33
令嬢3人で行われていたお茶会があったその日の夜のこと、何があるか分からないということで、アリスはこの日も王宮の客室で大人しくしていた。
悶々としながら。
ベッドの中に入り、天井をひたすら眺めながら、反芻していた。手元にある本は胸の上に置いたまま。
好きは、嫌い。嫌いは、好き。
嫌いの感情は強い。
アリスがジュリアとマーガレットに言われたその言葉が頭の中をぐるぐると回っている。
「駄目だわ。こんな調子では。今はそんな時じゃないのに。……どうして」
考えてはいけないことも分かっていても、それでも気になって仕方ない。
どうしたら良いか分からなくなり、溜息が何度も出てしまう。
「本当、駄目だわ……」
コツン。
窓からコンコンとノックする音が聞こえ、そっと起き上がればマティアスの使いである鳥。
カラリと窓を開けて、いつものように金色の手紙を受け取った。
鳥が飛び立った後も、その手紙を見つめたままでアリスはピクリとも動かなかった。
──まさかこの手紙を読むだけなのに、こんなにも緊張するとは。
マティアスに一言だけ手紙を書いて送ったのだ。使いである鳥はいつもアリスの庭で待機していたが、この日はアリスの移動に合わせてこちらに来てくれていた。
ここまで頭の良い鳥をマティアスはどうやって飼育したのだろう?
とにかく、アリスが手紙で問いかけたのは簡単なことだ。
『私の恋心は完全に消えていないと仰っていましたが、私は彼のことが心から嫌いなはずなのです。本当に消えていないのですか?そちらもお忙しいでしょうし、お手紙で構いません。魔法について教えて頂けませんか?』
あのお茶会の後に慌ててしたためた手紙。
字は動揺していつもより乱れていて見れたものではなかった。
──マティアスはあの時、辛い選択になると仰っていたわ。私は恋心なんていらないと言っていたけれど。
今の状況はモヤモヤしているが、余計なことで悩まされないのは快適だった。
あの時の自分の決定は英断だったとアリスは今でも思う。
──たぶんあの時はあれが最善だったのよ。
結果がどうなろうと自分の選択に後悔はない。改めて手紙を険しい表情で見つめると、覚悟を決めたと言わんばかりに手紙の封に手をかけた。
『自らの思いに向き合ってしまえば、あの魔法はすぐに綻びが出てしまう一時しのぎに過ぎません。貴女は何も変わっていないのです、アリス嬢。殿下を疎ましく憎しみの心は愛の裏返しであり、今回の魔法はそれを強制的に反転させただけの魔法です。彼を目障りに思うのも、それは貴女が気になって目に入ってしまうのが理由です。もう一度お伝えします。人の心を完全に操る魔法はありません。出来るとしても綻びは消えないものです』
それを眺めながらアリスはベッドに倒れ込む。
薄々分かっていたことだ。そもそもルチアの魔法ですら完全ではなかったのだ。
聖女である彼女ですら、洗脳仕切れなかった者が多数いる。
人の心は操ることは出来ない。
考えれば、当たり前のことなのに、アリスは見て見ぬふりをしてきた。
──だって見てしまったら魔法が解けてしまうから。
マティアスもアリスの性格を分かって全てを教えてくれた。アリスが望んだから。
きっと彼自身はそれを勧めてはいなかったのだろう。『なるべく考えてはいけない』というアドバイスをくれたのは彼だ。
1番下に1行、書かれている文字。
『力になれなくて申し訳ありません。他に貴女の願い事はありませんか?』
今回の願い事は、彼にとっては不本意だったのだろう。他の願い事を聞いてくれていることからも、アリスに申し訳ないと思っていることが伝わってくる。
──いずれ解けてしまうとしても、あの時の魔法のおかげで私は今ここに立っているわ。
一時しのぎでも構わない。その猶予期間の間でアリスは行動出来たのだから。
それにこれからアリスがアーネストとどう接していくべきか、ある意味ではヒントをもらった。
──本気になれば辛いだけということを身を持って知ったわ。
知らない振りをすることが愚かだとしても、恋心に囚われないことの快適さを知ってしまった。
──それにたぶん魔法はまだ解けてないわ。
嫌悪感などの悪感情を抱く自分のアーネストへの想いの部分には目を背けているが、受け入れてしまえば後はなし崩しのように解けてしまうに違いない。
アーネストに対する想いは、気になって仕方ないという段階であって、まだ魔法は解けていないのだ。
──後、少しでも抗ってみようかしら。
アリスはあの時の苦しみをもう2度と味わいたくなかった。一喜一憂することに疲れてしまったのだ。
──魔法が解けてしまっても、私は殿下と両思いにはならない。私の思いは伝えない。それで円満解決だわ。
別に政略結婚なのだから、最初からそれで良かった。
今は割り切っているけれど、恋心を取り戻したら、どうなってしまうのか。それだけが懸念点だった。
しばらく挙動不審になるかもしれないが、それはそれ。
先行きに不安を抱きながら封筒に便箋を仕舞ったところで、小さなノックが聞こえる。
「アリス? 起きてる?」
「…………」
それは今、アリスを悩ませている張本人の声だった。




