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  アリスとアーネストは婚約者同士といえども、あまり接点を持って来なかった。交流というものをして来なかった。

  社交界に出る上のパートナーではあったが、アーネストは余所行きの笑みをくれるだけで、打ち解けたことはおそらくない。

  アリスは正妃になることを見据え、ただ正妃教育をこなす為に王宮に通う日々。優秀だったアーネストは王太子として、日々の政務を若い頃からこなす。

 ──名ばかりの婚約者みたいだわ。分かっていたけれど、政略結婚の冷めた婚約者同士といっても言い過ぎではないわね。

  出来るかどうかは別として……聖女ならば王太子の結婚相手には見合うのではないだろうか。

 ──少なくとも私よりは。あそこまで打ち解けていたのですもの。

  例えばの話。婚約破棄後に牢屋行きということもないだろうと思う。それならいっそのこと……とも考えてしまうがそうは問屋が卸さない。

  アリスは公爵令嬢である。この世界に実際に過ごしてみて実感したことは、公爵という階級の責の重さだ。父と顔を合わせることが少ない時点で推して知るべし。

  国務大臣である父の一人娘として、正室に収まる予定だった者が側室へと降格してしまえば、口さがない噂は必須だ。公爵家としては政治的にも影響してしまい、面倒な後始末に奔走する羽目になる。

  つまりは婚約破棄は現実的ではない。

  その他、政教分離だとか色々と理由は付けようと思えば付けられるが、聖女と王太子が結ばれることは現実的ではないことも分かっていた。


  貴族の権力関係は危うい均衡の上に成り立っており、この婚約も様々な根回しの上、貴族社会に納得された上での婚約なのだ。

 決まりきった婚約は覆せないし、これはアリスの感情で決められるものではなかったのだ。

 ──そう。これは現実。アーネスト様が私のことを心の底から嫌っていたとしても変わることのない事実だわ。どうにかするためには情報を整理しなければ。……何か私は重要なことを忘れているような?

  思考の海に沈みそうになった時だった。軽いノックの音と聞きなれた侍女の声……にしては幾分か慌てたような声だった。

「アリスお嬢様! お寛ぎのところ失礼いたします。王太子殿下がいらっしゃっています!」

「え!?」

  突然の来訪だ。心の準備も出来ていないというのに。

  慌てて立ち上がった瞬間、侍女の慌てた声。

「で、殿下。お嬢様はまだ、」

「もう下がっていてくれる?」

  困惑する侍女の声と、アーネストの声がドアの向こうで聞こえて、混乱した。

 ──嘘。もういらっしゃってるの?



  公爵令嬢であるアリスの元に同じ年頃の男性が赴くことは、婚約者を除いて皆無だ。あまつさえ、二人きりになることも。

  王太子であるアーネストがアリスの元を訪ねて来たのは、夜会から二日経った頃だった。

「ご機嫌いかがかな。僕の可愛い人」

「あら。アーネスト様。夜会以来ですわね。執務の方はよろしかったのですか? お忙しいでしょうに……。ふふ。お会いできて、嬉しく思いますわ」

  それにしても突然の来訪だった。相手はこの国の王子なのだから文句を言う気など更々なかったけれど。

  侍女にお茶を用意してもらい、貴賓室へと向かおうとしたところ、アーネスト本人に「ここで良いよ」と言われてしまい、現在は自室。

 ──今日も胡散臭い笑顔だわ。友人の方々とか、ルチア様などにはもっと砕けた話し方をされる方なのに。

  二日前のあの事件以来、アリスは彼の前では淑女の仮面を貼り付け、怪しまれないように振る舞うことを決意はしたが、心がまだ付いて来ないチグハグな状況だった。

  怪しまれてしまっては今後、どう行動するにも差し障ってしまうって分かっているのに。

「今日は元気そうだね。最近、眠れていなかったようだから」

  何故、知っている。

「ええ。最近、夜寝る前にアロマを焚いているのです」

  廊下に繋がるドアをガチャリと開けながら答えていれば、苦笑する声。

「残念。二人きりだったのに」

「あら。アーネスト様も冗談を仰ることがおありなのですね」

  そっと手を取られて、反射的に顔を上げれば間近で合わさった目。

  優しげに微笑まれてしまえば、心臓の音は高なってしまう。

 ──嘘臭い笑顔なのに、なんて甘い顔をするのかしら。

  アーネストの考えていることは分からない。これが対婚約者用の営業スマイルとやらなんだろうか。

  笑顔で躱すのは社交界の常識ではあるが。

  アリスはぶっ込んでみることにした。

「ルチア様の様子をお聞きしても良いかしら?」

「え? 良いけど、何故?」

  不審そうにされるのは心外だったが、ここは開き直ることにした。

「この国で重要な方ですもの。気になってしまうのは当然では?それに、あの方の不思議な雰囲気に惹かれてしまうこともおかしくはないですわ」

  自然に笑みを浮かべることが出来ただろうか?アーネストに疑われたりなんてしていないだろうか?

  婚約破棄されることはないとしても、彼の愛する(予定の)人と良好な関係を持っていた方が、この後何かと都合が良い。

 ──こうやって感情でものを考えない人間になっていくのね。

「神殿には様々な人が訪れているよ。僕も時折話すけれど、良くも悪くも裏表のない方だ」

「やはり、神殿にはたくさんの方がいらっしゃるのですね」

  政治的にも聖女は関わり合いになることがある。この国は精霊の加護を受ける国だから。

「騎士団長のユリウス様も出かけられたのでしょう?」

「それはそうだけど、君、詳しいね。まさか、アリスも神殿に向かったの?」

「いいえ、まだ伺ってはおりませんが、近日中には伺う予定ですわ」

「行かない方が良い」

  険しく、悩ましげなアーネストの表情は、酷く憂鬱そうに顰められている。

 ──え? 何故なの?

「別に、政務に関係ないアリスはあの子と顔を合わせなくても良いんじゃないかな」

「え……ですが」

  まさか止められるとは思っていなかった。彼女を害することすらしなければ、様子を窺うためにも少しは接触出来ると思っていたのに。

  椅子から立ち上がった彼はこちらに近付くと、座ったままのアリスの顎を掴む。

「ごめんね。少しだけ黙って」

「……んっ…」

  ふいに重ねられた唇。誤魔化すような軽い口付けが続けられた後、そっと顔を離される。

 ──これは酷い。

  何か関わって欲しくない理由があるのは分かっていたが、キスで誤魔化されるとは。

「顔が真っ赤だね」

「あの、アーネスト様。その……見過ぎです……」

  熱の篭った目で見つめているのはアリスの唇。 気恥ずかしいどころじゃない。

「アリス」

  手を引かれそっと立ち上がらされて、男性らしい節くれ立った指がアリスの肩を優しく掴む。

「アーネスト様、あのこれは……」

「抱き締めているだけだよ」

  それは分かる。優しく掴んだ手が引き寄せるから、アリスは彼の腕の中に抱き込まれる形になった。心地良い好きな人の香りにむせ返りそうになる。

「随分、薄着だね」

「ええ……。でもデザインは可愛らしいでしょう?」

「うん。可愛いね」

 ──可愛いって。いえ、それは服のことだわ。

  有頂天になりかけた自分の思考を押さえ付ける。アーネストの言葉はあまり信用していない。

「人が多いから、神殿に行くのはおすすめしないよ」

  こう言ってはいるが、アリスには後日監視が付けられるだろう。基本的に信用はされていないんじゃないかと思っている。

 ──でもそれはこちら側も同じ。

  行くなと言われていない間は、まだ神殿に向かうことが出来る。

  監視の目は緩むことはないだろうから、好機は最初で最後。様子を見ることが出来るのも最初で最後だ。

  ふいにアリスの唇を彼の指がすり……と撫でる。

  目を合わせた瞬間に、唇には再び熱が触れ、柔らかく食まれる。彼のキスの意味は分からない。それこそ、誤魔化すためのキスなのかもしれない。

  ただ、ここで拒むよりも受け入れた方が後々動きやすいのではないか、とまたもや感情ではない部分が働いてしまった。

  男性は好きな相手でない人と唇を重ねることが出来るかもしれないが、女性は多少なりとも好きでなければ無理だ。それをアーネストは本能で知っているからこそ、ここで受け入れればまさか彼の望まない行動をするとは思わないだろう。

  分からないなりに手を伸ばして、アーネストの上等な上着に手をそっと置いた後、そっと背中に手を回した。

  その途端、深くなる口付けに、この行動が間違っていなかったことを知る。

「んっ……はぁ……」

「……アリス…っ」

  顔を逸らして唇の隙間から熱い息を零せば、全てを奪ってやるとばかりに、男の唇が隙間を埋めるように口付ける。

 ──本当に、これは酷い。

  お互いに相手を利用することしか考えてないのでは?アリスはアーネストの油断を誘うため。アーネストは欲を発散させるため。

  アリス自身、自分がろくでもないと、この瞬間、思っていたが、アーネストも所詮ただの男だった。

  国民に慕われ、容姿端麗で文武両道ながら性格も王子様然とした貴族女性たちの憧れの的。剣を持っても騎士団長相手に戦えるらしく、騎士たちにも尊敬されていると耳にしたことがある。

  女性に言い寄られても、スマートに回避する柔軟さと、女性関係の噂など立たない清廉さ。

  そんな完璧な存在だけれど、結局のところ。

 ──所詮、男性の方ってこんなものなのね。

  熱くなる口付けと裏腹に、アリスの心はどんどん冷めていったのである。

  引き寄せる腕は力強く、まるでアリスを女として求めているように思えたのは、きっと幻想だ。

  都合の良い夢物語。

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