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 あれから財務大臣はエリオットがよく使っているという『二徹前提執務室 第二室』へと案内し、ひたすら仕事をさせているという。

 財務大臣の権限を必要としない仕事ばかりをとりあえずやらせてから遠方に左遷させるとか。

 もちろん彼には監視付きで、まだルチアに認識されていない者と下水道問題へと着手してもらうことにした。


 アリスは何をしているかと言えば、今夜行われる夜会に向けて英気を養っている。

 久しぶりの女子だけのお茶会。マーガレットとジュリアを誘い、近況報告をしている。

「アリス様の仰った通り、ルチア様と距離を取っていたら、何故だか頭の中の霞が晴れたようですわ」

 マーガレットの清々しそうな表情は初めて見た。

「以前、私の友人たちにもルチア様に近付かない方が良いと伝えたので、多少はマシになっておりますわ! 毎日の挨拶がなくなっただけでも大きな進歩です!」

「どうやら言いくるめることに成功したようですわね」

 ルチアはたくさんの者の挨拶に疲れてきているらしい……というデマを、ジュリアに頼んで洗脳されている令嬢たちに吹き込んだ。

 夜会に参加しなくてはいけないため、ルチアとの接触をゼロにすることは不可能だが、普段行われているルチアへの挨拶をなくせば少しは変わるのだ。

 令嬢たちや、その婚約者たち、そして元婚約者たちが、ルチアに会いに神殿へと挨拶に通っているという事実は、なんとも言えない気分にさせてくる。

 ──それだけ会っていれば洗脳されてしまってもおかしくないわよね……。一度会ってしまったら魅了されてしまって、それからズルズルと……といったところか。

 元々ルチアを恨んでいた令嬢たちは、元婚約者や婚約者たちによって毎日会わせられて、やがて恨みが消え、洗脳されてしまってからは自らの脚でルチアの元へ通っているらしい。

 ──こちらは洗脳されたら負けみたいなもの。

「とにかく、今となってはあのお方がとても憎くて仕方ないのです。婚約者をおかしくしてしまったのに、それを良しとして受け入れているところが特に」

 マーガレットの婚約者のユリウスは、将来の有望株として話題だったのに、今は見る影もなく、ルチアの親衛隊なる者の重要幹部だとか。

「あの方、ルチア様のことしか話さないので、そろそろ落ちぶれてもおかしくないですわ……」

 憂いを帯びたマーガレットは、今にも消えてしまいそうな儚げな表情を浮かべる。

 まさか自分の婚約者がここまで酷い状況になると思っていなかったに違いない。

「後は、どれだけ令嬢たちが正気を取り戻すか、ですわ。私のように。たぶん、男性たちよりは戻りやすいと思います。元々彼女に好印象は持っていない方が多いから」

 ルチアの魅了は人によって効果がマチマチだが、ルチアを元々嫌いだったりと悪感情を持っていた場合は、なかなか洗脳の効果が出にくいらしい。

 

 だから元々効果の出ていない人々は、ルチアと顔を合わせないでいれば、次第に以前の感情──怒り、嫉妬、恨みを思い出していくだろう。

 ──それでも、どんな方でも長期的に会えば、効果は出てしまうようだけれど……。ルチア様を恨んでいる方でも誰でも。

 なるべく顔を会わせないようにすれば間に合うはず。

「最近の殿下もルチア様と会っていないからか、彼女のことを警戒するようになってきました」

 ということは、元々彼はルチアのことがそこまで好きではなかったということなのか。

 反発心もどこかであったのかもしれない。それが後天的なものかどうかは分からないが。

 ──どちらかと言えば、恋をしていないけれど洗脳はされている貴族階級の夫婦たちのようなものかしらね?

 まあ、今となってはどうでも良いが。


「それはそうと、アリス様! 殿下とのお噂聞きましたよ!」

 先程まで神妙に頷いていたジュリアは、アリスの手を取って目をキラキラと輝かせていた。

「愛し合っている理想のお二人として有名ですわよ!アリス様!」

「ああ。そうでしたわ……」

 今の今まですっかり頭から抜けていたが、この話題もあったのだった。

 紅茶のカップを口に付けながら遠い目をする。

「アリス様に向ける視線が、もう好きだっていうのがダダ漏れで、見ているこちらが照れてしまうくらいですわ!」

 ジュリアのテンションは最高潮だった。

 マーガレットは首を傾げている。

「それにしてはアリス様は浮かない顔ですわね?」

「そんなことは……」

 心の準備が出来ておらず、一瞬素の表情を出してしまったのを、目ざとく発見したマーガレット。

「私たちで良ければ、お話を伺いますわ」

 マーガレットはまるで姉のような慈愛で、アリスを包み込む。

 ──嘘なんて通用しなさそうな雰囲気だわ……。

 何しろ『全て吐け』と言わんばかりの目が、ジュリアから向けられている。

 これは叶わないと思ったアリスは一部分だけ話すことにした。

 嘘の中に真実を一欠片だけ混ぜてしまえば、気付かれる可能性は下がるとアリスは知っていたからだ。

「これは、私がおかしいのかもしれませんが……」

「大丈夫ですわ! 恋をしたら女性はおかしくなるものなのですから!」

 それはそれで怖い。そしてジュリアの勢いも怖い。

「私は殿下のことを……その昔からずっと好きで……それで」

 こんな嘘をつくことになるとは思わなかった。はっきりと口にすることが出来ず、それが逆に真実味を増していることにアリスは気付いていなかったが。

 二人は神妙に頷いているが、これを言ったらドン引きされるに違いないと思いつつ口を開く。

「でも……最近はおかしいのですわ。彼を傷付けるのは私だけが良いと……思ってしまう。どうか、軽蔑なさらないで欲しいのですが……」

 アリスは俯いた。

 独占欲を抱えている令嬢のように、彼女らにそう聞こえるように言った。傷付けたいといった部分は真実だ。

 独占欲……の部分は嘘だ。アーネストが他の者に傷付けられるのを見るのは不愉快だから助けてしまうかもしれないが、それは独占欲ではなくて、たぶん忠誠心みたいなものなのかもしれない。

 どちらにしろ、これは綺麗な感情ではない。

 彼のことが目障りで仕方なくて、傷付いて欲しいと思ってしまうことすらある。

 ──それも私の言葉で。

 冷たい言葉を投げかけることが多いのはきっとそういうことだ。

 ──だけど、彼が政敵に苦しめられるのは放っておけない。この国には彼が必要だから。

 これは昔から正妃教育を受けていたアリスが、この国を守る者になりたいという思いから生まれている一つの感情なのかもしれない。

 だから矛盾した行動を取っていた。嫌い、と言いつつも彼に協力したりしていた。

「こんな気持ちを抱えるなんておかしいですわ。私……」

 ドン引きされるに違いないと思って小さくなっていたが、その心配は破られた。


「それは恋ですわ!」

 まず、ジュリアの大声。

「そして、恋する乙女の憂いですわ!」

 トドメはマーガレットの声。

  ──マーガレット様って大声出されるのね。


 両腕をがっしり両方から掴まれながら、アリスは遠い目をしながら、関係ないことを考える。


「その独占欲は恋ですわよ! 愛だけでない全ての感情を自分のものにしたいという」

 そう見えるような発言をしたのだから当たり前である。生憎なことに、そこまでの熱情はアリスにはもうなかった。


 恋なんていらなかったし、愛なんてものもいらない。


 マーガレットはアリスの手に己の手を重ねると、優しく微笑んだ。

「傷付けたいと感じるのは、アリス様の憂いが原因でしょうね。……あのアーネスト殿下も、一時期ルチア様とお噂になりましたわね。その時のアリス様のお気持ちを考えると、そういうこともあるのかもしれませんわ」

「なるほど! 納得ですわ! アリス様は殿下のことを好きだからこそ、自分のことで悩んで欲しいとお考えになっているのですね!」

「そうですわ。それに自らのことで心を揺らして欲しい……という健気な感情なのです」

「え?」

 気が付けば、納得されているし、そういうことになっていた。

 そしてマーガレットはアリスの手をぎゅっと握った。

「相手のことを傷付けたいというお気持ちにしても、それ自体は褒められることではないですが、アリス様のせいというだけではないのですから」

 アリスは再び俯いた。

「……いえ、本当は私、殿下のこと嫌いで──」

 そう、嫌いというのが本当は正しい。

「それは違いますわ! アリス様!」

「きゃっ」

 いきなり、ジュリアはアリスの肩をガシッと鷲掴みにした。

「な、なな何ですの?」

 戸惑ったアリスに得意げな顔でジュリアは断言した。

「愛と憎しみは表裏一体なのですわ! すなわち好きと嫌いは隣り合わせなのです!」

「……は、はい? それは反対なのでは?」


 アーネストに対しての感情は、目障りで仕方なくて、大嫌いで……。


「いいえ!いいえ!嫌いということは少なくとも相手に対して()()()()()()()()()()ということになりますから。どうでも良い人なら何も感じません」


 まあ、全てがその例に当てはまる訳ではないですけれど………とジュリアが言っているが、細かい部分が聞き取れない。


 アリスは珍しく動揺していた。

 同時に、頭の中で響くのはマティアスに言われたあの言葉。


『深く考えてはいけないよ』


 あの言葉の意味は何だったのだろう? 何故、深く考えてはいけなかったのだろう?

 ──嘘。本当は分かっている癖に。


 アリスの本能が危険信号を発していた。



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