33.7 sideアーネスト
アリスが10歳、アーネストが16歳の頃、事件は起こった。
「それで兄さん、結局のところ、その紅茶は飲んだの?」
腹違いの弟であるルーカスは、毒物が検出された瓶の中を凝視している。
血の繋がった家族の中では1番信用出来る存在であるルーカスは、アーネストより2つ下の弟だ。
金髪碧眼なのはそっくりだが、もちろんヘタレではなかった。
「いや、未遂だよ。匂いで分かる。これを口にしたらたぶん失神するんじゃないかな」
「本当、兄さんはどういう教育を受けてきたら、そんな特殊技能が備わる訳? すごいよね」
ルーカスは素直だが、少々言い方は素っ気ない。
素っ気ないながらも、顔には「心配です」と書かれている。
普段は表立って仲良くは出来ない間柄だが、こうして会えば彼は心配そうに見上げてくる。
「王としてどういうことを学んでいるか、極秘だからか、誰も知らないしさ」
「まあ、簡単とはいかないよ」
「でも毒の匂いと効能が分かるなんてすごいよね」
「まあね」
内心の焦りを抑えながらアーネストは答える。
まさか実体験なんて言えるはずもない。
何故、アーネストが毒を知るようになったかの過程なんて知るべきではないのだ。
「ルーカス。しばらく僕には近付かない方が良い」
「なんで?」
「元々、この部屋に来るのも賭けみたいなものだった。僕に協力してくれるのは嬉しいけど、こんな直接的な被害があるなら話は別だよ。君が危険だ」
今2人がいる部屋は王宮の隠し通路の先に存在する小部屋だ。
表立って仲良く出来ないアーネストとルーカスはここで会話をするのだ。
「それに君の母上は君の行動を訝しく思っている。……前の王位継承権の放棄の頃から、大分病んでいるだろう?」
「本当、さっさと引っ込めば良いのに」
現在14歳のルーカスだが、ちょうど1年前程に、己の王位継承権を放棄しようと行動したことがあり、もろもろの手回しと書類をちゃっかり揃えたところで己の母親に阻止された。
自ら産んだ子を次期国王に据えようとしているルーカスの母親は、家柄が正妃よりも高いのでプライドが高く、アーネストが次期国王として有望と言われていることに納得がいっていないようだった。
こんな騒ぎを起こした当の本人であるルーカスは、「何故こんなことを?」というアーネストの質問に対し、あっけらかんと応えた。
「こうまでしないと、兄さんからの本当の信頼は得られないから」
そんなことが理由とは思わず、それを聞いた時はポカンとしてしまった。
何故ここまでルーカスは自分に従っているのだろうか? そこまでして信頼が欲しいのは何故なのか?
「僕に兄弟らしく接してくれたのは兄さんだけだから」
「大したことはしていないと思うよ」
「周囲に惑わされずに僕と普通に接してくれたでしょ。最初に話しかけてくれたのは確か兄さんだった」
「そうだっけ?」
「そうだよ。僕のことは警戒するべきだったのにね」
卑劣な嘘をつく者を見極めるのは得意だったアーネストからすれば、ルーカスは限りなく白だったというのに。
自分の目で見た事実を信じただけなのに。
まさかここまで彼にさせることになるなんて思ってもみなかった。
王位継承権の放棄は放置していたらすぐに噂が広まり、ルーカスは何かと利用されてしまうだろう。
この話は王宮に広まる前に、アーネストが内密に処理をし、何者かの陰謀によりルーカスはこの行動を起こした云々といったような適当な証拠を捏造したりと大分手がかかった。
とにかくこの部屋に通うルーカスや、何やら王宮内で暗躍するルーカスに疑問を覚えている者は何人か居て、エリオットなんかはその筆頭である。
「僕を狙っているのか、その周囲を狙っているのか分からないだろう? 僕の部屋から見つかったっていうあからさまな証拠は、逆にそれがフェイクだったりしないだろうか?」
「それこそ、僕は平気なんじゃないの? たぶん1番疑わしいのが僕でしょ。僕が倒れたら容疑者が減るし、それじゃ犯人には不都合でしょ」
今、1番争っているのはアーネストとルーカスの王位についてだからだ。疑わしいルーカス陣営が被害者になったら前提が覆るから、定石ならばルーカス本人を狙うことは有り得ない。
「そう思わせて逆に……っていうことも有り得るだろう?とりあえず君の母上が訝しく思う前に君は……」
「せっかく暗躍出来ていると思ったのになあ」
あーあ、と言わんばかりの落胆した声。
「こちらはこちらでなんとかするよ。炙りだしたら、後は処理するだけだ」
「兄さんがそういうってことは、本当になんとかするんだとは思うけど、またそうやって1人で抱え込むの? 今回もたまたま僕が兄さんと会わなければ隠蔽するつもりだったじゃん」
「……情報を漏らせば知った者が危険だから。それにこういうことは1人でやった方が効率が良いんだよ」
ルーカスは大きな溜息をついた後、ぽつりと言った。
「アリスにも何も言わないの? しばらく距離を置くことにするんでしょ。それも何年かかるか分からないのに」
痛いところを突かれた。
「僕はあの子が傷付くの見たくないけど、兄さんもそうでしょ?」
泣かせるつもりなのか?と問われている。
そんなつもりは、ない。ないけれど。
「僕が婚約者であるアリスに心を許している……という素振りだけでも彼女は危ない目に遭うと思う。今回の毒物はあからさま過ぎた接触だったからね。アリスは僕に近付かない方が安全だよ」
「兄さんはアリスの笑顔は守らないの? そんな顔してるのに」
「……うん。あの子を泣かせてでもあの子を守りたいから」
「兄さんもあの子も、救われないよね」
もどかしいと言わんばかりのルーカスの表情は切なげだった。本気で心配してくれていることが分かる。
この日からアリスに対して冷淡な態度を徹底した。あからさまに冷たくはしないけど、見る人から見れば冷遇しているように。
「アーネスト様、お疲れではないですか?」
「あー……」
やはり分かってしまった。アリスはアーネストをよく見ているから尚更。
「何もないよ」
「嘘」
「本当に何もないから」
「……」
会話を切るように素っ気なく返せば、アリスは悲しそうに眉を寄せて俯いた後、ぱっと顔を上げる。
「はい。何かあったらお話ぐらいならお聞き出来ると思いますわ」
先程までの悲しげな顔を振り払い、晴れやかに笑った彼女の健気さに思い切り甘やかしてしまいたくなる。
こんな時にルーカスの言葉が頭の中をぐるぐると回る。
アリスを守っているつもりだったけど、笑顔を守ることは出来ない。
──こんな婚約者、アリスは嫌だろうな。
少しくらい優しくしたって……と思い悩んでいる最中、アーネストは珍しく毒を口にしてしまった。カップにではなく、スプーンに塗られていた致死性の毒。
アーネストが疲れた時に砂糖を多めに入れることを知っていたようにそれは置いてあった。
場所は、アーネストの私室。
毒に口にしたことに気付いたアーネストは、すぐに立ち上がるとその毒の痕跡を消しにかかった。
何事もなかったようにしなくてはならない。頬をつたい落ちる汗を気にする間もなく、証拠を隠滅する。
──今は、周りに毒を盛られたことを知られない方が良い。
周りに広まってしまったら、犯人がなかなか尻尾を出さなくなるだろうから。
一通り作業を終えた後、蒼白な顔をしたアーネストはベッドによろけるようにして倒れ込んだ。
致死性の毒……。少し摂取するだけでも体に大きな害を及ぼす毒。
だが、アーネストは死ぬことはない。
幼い頃から様々な薬物の耐性をつけてきたのは、こういった毒殺に対応するためだ。
たくさんの毒を少しずつ口にして耐性をつけていく、幼いアーネストにとっては拷問のような時間だった。
生まれた時から行われていた厳しい教育に感覚は麻痺していたのか、もはや諦念だったのかそれは知らないけれど、アーネストは拷問に等しいそれを受け入れた。
だから、こんなこと事実は誰も知らない方が良い。
シーツに顔を埋めながら、思う。
──これは2日くらいは使い物になりそうにない。言い訳を考えなければ。
致死性の毒だったからか、こうしてアーネストが倒れるのは幼い頃以来だった。
アリスに少しでも優しく、なんて無理な話だった。
この犯人は、アーネストに親しい人間を作ることを許してはくれなかったのだ。




