34
先程まで胸の内を占めていた存在──アーネストの来訪を知り、僅かに戸惑いつつも、彼を無言で招き入れる。
その戸惑いのせいなのかもしれない。
「わざわざここまで訪ねる程の御用ですか? 大した理由ではないなんてことはありませんわよね?」
アーネストに入ってきてもらい、2人は今ドアの前に立っている。アリスはドアを背中にしたアーネストに下から睨みつけていた。
声には若干棘が混じっていると自分でも思う。
若干怯みつつも、彼はアリスの傍まで来ると耳元に口を寄せた。
「ルチアが怪しい動きをしている。僕に接触出来ていないから、もしかしたらアリスに何かあるかもしれない」
「ルチア様が怪しい動き? そんなの今更ですわ。私に接触があるかもしれない? そんなのそろそろだと思っておりましたわ。その程度のこと、わざわざ伝えにいらっしゃることではないでしょう?」
この青年は何をしたいのか。アリスに用件があり何かしら接触を試みていることは分かるのだが。
「……念の為だよ」
「それくらい私が存じ上げていることくらい、殿下はお分かりのはずです。私はそこまで無知ではないのだから。何か他に理由がおありなのに、殿下はその名目がなければここに来れなかったのですね?」
本当の目的については見当がつかないが、アーネストのことだ。
何かしら意味のある行動なのだろう。
「早く仰って。私は無駄な時間を過ごすつもりはありませんわ」
「アリスは僕と話すことは無駄、だと思う?」
「いつまでもダラダラ話すことは時間の無駄です。前置きはいらないですから、本当は何を期待されているのですか?」
アーネストはアリスの言葉に臆していた。詰問にも似たアリスの鋭い視線に怖気付いているように見えた。
──何に怖がっているの? 私の何に。
アーネストの曖昧な言動に焦れたアリスは、内心の苛立ちを押し隠し、彼にもう一度問い質した。
「何か御用ですか? 大した理由ではなければお引き取りを」
アリスの意固地さに彼は悩ましげに吐息を漏らす。
「ごめん。本当はただ顔を見たかっただけなんだ」
「こんな夜遅くに? それだけのためにですか?」
理解出来ないと言いたげなアリスの瞳を見つめながら、アーネストは悲愴な顔を向ける。
「それだけのために」
「……何故ですの? 私たちは婚約者と言えども所詮はフリなのに」
「……僕らには圧倒的に会話が足りなかったんだよ」
アリスの胸の内に湧いてくるのは、憤懣やるかたない思い。
──どの口がそれを言うのかしら。
「今更ですわ。私は伝えたいことなど何もないというのに」
王族に対し、不敬で、礼節に欠けた物言いだとは身に染みる程、理解していたがアリスの口からは可愛げのない言葉ばかりが飛び出していく。
アリスの発言を受け止めて尚、彼はめげずにこちらに笑顔を向ける。
──どうして? どうして笑えるの?
「アリス。君の言葉は素っ気ないものばかりだけれど、君との会話は昔よりも多いんだ。……あの頃のお互い探り合うような交流よりはね、今はずっと良い」
こうして話せることが、さも僥倖だと言わんばかりの態度にアリスの方が戸惑いに瞳を揺らす羽目になる。
アリスはアーネストに対して冷たい言動や態度しか見せてこなかったというのに、そのアリスの挙動に彼は僅かに笑っている。
戸惑っていたアリスは僅かに笑みを浮かべようとしたが、直後の言葉に固まることになる。
「アリスを傷付けてしまった事実は消せないけれど、でもやり直すことは出来るから。将来は結婚するんだし、相互理解は必要だと思う」
「それを最初に拒んだのは貴方でしょう? 殿下」
心の中に冷たい槍が突き刺さったようだった。口から出てくる言葉も氷で出来た槍のように冷たくて、アーネストを心から傷付けてしまいたいと無意識に思ってしまう。
「今更、何を企んでいるのかしら?私に何かと構うのは目的があるからなのですか?」
アーネストに感じた全てが疑わしくなった。
好かれている訳がないのに、彼がアリスに向ける感情にはやはり執着に近い何かの色が見え隠れしているように思える。
──深層心理の願望? ……まさかね。
魔法は溶けていない。まだ、アリスはアーネストを許せていないし、愛してもいない。
「そうじゃない! 僕はアリスと親しくしたいと思っているんだ。今まで君と話さなかった分まで全部」
それに……と彼は呟きながらアリスの手を両手で優しく掴んだ。
「本当は、アリスに話さなかったことがたくさんあるんだ。全部、伝えたいと思っていて」
「全部、ですか? 怪しいところも、全部?」
「ああ。全部」
アーネストの指先がアリスの前髪にも触れる。
あまり触れないで欲しかった。
見上げた先の青年の顔は真剣で、アリスは息を飲む。
少なくとも戯れなどではないことは理解出来て、そのこそばゆさに顔を伏せてしまった。
「本気、なのですね」
「うん。そうだよ」
「今すぐ教えろなんて言いませんから、殿下はとりあえず落ち着いてくださいな。随分と緊張されているのね」
「アリス。……今まで言えなかったけれど、僕はね君のことが──……」
「……!」
アリスは彼の唇に人差し指で触れて、そこから先の言葉を押さえ込んだ。
驚愕した目と視線が交わり、アリスは身震いした。
──まさかそんなこと殿下が言うはずないわ。そんなこと有り得ないんだから。
アーネストが何を言おうとしたのか、それを聞いてはいけない気がして、思わず止めてしまった。
──いえ、まさか殿下がそんなこと言うはずないわ。
その先に続く言葉。自惚れではなかったら、そうなのかもしれない。
いや、それは有り得ない。
それでもその言葉を言われる可能性もあった。
ぐるぐると頭の中を推定と疑問が回っていく。
再びアーネストに目を戻し、彼の唇から指を離した。
「……アリス? どうして」
「何も……何でもありません」
気まずくなって背を向ければ、背中に温かな体温が触れる。
後ろから抱き締められているのだ。
「うん。今は何でも良いんだ。アリスが僕と話してくれるだけでも。どんなに時間がかかっても良いから、お互いのことを知っていきたい」
「殿下……」
彼は今、どのような顔をして、この言葉を言っているのだろう?
振り返る勇気はなかった。
それが出来ないアリスはぽつりと零した。
「離して、ください……。私を抱き締めないで」
声は存外、弱々しく聞こえたかもしれない。
アーネストは何も言わずに離れていく。
いつもと違う感情が湧き上がりそうなのが、アリスはひたすら怖くて仕方なくて──。
「私、殿下のこと大嫌いです」
後ろを向いたまま、彼に言い放った言葉は明らかに不敬だった。
涙声が混じった情けない威嚇。
「知ってるよ」
顔は見ていないから、彼がどんな顔をして言っているのかは分からない。
声は酷く穏やかで。
「いずれ、結婚するからとそこに私の気持ちなど関係ないとお思いなのでしょう?」
「確かに、僕たちの結婚は決まったことだけれど」
「いずれ結婚するといっても、私は貴方のものになった覚えはありません!」
──ああ。私はそれが不満だったのね。
アーネストはアリスを自分の所有物か何かと勘違いしている。いずれ結婚するとはいえ、心までは好きに出来ないというのに。
後ろから聞こえてくる声は沈んでいる。
「そんな風に思ったことなんて……」
「嘘。私の意思なんて関係ないとお思いだった癖に」
一方的に攻撃的になっていくアリスに対し、アーネストは何も文句は言わなかった。
それを受け止めるべきだと言わんばかりに。
「私たちは婚約者というだけでしょう?」
「……ごめん。僕はそれに縋ることしか出来なかった。だから……アリスは僕のものなんだと言い聞かせていたんだと思う。君の意思なんて関係なく、それは事実なのだと。本当は、君に」
──何故、自分に言い聞かせていたの? どうして?
気になりつつも、その先に続けていく言葉をアリスは再び遮った。聞いては何かが変わってしまう。
「聞きたくありませんわ!」
振り返り、アーネストの胸をとんっと押して、そのまま顔を埋める。
「無茶苦茶だよ、アリス。怒ったり、困った顔をしたり、今の君はくるくる顔が変わる」
苦笑しつつも、その声は優しかった。
どうやらアーネストは怒っていない。
「どうしたの? 今夜のアリスは何だか様子がいつもと違う……」
「あ……」
アーネストの胸の中、再び抱き締められる気配を感じながら、やっとアリスは冷静さが戻っていく。
──私、ムキになってしまっていたわ。私にかかった魔法のことで情緒不安定になっていたのね。
すっと彼から身を離すと、アリスは綺麗な礼の形を取った。
「取り乱して申し訳ありませんでした」
「僕は、アリスが本音を見せてくれたことが嬉しい。本来なら、こうやってぶつかりながら、お互いを知っていくんだろうね」
アリスもアーネストも特殊な環境で育ったせいか、お互いにどこか不器用に関わることしか出来なかったのかもしれない。
「ごめんね、アリス」
「何を……仰っているのか……」
何を謝ろうとしているのか一瞬分からなかった。
「あの時、君の気持ちを確かめもせずに、君にキスをしたこと」
「あ……」
何かを誤魔化すようなキス。アーネストが好き勝手に触れてきた記憶は、まだ鮮明に残っていた。




