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「じゃあな。お二人さん。上手くやれよー」
「追手に捕まらないようにな!」
アリスたちが料理屋を出る時に、人々は口々に応援してくれた。
見も知らぬアリスたちに激励と祝福を与えてくれたことから、とても良い人たちなのだということが分かる。
だからこそ、アーネストに一言物申してやりたいことがあった。
「あんなに流れるように口からデマカセを……。一体どういうつもりでしたの?」
「流れるように嘘をペラペラ言ったかな? 嘘はほとんど言っていないよ。あえて言うなら駆け落ちの部分だけ」
確かに、周りの客が答えを導き出していっただけで、アーネストはそこまで答えていないのである。
「婚約者が変になったのも、式を挙げるのも嘘じゃない」
「確かに、嘘ではないですわ。ですが意味合いは変わってきますわ」
「それで良いんだよ。目的は果たした。彼女に対して効くのは、情報による印象操作だ」
血迷っているのかと思いきや、見上げた先にある瞳は冷静さそのもの。
どうやらお遊びはもうここまでらしい。
「此度のルチア様に関する悪い噂は、アーネスト様が絡んでいらっしゃいますの?」
楽しそうに実験結果を見るかのような表情をしていたアーネスト。ルチアに関する、神殿にもダメージを与えそうな噂の数々。
それをアーネストがばらまいたということは、彼もルチアに対して相当警戒しているということ。
過去にルチアと仲良さそうにしていた頃の面影は全くと言ってなかった。
「もう、ルチア様のこと敵として見ていらっしゃるのね」
「そうだね。人の感情を操るような存在は国を破滅させるとしか思えない。この僕ですらその対象なのだから」
「あんなに仲が良さそうにしていらしたのに」
アーネストはかぶりを振った。
「彼女のことは純粋に敬っていたけれど、それは本物じゃないからね。僕にとって最も大切な部分を土足で汚されたから。噂を散々流したら、後は彼女の行動次第だよ」
アーネストは一度敵と見定めると、その者には容赦をしない主義だった。
密通、謀反などといった裏切り行為は特に嫌悪しており、そんな素振りもないのにいつの間にか潰しにかかっているのがアーネストのやり方だ。
その甘いマスクに似合わない程の冷徹さ。
──そういえば殿下は頑固なところがあったわ。
「聖女は風評被害にどこまで耐えられるのだろうね? ……まあ、風評被害も何も本当のことだけれどね」
黒い笑みを浮かべる彼を見て、これは相当ご立腹なことが分かる。
「ルチアには悪気がないのだろう。悪気はなくとも平気で人を傷付ける人間ということだ。悪気なく人の婚約者を奪い、罪悪感を抱くこともないんだ」
そもそも悪気のある人間は聖女になれない。
だからこそ、ルチアが何を考えているかは分からないが、彼女の在り方はとても残酷だった。
「誰も救われない展開ですわね。周りの人たちもルチア様自身も」
この国の行先はどうなるのだろうと憂いているだけなら楽だが、実際アリスとアーネストは国民の生活を守る重い立場になるのだ。
確かに、その責任を持つ者として、ルチアに支配されていればこの国の未来は破滅的だった。
「ルチア様は何を目的とされているのか読めないのです。……時々、思いますの。もし精霊の言葉を聞く能力を持つのが、崇高な目的を持った方だったらと」
「そうだね……。人間には過ぎた力だ」
大きすぎる力を持って、一人の少女が国すら危うい状況にしているなんて悪い夢を見ているようだった。
「結局のところ、過ぎた力を持ったら、その力に溺れてしまう人間の方が多いのだろうね」
「同じ魔法でも魔術師は皆、節制しておりますわ」
言ったところで、ルチアの持つ力は桁違いの代物だったことを思い出す。
「そうでしたわ……。魔術師には何かと制約があるけれど、ルチア様のお力はある意味無尽蔵と言っても過言ではないものでした。……私、ルチア様が何を目的としているのか分からないのです」
彼女は何が欲しくて、周りを魅了し続けるのか。優越感? 全能感? それとも?
「アリスが読めないなら僕はお手上げだ」
「殿下は肝心のルチア様と接触出来ないですものね」
「離れてみて分かったけど、彼女は何かの加護か魔法を使っているのは確実だ。気のせいとかそんなレベルじゃない。ちなみに今の僕は彼女に嫌悪感すら抱いているくらいだから」
「本当にこうも変わりますのね。あの時の私はお二人があまりにも仲良さげで、悩んでいたくらいで……」
ここまで言いかけたところでアリスは固まった。
これでは嫉妬していたと告白しているようなものではないか。
内心まずいと思いつつ、見逃してくれないかと期待をしていたが。
「それは、どういう意味?」
緊張しているようなアーネストの固い声。
「べ、別に……」
不自然に目を逸らして、それで許してもらえるなんて思っていなかった。
「僕とルチアが仲良くしていて、君はどう思った?」
「どうも思いませんでしたわ」
明らかに分かる嘘をついたせいで、彼の中に火を付けたようだ。
「少なくとも、気になってはいたのではない?」
「どんな噂が立つか分かりませんもの。政治的にも関わりが大きいですし、気にしたり悩むのは当然ではなくて?」
「悩んでいたと言っていたけど、君は政治的なあれこれで悩むような質ではないよね?」
アーネストの全てを見透かす視線が怖い。
アリス自身でも気付いていなかったが、何か問題が起こったとしてもアリスは迷わない。
その場その場の最善を尽くすのみだからだ。
僅かに固まってしまったのが命取りだ。
「やはり、僕の勘違いではなかった」
「何が、ですか?」
目ざとくアリスの反応を窺っていたアーネストは追撃をする。
「君は僕に恋をしていた時期があったよね?」
それは真実だ。今では彼に怒りを覚えるくらいだが、かつては好きだった時期があった。
それを本人に指摘されるのは微妙すぎる失敗ではあった。
──あの頃の私の気持ちはダダ漏れだったのかしら?
アーネストはアリスの目元を優しく撫でて言った。
「アリスの目が、僕を好きだって言っていた。そういうのは…目を見るとよく分かる」
「それが本当だとしても過去の話ですわ。どっちにしろ今は何も思ってはおりませんもの」
「僕はあの頃、何を間違ったのだろうね?あの頃僕達は……確かに一つになれた気がしたのに」
その目に浮かぶ悲痛さから目を逸らす。
全てが間違っていた。
アーネストと口付けを交わしたことも、抱き合ったことも、全て。
そういった行為を中途半端にしたせいで、アーネストには何かの未練が残っているに違いない。
「君とのキスもずっと覚えているし、何しろ君の切ない表情も全部」
──私と触れ合った時間は短い。それでも殿下は、あの頃の私に戻って欲しいの? まだ、あの時のキスを覚えているの?
「今の君の目を見ると、分かるよ。君はもう僕を好きではないって」
「殿下、あの時のことは全てなかったことにしませんか?」
アリスの提案に、彼は悲しそうに目を伏せると、やがて切なげに微笑した。
「絶対になかったことにはしない。アリスが何を言おうとも、絶対に」
なんて強情なのだろう。アリス自身が「もう止めよう」と言っているのに。
しばらく無言で歩いていれば、周囲の空気が変わってきたのが分かる。
「あら?」
アーネストの目線を追えばそこは人だかり。
「貧民街には入らないところで食事を配るようですわね」
「聖女の身の安全上仕方ないことだね」
相変わらず白いドレスに身を包んだルチア。
彼女はいつもお気楽に笑っている。
聖女であるルチアを久しぶりに見たが、彼女は相変わらず笑っていた。
少しでも彼女の事情を掴むことが出来たら良いのだが。
「噂はどう作用するかな」
唐突に始まったボランティア。彼女の目的は何なのか考えなければならないのに、アーネストの言葉が耳から離れなかった。
絶対になかったことにはしない。




