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エリオットは相変わらず死んだ目且つ瞬きを一切しないまま書類を捌いていた。
「エリオットが壊れた……」
「一度強制的に眠らせた方が良いのでは……」
「気絶でもさせる?」
物騒な会話が飛び交う中、声がしたことに気付いたエリオットはようやく声を出した。
「殿下、おはようございます。まだお疲れのようですね」
「……うん、まあ。でも君程ではないと思うけど」
ここまで疲れている彼らに伝えて良いことなのか若干迷ってしまう。
──ただでさえ、二人はルチア様に困らされているのに。
簡単に言ってしまえば。
アリスとアーネストが仲睦まじく見せるようになってから、ルチアの奇行が増した。
アーネストに刃物を向けた疑惑が水面下で話題になっている彼女は殿下に近付けず、お偉方に言葉通り泣きついているのだとか。
ルチアの泣き顔に絆される人々が続出してしまい、アーネストと会わせようと何やら行動しようとしたので、その取り締まり。実際に絆された者たちの処分だ。
ルチアのせいでもあるので、将来の彼らの出世に影響が出ないように、王宮専属医師に診断書を書かせている。
『精神汚染及び洗脳により、状況判断能力が著しく低下。精神錯乱のため出勤停止命令』
とかいう書類を量産し、その作成のための裏工作。
実際にはその通りだが、多くの者はルチアのせいだとは思わないし、信じないため、彼らにとってはそれは偽の診断書である。それも原因は一切不明である謎の精神汚染及び洗脳。
その偽の診断書が発行されるに至る理由付けや、名目を不自然にならないように作り出していくのは事情を知っているアーネストとエリオットである。
──国王陛下も王妃様も既に陥落済みだし、期待は出来ないわ。
せめてもの救いは、アーネストの兄弟たちが隣国へ留学していることである。
──ルチア様の存在が明るみになる少し前に突然、そんな話が出るなんて偶然にしては出来すぎているけれど……。
正しく天が味方したと言えるだろう。
さすがに次期国王が確約しており、仕事を抱えているアーネストは無理だったが、もしここで彼も留学していたら状況も変わっていたかもしれない。
アーネストの教育に関して、アリスが知っていることはあまりないが、正妃教育も過酷だったことを考えるとロクなものではない気がする。
「殿下、肩を揉んでください。あ、アリス様でも良いので」
「大分参ってるわね……」
とりあえず周りに居る者に助けを求めた結果なのだろう。慇懃無礼な態度を取ることの多いエリオットだが、己の立場は弁えているからか普段はこのような発言は絶対にしない。
──殿下にさせる訳には行かないし……。
アリスの行動は早い。エリオットの後ろに回ると彼の両肩に手を添える。
「あらら……。これは、手強いですわね……。巻肩になっていらっしゃいますわ」
強めに肩を揉んだり引っ張ったりしていたら、すぐ近くに居た殿下がぽつりと呟いた。
「狡い……」
エリオットは気持ち良さそうに目を閉じている。
「殿下もお疲れですか?」
後で少し腕でも引っ張って差し上げようと思っていたら、予想外の言葉が返ってきた。
「アリスの綺麗な指に触れられてるだけでも羨ましいのに揉んだり引っ張ったりしてもらえるなんて」
「何を仰っているのか分かりませんわ。殿下」
発言が少々おかしいのは、アーネストも疲労し切っているからだろう。
通常業務に加え、周りの人々の尻拭いに奔走しなければならないのだから。
「いや、でもね!」
何やら話が長引きそうだと思ったところで、エリオットが身動ぎすると話を軌道修正してくれた。
「殿下の変態臭い発言はともかくとして、アリス様は何かお話があったのでは」
「エリオット様。私、貴方のそういうところ好きですわ」
アリスの『好き』の一言に、何故かアーネストは目を見開き、こちらをじとりと責めるように見ている。
意味が分からない。
「報告がございます。少々面倒なことではあるのですが、お二人はルチア様の奉仕活動の資金源についてはご存知ですか?」
「またルチアか」
「ええ、またですわ」
うんざりとしたアーネストが近寄ってきたと思ったら、エリオットの両肩に乗っていたアリスの手を掴んで離させた。
不思議に思いながらも、この数日間アーネストと噂になっていた間に調べたことを一つ一つ並べていく。
それにしてもアーネストと噂になっていたおかげで調べやすかった。殿下が大変そうなので資料を探す手伝いだけをさせて頂いていると言えば誰にも怪しまれないし、あまりアリスのような令嬢が入らない部屋に入ったことを不審に思われた時も「殿下を知りませんか?」と言えば微笑ましそうに見られた。
どうも殿下の手伝いを少しでもしようと最善を尽くしている健気な婚約者と見られるらしい。
「結論から言いますと、うちの有能な財務大臣様は国庫に手を出していたということになりますわ。ルチア様の奉仕活動は国庫から無許可で出されていました」
「ああ。頭痛が痛い……」
「アーネスト殿下、言葉がおかしいです。重複してますよ」
すかさずエリオットはツッコミを入れていて、こんな時も相変わらずだった。
「知ってる。言葉がおかしくなる程に頭を抱えたくなったってことだよ」
「あんな大規模な炊き出し、神殿から予算が出るのもおかしいですわよね。大臣の証拠隠滅も見事で、その大きな空白を隠すために帳簿やら何やら細工が施されていました。私はこの数日、その証拠隠滅の痕跡を拾い上げていました」
最初からなかったことになっていたのが面倒だったが、細工をするとしてもやはり痕跡は残るのだ。それそのものには残っていなくても、以前との齟齬は確実に存在しているものだからだ。
財務などと分野が分かれていても結局のところ、全ての政務は繋がっているので、財務部門ではないところからアプローチをしていくのである。
つまりアリスの粘り勝ち。
「道理で最近、アリスが疲れているように見えた。僕に対する態度とか、声の調子とかが微妙に違ったんだよ」
「きもちわるいですね、でんか」
エリオットの平坦な声がアーネストの精神に確実にダメージを与えていることにアリスは気付かず首を傾げた。
「あら? 将来、王になる方なら観察眼は大切ですわよ。それに気付いていながらも、私があまり詮索されたくないということも見抜いてくださったようで、大変助かりました」
ただ心配そうな目を一瞬向けるだけでアーネストは何も言わなかった。
アリスとしては至極当然のことを言ったつもりだったのだが、何故かアーネストがアリスを見つめる目はキラキラと輝いていた。
「何故、そんなに嬉しそうなのですか? ……まあ、良いです。……とにかく、今回の件について証拠固めはしてありますので、後程、まとめた資料や書類をお渡ししますわ」
問題なのは今、財務大臣を追求してしまえば圧倒的に人手不足になってしまうことだ。
「使い潰した後に左遷しましょう」
とはエリオットの弁。相当ご立腹らしい。
「うーん。でもルチアの洗脳のせいでもあるしなあ。……まあ問題はあるから左遷はしたいけど、さすがに大臣級の人手不足は深刻だよ。それより他の任務を与えて物理的に距離を置かせる方が良いような気が」
アーネストは自分も経験があるからか同情的だった。
「間を取りまして、遠方に派遣しつつ、そちらの土地で普段の業務をやってもらうというのはどうでしょう?距離的に無茶はありますし人件費もかさみますが、業務の引き継ぎの手間よりはマシでしょう」
アリスは間を取るが、これはこれで名目を用意したり調整したりと面倒である。
「ああ。なら財務大臣には、いずれやらないといけなかった西の方の下水道問題に着手してもらおうかな。大掛かりになりそうだし、数ヶ月あの辺に留まらせておけば、良いよね。前回のルチアの奉仕活動の影響で、土地に住む人からの要望が増えてきたってことにすれば違和感もない。もちろん、こっちで使い潰してからだけど」
アーネストは、彼に同情的ではあったが、現状には不満しかないらしく……というよりもさすがに度を越していたのだろう。彼は笑っていなかった。
それにしても謎なのは、マティアスがこの情報をどこから調達してきたのか、ということだ。
──何でも有りなのかしら。あの方。
今回のアリスの行動は、マティアスのアドバイスがあったからだ。
それにしても今回の件で恐ろしいのは、ルチアは国の重鎮を結果的に後ろから操ることが出来たという事実だった。
──何も知らなければ、ルチアは聖女なのでしょうね。
民からの税が回り回って、炊き出しの費用になったというならば、これはもはやルチアの奉仕活動でもないというのに。
つまりこのまま悪化していけば、周りに認識されないまま、国を操ることすら可能になっていくのだ。
それは必ず阻止しなければならない。
国を背負う覚悟もない者に好き勝手されていく訳にはいかないのだ。




