り始める。
「確かこの入口は隠れ家の1つが近いんだ」
いちいち地図を全部頭に叩き込むとは、王族の苦労が伝わってくる。
──そこまでしなければならない程、危険に直面する可能性があるということなのだから。
階段の通路が少しずつ狭くなり、アーネストが出口を下から押し開けた瞬間、光が目を焼くような感覚。どこかの地面から顔を出したようだ。
どこかの民家の裏だろうか? 至って普通で特に危険性も感じられない場所だ。
「王都から少し外れたのどかな場所だよ。田舎って訳ではないけど」
「外に出られたのね」
先に出たアーネストが手を貸してくれて、それに掴まり、ようやくホッと一息付いていたら。
「アリス。あそこにいるのって」
アーネストが指を指した先に居たのは。
「黒猫さん?」
度々アリスの目の前に姿を表した黒い猫の姿だ。こちらをじっと見つめながら座っている。
「この後、仮住まいに案内しようと思ったけど予定変更。あの猫の後をついて行こう。あの猫は、……マティアス?の使い魔みたいなものだろう?」
「ええっと……」
実際のところ、あの黒猫はマティアスの使い魔ではなかったようだが、何かしら神秘の存在なのかもしれない。
──前に時が止まったのに動いていた動物だったし。
「にゃあ」
ついておいでと言わんばかりに1鳴きした黒猫の後にアリスはついて行くことにした。
「マティアスにも会えるかもしれないわ」
「……嬉しそうだね。アリス」
「ええ!」
だってこの状況をどうにか出来る糸口を掴めるかもしれないのだから。
「……そうか」
それ以来黙ってしまったアーネストに首を傾げつつ、黒猫の後を追っていく。
ふとある木の下まで黒猫が移動して行って、黒猫が木の根元より少し上の幹に、ちょんと前足で触れる。
──え? どういうことなの?
前足で触れていた木の幹の部分──。
その箇所だけ空間が歪んでいるのだ。
まるで水面の波紋が広がるように。
「にゃん!」
チリン、と鈴の音を鳴らしながら、黒猫は歪んだ空間へと体を滑り込ませ──。
「消えた!?」
アーネストはこの目で見たものが信じられないと言わんばかりに目を見開いた後、目を擦っていた。
「私たちも行きましょう!」
黒猫が通れるなら、自分たちも通れるに違いないと、アーネストを見やって。
「行こう」
「ええ」
アーネストはアリスの手をそっと握ってくれた。
「私、怖くなんてないですわ」
「そうだね」
2人で歪な波紋の中へ飛び込んだ。
光に包まれた感覚や眩しさの後、地に足がついたことに気がついて目を開けた瞬間のことだった。
先程までしっかり握り締められていた彼の手が緩んだと思ったら、するりと離れて。
どさっと音を立てて。
「殿下!?」
気が付けば目の前で草むらに倒れ伏しているアーネストの姿があった。




