一回だけ
「こんばんは。あれ? それってもしかして」
「あ、こんばんはお姉さん。明日、高校の入学式なんですよ」
「へえ」
「どうですか、お姉さん? 変じゃないですか?」
両腕を広げて、下ろし立ての制服姿をお姉さんに見せる。
「うーん」
窓が向かい合わせになっている隣のアパートに住むお姉さんは、視線を上から下へと動かして、ニヤリと笑った。
「変ではないけど、似合ってるとも言いづらいかなあ。君の親は、ずいぶんと君の成長に期待しているみたいだね」
お姉さんの言うとおり、制服の袖は手の甲を隠すほどに長いし、肩もぶかぶかだ。
「やっぱり……。子供っぽいから嫌だって言ったんですけど、どうせすぐ大きくなるんだからって無理やりこれにされちゃったんですよ……」
「ふふっ、私もそんな感じだったよ。懐かしいなあ」
お姉さんが優しげな目で僕を見る。
「懐かしいなあって、お姉さん、そんなに変わらないでしょう」
なんだか子供扱いされているようなのが嫌で、僕はそう言い返した。
「そう思う?」
「はい。お姉さん、いくつなんですか?」
「ふーん、それを聞いちゃうんだ」
お姉さんが鋭く目を細める。それから手招きをするから、僕は窓から身を乗り出して近付いた。お姉さんは僕に手を伸ばして、
「痛いっ!」
デコピンを食らわせた。
「女の人に歳なんて聞くものじゃないよ。こうなるからね」
「すみません……」
持っていたお酒を荒っぽく呷ってから息を吐き、お姉さんはくつくつと笑った。
「まあ、君も反省してるみたいだし、許してあげる。特別に歳も教えてあげるよ」
「いいんですか?」
「特別だから一回だけね」
「ありがとうございます」
「私はね……」
お姉さんはもったいぶるように間を空ける。僕は聞き逃さないように耳を澄ませた。
「なんと五十歳!」
「絶対に嘘じゃないですか!」
「じゃあ四十?」
「じゃあって」
「三十、二十九、二十八……」
「えっ? えっ!?」
「二十四、二十三、二十二、二十一、二十」
「結局どれが本当なんですか?」
お姉さんは人差し指を立てて片目を瞑る。
「一回だけって言ったよね」
「嘘ばっかり何回も言ったじゃないですか」
「正解は一回だけ」
「それってなんかズルくないですか?」
「そりゃあズルしたんだから、ズルいに決まってるよ」
「えー……」
「高校生になる前に、一つ勉強になったでしょ。大人はズルいって」
お姉さんはお酒を一口飲むと、柔らかく微笑んだ。
「何はともあれ、高校入学おめでとう」
それだけで僕の些細な不満は塵より容易く吹き飛んだ。
「あ、ありがとうございます」
「素敵な高校生活が送れるといいね」
「はい!」
そうだ、何はともあれ高校入学だ。
一つ大人の階段を登るのだ。
頑張ろう。