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凶悪志願  作者: クスクリ
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7話 大塚夫妻

「おっとまずい。もう30分過ぎとる。確か話し合いは5時からやったな」

 達己は作業用軍手を外すと第一管理棟へ急ぐ。

(あま)、俺ち〜と出てこにゃならん。7時にゃ戻れるやろ。助役が来たら言うとってくれや」

 急いで出て行こうとする達己に、じじ臭く茶を啜っていた同僚の天本は、慌てて枕木の廃材を利用して作った粗末なテーブルに湯飲み茶碗を置くと、「達つぁん、助役はええけど今日は動労(旧国鉄の組合。正式名称は日本国有鉄道動力車労働組合)の会合あるんやで。達つぁん書記やど」

「悪ぃ」

「委員長には遅れても必ず出る言うとってくれや」

 そう言い残すと達己は勢いよく飛び出して行く。

「達つぁん」

「書記誰がするん…」


 達己は無数に張り巡らされた引き込み線を軽やかに跨ぎながら第五管理棟の裏の駐車場に辿り着いた。ドアを開けて一体式バケットシートに身体を沈め、イグニッションにキーを差し込み、スロットルを一回微妙に煽って徐にキーを捻る。

 ブォン…掛かった後、エンジンが温まるまで暫く待った達己は一回目は3000回転まで、二回目は5000回転までスロットルを煽り、三回目は思いっ切り踏み込んだ。サターン4G32エンジンのタコメーターの針はズゴーという吸い込み音とともにピックアップ鋭く7000回転まで跳ね上がったあと、達己のスロットルオフに瞬時に反応して一気に700回転まで落ちる。排ガス規制を受けてないエンジンの特徴だ。

 ――さすがA73、吹け上がりが最高じゃ。

 官能を揺さぶられるエンジン音に包まれて、ブォンと軽く吹かすのと同時にクラッチをちょんと離すと、A73はくるっと180度回転する。


 鹿児島本線のアンダーパスを駆け上がりスーパー銀鳥横に出る。そのまま市道を直進して、佐賀銀行の四つ角を左折した達己は、祐徳観光・喫茶アムールの手前、アクセルとフットブレーキをヒールアンドトゥで同時に踏み込んで荷重をフロントに移動させ、ギヤをセカンドに落す。テールスライドの切っ掛け作りにステアリングをくんと右に切る。と同時にサイドブレーキをちょいと引いてテールを左に90度滑らせノーズを右手の通学路に向けた。

 ここから鳥巣中学校までの通学路は車一台分しかない一方通行だ。一段高くなった右側の歩道には鳥巣中学校の男女生徒が固まりになって下校していた。生徒たちは華麗に侵入してきたA73に目を剥いて歩を止める。

 ――おっとがき共、俺のA73に注目しちょるな。気分ええぜ。

 ――真知が横に乗っとったら大目玉食っちまうところや。怖ぇ怖ぇ。 

 中年暴走族達己は一人悦に耽りながら一気に校舎の前に出た。

 ――確か駐車場は裏門から入るんやったよな。

 達己が校内にランサーを乗り入れると、ちょうど車を降りようとしている男女が目に入った。その男女は達己のA73の尋常ならざる爆音にちょっとこちらを振り向いた。

 ――アメ車か。カマロのZ28じゃ。さすがにデケ〜な。

 男は金縁のスモークサングラスを掛けて、襟足の長い艶々の黒シャツで胸を開け、金地のネックレス、白いラメ入りの皮靴、チンピラ風の派手なスーツに髪はパンチパーマ。女は飲み屋のママ風の派手なワンピースに身を包んで、左手に鰐革のハンドバックを持ち、細いハイヒール、濃い茶に染めた髪をアップにして真珠の大きめのネックレスを垂らしている。

 ――何かあいつら父兄か?派手な奴らやな。来るとこ間違うとるんやないか、馬鹿か。


 達己は職員室にミス原を訪ねる。ミス原は達己の来訪を職員室で待っていた。

「すいません。仕事の都合でちょっと約束の時間を過ぎてしまいました」

「いえ、大塚夫妻もたった今来られたところです」

「今回は息子の康太が大変御迷惑をおかけしてしまいまして申し訳ございません」

 達己は深々と頭を下げた。

「いえいえどうぞこちらへ」

 ミス原は達己を校長室の隣の応接室に誘う。まずミス原がノックのあと入室した。

「校長先生湯村さんがお見えになりました」

続いて達己が入室する。下げた頭を上げたとき、達己の眼に映ったのは先程の派手な夫婦だった。右手に煙草を挟んだ大塚の父親は、達己の正面の席で足を組んでふん反り返り、サングラスを左手でちょいと持ち上げて、「は~ん」という感じでじろっと達己を睨む。

 ――なんかやっぱりこげな展開か。こいつらが親なら息子の素行もある程度推測出来らぁ。

 大塚の父親の尊大な態度に校長が眉を顰めている様子が伺われる。そんなことなど当の本人はお構いなしだ。


 達己の席はドア側に設定されていた。達己の正面に大塚夫妻、左手にミス原・校長・大塚の担任の執行と並んでいる。設置されていた応接セットはイベント用の折り畳み式長テーブルと椅子、3台横に並べて連ねてあった。

 校長が徐に口を開く。

「この度はお忙しい中、足をお運びいただいて恐縮いたしております。修学旅行中の痛ましい事故……」

「おい校長!」と大塚の父親が校長の言葉を遮る。

「何が事故か!」

「傷害事件やろうが。ぁあ校長さんよ」

 大塚の父親の喋り方はまさに汚れ口調、煙草を銜えたままの喋りに声が籠る。

「うちの浩は大怪我させられて病院送りにされたんや。素手の浩に“凶器”でね」

 大塚の母親が夫の言葉を引き取った。彼女も父親に負けず劣らずの汚れ口調だ。スレンダーな身体を包むタイトなワンピースの中で組んだ足、細くしなやかな指にメンソール煙草を挟んで煙を燻らしている。

 校長は禿げあがった額を右手で擦りながら、「はい、学校といたしましては、何とか穏便に話し合いで解決して頂けないかと思いましてお越しいただいた次第でございまして…」

「穏便に解決?大怪我させられて泣き寝入りせぇってか。ぁあ校長」

「現場を見ておりました生徒に聞きましたら大塚君が先に湯村君を殴ったと言ってますし…」

「ふざけるな校長!」

「ちょっと殴っただけでヌンチャクとかいう凶器で大怪我させてもええっちゅうんか」

 灰皿で煙草を雑に揉み消した大塚の父親が大声張り上げる。校長は担任の執行に助け舟を求める視線を送る。

「大塚君の担任の執行です。確かに湯村君は旅行に凶器を持って臨んでました。それが分からなかった我々教師にも大きな責任があると反省しております。大塚さん、学校では校内の不慮の事故に対処するために賠償保険に加入しております。今回は事故ということで大塚君の治療費を出させて頂こうと思っております」

 執行が具体的に提案する。


 執行は大塚の母親とは面識がある。大塚は暴行傷害・喫煙・単車の無免許運転など数々の事件を起こしている。大塚の母親は呼び出しには応じるものの、凄い美人に似合わないそのふてぶてしさは眼前に居る父親以上かもしれない。

 教師を自分にかしずく僕でもあるかのように見下し、組んだ足の脚線美を強調しながら顎をしゃくって煙草を吹かす。ただ父親とは初対面だ。対応に苦慮している観が見受けられる。

「おめぇが執行か。担任ならちゃんと監督しとかんか。そいにおめぇら教師は馬鹿か。俺に何べん同じこと言わせるんじゃ。事故じゃねぇ、傷害事件や言うとろうが。おめぇの耳はつんぼか、ぁあ」

 大塚の父親はさらに声を張り上げる。執行も学校では強面で通っている。もろに面罵されて顔が歪む。だがそこは公務員、ぐっと堪える。

 達己は元来無口だ。必要なこと以外なるべく喋らないよう意識している。今日は職場からそのまま来たので国鉄の作業着だが、家から来るなら真知子に強制的に背広を着せられていただろう。


 達己は正面を向いて背筋をぴんと伸ばし、両手を膝に置いてじっとやり取りを聞いていたが、ここでやっと重い口を開く。

「大塚さん、ご挨拶が遅れました。康太の父で湯村達己と申します。この度は大塚さんの大事なご子息に大怪我をさせてしまいまして誠に申し訳ございません。深く反省しております」

 達己は大塚夫妻に心から頭を下げた。大塚の父親は執行に向けていた視線を達己に振る。

「おめぇがあの馬鹿息子の親父か」

「ゴメンで済むならケーサツは要らねぇんじゃ。おめぇ親のくせに息子が旅行に凶器持って行きよるんも分らんっちゃ馬鹿か」

「ほいで今日はちゃんと俺たちに誠意持って来たんやろうな、ぁあ」

「あんた謝るだけなら誰でもできるんやで。うちら夫婦は精神的に相当な痛手受けたんやからちゃんと形で示してや」

 大塚の母親が細く切れ上がった目に冷たい眼光で続く。達己は表情を変えない。

 ミス原が怪訝な顔で、「大塚さん形とはどういうことでしょうか?」

「形は形よ。ごめんで済まん言うとんじゃ」

「おう湯村さんよぉどうなんじゃ」

 達己は応えない。

「もしかして大塚さん、強請られてるんじゃありませんか?」

 ミス原がずばっと突いた。途端、大塚の父親の顔色が変わる。ぎろっとミス原を睥睨すると、ドスの効いた声で威嚇する。

「おいババア、教師ともあろうもんが父兄に向かって強請たぁなんじゃ!」

「部外者は黙っとれや」

 ミス原は大塚の父親の恫喝に竦んで俯いてしまう。


「おう湯村さんよ、おめぇの馬鹿息子のお陰で俺の息子は毎日痛ぇ痛ぇち苦しみよんじゃ。相応のこたぁして貰わんと気が済まんぜ」

 達己は膝を若干開き、依然視線は応接テーブルに落として黙ったままだ。大塚の父親は黙り込む達己に次第に苛立ってくる。がばっと立ち上がると応接テーブルに両手をどんと突いた。咄嗟に執行も腰を浮かす。

「おめぇ俺をおちょぐっとるんか?」

「何とか言えや」

「おめぇ国鉄か。職場に追い込み掛けたろか」

 大塚の父親は息子と同じ生臭い顔をぐっと逹己に近づける。

「大塚さん、これは話し合いですから喧嘩腰は謹んで貰わんと…」

 執行は立ち上がって大塚と達己の間に割って入ろうとしたが、達己が執行を左手で制す。

「先生俺は今から言いたいこと全部言わして貰います」

 執行は椅子に座り直して、「大塚さん興奮しねぇで座ってくだせぇや」

 執行も腹に据えかねる感情が言葉の端々に表れてくる。大塚の父親はけっと舌打ちすると腕を組んだまま椅子に腰を落とした。


 達己は相手を射抜くような鋭い眼差しで大塚の父親を見据える。

「黙って聞いとりゃ言いたい放題吐かしやがってよぉ、もう腹括るしかねぇわな。追い込み掛けてぇなら掛けてみぃや。逃げも隠れもせんわ」

「何やと!」

 立ち上がろうとする大塚の父親に、「やってみろや」

「くらし(殴り)合いじゃ」

「警察沙汰じゃ」

「ええんか?」

 ガタイのデカい達己が先に立ち上がって声を荒げて大塚の父親を牽制した。ミス原と校長はどうなるんだろうという怯えが表情にありありと見て取れるが、執行は腕組みして冷静にじっと事の成り行きを見守っている。

「聞けや。俺はたまたま国鉄職員じゃ。そん前は炭鉱で働きよったちゃ。喧嘩も初中ちゃ。あんたも若い時にゃ“ヤンチャ”しよって、俺を追い込む仲間が居るけん自信があるんやろうち思うけどよ。俺にも北松にゃそんときの喧嘩仲間ようけい(大勢)居るっちゃ。追い込み掛けるんなら俺も腹括って日雇いでも百姓でも何でもして家族養うわ。ほいであんたか俺かどっちか潰れるまで関わっちゃるわ」

 達己は一旦言葉を切る。

「ばってそいじゃ悲しゅうねぇや。どうや大塚さん冷静に話ししようや」

「俊…」

 達己の剣幕に気圧された大塚の母親がどうしようかという眼差しで夫の方を見る。

「ここで喧嘩してもしゃぁねぇわな分かったわ」

「物分かりええわ大塚さん」

 達己は腰を下した。


「大塚さん、うちの康太は五年生のとき10トントラックに轢かれまして左足切断しましたんや。義足ですわ。知ってましたか?」

 大塚夫婦は意外という顔をする。

「いや…うちの息子は何も言うてなかったわ」

 大塚夫妻は表情に戸惑いの色を隠せない。この世代のヤンキーには障害者に危害を加える者は女々しい奴と蔑む風潮があった。

 達己は続けた。

「大塚さんの息子さんもだいぶ“やんちゃ”のようですな。うちの康太もまぁ人口5000人の小さな町ですが、ガキ大将やったんですわ。そん町には足が無いとか手が無いとか、びっこ引いて歩くとかいう障害者の子供はおりませんでした。康太が初めてですわ。本人は何も俺に言いませんでしたが、姉には零していたようです。造り足とか一本足とか片輪とかからかわれとったようですわ。そいまで体格もよくてガキ大将でしたからその反動も大きかったんでしょう。性格もがらりと変わりました。無口になりましたわ。その上俺の転勤で鳥巣に来て一学年50人が一気に400人でしょ、カルチャーショック受けてたんやないでしょうか。家ではそうないと娘は言ってますが、学校ではますます陰気になっていったようですわ。大塚君もそげな康太が気に障ったんやないでしょうか」

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