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33.9 sideアーネスト

  社交界デビューを果たしてからのアリスは気高い淑女そのものだった。

  つぼみが膨らんで花開くような大人びた艶やかさと少女らしい可憐さが入り交じった彼女は、夜会でも注目の的となっていた。

「お久しぶりでございます。アーネスト様」

「アリスも、元気そうだね」

  顔色は良く、アーネストを見上げるその瞳は昔見たような悲しげな色に染まっていない。

「今日も……その」

「……?」

  綺麗だ、の一言が口に出せず、頭の中が真っ白になっていくのが分かる。

 ──簡単なことだろう? ただ、彼女を綺麗だと褒めて……それで。

  舌が絡まったように動かないことに絶望した。

  アリスとあまりにも関わってこなかった弊害がここまで酷かったとは思いもよらず、アーネストは自分に落胆していく。

 ──アリスも、情けないと思っただろうか?

「お疲れのご様子ですね?」

  不思議そうに首を傾げているアリスには、呆れも落胆の色も見えない。

  薄青色のドレスに新調し、髪飾りも今流行の職人が作ったと言われるものを何気なくとりいれていることには気付いていた。

  こうして着飾った女性に褒め言葉の1つも投げ掛けない婚約者に失望の顔を見せないアリスに逆に不安になってしまう。

 ──実は僕のことをあまり気にしていない?

  昔は笑顔で駆け寄ってきて、素っ気なくしたら彼女は寂しそうな目をよくしていたが、今は違う。

  正真正銘、執務で会えなくなった時も、「仕方ありませんわ」と何事もなかったかのように笑って、さっぱりとした態度で礼の形を取って去っていく。

  そこに以前のようなこちらを慕う気配は全くない。

 ──僕が全部いけないんだから。今更だ。そんなことに不満を持つなんて女々しすぎるだろうに。

  それでもアリスには我儘を言って欲しかったし、何かしらこちらに興味を示して欲しかったなんて、そんなこと言える訳がない。

  自分勝手だということを分かっていて、彼女に期待してしまう。

「今からでも別室でお休みになってはいかがですか?私のことはお気になさらずに」

「……いや、それは」

「普段、激務の日々をお過ごしなんですから、無理な時は無理と仰った方がよろしいですわ」

  被害妄想かもしれないが、まるでこの場から追い出そうとしているようにも感じられてしまう。

  彼女は不満なんて欠片も見せないで、無理は良くないとしか言わない。

「アリスと踊るのは久しぶりだから」

「そうですわね……」

  アリスは何かを思案するように俯くと、やがて納得したように顔を上げる。

「婚約者と踊らずに退出なさったら、さすがに不仲を疑われますからね。ならば1度だけ踊って、私も共に退出致しますわ」

  名案だと言わんばかりに彼女は純粋な瞳でアーネストを見上げる。

  その瞳からは、アリスの感情は分からなかった。戸惑いもなく、悲壮感もなく、アーネストを煩わしいと感じている訳でもない。

  そこにあるものを、そのままあるように受け止めているような……。

 ──無関心……かな?

「本当に、大丈夫だから。それに社交も大事な仕事だよ」

「そこまで仰るなら私が申し上げることはないですが……」

  アーネストを覗き込むように見上げていたアリスは気を取り直したように、しゃんと背筋を伸ばし、美しく微笑んだ。

「それでは、アーネスト殿下。今宵のエスコートはお任せ致しましたわ」

「……アリス。僕と踊って頂けませんか?」

「喜んで」

  口ではそう言いながらも、特に嬉しそうにするでもなく、淑女らしい笑みを浮かべてアーネストの差し出した手に自らのそれを重ねた。

  薄い手袋に包まれたその小さな手をすくい取り、彼女の腰に手を回した。


  ダンスホールに足を踏み入れると、2人を通すべく自然に道が作られていく。

  中央の1番目立つ場所に彼女と共に足を踏み入れた時、優雅な音楽が流れ始める。


「アーネスト殿下とアリス様のダンスは必見よ。いつも1度しかダンスはされないのだけれど、目が吸い寄せられるようなの!」

「本当、お2人ともお綺麗で……お似合いだわ」

「周りを見て。皆、お2人に夢中になっているから」


  ひそひそと令嬢たちが囀る声。

  デビューしたての娘に、片方の令嬢は高揚したように語っている。


 ──僕たちは見られることにはなれているけれど。


  優雅で美しくて華があって、目を吸い寄せられるのはアリスなのだ。

  そんなアリスをより美しく見せるために自分が居るのだと、アーネストは疑っていなかった。

  アリスの美しさを際立たせる程、完璧に踊れるのも自分ぐらいしかいないと思っていた。


  これは彼なりの驕りで、アリスと最終的に結ばれるのは自分だという事実が、ここまで彼を大きくさせていた。

 ──我ながら酷いな。

  今までろくに彼女と交流してこなかった癖に、婚約者という立場に胡座をかいている状況。


  ダンスの時だけは、彼女と息のあった動きが出来るような気がして、余計に付け上がった。


  アリスが今何を思っているのか、それは見当がつかなくて、少なくとも嫌われていないということしか分からない。


  密着する身体。ステップを踏み、ターンをして、彼女の瞳に囚われてを繰り返しながら、今日もアーネストは自分の婚約者に見惚れていた。

  彼女の息遣いや、ほのかに漂う甘い香りに、落ち着かなくなっていく自分に気付く。

 ──ああ。動悸が治まらない。

  こんなに心乱されているなんて、アリスは知るはずもない。

 ──ただ、格好つけたいだけなんだ。

  何も動揺なんてしていないと、彼女にみっともない姿を見せたくない一身で。


  動揺して、アリスに夢中になった姿を見せたところで、彼女は失望するどころか逆に嬉しく思うのだが、アーネストが気付くはずもない。

  アーネストは恋する乙女の感傷なんて知らない。


  アリスの薔薇色に染まる頬に、彼女の控えめに添えられる手に、アーネストは胸をときめかせていた。

  ただの社交ダンスに。


  曲の終わりと共に余韻もなく、アリスは呆気なく彼から離れた。名残惜しさなど見せずに、相も変わらず完璧な作法で。

「私は挨拶に行ってまいりますわ。お身体の調子が良ければ、殿下はダンスをお楽しみになってはいかがですか?」

  こちらにチラチラと視線を向ける令嬢たちを見遣りながらアリスは提案する。

「……」

  口を挟む間もなく翻す彼女の後ろ姿を眺める男は、情けなく愚かに違いないはずだが、周囲はそうは思わなかったようだ。

「あの……よろしければ、私たちともダンスを……」

  頬を染めながら申し出た彼女は、確か伯爵令嬢だったか。

「ごめんね。僕も挨拶があるんだ」

「そうですよね……」

  普段、アリスと1回踊って、そのままダンスはしていないからか、特に期待をされることもなく引き下がっていく令嬢たち。

  アリスにはダンスを勧められるが、いつも虚しくなるだけだ。

  嫉妬して欲しい、なんて贅沢は言わない。


 ──アリスは、僕にはあまり興味がなさそうだ。


  接して来なかったのだから、当たり前だけれど。


  自分からは何も行動出来ない癖に、不満ばかり持って焦がれているだけの自分が嫌いだった。


  数年も無駄にしてしまった。空白の年月は、アリスとアーネストの間に確かに溝を作っていた。

  険悪な訳では決してないし、お互い嫌っている訳でもない。

  ただ、当たり障りのない会話を積み重ねていくだけ。


 ──彼女に今更親しく声をかけたところで引かれるだけではないのか? 今更……何か変わるのか?


  だから絶望している。

  アリスにどのような声をかけていいか分からないからと行動出来ない不甲斐ない自分にも。

  彼女がアーネストに無関心なことにも。



  好意の反対は無関心……。


  取るに足らない存在だと思われているのは結局は自分のせい。

  理由があったにしろ、冷遇したのはアーネスト自身なのだから。

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