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目を覚ました瞬間、アリスは小さな悲鳴を上げて、固まった。
「……!?」
アリスの胸元に顔を埋めていた男はビクリと一瞬震え、数秒後再び穏やかな寝息をたて始めた。
──な、なな……なに!
寝ている間に何故そうなったのかわからないが、アーネストの吐息が、寝乱れて僅かに露出したアリスの胸元に触れていて、あまつさえ彼の唇もアリスの肌に触れていた。
胸元というか……谷間というか、そんな際どいところに。
そして何よりも有り得ないのは、アリスが彼の頭を抱き締めたまま寝ていたこと。
彼の頭を胸に押し付けるように抱き締めている自分に驚愕していて、振り払うこともしないまま、彼女は動けずに硬直したままだった。
つまりはアーネストの頭を抱き締めたまま、硬直していた。
現実を受け入れられないまま、しばし硬直していても何も変わらない。彼の頭をそっと引き離し、距離を置いて後ろへ後ずさって行く。
清潔なシーツの上に広がるアーネストの金髪と、僅かに乱れた自分のナイトドレスを順番に眺めた後、アリスは自らの身体を抱き締める。
「何? 何が……」
何がも何もあのまま寝落ちした結果、こんなことになってしまっているというだけだ。
──ど、どうしよう。たった今まで、まるでキスされていたみたいな……。
たまたま触れていただけだったし、自分のせいでもあるから、この感情の行き場が見つからない。
ベッドの上から裸足のまま下りて、外がまだ暗いことに気付いた。
──まだ夜中……。
跳ね除けていたうわ掛けをアーネストに被せながら、アリスはただ赤面する。
──昨日、あんなに意地を張って……私ったら。
その結果、アーネストに抱き締められることになったのだ。
「よく眠っていらっしゃるわ……」
起こす訳には行かなくて足を忍ばせながら、1歩後ろへ下がる。
先程まで唇が触れていた胸元を押さえながら、自らの心臓の音が激しく鳴っていることにも気付いた。
──これはそういうのじゃないわ!ただビックリして。
ふるふると顔を振りながら、外をなんとなく見遣れば、そこには見覚えのある姿。
──マティアス!?
返事をくれなかった張本人が窓の外に立っていることに気付いて、慌てて外に出ようとしたところで、アリスは足を止めた。
──今がチャンスだけれども……この時間に1人で外に出るのは……でも。
迷っているうちにマティアスの後ろ姿は遠くなっていく。
「で、殿下……」
殿下を起こそうとしたところで、チリンと鈴の音が聞こえた。
──え?
その鈴の音が聞こえた瞬間、音が真白くなったように、一瞬にして全ての音が掻き消えた。
夜に鳴く虫の声も、風の音も全てが消え失せたと思ったら、部屋の中には風が巻き起こり──。
「こんばんは、久しぶりですね。アリス嬢」
「え?」
「にゃあ」
気が付けば足元には黒猫。目の前には魔術師。
彼らはいつもセットだ。
「こんな時間に何故?」
まだ眠っているアーネストを一瞥した彼は続けた。
「貴女は最近、そこの王子様といつもご一緒でしたから、こちらからはあまり接触は出来ませんよ。だからといって、貴女の今の状況を考えると外に出てきてもらう訳にもいかないですしねぇ。……ちょうど目が覚めたのは偶然と思うでしょう?それが違うんですよ」
何か特殊な魔術でも使ったのかと思っていれば、マティアスは黒猫の首に付けられた鈴を指差した。
「特定の者にしか聞こえない鈴らしいですよ。私には聞こえません」
「鈴……」
先程からチリチリと鳴っている鈴はマティアスには聞こえていないということなのか。
「アリス嬢が真実に近付いて来たので一言だけお伝えしようと思いまして出向いて来た次第です」
「あの……マティアス。本当のことを教えて頂きたいのです」
──貴方の正体、協力者は?
「一応、しきたりとして他の者が居る場所で口にしてはならないことになっているので、多くは語れないのですが……」
ちらりとアーネストを見やった彼は、ふうっと溜息を吐いた。
「何でも良いのです。少しでも教えて頂ければ」
彼は黒猫に手を差し出して、黒猫を肩に乗せると、意味ありげに微笑んだ。
「貴女は今まで通り、聖女の反対勢力を増やしていけば良い。方向性は間違ってはおりませんよ」
眩しいものを見るように目を細める彼は、アリスを肯定してくれた。
「……本当に?」
このままで良いのか焦りかけていたアリスは、その言葉に目を瞬かせた。
──私は出来ることをして来たつもりだけれど、これで良かったかなんて分からなかった。
アリスはほっと胸を撫で下ろしていた。
今までして来たことは間違いではないとハッキリといって貰えたことに、安堵したのだ。
「あと、誤解しているようだから1つ。断罪者は私ではありません。まあ、協力者であることは間違いないのですが。私は物語る者の一族。あえて言うなら流伝者……でしょうか」
──マティアスじゃなかった?
「私は断罪者ではないこと、貴女はこのままの道を進めば良いこと。今日お伝え出来るのはこれくらいです。これだけはお伝えしたかった」
どうやら、しきたりとやらは随分と厳しいらしい。
「それでは、アリス嬢。またの機会に」
「あっ……」
彼はアリスの手を取ると、キザなことに手に唇を落としてきたのだった。
そして去り際、アリスの耳元で爆弾発言をして去って行った。
風がもう一度吹いて、目を閉じて──再び目を開けた時、部屋にはアリスとアーネストしかいなかった。
──余計に謎が増えてしまったわ。
頭を抱えたくなったところで、ふとマティアスが耳元で呟いた言葉が蘇ってくる。
『もう、魔法は解けてしまっているようですね。後は貴女が素直になるだけですよ』
その言葉が耳から離れない。
──嘘。私……もう……。
心が絶望に満たされそうになった瞬間、手首を後ろから掴まれた。
「きゃっ……」
「……アリス?」
そこには目を覚ましたアーネストが立っていて、アリスを一心に見つめていた。
何かを探るような眼差しで。
「今のは誰?」
淡々とした声は迫力すら感じられた。
「いつから起きていらしたの?」
マティアスが『他の者が居る場所で口に出来ない』と言った意味がやっとここで分かった。
アーネストは途中から起きていたのだ。
「ごめん、アリス。全部聞かせて欲しい。君のことも、あの男のことも」
彼の声には戸惑いと共に、嫉妬らしき感情が見え隠れしていて、それに気付いた時にはもう遅かった。
嫉妬されて喜んでいることに自分が気付いてしまったから。




