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この国の精霊王は、神と同一視されているため、神殿に祀られているのは精霊である双竜である。
主神として敬われる竜と、畏怖を持って崇拝されるその半神の竜。
神殿に勤める神官たちの上司である大祭司が、己の職務を全うしたと言わんばかりの態度を取っている件で、アリスとアーネストはある懸念をしていた。
いつものように執務室に詰めるアーネストの元へ半ば押し掛ける形で、強制的に休憩を取らせていた。
部屋の隅にあるソファへと共に座りながらも、話す内容は深刻だったため、結局は休憩になってはいなかったが。
「……面倒なことになりそうだ」
「ですわね。まさか神殿の者がルチア様を裁いてしまわれるとは……」
王族を含め、多くの貴族たちを謀った大罪を犯したルチアを神殿の者が裁いた……つまりは神殿側が政治へと介入し、民衆たちもそう認識してしまっているのは、大きな痛手だ。
「今回のことを切っ掛けに、政治と宗教の分離政策をしようと思っていたのに……」
アーネストが頭を抱えているのには理由があった。
今回、表向きのゴタゴタにアーネストが奔走している間、現国王陛下が分離政策を押し進めていたからだ。
信仰の自由はあれど、政治へ介入し気味だった神殿側を国王は以前から警戒していた。
いつかやらかすのではないかと危惧していた中、その危惧を形にしてしまったような今回のルチアの洗脳事件。
それを受け、水面下での政教分離は本格的に行われようとしていたのだが、先回りするかのように起こった今回のルチアの脱走共助。
「神殿の者と騎士たちが同じ場に居たのが問題ですわね……」
「元はルチアに心酔していた者たちだ。何かしら思うところはあったのは当然だけど、神殿側はそれを上手く利用している……。本当、上手いな」
アーネストの声は苦々しげだ。
それは当然だろう。先手を打たれたのだから。
神官と王宮の騎士たちが共に居て、ルチアへの制裁をしたということは、2つの勢力が繋がっているというプロパガンダに他ならない。
つまり神殿側の介入を許してしまっているという事実。
「ユリウスたちは、王宮側の決定を待てなかったのだろうか」
「……」
待てなかったのかもしれない。ヤキモキする中、耳当たりの良い神殿側からの要請は、まさに渡りに船だったのかもしれない。
「あれで、騎士の皆様方は満足しているのですか?」
「……恨みを晴らすという意味で?」
アリスは頷いた。
「ルチア様は命を落とすことはありませんでした。それで彼らは本当に満足したのですか?」
今回、ルチアは死ぬことはなかった。
アリスは僅かに目を伏せながら、ルチアの身に起こった事実を反芻する。
──ルチア様……。あれは悲惨だった……。
思い出した惨状は、目に焼き付いて離れない。アリスの憂いを帯びた表情を見たアーネストは、思わずといったように手を伸ばして、アリスの髪を緩く梳く。
「ルチアのことは忘れた方が良い」
「無理ですわ」
「……それはそうかもしれないけど」
アリスの絹糸のような髪をひと房弄ぶアーネストの手をぞんざいに振り払う。
「ああ、ごめんね」
悪気なさそうに言われたので、口ばかりの謝罪に違いない。
「あの状況で死ねなかったことは、ある意味だと地獄じゃない?」
「……確かに、ルチア様にとっては大きな罰になるでしょうけれど……」
きっとまだルチアは諦めていないような気がするのだ。
「……うん。あれから僕たちはルチアに会ってもいないけど、少し様子見に行って来ようか」
「他にやるべきことがあるのでは?」
今、わざわざ様子見に行く理由が分からない。
「ルチアの様子を見に行くっていうのは、単なる口実で、大司祭が何をするつもりなのか確認に行くのが1番の理由かな」
「それはまた……思い切ったことを……。ところで、私は行っても良いですか?」
「……あまりおすすめはしないかな」
あのルチアの様子をアリスに見せたくないのだろう。苦々しい顔をしているので、じっと見つめていたら、彼はふっと笑う。
「君は目を逸らさない子だよね……本当」
苦笑されている。アーネストは時折、アリスを過保護に扱おうとする節がある。
綺麗なもの以外、本当は見せたくないのだろう。
「思い通りにならない女はお嫌ですか?」
「嫌じゃないから困ってる」
アーネストはゆるゆるとかぶりを振った後、アリスの頬に手を添える。
「あの、何か?」
「ん? いや、特に理由はないけど」
「そうですか……」
髪に触れられるよりも、直接触れられている方が心地好い。
特に抵抗することもなく、頬を撫でられたまま、頬に触れる指先を意識していれば、今度はアーネストが問うて来た。
「何で、振り払わないの?」
「逆に問い掛けますけど、振り払われると知っていて、何故懲りずに触れてくるんですか?」
頬を僅かに染めつつも、首を傾げている彼は、抵抗しないアリスに戸惑っているようだった。
──そういえば、私。いつも拒否をしてばかりだったような……? いや、そんなことはないはず……?
少し前は恥ずかしがってばかりだったかもしれないけれど、今は恥ずかしさよりも触れられたいという欲求の方が上だ。以前と変わった点はここかもしれない。
──素直になれないのは、以前から変わりないかもしれませんけど。
ちょうど執務室の外から、エリオットが「イチャつくなら爆発しろ」と連呼していたことを2人は知るよしもなかった。
エリオットが憮然とした表情で部屋に入ってきたのを機に、市井へと下りることにしたが、アーネストは最後までアリスの同行を渋っていた。
「アリスは頑固だよね」
「今更ですわ」
王族のお忍びスタイルで王宮を出る。公務ではないが完全なるプライベートでもないため、お忍びスタイルと言っても隠す気はあまりない格好である。見る者が見れば、王族だと分かる。
王族独特の格好ではないが、どこからどう見ても高貴な出身であることは隠していない。
大司祭へ目通りを通してもらうためだ。
馬車に乗り、護衛も控えているこの状況からして隠す気は毛頭ない。
「お手をどうぞ」
「はい、殿下。……あら、間違えてお呼びしてしまいましたわ」
わざとらしい。王族が公的に立ち寄ったとなれば色々と面倒があるため、おおっぴらに外出する訳には行かないが、自分たちの正体を察してもらう必要があるため、このような茶番を演じる羽目になっている。
ルチアを連れて巡回しているという大司祭が立ち寄るらしい広場には、噂を聞き付けた人々が押し寄せていて、アリスたちの姿を見て何かを察したのかサッと道を開けている。
「殿下が立ち寄られるということは、今回の偽聖女の断罪は何か大きな意味があるのでは?神殿が力を持っている証拠だ」
「いやいや。重要視しているのは確かだろうが、お忍びで見に来る程度の瑣末事なのでは?神殿が力を持っているのなら、公的に何かあるだろうし、国王が神殿に後始末を任せているだけという説も……」
案の定、有識者は色々と勘繰っているのだ。
「おや、殿下」
大祭司は、アーネストを目にして目を細める。
「今はお忍び中だよ」
人差し指を唇に当てながら、やれやれと言わんばかりのアーネスト。
アリスも宮廷方式で正式に礼の形を取っていれば、大司祭の降りてきた馬車から布を被った1人の女の姿。
「見苦しいとは存じますが、この辺りを1周させて頂きます、殿下」
「ああ。僕たちのことはお気になさらず。神殿側が支持したらしい聖女の末路を見て置きたかっただけだから。どうやらそこの聖女は偽物だったらしいからね。ということは本物もいるのかな?」
いきなりぶっ込んだ。
平たく言えば、『お前たちはこの後どうするつもりなんだ。偽の聖女だったということは、本物の聖女が現れたとでも発表して神殿側はまた別の傀儡でも仕立て上げるつもりか』といったところだろうか。
「まさか我らすらも欺くとは、偽の聖女は相当手練だったんでしょう。お互い大変ですな。本物の聖女が現れるかどうかは分かりません。もしかしたら、今回聖女は現れない運命だった可能性もありますねぇ」
『どちらも被害者であり、我々も被害に遭っただけ。聖女がこの後現れるかどうかは教える訳がないだろう』と大司祭は言っている。
そう簡単に教えてくれるはずがないと分かってはいたが、アリスは大司祭の目が一瞬だけ、アリスに向いたことに気付いた。すぐに外されてしまったが。
──先程から、不自然だわ。
アリスへと目を向けずに、アーネストしか意識しない大司祭。
挨拶の礼をしたアリスにもチラリと視線をくれただけで、あからさまに興味がないと言わんばかりの態度。
あまりにも徹底し過ぎているせいで逆に不自然であることに大司祭は気付いていない。
目を逸らしているということは、逆に意識していることの証左だというのに。
アリスはそれを深く実感している。
「それでは、殿下。我々もこの辺りを回らなければならないので」
ルチアを神殿側が連れて罰しているという事実が重要らしい。アーネストと話を強引に打ち切った。
「…………」
神殿側が目を付けているのはアリス。
アリスの頭の中に閃いたのは1つの仮説。
と、その瞬間、横切る女の姿に釘付けになった。
──ルチア様。
風が吹いて煽られた布から、顔が覗くかと思った瞬間、ルチアは黒い布をぎゅっと掴む。
こちらには気付いていないようだ。
「その布を外しなさい。羞恥心に苛まれようとも、それは罪の証なのだから」
大司祭から放たれる冷たい命令にルチアは臆しているようだったが、大司祭は容赦なかった。
「縮こまるな。歩きなさい。予定は詰まっているのだから」
急かされながら、歩き、無理やり布は剥がされて現れた顔。
火傷で元の形が分からない程、変形してしまったルチアの顔。髪も燃えてしまい、肉の焼けた跡が生々しく残っているだけだった。
「名乗りながら歩きなさい」
「……」
「声が変わってしまったとはいえ、口は利けるのでは?」
「……あぅ……ああぁああ!!」
「またヒステリーを起こすか……」
話せない訳ではなく、ヒステリーを起こしてしまって、発狂してしまっているそうだ。
以前見た彼女の影も形もないこの状況。
王宮側による判決を待たずに決行した末路がこれなのだ。
民衆から人気のないルチアを晒しても、あまり反発もないようである。
「……ルチア様」
思わず唇が震え、立っている足の指の先すらも冷たくなっていく心地がした。
やはり、何度見てもルチアの様子は脳裏に焼き付いてしまう。
ルチアの目に宿るのは、屈辱感と虚無感だろうか。
「何となく、大司祭の思惑が見えた気がする。狙いは君じゃないかな、アリス」
アーネストもどうやら、察したらしい。不自然すぎる神殿側の挙動を。
問題は神殿側がどんな形であれ、罪人を裁いてしまっていること。
アリスは少し思案した後、大真面目な顔でアーネストを見つめた。
「本来なら、私から申し上げることではありませんし、はしたないと思われるでしょうが……提案があります」
「何か嫌な予感がするけど……うん。とりあえず聞く」
聞く姿勢に入った彼に1歩近付いて、他の誰にも聞こえないように、小さな声で囁いた。
「殿下。私を抱いて頂けませんか?」




