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二人でソファに腰掛けて、一息ついたところで切り出したのはアリスだ。
「……で? 何をお望みですか? 王太子殿下殿」
「うん。予想していたけど、怒ってるなあ……」
「それで、いつまで私はここに居ればよろしいの?」
ずっとここで暮らせということはないだろうが、それはかなり理不尽だ。
「いや、明日帰って良いよ」
「はい?」
あっけらかんと返された答えは意外すぎた。
「部屋に軟禁しておいて、どういうつもりなのですか? 殿下!」
じろりと睨みつけるアリスにたじろいだアーネストは、アリスを手招きして小声で答える。
「勝手にアリスを巻き込んだのはごめん。……前々から考えていた一つの策だったんだ。タイミングを見計らっていたんだけど、今回の件はちょうど良いかと思って」
昼間までのアーネストとは打って変わって正気に見える。
「つまりは……故意的に、僕がアリスに対して過保護になっているという状況を作り出した」
「何をしようとしているのですか? 目的は?」
「ルチアに揺さぶりをかけようと思っていたんだ。慎重にしすぎても被害は広まるばかりだし、ここらで彼女の目的くらいは掴んだ方が良いって思っていたからね」
ルチアに揺さぶりをかけるというが、今日のアーネストの奇行と何が関係あるのか。
何のために揺さぶりをかけるのかと、一瞬不思議に思ったが、答えはすぐに分かった。
「ルチアの目的が僕なのか、まずはっきりさせる」
なるほどと、とりあえず納得した。
王子が婚約者にご執心でそれが異常な程だったとしたら。
ルチアがアーネストを狙っているならば、確実に何かしら行動を起こすだろう。
突然、婚約者にご執心になるのは不自然だから、そこまで不自然ではないシナリオを作ったということか。
婚約者が危険になった時、やっと自分の気持ちに気付いたとか、そういう流れにするのだろう。
こちらが理解したのを察したのか、次々と話を進めていく。
「それで、もしルチアが行動を起こすとしたら、アリスに接触する可能性が高いだろうから、アリスには護衛を付ける。人の目があるから、アリスが濡れ衣を着せられる可能性もなくなる」
「今日の騒ぎで、殿下が婚約者のことを異常な程心配しているという下地が出来ているから、ある程度は周りも納得しますわね。心配性な殿下が婚約者の周りを護衛で固めていると」
「まさか聖女を警戒しているとは思わないだろうからね」
ということは昼間のアーネストの奇行は全て演技だったのか。
「どこからどこまでが演技ですの?」
真面目に思案している彼の横顔に声をかけたというのに、すぐにこちらに振り向いた。
昼間からアーネストの芝居は始まっていたのだ。馬車に乗る時も御者にも他の護衛にも、アーネストの行動は印象的だっただろう。
「半分くらいは本当だけど、さすがに軟禁はしないよ」
「そうなのですか? 何故です?」
「今以上にアリスに引かれたら、僕は立ち直れない」
真顔で言うものだから納得してしまった。
──確かに、殿下にはそんなこと出来そうにもないわね。私も騙されてしまったわ。……そうよね。そこまで心配される程ではないわよね。
婚約者といっても、今はともかく昔はあまり接点がなかったのだから。
自分が好かれているなんて思い上がりも良いところだった。
──私たちの関係はあっさりしているくらいでちょうど良いのよ。
「でも説明くらいは必要でしてよ。驚きましたし、肝が冷えたわ」
「今日に至っては二人きりになる暇がなかったんだよ。都合の良いタイミングを逃すつもりもなかったし」
「まあ、そうですわね。まあ、淑女を長時間放置するのはいかがかと思いますけれど」
素直に申し訳なさそうな顔を向けられる。
「すぐ戻るつもりだったんだ」
思っていたよりも書類が山積みになっていたらしい。書類を集中して捌いてきたのか、どこか疲労が滲んでいる。
「殿下はそうやって何もかも勝手に決めてしまいますのね。私のことを心配してくださったようですけれど、直接接触される可能性が高いのは殿下もですわ。私よりも殿下の方が心配ですわ」
「ルチアの魔法があるからね。その辺りの対策はこちらでも考えておくよ。……それとアリス。明日から仲の良い婚約者のフリをしてくれる?」
アーネストの提案に思わず振り向けば、「今凄い顔で睨んだよ」と彼は苦笑している。
「不本意なのは分かるけど」
「事後承諾をさせるつもりでしたわね」
彼がアリスに今更ネタばらしをする理由として、確実に巻き込みたかったからという理由も多少はあったのだろうと思う。
巻き込んでしまったら、後はやるしかないのだから。
アーネストは無駄なことは基本はしない主義だと思う。冷徹……という評価が一番しっくり来るのだろう。
アリスが消えたことで動揺したと本人は言っていたが、それが本当かどうかは今は関係ない。どちらかも見当がつかないため、とりあえずそれは置いておく。
問題は、彼は自らの感情ですら策に使うことが出来るということだ。動揺してもしなくても、彼の頭脳は常に先を考えている。
「ここまで来たら協力してもらおうと思ってね。何かするつもりのアリスを放置するより協力した方が結果的にはアリスを守ることにも繋がるし」
アーネストがアリスを守る?
今まで交流してきた中で、このようなことを婚約者に言われたこともなかったし、言われたいとも思っていなかった。
「アリスはしっかりしているけど、僕より年下の女の子なんだから、頼る時はお兄さんに頼るんだよ」
思わず仏頂面になるのを堪える。
笑えない冗談。兄のような存在だと思ったことなど一度もなかった。
むしろアーネストの兄弟たちとの方が交流があったのではないだろうか。
どの口がそれを言うのだと本気で思ったので、わざと涙腺を弛ませて、涙を溜めて見上げてみる。
「酷いですわ。私にあんなことをしておきながら、今更兄と思えなんて……」
我ながらわざとらしいと思いつつ、泣き落としは効くのか実験してみた。
──まあ、殿下のことだから、嘘だって見抜くと思いますけど。
アーネストの顔を覗き込めば、彼の顔は青ざめていた。
──え。気付いていないの?
「ごめんね。わざとではないんだ」
彼は焦ったまま、ポケットの中からハンカチを取り出すと、アリスの目元の涙を拭いてくれる。
「少しでも気が休まるかと思っただけで、嫌な気分にさせるつもりはなかった」
アーネストは罪悪感に苛まれているようで、苦しげな表情をしていた。
アリスはそっと首を傾げた後、やがて悪戯めいた笑みを浮かべた。
「殿下。冗談ですわ」
ふと、彼は脱力する。アリスの一言は、彼にとっては少しやりすぎたかもしれないと反省する。
「良かった。本当に泣いていた訳ではないんだね」
「え? そっちですか?」
彼にとっては嘘を吐かれたことよりも、アリスが泣いているかどうかの方が重要らしい。
──そんなのって。
形容しがたい切なさにも似た感情が湧き上がってくる。
別に、彼のことを再び好きになった訳ではなくて、ただ温かな何かが胸を満たしていくのだ。
それを心のどこかのアリスが拒んでいる。
その不思議な感情の追求はせず、アリスは振り切るように言った。
「……分かりましたわ」
「ん?」
「こうなったら徹底的にやらせて頂きますわ。殿下の策を」
「引き受けてくれるの」
「そうせざるを得ない状況に追い込んだのは貴方でしょう?」
アリスの不敵な笑みは、どこか妖艶でその決意は壮絶に美しく、アーネストは思わず息を飲んだ。




