52
ルチアが声高々にそう命じた瞬間、辺りはざわめき始める。
「どういうことだ?」
「アリス様が災厄の存在なのか?」
「殿下が惑わされている?」
その場は混沌の渦に飲まれていた。ルチアの予想外の言葉によって、貴族たちは右往左往し始めている。
アーネストはアリスを庇うように前に出ると、反論した。
「僕は惑わされてなどいない」
意志の強いアーネストの一言に、貴族たちは再びざわめき始めている。
「アーネスト様はああ仰られている」
「でもルチア様は、アーネスト様が惑わされていると仰っている……」
「それはつまり王族の言葉を否定するのですかな?」
「そうじゃないけれど」
「いや、だがルチア様のお言葉は……」
会場の貴族たちは王太子殿下と聖女の板挟みになって混乱状態に陥っている。
どちらの言葉が正しいのか、どちらが嘘をついているのか。
そんな中、人々が道を空けていく中、ルチアがアーネストに向かって歩いてくる。
不敵な笑みを浮かべながら。
「アーネスト様、貴方はアリス様に騙されているんです」
「何を……」
ルチアは、うふふ……と笑いながら、アーネストを真正面から見つめて、にっこりと無邪気に笑うと何かを口の中で呟いた。
「私のことを信じてください。アーネスト様。貴方に合っているのは私で、アリス様じゃないんです」
「……っく」
何か痛みを堪えるようにアーネストは歯を食いしばった。うっすらと額からは雫が流れている。
──ルチア様に何かされているの!?
そうとしか思えない。アーネストは苦しげに息を零しているし、手先が僅かに震えていた。
「アリス様を差し出してください。アーネスト様。アリス様が貴方を愛することなんてないのに、どうしてその人に拘るんですか?」
「……っ!」
アーネストはアリスを庇いながらも、その言葉に肩を震わせた。
「私ならアーネスト様に寂しい思いなんてさせないです」
それは聖女の如き優しげな笑みだったが……。
「僕は、アリスに愛してもらいたいから傍に居る訳じゃない」
「殿下……」
──どうして? どうしてそこまで。
「アリス様に洗脳されて、おかしくなっちゃったんですか?」
首を傾げながら近付いてくるルチア。
アーネストは苦痛に息を乱しながら、言い放つ。
「僕はどこもおかしくない。おかしいのは君の方だよ、ルチア」
その瞬間どこからか、何か棒のような長いものがアーネストに向かって飛んでくる。
「殿下、危ない!」
アリスが動こうとしたのを制し、アーネストは飛んできた何かをパシッと掴んだ。
「剣?」
それは布を巻かれた剣だった。
何故そんなものが飛んできたのか分からなかったが、それを見たアーネストは何かに納得したように頷くと、ルチアに向かって切っ先を向けた。
「僕は君を認めない」
それは聖女に対する明らかな敵対行為だった。
ルチアは「うふふふふ」と無邪気に笑ったかと思えば、やがて声高々に言い放つ。
「皆様! アリスはこの国を乱す者です! 捕まえてください」
そう言い放った瞬間、人々はガクンっと足が崩れかけた後、一斉にこちらへ敵意を向けてきた。
──操られてるの!?
「どうやら、ここに居る者たちは話にならないようだね」
「どうしますか!?」
「どうするって……決まってる」
「え……きゃあ!?」
唐突にアリスの身体がふわりと浮いて、気が付いた時にはアーネストの左腕に抱き上げられていた。正面が見えず、アーネストの背後が見える形に。
咄嗟に肩に掴まり、身体を密着させる形になり混乱している最中、こちらに向かってくる男爵と伯爵に向かって、アーネストは一閃した。
「ぐっ……!」
「うあああ!」
「ごめん、手加減してるけど痣は出来るかも」
──殿下!?
まさかここまで実力行使に出るとは思わなかった。
アリスが驚いているうちに、周囲の貴族たちが一斉に群がってくる。
「アリスを捕まえて! 聖女である私がそう言っています!」
その声に後押しされたのか、多くの足音が聞こえてくる。
「アリス。捕まってて」
「はい? ……きゃっ!」
アーネストはアリスを抱えたまま、一気に加速した。人々の間をぬうように、群がる人々には容赦なく剣を当てながら、広い会場を突っ切っていく。
貴族たちは剣を受ける度にしゃがみこんでいく。
どうやら致命傷にはならないが、人間の急所である部分──脛など──に当てたり、足払いをしたりしているようだった。
聞こえる呻き声の中、疾走するアーネストは小さく舌打ちをした。
「兵か」
「あ、後ろにも兵が!」
鎧を纏う者特有の音に、彼は剣を持ち直すと、向かってくる兵の手元に剣を思い切り振り下ろした。
「ぎゃっ!」
カランカラン、と音を立て剣が遠くまで転がっていった。
どうやら攻撃が効きづらい兵相手には武器を無理やり叩き落とすことにしたらしい。
──私を抱えているのに、殿下はなんて重い剣を使うのかしら。
普段から鍛錬をしていることは一目で分かった。あんなに忙しそうにしていたというのに、自らを鍛えることを怠らなかったのだ。
兵は何人もアリスを抱えたアーネストを囲んでいくが、アーネストはその剣さばきで相手の剣を上手くいなしていく。
剣同士が触れ合う金属音。兵たちの振るう剣を受け止める度にアリスにもその衝撃が伝わってくる。
普段から鍛錬している兵たちの重い一撃。
それなのにアーネストの横顔からは諦めなんて一欠片も見えない。
勢いを付けて、兵たちの手元を思い切り狙い弾き飛ばしていく。
一瞬の隙が出来ればそれで良いと言わんばかりに、その度にアーネストはアリスを抱える手に力を込めながら走り抜けていく。
立ち塞がる兵の手を狙い、立ちはだかる貴族の足を狙いながら、アーネストは隙間を走り抜けて──。
「アリス。しっかり捕まって!」
「は、はい!」
アリスはぎゅっとしがみつき、アーネストの肩に顔を埋めた。
バルコニーまで走ったアーネストはそのまま地面に向かって飛び降りた。
ふわりと空中へと投げ出される嫌な感覚。
「……っ───!!」
アリスの声なき叫びの後、地面に着地するとアーネストは息付く間もなく走り始める。
「飛び降りたぞ!」
「追え! 追うんだ!」
──どうして、こんなことになったの?
途方に暮れそうなアリスにアーネストは慰めるように言った。
「良い抜け道がある」
それは逃げ切れるという確信に満ちた表情だった。




