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恋心なんていらない。  作者: 花煉
後日談
122/124

仮面

「何を怒っているの?」


  アリスは答える代わりに微笑みを浮かべた後、すぐに問い返した。

「何故、私が怒っていると思うのですか?」

  質問を質問で返す。

  それは失礼ではあったけれど、アーネストがそう言うからには確固たる証拠があるのだろう。

  そう思った理由を直接聞きたかった。

 ──私の淑女の仮面は完璧なはず……。

  少し思うところがあったとしても、それを察せられてしまったなんて信じられなかった。

  たまたまだと思って、問い返しただけだったのに。

「ずっと見てきたから、さすがに分かるよ。アリスのことだもの。君はね、嘘をつく時、通常よりも笑顔がわざとらしくなる。……判別出来るのは僕くらいだから、致命的欠陥じゃないよ。落ち着いて」

  アリスはその言葉を聞いて一瞬狼狽したのだが、それも笑顔で誤魔化したはずだった。

 ──殿下は、それすらも見破ると言うの?

「でも、それも嘘をついた時の変化でしたわね。何故、怒っているという結論になりますの?」

「アリスって怒ると少し強気になるからね。人前でキスしたら、もっと狼狽えるはずなのに、今日は少しあしらおうとする素振りすら感じた。それに少し挑戦的な目をしてる」

  思わず視線を逸らすアリスに、彼は膝の上にある彼女の手を握った。

「理由は聞かせてくれないのかな?」

 ──これから社交なのに、私たちが喧嘩中なんて知られる訳にはいかないわ。

  弱味を握られる訳にはいかないし、変な噂を立てられるのもごめんだった。

  だから。

「殿下の気の所為ではないでしょうか?」

  誤魔化せるとは微塵も思っていない。

  アーネストはアリスの嘘なんて簡単に見破ってしまうのだから。

  だから、これは追求してくれるなという意思表示。

  アーネストはそれ以上突っ込むことも出来ずに、何かを言いたげにしながらも引き下がった。

  結局のところ、アーネストはアリスが強気になると弱いのだが、アリスはその事実に気付かないまま、この時は無意識に押し切ったのだった。


  馬車を降りてエスコートされる時も、アリスの様子は変わらない。

  思うところがあったからか、いつもように過剰にときめいたりすることもなく、冷静且つ客観的に周りを見ることが出来た。

  周りの貴族たちは、アリスたちの様子がおかしいなど微塵も気付いていない。

 ──だって、いつも通りだもの。


  ダンスを踊る最中に交わす甘い言葉。

  いつもは恥ずかしくなって途中から何も言えなくなってしまうのだけど、今日のアリスは一味違う。

「アリス。君は会う度に美しくなっていくね。少し会わなかっただけなのに、今日もまた惚れ直してしまうくらいだよ。気高く咲く麗しき花が甘やかな香りを振りまいているのを僕はハラハラしながら見つめてしまう。どうか、僕以外の蝶を誘わないで」

「あら、殿下。私は昔から貴方だけを見つめていますわ。だから私が待つのも貴方だけですわ、殿下。もっとも、貴方の方から来てくれなければ私は待ちぼうけになってしまいますけれど。……どうか私に寂しい思いをさせないでくださいね?」

  端から聞けば、己の婚約者に甘える女の言葉。

  このやり取りに違和感などなく、現に周りの人々は、アリスとアーネストが並び立つ姿を見て、ほうっ……とため息を零している。


  普段のアリスならば、こんな風にすらすらと言葉を返すことは出来ない。

  アーネストの口説き文句に対して平然と返せたのは、アリス自身が怒っているからかもしれない。

  さらりと返せたことに我ながら驚きながら、アーネストを見つめて笑っていても、どうやら彼は私が怒っていると知っているからか困り顔だ。

  普段慌てふためいているアリスを知っているから、余計に違和感を覚えているのかもしれない。

  怒っていると妙に冷静になってしまうものなのだ。

「……アリス」

  困ったように笑うアーネストにアリスの方からは何も言うことはない。

  名前を呼ぶ声に困惑が混じっていても、アリスは黙殺するのみだ。

 ──大したことではないのに。

  昔のことを今更言ったところでどうにもならないし、アリスが感情を整理すれば良いこと。

  今のこの時期に揉めて嫌な空気にはしたくなかったし、アーネストも知らないふりをしてくれればそれで良いのに。

「……」

  ニコニコ、と陰りのない笑顔を浮かべる。幸せで仕方ない令嬢は、ただ幸せそうに微笑む。


  アーネストが追求しなければ、それで終わる話なのに。

  ダンスでステップを踏みながら、密着して、腰に回る手に胸を高鳴らせながらも、アリスは己の婚約者にこれ以上何も聞いてくれるなと思っていたというのに。

  完璧すぎる笑顔が余計に違和感だったのか、アーネストは終始何か言いたげだった。

  もちろん、周りに取り繕っていたから、この微妙な空気感はアリスとアーネストの間だけで、他の誰も気付かない。

  貴族たちに挨拶をして回ったり、交流を深めている間も、誰もアリスが怒っているなんて気付かないというのに。

  挨拶する貴族たちは皆、「お2人は仲がよろしいですね」と似たような言葉をくれたくらいだ。


  一通り義務を果たしてしまえば、あっという間に時間が経ち、後は友人と談笑でもしようと思っていたのだが、アーネストはアリスの肩を引き寄せて、「アリスは具合が悪いようなので、これで失礼します」などと会場から連れ出した。


  メイドから別室へと案内され、豪奢なソファに腰を下ろし、クッションを抱き締めた時、アーネストはついに質問した。

「それで? 何を怒っているの? 何回かアリスにとって恥ずかしいこと言ったりしたけど、いつもより上手く躱したよね」

「何もありませんわ。それより、わざとだったなんて、殿下ったら意地悪ですわ」

「ほら、怒ってる」

  ずいっと顔を寄せられて、アリスはアーネストと間近で顔を合わせて少し頬を染める。

「だから、気の所為ですわ。私、怒っていませんもの」

  怒っていても過去は過去。今更聞き出そうなんてしつこい真似はしたくない。

  だから必死に隠そうとしているのに、どうしてアーネストはそれを暴こうとするのだろう?


  アーネストは言ってくれた。

  これからアリスと向き合うと告白してくれたのだから、それで良いのだ。

  切り替えられない自分がまだ未熟だとアリスは結論を出していた。

  アリスはアーネストにニコリと微笑んで、彼の手を包み込む。お互いに手袋をしているから直接触れた訳ではないのだけれど、温もりは感じられるだろう。

  はしたなくも、ぎゅうっと彼の腕に抱きついて微笑んでみる。

  アーネストはアリスの行動に少し動揺したのか、目を逸らした。


 ──もう少し……。


  もう少しで誤魔化されてくれるのではないか。


  アリスはアーネストの頬に手を添えて、ドキドキと胸を鳴らしながら、自らの体を寄せていく。

「殿下、じっとしていてくださいませんか?こっちを向いてください」

「何を……」

  戸惑っていたのを承知で、彼の顔をそっと引き寄せたアリスはそっと唇を寄せた。

  触れ合うだけの口付けは、アリスからのものだ。

  はしたないということは承知の上でソファの上で距離を縮めて、アーネストの唇に自らのそれを触れさせる。

「んっ……」

  男性の唇がこんなに柔らかいなんて、前のアリスは知らなかった。

  息を飲むアーネストの気配や戸惑う息遣いを直接感じたが、アリスは口付けを止めるつもりはなかった。

  そっと顔を離して唇を離した瞬間、驚きに目を見張った碧色が目の前にあった。

  無意識にアリスの肩に添えられたアーネストの手は、優しく壊れ物を扱うように丁寧で。

 ──拒否はされてない、わ。

  それに安心したアリスは、今にも触れ合いそうな距離で懇願した。

「殿下、動かないでください」

「え、うん?」

  狼狽したアーネストの答えを聞くやいなや、もう一度唇を彼のそれに柔らかく合わせた。

  びくり、と震えたのはアーネストの戸惑いなのだろう。

  だというのに、触れた唇は彼女の一方通行ではなくて、男も無意識にそれに応えているのか、斜めに顔を傾けて、切なげに吐息を零した。

「駄目、じっとしてください」

「んっ……アリス、何をして……? ちょっ…くすぐったい」

  ちゅっ、と可愛い口付けを交わした後も、アリスは彼の頬から手を離さずに、何度も小さなキスを繰り返す。

  軽めに唇を合わせて離して、またゆっくりと顔を近付けては唇を重ねて。

  キスの合間にアーネストの戸惑う声が挟まれる。

「待って、アリス、どうしたの? ……んっ」

「んっ、っふ、っ…、どうも、しません」

  アリスが出来る精一杯の触れ合いに、アーネストは戸惑ってはいたが、振り払うことは出来なかったようだ。

  アリスの肩に置かれた手は優しく添えられるままで、振り払うことが出来るはずなのに、彼はそれをしないのだ。


 ──気まずいのは嫌。我儘は言いたくない。


  表面上だけ取り繕っていることが卑怯なのは分かっていたし、アーネストに向き合って欲しいと良いながら自分はこんなことをしている。


  優しく唇を食まれて、擦り合わせたりを繰り返しているうちに、気が付けば体勢がはしたないことに、アーネストの膝の上に乗っけられるという形になっていた。

「はっ……、ぁっ……んっ…殿下、殿下ぁ……」

「っ…待って、アリス。んっ……話、を」

  唇を重ねるだけではなくて、少し口付けが深いものになっていくのにも時間はかからなかった。絡み合うようなそれになっていく頃には、頭の中が恍惚としていた。

  好きな人と触れ合うのは、気持ち良いことだ。

  アーネストが口付けの最中も宥めようと苦心しているけれど、そんなこと知ったこっちゃなかった。

  恥ずかしかったけれど、積極的にアリスは強請った。

  アリスは息継ぎのために1度、絡み合っていた口唇を解いて、そっと触れ合っていた部分を外した。

  その瞬間に、怒っているなんてこと忘れてしまえば良いと思ったからか、トドメでも刺すようにアリスは笑った。

  アーネストがアリスが笑っているところを見るのが好きだと言っていたから。

  その瞬間、アーネストは愕然としたように固まっていたのが不思議だった。

 ──何を驚いているのかしら?

  アーネストが何かを言う前に、彼の濡れた唇を奪って、甘噛みしようとした瞬間、肩に置かれていた彼の手にぐっと力を込められる。


  触れ合っていた唇は強引に引き剥がされ、アリスは悩ましげに声を漏らした。

「んぅっ……」

「っ……アリス、離れて?」

  アーネストの切羽詰まった声と共に唇に湿った吐息がかかる。

  息が触れ合うということは、直接触れ合っていた薄い敏感な皮膚同士は離れたということ。

  膝の上に乗っていたアリスは、アーネストによって、ソファに下ろされる。

 ──拒否、された?

「ど、して?」

  いきなり引き剥がされて戸惑うアリスの濡れた唇をアーネストの指が優しくなぞって拭った。

「自分がされて初めて分かったけど、キスで誤魔化されそうになるのって、あまり気分は良くないものだね、うん。以前のアリスの気持ちが分かった気がする」

「……」

  以前、キスで誤魔化そうとするアーネストに文句を言ったことがあった。

  自分がされて嫌なこと。それを今度は自分がやっているという皮肉。

「誤魔化されるつもりはないよ、アリス」

  仕方なさそうに笑っているように見えるけれど、同時に怒りの感情も透けて見えた。

  笑いながら怒るなんて、器用な人だ。

  アリスはそっと視線を下げた。

「いつもと同じことをしているだけです……」

  声が小さくなるのは、きっと後ろめたいから。

「こんな風に触れられても嬉しくない」

「殿下も流されそうになった癖に……」

「うっ……」

  ふいっとそっぽを向いたアリスに、アーネストはそっと頭を抱えた。


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