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「アリス様。この部分はどうなさったら良いのかしら?」
「ここは、この隙間に潜らせて……」
「……! 上手く出来ましたわ!」
白く塗った椅子に、それとお揃いに作られた机やソファ。幾重にもベールが重なったデザインと、細い金属が拵えられた装飾品。
白い生地にシンプルかつ上品な模様が走る絨毯。
白い机の上には裁縫道具と色とりどりの糸や布地が広げられている。
アリスが裁縫を教えている相手はジュリア=バーンズ。
裁縫が少し苦手と言っていたが、アリスが見る限りコツを掴んでしまえば、上達が早いタイプだ。
「少し裁縫が楽しくなりましたわ」
ご機嫌そうな口調で続きに取り掛かるジュリアを横で、もう一人の淑女がクスリと小さく笑みを零した。
「ふふ。女性同士で集まって裁縫をするのも楽しいですわね」
どこか儚げな雰囲気を持つアリスより二歳年上の女性。色素の薄い金色の髪と、澄んだアメジストの瞳の女性はマーガレット=フィールズ伯爵令嬢。
ユリウス=ランドルフの婚約者。
ルチアがボランティアをするらしいという情報を得た後、当初の目的であるユリウス=ランドルフと接触することに成功したのだが、偶然なのか神の思し召しなのか、ユリウスは己の婚約者を連れていた。
突然過ぎて心の準備が出来ていなかったがマーガレットとの面会が叶ったのである。
以前の会話からか、アリスを味方だと思い込んでいるユリウスには何も不審に思われることなく、彼女をお茶会に誘った。二人きりでは気後れするかと思い、ジュリアも巻き込んだ末、この小さなお茶会が開かれている。場所はアリスの住む屋敷だ。
今回の本題にはなかなか入ることが出来ないまま、淑女三人の交流が安穏と過ぎていく。
「このケーキ、かの有名パティシエの作られたものなんですって」
ジュリアは美味しいスイーツを持参してくれた。
「道理で頬っぺたが落ちそうな程、幸せな味がすると思いましたわ……」
「あらあら。アリス様もスイーツを目の前にすると、こんなに可愛らしいお顔をなさるのね?」
頬を押さえてうっとりとしていれば、マーガレットはこちらを微笑ましそうに見つめてふんわりと笑っている。
ほわほわとした可愛らしい女性だ。
──それに、とても品のあるお方だわ。
一つ一つの仕草がおっとりとしていて癒される。
──こんな素敵な女性が蔑ろにされているなんて。
それはどうしても許されないことだし、彼女にはユリウスより相応しい相手がいるのではと思ってしまう。
──なかなか切り出せないわ。
彼女がどの程度、思考を蝕まれているか確認したいけれど、単刀直入に切り込むのも憚られた。
「甘いものは好きなのですが、制限させられてしまいまして……。だからスイーツを口に出来る日は舞い上がってしまうのです」
プロポーションを保たなければいけないとかで、普段から制限をされているが、正妃になるのなら仕方のないことでもある。
正妃たる者、女性にも一目置かれる存在でなければいけないと、耳にたこが出来る程教えられていた。
「正妃教育も大変そうですわね。嫌だったらいつでも言ってくださいね? こっそりケーキを送りますわ」
痛ましそうにジュリアが言ってくれたが、その提案には思わず笑みが零れる。
──つまみ食い……。きっと怒られるでしょうね。でもそれも一度やってみたい。
少し型から外れてみたいとも思ってしまう。
ふと、マーガレットも痛ましそうに眉根を顰めて辛そうに俯いた。
「正妃教育で大変なのもおつらいですが、何よりアーネスト殿下と最近上手くいっていないと小耳に挟みましたが……。突然、不躾に申し訳ございません……」
どうやらアリスとアーネストの関係を心配してくれているらしかった。
「ご心配には及びませんわ。噂程、酷くはありませんから」
最近の彼はルチアから距離を置いているようだし、最悪な事態は回避出来ている。
「マーガレット様。ルチア様についてはどう思います?」
──ぶっこみましたわね。
ジュリアの援護は直接的だが、アリスが一番気になっていたことだ。
マーガレットはぱちりと目を見開いた後、ぽつりと零した。
「最初は納得出来なかったのです……。どうしてルチア様なのか、婚約者である私を差し置いて他の女性に夢中なのですもの……」
マーガレットは苦しげに語る。当時の憂いを呼び覚ますかのように。
「でも……」
彼女は顔を上げる。その顔は、複雑そうな色を残しながらも何かに納得した表情で。
「最近は、彼に連れられてルチア様にご挨拶しているのですが不思議なことに……。ユリウス様が好きになるのも分かるような気がしてきて……。あんなにルチア様のこと恨めしいと思ったはずなのに」
「私の友人たちと同じだわ!」
不自然すぎる程の感情変化に戸惑うマーガレットの告白に、突然立ち上がったのはジュリアだった。
「私の友人たちも皆同じことを言っているの!」
敬語も何もかもを取っ払った彼女は興奮して言い募る。
──いえ、まだ違う。彼女は間に合うはずだわ。
「マーガレット様はまだ、ご自分で疑わしいと思う部分がございますのね。貴女は何かに戸惑っておられるようだわ」
マーガレットの目に見え隠れした戸惑いと悲しみと苛立ち、それら全てがまだ引き返すことが出来る証拠だ。
「ええ……。それでもやはり納得出来ない自分もおりますの。こんなこと、誰にも相談出来なくて……。聖女様のことをそんな風に」
きっと恐れ多いと思っているのだろう。マーガレットの顔は青ざめている。
つまりは、恐れ多いと思って自分自身を罪深いと思い悩むくらいには、洗脳が進んでいるということ。
アリスは彼女の手にそっと自分の手を重ねて握り締める。
「今まで辛かったでしょう? ……でも、その違和感は間違っていませんわ。婚約者を奪われて何も思わないなんて不自然なことなのですから」
「でも、皆さんだって、聖女様のことを尊敬しておりますわ……。アリス様だって忠誠を誓われて……素晴らしいことです」
「私の忠誠は打算的なものです。それが自分自身が納得しようとしまいと」
それならばアリスは最も狡猾で、罪深い人間になってしまう。
──何しろ、私は聖女を欺いた。
「アリス様は、本当にルチア様に忠誠を誓っている訳ではないんですよ」
ジュリア様が説明してくれる。
「内心、ずっと思っていましたの。ルチア様の振る舞いは褒められることではないと。貴女の考え方は何ひとつとしておかしくありませんわ」
だから胸を張って、罪悪感に囚われる必要などないのだ。
むしろ、疑ってかかるべきだとアリスは思っている。
アリスはマーガレットに手を差し出して、優しく微笑む。
「こうは考えたことはございませんか? 周りの皆様方が何かおかしいと」
「アリス様? 何を……」
戸惑うのも無理はなかった。
「これは貴女の悩みを払拭する一つの方法なのですが……」
だけど、何かが変わるかもしれないなら試すべきなのだと思う。
エリオットがルチアを目撃した時の、彼の普段通りの反応。確かに同じ空間に居たはずだったのに、何も感情の変化を起こさなかった彼を見たアリスの仮説。
マーガレットは現状だと、婚約者に連れられてルチアと接触しているらしい。挨拶という名目で、ユリウスが引っ張って行っているらしい。
自分の婚約者をルチアの前に連れていく時点で、ユリウスは頭のネジが緩んでいる気がするが、この際それは置いておく。
何かが変わるとすれば。
「ルチア様に接触する機会を減らしてみてくださいませんか?」
マーガレットに伝えたこの方法が唯一の方法なのかもしれないのだ。




