最悪の日
走った。垂れ下がった蔦を掻き分け、枝を避け、根っこを飛び越して、走った。
気配はどんどん強くなる。
人の気配だけじゃない。これは…。
「ジョン!!!」
魔力の気配だ!!
ジョンの家に辿り着いて、あることに気が付いた。
家の回りにある結界が消えていた。森の中に満たされていた魔力も、爽やかな物から悪意あるものへと変異していく。
家の扉を開ける。
誰だか知らないが、ジョンと母親を連れて逃げなければ。
「!!」
「ああ?なんだお前…」
ヒュッと、喉が縮こまった。
噎せ変えるような鉄臭い臭いが家を満たしていた。
体が固まる。
嘘だろ、そんな…。
男の手には剣が握られていた。その切っ先はまっすぐ、ジョンの母親を突き刺していた。
衰弱していたせいで満足な抵抗も出来なかったのだろう。
血溜まりはほぼ一ヶ所に集中していた。
回復魔法を、いや、俺の会得したヒールはまだ骨折レベルまで治せない。どうする?まずは止血を──。
「おーい。邪魔なんですけどー」
「!」
すぐ後ろから声。気付かなかった。
出口を塞がれてしまった。
「お?おいモト。こいつお前と同じ勇者だぜ?」
「マジで?じゃあやっぱりこいつがバディか」
「だな」
嘘だろ、よりにもよってこんな事って。
呼吸が浅い。考えろ考えろ。
ジョンは此処には居ないから無事なはず。
どうしたらこの状況を打開できるか?
「てかこいつ固まってんぜ!もしかして聖戦初めてなんじゃん?可哀想になぁー、見た感じ武器も無いしレベルも低そう。ラッキー」
がしりと腕を掴まれ一気に捻られ拘束された。
ヤバイ。
「殺す?殺す?」
腰に鋭い何かを宛がわれる。
「まぁまてキール」
母親から剣が抜かれ、男は血糊を振り落とす。
「今回の聖杯がどの条件で現れるのか分からん。今んところ勇者殺して現れるもかも分からんし。レベルが低いのなら後でどうとでも出来る。だから待て」
「ほんっとそう言うところ甘いぜモト。他の勇者死んだことも分からんだろ?試してみようぜって、ぜってー誰かもう脱落してるから」
「いやいや分かるよ。カウントあるし。バッチリ変動なし」
「ちぃ。分かったよ」
尖ったものが離れた。
それだけでも人心地着いたが、危機はまだ去っていない。
頼む、ジョン。どうか逃げてくれ。
「!」
母親の僅かに空いた瞳がこちらを向くように動いた気がした。
まだ、生きて──
「…逃げなさい!!!ウィンドアロー!!!」
「なに!?」
「!!」
母親がこちらに向けて指を向ける。すると部屋中に風が吹き荒れ、形が定まった瞬間に剣の男と俺の後ろの男目掛けて飛んできた。
剣の男は慌てながらも剣で防ぎ、後ろの男は俺を手放して壁に身を隠すようにして逃げた。
「このくそアマ!!」
男は母親の心臓に向かって剣を振り下ろした。俺は情けなくも、拘束が解かれた瞬間に逃げ出していた。助けてくれた母親助けようともせずに逃げ出した、俺は屑だ!!
転がるようにして逃げ、ふと思い出す。
「そうだ…、ジョン」
あいつだけでも逃がさないと。
あいつだけは、俺が何とかして生き延びさせないといけない!!
足を止め、ジョンの気配に集中した。
さっきアイツらの気配に気が付くことが出来たんだ。
出来るはず。
ジョンの気配に集中する。
俺の体から伸びる魔力の糸をたどれ!
──【相棒システムが正常に起動できません。武器を登録してください。】
うるさい!!今はそんな場合じゃない!!
視界が暗くなり、魔力の糸が浮き上がって存在感が増した。
意識が糸へと流れる。ドローンが空中から道を辿っていくように、魔力の糸を追っていく。
すると、教会のすぐ近くにジョンの気配を見付けた。
俺を探しに来たのか?
ジョンの手には俺が投げ捨てた桶がある。
「!! まずいっ!」
ジョンの近くに俺を拘束していた男がいる。風の矢が当たったのか知らないがふらついているが、手にはナイフが。
視界が戻る。
急がないとジョンが危ない!!
気配を辿り、俺はジョンの元へと必死に駆けた。
くそっ!なんでこっち側に逃げてしまったんだ!!
先程の選択を後悔しつつ、間に合ってくれと祈りながら駆け抜けた。
息が辛い。
足が痛い。
こんなことなら魔法よりも先に体力面を鍛えておくんだった!!
木々の間に見慣れた教会の屋根が見えた。
ジョン!!!
「はっ、はっ、…ッッ!!!」
呼吸が止まりそうになった。
「あ?あー、遅かったな」
ニヤリと男が笑う。
右手には赤く濡れたナイフ。左手には──。
「あ"あ"ぁぁあああああああああ!!!!!!」
視界が眩むほどの怒りの衝動で、気が付けば男に向かって殴りかかっていた。
「おっと」
「!」
男が俺の拳を避け様足を引っ掛けた。瓦礫だらけの地面に転がりながらも男を睨み付けてすぐさま起き上がる。
許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。
───【《■■■》が解放されました。】
「許さない!!!」
再び拳を握り締め襲い掛かろうとしたとき、トン、と、左肩に剣が突き刺さっていた。
「よっと」
胸元に両足が乗り、思い切り蹴り飛ばされた。
体は呆気なく吹っ飛んで壁に叩き付けられた。ガラガラと俺が突っ込んだ衝撃に耐えられずに壁はひび割れ、落ちてくる。
「あっぶねーな。てか本当に弱…。やっぱりバディ先に始末すると楽だわ。システム無しにするのいいねー、さいこー」
剣の男が俺の血糊を振り落とす。
「げほっ。ッ…殺す!!」
肺が痛い。
だが、そんなのジョンの痛みに比べれば…っ!!
「ヒュー、粘るねぇ。俺好きよ?そーゆー無駄な足掻きってやつ?」
「おいおい、モト」
「なんだキール。今楽しいんだ邪魔すんな」
「いいから聞けって」
ジョンの血塗れな右腕を男が掴んで見せてくる。
「なんとこっちのガキがバディだったっぽいぜ!ほら、契約印が浮き上がってる」
「マジで?うーわ、じゃあバディシステム発動しておいてこれかよ。お前どんだけ弱いんだよ、これじゃあバディが可哀想だなぁ」
剣の男は俺に憐れみの目を向ける。
「せっかくの聖杯争奪戦争なのに、召喚した勇者がこれとは…。武器も無さそうだし、これじゃあこの森に隠れていたくなるのも分かるってもんだ」
そこまで言って、ふと男が何かを察したようにニヤリとした。
「いや、まてよ?印が一つ消えてるな。もしかしてお前この子供に変な命令下されたのか?
勇者さまー、武器なんて捨てて、
ぼくとずっと一緒に遊んでいてよーってか?」
あの幸せだった頃のジョンの顔が浮かぶ。
その顔が、今目の前で青白くなっているジョンと重なった。
「…………かに、するな…」
「はい?」
「 ジョンを、バカにするな…っ!!! 」
立ち上がる。まだ俺は戦える!!
肩からの血は流れているが、痛みは鈍い。くそっ、あのくそ女神の耐久値がここでありがたく思うなんて…。
「ははっ、わかったわかった」
剣の男が軽くこちらへと構えた。
「お前の気が済むまで相手してやるよ」