姉妹
私は遠く遠く、数kmでも数百kmでも、それよりもずっと遠くでも、全てが視える。見える先に壁があろうと、地平線が限界を知らしめようと、それらを越えて、さらにその続きを視界に入れてみせよう。たとえ、それが別の世界との境界線だとしても。私は運命を越えて、全てを手中に収めるだろう。
腕の中でぐっすり寝ている赤ん坊は、そう呟いた。教会に近い場所で宿を得た、ある女性だけがそれを聞いていた。たまにこんなことを呟くソレを彼女は呆然と見つめていたが、やがて中断していた解析を再開した。この子がどこからやってきたのか、そして何者なのか、と。この世界で唯一「本質を見抜く能力」を持つ彼女は、得体の知れないこの訪問者に魔法を行使した___
ドアの前から常に視線を感じる。もっとも、生命活動は終えているようだが。持ち物からして、ソレは強奪に関する者だったのだろう。ちなみに、私は研究に没頭していたが故に気づかなかった。一段落ついて赤ん坊を見やった時には、もうすでに事が済んでいたのである。この子を犯人と考えるのは馬鹿げているかもしれない。だが、監視用に設置した魔道具には、そう写っているのだから、仕方がない。どう殺ったのか、悩みの種がまた一つ増えてしまった。今晩は眠れそうないことを確信して作業に戻るのであった。
私がシャリルに15回目の「おはよう」を投げかけた日のこと。その日は賢者様とやらに会う日ということもあり、気分が高揚していた。あの能力の謎が解けるかもしれないと思うと、居ても立っても居られなかった。私は朝支度を素早く終わらせると、シャリルとともに広場へ向かった。
太陽が真上に来る頃、例の人は北西の道から現れた。流石に賢者ということもあってか、ギャラリーは多かった。本来なら素通りするところを、周辺の人々の希望で止まってくださっているらしい。皆が質問攻めをしている間、私達は大人しく待っていた。事が事だけに、あまり多くの人には知られたくないのである。
人気がなくなるにつれ、私は胸が高鳴っていくのを感じた。どうやら一段落ついたようで、それから周りを見渡すと、ようやく向こうは私達に気づいた。
「こんにちは。ご機嫌麗しゅう、賢者様」
「シャリルか、久方ぶりだな。そちらは?」
「私は篠山鈴華と申します」
「そうか。君が例の訪問者か」
どうやら私は「訪問者」と呼ばれているらしい。シャリルが前々から事情を説明してくれているそうなのだが、彼女はこの人とどういった関係なのだろうか。パン屋の娘が賢者と知り合いというのもおかしな話である。少し話をした後、賢者は
「うんうん。聞いた話と大体合ってるね。立ち話もなんだから、そうだなぁ…君の家にでも寄ろうかな」
「分かりました。案内します」
さっきまで朝食のおいしい匂いが漂っていたテーブルを舞台に、壮大な物語が繰り広げられた。
「えー、ごほんごほん。まず始めに言っておくべきことがあります」
「ほうほう」
「実は、昔にもこんなことがあったのです」
「へー…って、ええっ!」
「鈴華ちゃんだったっけ?君は反応が面白いね。いつか話をしてみたいものだ。こことは違う世界の話ももっと知りたいしね。おっと、脱線してしまった、すまない。そうだな、結論から言うと…いや、君から言うかい?シャリル」
「……シャリル?」
「……」
私にはその時、隣の子がパン屋を営む可憐な女の子には見えなかった。小悪魔という言葉の似合うその笑顔に、微動だに出来なかった。
「私から言うことは、ないわ。ただし、鈴華さん。私と貴方は同じ世界を生きているようで、視えているものは何一つ同じとは限らない。貴方は視野を広く持つといいわ、そして、人の事を深く詮索しないこと。それが成功の鍵だと思うわ。…少し自分の部屋に篭ってるから。気が向いたら呼んで、鈴華さん」
「どうしたんだい、シャリル。反抗期かな?」
「いいえ。決してそういったことはないですよ。でもぉ、何をそんなに怯えてるんですか、賢者様?」
「…っ!貴様…」
「では、失礼いたしますね」
そうして、シャリルは部屋へ戻っていった。落ち着かない口調。シャリルによる重圧感が私達を苛む。人が変わったとは、まさにこのことであった。
一方の賢者も様子がおかしくなった。少なくとも、理由は私には判らない。シャリルの持つ能力に何かしら原因があるのだろう。そういう能力使ってみたい。
「すまない、鈴華ちゃん。少し取り乱してしまった。君に伝えたいことがあったんだが、それは野暮ってものだな。これだけは渡しておこう」
シャリルについての研究をまとめた紙だった。それなりに重みがあり、目を通すのでも一苦労だろう。
「申し訳ない。時間が迫っているので、ここらでおいとまさせていただく。またいつか会おう」
賢者の様子を見る限り、これはシャリルには知られていない物であると考えられる。呼び戻す前に内容を確認することにした。
どうやら、賢者がとある教会に寄った際に拾った子がシャリルのようだ。身寄りが無いということで育てていたが、常に違和感を感じていたという。通常では考えられない現象が頻繁に起こっていたらしい。
階段を降りてくる音が聞こえ、反射的に近くの棚にしまった。まだ続きはあるが、それどころではなさそうである。
「やっぱりね。賢者といえど、この世界に詳しいだけの人が解決出来る筈もなかったのよね」
「シャリル…さん?」
「そうよ。私はシャリルよ。パン屋としての顔も持つし、魔術師としての顔も持つ。おまけに、訪問者っていう肩書きも持ってる。それが私、シャリル・ランドホーク。持てる限りの情報を提供してくれたみたいね」
この言い振りである。先程の冊子に気づいているだろう。
「鈴華はさ、やっぱり驚いたよね」
首を上下に振るしかない。気づいたら呼び捨てになっている。心なしか、ちょっと怖い。
「黙ってるつもりはなかったし、うん、いつか教えるつもりだったよ。タイミングが掴めなかったっていうのが正しいかな。折角だし、少し面白い話をしようよ」
「…何?」
「こことは違う、別の世界があるって考えたことある?いや、貴女の時代にはそういう発想が広がってるんだっけ」
「特にないかな。でも、急にどうして?」
「___そっか。降りるの早かったかー。まずいなぁ。しくじったなー」
「大丈夫。私はシャリルのこと好きだよ。何でも話して?」
「うっ…お姉ちゃん…甘いよ、甘すぎる!」
「お姉ちゃん…?分からないことが多すぎるから、全部話して。お願い」
「____私はお姉ちゃんと同じ世界の住人だったんだよ」
「えっ…何言って」
「ほんとだよ。私も特殊な能力使えるんだ」
「でも、この世界の魔法も使えるんでしょ」
「そうだよ。ちょっと難しかったけどね。お姉ちゃんも頑張ったら使えるよ」
「そうなんだ。頑張ろ。あっ、そういえばシャリルは貴族の子孫だって。あれは嘘なの?」
「うーん。本当は違うんだけどね。能力で事実に書き換えた、と申しますか」
「養子ってこと?っていうかシャリルの能力って一体…」
「この瞳が全てを語ってくれるよ。目は口ほどに物を言う、ってね」
「キレイ…」
その球体は蒼い輝きを纏っていた。神奥な雰囲気を漂わせ、鈴華を魅入らせていた。 その怪しい瞳の奥底には燦然かつ惨憺たる歴史が沈んでいた。全ての時間軸における、全ての世界の記憶がそこには在った。言葉の通り、全てを領る彼女の態度は、まさに神色自若としたものであった。
「___いや、違う。こんな事、識らない、聴いたこともない…っ⁉︎私の頭に直接送り込んでるっ!」
「流石お姉ちゃん。さっき面白いレポート貰ってたでしょ。あれ見たら分かるんだけど、賢者は相手を知る能力を持ってたんだよ。その応用って訳。魔力パターンの解析にはちょっと時間かかったけどね。お陰で一時期独り言が多かったんだ。そんなことも多分記録されてるなー」
「話が逸れてるよね。君の能力は?そして、君の目的は?」
「さっき伝えた通り。色んな時代、色んな世界を知ることができる。たったそれだけ。後はこの世界で一般的な能力は大体使える。それで…目的だね。簡単に言うなら、世界征服」
私は正直言って呆れた。魔法が沢山使えるっていうのは羨ましいけど、確かに征服出来そうだけれども、シャリルは敵なのかもしれない。そう悟った最初の瞬間であった。