11
ユリウス=ランドルフは侯爵家の者だった。
代々、騎士を輩出してきた名家であり、今代のランドルフ侯爵は騎士団長にまで出世している。
その騎士団長の長男がユリウス=ランドルフであり、剣の腕に秀で、優秀であることから次期団長候補筆頭と言われていた。
言われていた。というのも、最近のユリウスは勝手に聖女の護衛を行うという暴挙に出始めたからである。
まだ一人前でもない彼が、自主的に始めたそれは賛否両論だ。
素晴らしい騎士精神だと言う者も居れば、聖女に望まれもしないのに出しゃばるな!とも言われているらしい。
せめて報告、連絡、相談を怠ってなければ、もっと評価が高いはずなのが、腑抜けてしまってからはその管理も杜撰らしい。
壁の花になるに最適な、料理が置かれているところから少し離れた空白の空間。部屋全体では、隅である場所には数人の使用人が疎らに立ち尽くしているだけだ。
人の目に付かず、周りにおかしな誤解を受けない場所且つ、話が聞こえない程度に使用人から離れれば問題はないだろう。
「それで、お話というのは?」
十中八九ルチアのことだろうが、あえて首を傾げれば、彼は意味ありげに笑った。
──何かがおかしい。
「アリス様は健気な方ですね」
──突然賞賛される意味も分からなかった。
「何が仰りたいのですか?」
「いえ、ほら。アリス様はアーネスト殿下のことがお好きなのに身を引いたと専らの話題ではないですか」
「そうですわね。ルチア様には幸せになって頂きたいですし」
本心で思ってもいないことをポロリと零せば、ユリウスはアリスの手をそっと握った。
「つまりは……好きな者のために身を引くことが、どれだけ胸を引き裂かれるように辛いか。それを知るのは私たちだけでしょう?」
ユリウスは完全に誤解していた。アーネストに対して嫌悪感を覚えるようになったアリスと彼ではまた別だというのに。
それはおくびにも出さず、アリスは彼の本題は他にあるということを見破った。
──何か、含みがあるように見えるわ。でも、それよりも先に。
単刀直入に聞く前に話を長引かせて、彼の身に起こった状況を聞き出さなければいけない。
彼がどこまでルチアに心酔しているのか。彼の周りの対応など。出来れば、彼の婚約者である者にも話を聞いてみたい。
何故、彼はルチアを好きになったのか?
出来るだけサンプルを得たいところだった。こうなってしまったら、他に手立てはないのかなど、試してみなければ何も分からない。
「貴方のお話を聞いてみたいですわ。ルチア様との出会い、とか。他にもたくさん」
「貴女は、僕と同じような思いを抱える同士なので、話す分には構いません。というよりも、最近の貴女の話題を聞いていたら話をしたくなりまして」
「話題? ルチア様に謝罪をさせて頂いた事でしょうか?」
「そうです。貴女は、ルチア様に忠誠を誓われていたでしょう?そのお姿を見て震えました。王家に連なる方が、貴女のような方で良かった」
「本当にあの方のことお好きなんですね」
「噂を聞いたこともありましたし、遠目でチラリとルチア様をお見かけしていましたが、実際にお会いした瞬間はそれ以上の衝撃でした。このユリウス、その瞬間に恋に落ちたのです」
「一目惚れ……でしたのね」
実際には一目惚れではないだろう。以前からお見かけしていたのだから。
──何かが引っかかる。
頭を過ぎりかけた正解が分からず、首を傾げるも話はまだ続く。
「彼女は人気者ですからね。あの方をお守りしている者は多く、あのお方のお姿を一目見ようと通う者は多いのですよ」
いわゆる、通っている者たちこそ、ルチアに心酔している者たちなのだろう。
「私にとっては初恋だったので」
「……はぁ」
「そういった者は多いと思います。ですから私たちは彼女を共有することに決めたのです。幸い、彼女は穢されてはいけない存在ですので」
話の方向が何かおかしい。
「何を仰りたいのでしょうか?」
「貴女には王太子殿下の手綱をしっかりと握って頂きたいということです。彼女を失う訳にはいきませんので」
──なるほど。そういう話だったのね。
「実際に彼女が聖女であることと純潔であることに繋がりがあるかは証明されてはいませんが、念の為です。もちろん、問題ないようだったら、彼女が王妃というのも……」
──完全に頭の中がお花畑と化しているわ!
まず、彼女は一般的な礼儀作法すら危ういというのに、正妃教育に耐えられるのか?
「私の仲間も皆、ルチア様が喜ばれているのは嬉しいのですが、結ばれる訳にはいきませんので、こうして声をかけさせていただいた次第です」
「……はぁ」
こちらがドン引きしていることに気が付かずに、いかにルチアが可愛らしくて美しいか、いかに愛嬌があるか、いかに笑顔が光り輝いていて妖精がそこにいるように見えるか、そういったことを延々と語られている。
──気になることを一つ聞いたけれど、後の会話は生産性がないというか……。同じことの繰り返しというか……。
うんざりしかけた頃、
「ごきげんよう! アリス様!」
アリスに声をかける声。焦げ茶色の髪に同じ色をした瞳。にっこりと浮かべる笑みは令嬢らしく上品で。
「お話中にすみません! お約束していたので、ついお声がけしてしまって!」
令嬢はパチリとアリスにウインクをする。
この場から連れ出してくれるらしい。
「ああ……。長話をしてしまって、申し訳ございません。アリス様。長い間、貴女を拘束してしまいました」
「いえ、貴重なお話をありがとうございます。それでは、私はこちらの方と約束がございますので失礼致しますわ」
やっと! 解放された!
令嬢に手を引かれ、バルコニーへと出ると開放感からか、思わず肩を撫で下ろし、息を大きく吐いた。
「……ありがとうございました。キリがなくて少々困っていたところですの」
「アリス様の目が珍しく、死んだ魚のような目になっていくのが見えたので、つい」
「貴女は確か……」
確か情報によると、この令嬢は……。
「ルチア様に長年の婚約者を奪われた令嬢その三ですわ」
目に宿る敵意は、もちろんアリスに向けられたものではない。ここには居ない誰かだ。
「……ジュリア=バーンズ様ですわよね」
名前と顔は一致している。確か、子爵令嬢だった。ルチアに籠絡された男の一人が、この令嬢の婚約者だったらしい。
「失礼なのはご承知で一部始終を聞かせて頂きましたが、先程のご様子からアリス様は私と同じような心境ではないかと思いまして」
「同じ心境ですか?」
「アリス様は忠誠を誓われたと言われておりますが、先程のご様子からフリをなさっているのだと確信しました」
──顔に出ていたということ? 気を付けなければ。
バルコニーから見える庭を眺めながら、ぽつりぽつりと語られた内容に驚愕した。
「私が婚約破棄をされた後、酷い風邪を拗らせまして、しばらく夜会にも出ずに引きこもって過ごしていたのですが」
「それで今日がお久しぶりの夜会だったのですね」
「そうです。そして先程、私と同じように婚約者をルチア様に奪われた令嬢たちとも会ったのですが」
ジュリアは頭を抱えていた。深い溜息は憂いを帯びて、バルコニーの柵に身を預けながら彼女は呟いた。
「その令嬢たちは皆、以前は私と同じような意見だったはずなのに、久しぶりに会ったら『ルチア様なら仕方ありません』と皆口を揃えて言うのです。あまりにもルチア様が肯定されていて、まるで洗脳にしか思えませんの。まるで精神汚染だわ。私は未だに釈然としませんのに! これ、私がおかしいのかしら? ルチア様は敬うべき人だけれども、女性としては複雑な思いは抱えてしまうものでしょう?」
それとこれとは別だと彼女は言う。
確かに、婚約者を奪われた側までルチアを全肯定していくのは、いささか不自然だ。
──こんなの、ルチア様とそれに惹かれた男性たちに都合の良い展開すぎるわ。
そうなのだ。都合が良すぎるのだ。アリスのように何かしら問題─冤罪だが、ワインぶっかけ事件のような─を起こした令嬢は居ないことが不自然だとは思っていた。
「私もしばらくしたらああなるのかしら」
ああなる、というのは、ルチアを全肯定する都合の良い女性たちを意味しているのだろう。
ちなみにどさくさに紛れて例の石を触らせたら、無反応だった。
耐性がある訳でもないということは、他の令嬢たちと決定的な違いがあるということを意味して、彼女たちの大きな違いといえば。
「これは私の推論なのですけれども、ジュリア様以外の令嬢は、ルチア様とお会いしているのですか? その方たちからは何か聞いていますか?」
「ほら、婚約者たちが挨拶する時に連れていかれるじゃないですか。婚約破棄はまだらしいので、その度に連れて行かれていたとは思いますわ。私は風邪を引いた際に全てなかったことにされていましたけれど」
遠い目をしている令嬢に同情する。男としても人間としても、その婚約者はゴミ以下である。
「婚約破棄する予定なのに、令嬢たちをルチア様に近付ける意味が分かりませんわ。殿方たちは、彼女らの気持ちに寄り添うことが出来ないのかしら?」
「婚約破棄するけれども、ルチア様の素晴らしさをお伝えしたいとかほざいていたらしいですわ」
なんて脳内お花畑か。アーネストもいずれこうなるのかと思うと、頭痛が酷くなる。面倒な何かが待ち受けている気しかしないからだ。
「それで実際に挨拶しているうちに、何かありましたのね?」
「いえ、特には。毎日、挨拶していたらルチア様が素晴らしく清い方だと気付いたそうですわよ」
完全に洗脳か、何かにしか思えない。
「つまり彼女に会わなければ、問題ないということなのかもしれませんね」
アリスが思うに、会うという行為自体が意味を成すのではないだろうか?
「私、皆のようにああはなりたくはありません!」
「そうですわね……。これは、もうやってみないと分からないのですが……」
女性たちをルチアから隔離したら、どうなるのだろうか? 今まで特に何を言うこともなかった令嬢たち。
彼女たちがその後どうなったのか話を聞くためには社交界に出てもらわなければいけないけれど、ルチアと接触させては元も子もない。
「……! 元婚約者が来ましたわ! 私、洗脳されたくないので、このまま仮病で失礼致しますわ!」
──さて、彼女をこのまま、ルチアの持つ何かに侵食させないために取る行動は。
ルチアも一枚岩という訳ではない、という点に気付くことが出来た。
これはマティアスに報告案件だ。ルチアの周りには彼女を崇拝する者しかいないと思いきや、それは裏を返せば、崇拝する者しか彼女の傍には居られない。もしくは、彼女の傍に居る者は崇拝しか出来ない。
この後どうするか先を決めなければならない。
「グラスをもらえないかしら?」
バルコニーの近くに居た使用人に、もう一つグラスをもらい、口を付ける。
何か思いつきそうで、思いつかないという状況にヤキモキしてしまう。届きそうで届かない歯痒い状況に焦燥感を覚える。
──落ち着かなければ。
気付けばグラスを五つ空けている。そしてその瞬間、声をかけられた。
アリスよりも何歳か年上の男性は、ニコリと紳士的に微笑みながらアリスに目を合わせる。
「美しいご令嬢がこのようなところでお一人でいらっしゃるとは……。顔も赤い……。休憩室へお連れしましょうか?」
「え?」
ふらり、と揺らいだ身体は、男性の手によって受け止められる。
ぐっと掴まれた肩に頭の中で警報が鳴っている。会場と隣り合わせているけれど、このバルコニーはあまり人目がない。覗かなければ何をしているかなんて分かりやしないのだ。
死角になっているからこそ、気付かれにくいという事実に頭の中は冷静になっている。
それでも指先も唇も思ったよりも動かなくて、いつの間にか男性に取られた手を振り払うことすら出来ない。
──完全に飲みすぎた?
これはもしかしてまずいのでは?
腰を引き寄せられそうになった瞬間、別の誰かに腕を引っ張られたかと思えば、その誰かの腕の中に収まっていた。
慣れた香りと気配に瞠目した。
──どうして? ルチア様と一緒なのではなかったの?
見慣れた横顔を眺めながら目を瞬かせれば、地を這うような低い声。
「後は僕が引き受けるから、必要には及ばないよ」
「痛っ!」
自らの身体にアリスを引き寄せながら、強めに肩を掴むせいで指がめり込む。
「僕が休憩室に案内してあげるから」
ルチア様はどうしたのだとか、何がそんなに気に食わないのだとか、言いたいことはたくさんあったのに、アーネストの怒りに飲み込まれていた。
取り残された男性を振り返るまでもなく、足をつんのめらせながら、彼の歩幅について行くので精一杯だった。




