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  もう訳が分からない。

  朝、目を覚まして声を耳にしながら脳裏に過ぎる昨日の光景。

  というか自らの身に起こったこと。


  身体をまさぐられ、あらぬところまで撫で回され、下着の下にまで指を入れられ、素肌が触れ合ったりと想像だにしなかったことがアリスの身に起きた。


  既にナイトドレスから着替え、しっかりとドレスを着込んでおり、肌蹴ている訳でもない。

  羞恥心なども含めた様々な感情の奔流に流されそうになりながら、ベッドの中に丸くなっていると、コンコンとノックされる音。

  その足音や気配から誰が入ってきたのか、アリスは知っていた。

「アリス」

「……」

  顔を見せることなく、毛布の中に籠城していれば、布越しに肩の辺りをポンと優しく叩かれた。


「顔を見せてくれる?」

  上掛けを除けようとする彼の手から逃れようともがいた。

「や、やめてください……!」

  今は普通に接するのが無理そうだった。

「アリス……昨日はごめん」

  心から申し訳なさそうな声を出された瞬間、アリスは布団を跳ね除けて、アーネストを下から涙目で睨み付けて、溜まっていた疑問を解放した。



「昨日のアレは何ですの!? めいいっぱい擽ったかと思えば、マッサージまで私にして……」


  しかもそのマッサージは物凄く気持ちよかったという。


「覚悟を決めたと仰るから、私……私……!」

「……ごめん。そこまで怒るとは思わなくて……」

「私の方は覚悟を決めておりました!」

「ごめんなさい……?」

  疑問形で謝罪をされた方の気持ちにもなって欲しい。


  結論を言ってしまえば、2人の間には何もなかった。


  アレをなかったと言って良いものか分かりかねるが、とりあえず男女の関係を結んではいないので、何もなかったというのが正しい。


  押し倒されてキスを交わした後のことだ。



  覚悟を決めたアリスにかけられた言葉がこれである。

『少し擽ったいかもしれないけど、声は抑えてね』


  何を言っているのか分からず、目を見開いた瞬間、それは始まった。

『んっ……駄目! やっ……!』


  唐突に擽られた。


  何の前触れもなく、唐突に擽られた。


  脈絡は皆無だが、これが真実である。


  むずがりながら身を捩り、シーツの上でジタバタと手足を振るアリスを押さえつける青年。

  しかも脇腹から首筋まで絶妙な手つきでくすぐってくるから、こそばゆくて仕方ない!

  逃れようと藻掻くアリスの口を塞ぎ、声はくぐもった。

『やぁ……! そこは…』

『擽っているだけなのに、すごい破壊力……』

『ひゃっ!』

  この瞬間、ナイトドレスの下にまで手を入れられて、くすぐられている。

『もっ……ゆるしっ…んぅ』

『なんか、ごめん……ほんと、ごめん』

  突き飛ばそうとしたところで、男女の力には差があるせいで、無理だった。

  つまりビクともしない。

  しばらく擽った後、何を思ってか今度はマッサージをしてきたのである。

『どういうおつもりですか?』

『いや、特に理由はないけど。……気持ち良い?』

  アーネストの指が絶妙な部分を指圧した。

『痛っ……んっ……あ、そこ…、気持ち良いです…』

『うん。そんなつもりなかったというのに……これは……』

  先程からブツブツと何やら言っているが、彼の考えがこれ程まで分からないのも初めてかもしれない。

  1晩中……ではないけれど、終始このような状況で時間だけが過ぎていった。

  釈然としないながらも、いつも通りに身支度をし、部屋の外へ出た瞬間、向けられた好奇の目。何やら浮き足立っているようなソワソワしているような。

  ある女官には「おめでとうございます!」と何かを祝われた。ちなみにその女官は、先輩らしき女官に「そういうことは黙っておきなさい」と頭を引っぱたかれていた。

  王宮のある一角に何故かアトリエをこさえていたマティアスに問い詰めると、彼は面白そうに肩を震わせて、衝撃の事実を教えてくれた。


『今、アリス嬢とアーネスト殿下の噂で持ち切りですよ。2人がついに結ばれたと』


『う、嘘ですわ!』


  何もなかったというのに、どうしてそんな話に……。

 ──あっ。

  そういえば、事実はどうあれ、昨日の夜、変な声を上げていたかもしれないことに気付く。


  そこからのアリスは早かった。表向き、殊更優雅な物腰に見えただろうが、アリスは「部屋に閉じこもりたい、身を隠したい、気絶したい」という思いでいっぱいだったのだ。


  そして、現在はベッドの上で、毛布にくるまっている。


「状況証拠を作り出してみた。僕の影は優秀だよね」

「突然過ぎます!! 何か一言くらいあっても良いのでは?」

「昨日のアリスの反応は真実味あったと思うんだ。それに……可愛かった」

「か、かわ……!? も、もう!……私、あの…うぅ」

  言いたいこともたくさんあるはずなのに、恥ずかしくて仕方なくて顔から火が出そうだ。

「僕たちは実際のところ、じゃれていただけだ。何も問題はないし、皆が勘違いしたとしてもそれは個人の受け取り方の違いだよ」

  何やら良い笑顔で言っているが、目的は明らかである。

  つまりは、次の聖女に選ばれずに済むようにそういった噂を王宮で流すという策。


  王宮の者たちは王族たちの間で何かあったとしても、むやみやたらに公言はしないし、心得ている。先程の女官が頭を叩かれたのは、出過ぎた発言をしたからである。

  外でそういった噂を立てられることを危惧したアーネストは、王宮の中でのみ語られるように手配したようだ。

 ──それと影の者に協力を頼んでおられるのね。

  大司祭が王宮に来た際も、影の1人が接触し、そういった噂があることを耳に入れさせるのだろう。

  もちろん、それだけで全てを鵜呑みにして、信じる大司祭ではないだろう。裏付けを取ろうとして、王宮の者の反応が皆、同じだということに気付くのだ。

  大袈裟に言ってしまえば王宮の者全てを欺くことに成功した。

  ありそうでない嘘や、なさそうで実はある嘘の方が真実味はあるため、今回の嘘をつくのはそれ程、難しくはない。


  そして案の定。ことの元凶はすぐに顔を出したのだ。


  廊下をバタバタと走る騒々しい音と、使用人が慌てて制止する声。

「大司祭様。お待ちくださいませ。今、殿下は席を外しておりまして!」

「そんなの知っている!」

「お待ちください!」


  侍女の慌てた声の直後、アリスに割り当てられた私室へとバタンと大きな音を立てて飛び込んできた。

  目の前には、目を見開き額に青筋が浮いた大司祭の姿。

  アーネストの方をチラリと窺ってみると、彼は口元に冷たい笑みを浮かべている。

「無礼だな。淑女の部屋に許可なく入るとは」

  固い声に滲む彼の怒りに大司祭は気付いていないのか。

  ベッドの上に居たアリスを視界に入れると、ツカツカと歩み寄り、グイッと腕を掴み引っ張ったのだ。

「痛っ……あの、何を」

  戸惑うアリスに気遣うこともなく、怒鳴り散らした。

「アーネスト殿下!これはどういうことですかな!?無垢なる聖女を己の欲望で穢すなど!あってはならない!」

「その手を離してくれ。アリスに気安く触れるな」

  パシッと大司祭の手を振り払い、今度はアーネストの腕の中へ引き寄せられる。

「殿下は聖女を穢したのですぞ!? 聖女になるべきお方を!」

「厳密に言えば、彼女は僕の婚約者で、聖女でもない。貴方が勝手に言っているだけだろう。少なくとも、アリスは身の回りの精霊と会話している訳ではないよ」

「これから聖女になるお方だったのです! それを殿下! 貴方が」

「聖女候補かどうかなんて、何で判断するんだ? 選ばれるまで誰にも分からないのではなかったかな?」

  激昂しているせいで基本的なことすらも頭からすっぽぬけてしまっている。

  聖女だったルチアの甘い汁を思う存分吸ってきた彼らは、突然なくなった恩恵を忘れることが出来ないのだ。

「我々が判断する限りだと、アリス様が条件に1番近かったかと!」

「我々の判断? そこに精霊王の意思はないじゃないか。……まあ、どちらにせよ、アリスはもう僕のものだ。聖女になることはないだろう」

  鼻で笑いつつ、相手の癪に触るようなことを平然としているアーネストの笑みはドス黒い。

「若造の癖に!」

  大司祭の仮面が剥がれた瞬間、そろそろ潮時だと思ったアリスは口にした。


「次の聖女云々と仰ってますが、もう聖女は2度と現れませんよ。これは精霊王から直々に聞いたことです。竜のペンダントを見れば一目瞭然でしょう」


  白猫がアリスへと接触したあの一瞬、精霊王は情報過多と言われるくらい、たくさんの言葉をアリスに残した。


  その中の1つ。

  我々精霊たちは、聖女を2度と選定しない。


  これこそがアリスの切り札。誰にも言っていない最強のカードだ。

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