幕間1
──幼い頃から私がお姫様でなかったことはなかったわ。
ルチアが7歳の時も。
「ごめんなさい……ママ。お姉ちゃんの代わりに片付けようとしたら、食器を割っちゃって」
「ルチアは悪くないのよ? 怪我はしていない? 次からは気をつけましょうね?」
母親はルチアが謝ると猫撫で声で許してくれた。
そうしてくるりと振り返り、ルチアより2歳上の姉のミリアの頬を思い切り張り飛ばした。
「貴女はお姉ちゃんでしょ? どうして妹に食器を片付けさせようとするの! 貴女がやれば良いでしょう?」
「ちがっ……片付けさせようなんて、してな──」
確かにさっきまでミリアは洗濯物を片付けていた。
食器にぶつかって倒してしまったのはルチアだ。
悪気はなかったから、「姉の代わりに片付けようとした」と言えば、ルチアは許された。
そう言えば許してくれるだろうなと思ったから、特に考えずにそう言っただけだ。
地味で妹のルチアと比べたら可愛くなかった姉──ミリアは、いつも理不尽な要求ばかりされていたけれど、可哀想だと思いこそすれ、彼女に対して悪意なんて持ってはいなかった。
うっ……と呻く声がして、姉の方から「なんで私ばっかり」と声がしたが、それは仕方ないと思う。
──だってミリアは私と違って可愛くないし、お姫様じゃないんだから。
それにミリアは父の前妻の子ども。
──私と同じように愛される理由なんてないもの。
別に彼女に対して悪意を持っているとか、目障りだとかは思ったことなどない。
ルチアはお姫様になりたかった。姫たるもの他人のことなんか気にしていられないのだから。
「ごめんね。わざとじゃなかったの」
自分のせいになるのは嫌だったけれど、ミリアに押し付けたかった訳じゃない。仕方なかった。これは。悪気はなかった。
それをしたのは母だ。ルチアは特にそれを望んだ訳じゃないし、そうなってしまったのは仕方ないと思っていた。
黒髪で目の色も珍しくない姉と比べて、ルチアのはピンクブロンドだ。
愛嬌もあって可愛らしい顔をしていたルチアは周囲から人気があるというのに、父親が同じとは言え、やはり姉は陰気すぎて「何故こうも違うのだろう?」と純粋に不思議に思っていた。
姉が14歳、ルチアが12歳になった時のことだった。
成長する度にピンク色の髪は伸びて、可愛らしさというものも増していったルチアは、自分の姉が近所に最近引っ越してきた少年と仲が良いと噂で聞いた時のこと。
「今のお話、聞かせて? ミリアは恋をしているの?」
噂話をしていた少女たちは、ルチアを認めた途端あからさまに嫌そうな顔をして、1人の少女が素っ気なく言った。
「何でもないわよ」
「そうそう」
これ以上関わってくれるなという音のない声を聞いた気がしたが、小さな頃からお姫様のように扱われていたルチアは納得出来ない。
お姫様は皆に好かれるものだから。
「どうしてそんなこと言うの?」
少し悲しくなって言ったら、1人の少女が激昂した。
「リリーの好きな男の子のこと略奪したあんたに言う訳ないでしょ!?」
リリーという少女は隣で縮こまっている彼女のことなのだろう。
心外だった。
「あれは奪った訳じゃないわ。だって、あの男の子が私のことを好きって言ってくれただけだもん」
ルチアはにっこりと笑う。昔からこういったヤッカミはあった。
ルチアがあんまりにも可愛いから嫉妬してしまっているのだ。
──だから私は悪くないの。
「それに彼とは恋人って訳ではないのでしょう? 奪ったっていうのは違うと思うの」
「あんた、それわざと言ってるの? リリーがどう思うか考えたことある?」
「どうして? 人が人を好きになるなんて普通のことなのに?」
「気を使えって言ってんのよ! それに、あんた彼とキスしてたそうじゃない! どういうことよ」
──うるさいなあ。
1人の少女がガミガミと説教をしてくるから、ルチアはうんざりとしてきたのだ。
それにあのキスは、彼がルチアを好きって言ってくれたから、そのお礼。
「ご褒美だったの」
「は? 何を言ってるの?」
「私はそんなつもりじゃなかったの……」
惑わせてしまったとしても、それはルチアが周りに愛される存在だから。
「最低」
手を振り上げて、それが振り下ろされようとした瞬間。
「何してるんだよ。お前たち」
「あ、マーク……」
振り上げられていた手を掴み、ルチアを守ってくれた男の子。
それは今の話に出てきたリリーの好きな男の子だった。
思わず黙り込む少女たちを無視して、ルチアはマークの腕に抱き着きながら「ありがとう」と可愛らしく微笑んだ。
「無事なら良いんだ」
マークはルチアをお姫様として扱ってくれる男の子の1人だ。
こうやってくっつくと男の子たちは恥ずかしそうにしてくれるから、とても嬉しい。
それに比べて女の子たちはルチアをお姫様のように扱ってくれなかった。
──ママは私は皆に愛されるって言ってたけれど……。何か間違えたのかしら?
ルチアは彼女たちに悪いことは一切していないというのに。
「マーク! 見損なったよ。こんな子のどこが良いの!?」
悪口みたいな言葉にルチアは少し悲しくなった。
「酷い……。そんなつもりなかったのに」
涙を浮かべると、マークは少女たちに「お前ら性格悪すぎる」と怒ってくれた。
ルチアが泣くと皆が助けてくれる。こうやって男の子や、周りの大人たちが。
ルチアが責められることなんてない。
他の皆に悪意を持ったことのないルチアを責める者は誰もいない。
マークに連れて行かれる時、リリーが叫んだ。
「ミリアのこと邪魔しないであげて!」
邪魔……って、それではまるでルチアの性格が悪いみたいではないか。
興味があるから見に行くけれど、ルチアが彼に好かれたところで、それは誰が悪い訳でもないのに。
数日後。
「どうして……どうして、ルチアなのよおおおおおおおお!!」
リビングで目を腫らして泣き続ける姉はやはり可愛くなかった。
お姫様みたいなルチアならもっと可愛く泣けるのに。
「ふざけないでよお! 彼のこと好きでもない癖に!!」
がくがくと身体を揺らされて気持ち悪かった。
「どうして怒るの?私、そんなつもりじゃなくて……」
ただ、どんな女の子が好きなのか聞きに行って、ちょっと甘えてみただけだった。
彼は私をお姫様にしてくれるのか気になったから。
それを聞いてミリアは、泣き崩れた。
案の定、姉のミリアが好きになった男の子は、ルチアのことを大好きになったのだった。
家族の中はおかげでギスギスしてしまって、そのまま数年経ち──、姉のミリアの冷たい眼差しに心を痛めていた日々、ある切っ掛けがあった。
夢に出てきた竜がルチアに問うのだ。
光り輝いて何も見えなかったけど、それは竜だった。
──私には分かるわ。これは私が特別な証なんだって。
『お前は何を望むのか』
「私は皆に愛されたいの。お姫様のように」
『聖女の適正を持ち、悪意を持たないお前なら役目を果たせるだろうか』
「聖女?」
『そうだ。お前だけの役目になるだろう』
──私だけ? それって、私が特別ってことになるじゃない?
もしかしたら、お姫様にもなれるかもしれない。
聖女が、平民から貴族になった例も多数あるのだから。
──だって、私は愛されるために生まれてきたのですもの。
大人たちも男の子も皆、ルチアを愛してくれるのだから。
ルチアは手を光に向かって伸ばした。




