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凶悪志願  作者: クスクリ
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2話 青島凶行

 翌朝、鳥巣中の一行は宿を引き払うと、バス8台に分かれて宮崎観光に出かけた。埴輪公園を周った後、バスはフェニックス・蘇鉄・椰子などの南国の植物に彩られた日南海岸をひた走る。右手には太平洋が開け、壮大な眺望だ。ガイドさんが説明する鬼の洗濯岩も、なるほど、高台の国道を走るバスから眺めれば納得出来る。

 

 バスは青島の入口で停車し、一同、ガイドさんに先導されて青島一周に歩き出す。康太は列の後方に加わり、自分の後を歩く連中にびっこを悟られぬよう、調子の悪い左足をなるべく正常に動かすように気を配る

 亜熱帯植物の群生する青島に架かる弥生橋を渡り、クラス別の記念撮影を終えた後、一行は再び歩き始める。青島の周囲は幅10メートル程の貝殻を含んだ砂地でその外側は鬼の洗濯岩で覆われている。洗濯岩に寄った砂地は執拗に康太の足をとる。青島の外周3分の1を歩き終えたとき、落ちていた空き缶を右足で偶然踏みつけた康太は、「なんばすっとか(何をしやがる)!!」という怒声に釣られて右側を振り向く。そこにはおどおどキャラの康太を完全に威圧した大塚の生臭い顔があった。

「な、何や?」

「お前の踏んだ空き缶の水の、俺のズボンに掛かったろうが、見てみいや」

 大塚はわざとらしく水の掛かった左足を上げて見せる。

「ご…めん」

 何気なく自然に謝ったつもりの康太に対して、再び大塚のドスの効いた声が返ってきた。

「お前…学校に帰ってから楽しみにしとけや」

 つっぱり特有の言い方で、康太が最も毛嫌いする言い回しでこの一言を聞いた瞬間、康太の気弱さは“ナメられた”という感覚で圧殺された。喉に貼り付いた言葉をやっと絞り出す。

「ナメ…るな」

 ちょっと時間を食ったが、この言葉が自分の口から発せられたとき、誰よりも康太自身が驚いた。とうとう出た。途端、大塚の顔色がみるみる変わっていく。

 康太の襟首を掴んで、「何やて、もう一遍言うてみいや」

 大塚は目一杯歪めた顔を康太の鼻先に近づけ唾を飛ばす。

「ナメる…な」

 か細い声だった。その顔色は蒼白く、視線は大塚の顔に当たるのを避けて斜め下に落ちている。間髪置かず、大塚の右拳は半弧を描いて康太の左頬を襲う。殴られて左手でどんと押された康太はよろよろと岩場に崩れ落ちる。康太の理性が吹っ飛んだ。無意識に身体が動く。切れたその先の事は知ったことじゃない。

 周りの連中は突然の大塚の暴力に唖然としている。直後、康太がそれ以上の暴挙に出るとは誰も夢想だにしない。傍観者の視線を縫ってズタ袋から引き抜かれた康太のヌンチャクの一撃は、倒れた康太の射程距離内にある大塚の下顎を削ぐように打ち上げられた。直撃したら命に関わる。康太は本能的に寸前で手加減していた。手練にしか出来ないことだ。


「ウゥゥ…ワァァァー」

 動物的な悲鳴とともに大塚は腰が砕ける。両手で顎を押さえて蹲る。康太は仁王立ちのまま凶器のヌンチャクをだらんと垂らす。唇の端からは一筋の血。

 そのうち、頬を熱い涙が伝い出すと、気狂いのように叫びだした。

「俺ばナメるな!」

「俺ばナメる奴ぁ誰でもぶっ殺しちゃる…」

 わぁーっと叫びながら、人垣を振り払うように、ヌンチャクを初めて手にしたド素人の如く滅茶苦茶に振り回し始めた。そこには洗練された技の欠片も見えない。大塚のヤンキー仲間の坪口と松島が蹲った大塚の傍に駆け寄り、栗本と秋吉、加えて大塚グループの数人が康太をぐるりと取り囲む。その中にはクラスメートの須美と高原の姿もある。

 康太が闇雲にヌンチャクを振り回しているように見えただろうが、誰も悪い左足を支点にした足捌き、感による鋭い目配りに気付く者は居ない。その証拠に、前後左右から康太に跳びかかろうと一歩踏み出した瞬間、まるで後ろにも横にも目があるかの如く、計ったようにヌンチャクが飛んでくる。常人ならこんな柔らかい砂地だ、足が縺れて転倒してしまうに違いない。


 その場の急事を知らせに行った女生徒が、長く伸びた列の先頭に居た教師を伴って戻って来た。

「止めろ!」

「止めんか!」

 人垣を乱暴に割ってスポーツ刈りの体格の良い男性教師が割り込んできた。体育教師で五組の大塚と坪口の担任でもある執行だ。その声を幻のように聞きつけて我に返った康太がヌンチャクをだらりと垂らすと、すかさず秋吉が跳び掛かる。さすがの康太もヌンチャクをもぎ取られてやっと大人しくなった。

 後ろから数人の教師に混じって、ミス原も不細工に手と足を動かしながらやって来た。執行は自分の腰に両手を置いて厳しい表情で康太の眼前に立つ。

 大塚は生徒の輪の中で、「痛ぇ…痛ぇ…」と泣くように唸っている。押さえた両掌から鮮血が滴り落ちる。坪口が大塚の両肩に手を乗せ頻りに呼び掛ける。

「浩、大丈夫か?」

「大丈夫か?」

 執行は大塚の方に眼を遣った。ミス原は日頃と打って変わった康太の変貌に声も出せぬ様子だ。康太は突っ立ったまま俯いている。執行が事の一部始終を聞き出す。

「なんでこげな事になったんか?」

 康太と同じ一組の女生徒がその問いに答える。

「はい、大塚君が、あのう…湯村君を殴ったと思ったら…湯村君が袋から棒のような物を取り出して大塚君を襲ったんです…」

 秋吉が茫然と立っている康太を憎憎そうに横眼に見て、「先生こいです。大塚ば殴ったとは」

「何か、こいは?」

 待ってましたとばかり、一男子生徒が口を出した。

「ヌンチャクです先生。僕、ブルースリーの映画見ましたから」

「意外に重たいなぁ。こりゃぁどげんして扱うとか?」

「先生ちょっと貸して下さい」

 その男子生徒が進み出てヌンチャクに手を掛けたが、ただの二本の樫の棒を鎖で繋いだだけにしてはずしりと重い。周りの連中からヤジが飛んでくる。

「何やお前できるとか?」

「格好だけなら止めとった方がいいぞ」

「恥掻かん内に止めとけ」

「何ば言よるとか。こげなもん簡単くさ。回せばよかっちゃろもん。よう見とけ」

 その男子生徒はヌンチャクを見よう見まねで回そうとしたが、当のヌンチャクは彼の意に反して頭部を直撃した。康太のヌンチャクには鉄心が埋め込んである。

 周囲の生徒が一斉に嘲笑する。

「ほら見てみい」

「しきれんくせに格好つけやがってよう」

「ぽこんげな。さぞ痛かったろうや」

 一層笑いが高まった。笑い者にされた本人も黙ってはいられない。

「何ば言いよるか。そんならお前やってみろじゃん」

「俺出来んも~ん。最初から言うたも〜ん」

 執行が、「おい大丈夫か?危なかけんもう止めとけ」

 男子生徒は当たった個所を盛んに擦りながら、おずおずとヌンチャクを執行に差し出した。


 執行は男子生徒からヌンチャクを受け取ると、放心状態で項垂れる康太に視線を移す。

「この生徒よう覚えんばって…」

「去年長崎県から転校してきた生徒ですよ執行先生。湯村が二年のとき担任したとですが、大人しい目立たん生徒やったもんですけん、まさかこげな大それたことするてろ…信じられんですよ」

 技術科教師の中島が怪訝な顔で答えた。

「それにしてもようこげなもん旅行に持って来たなぁ」

 執行はヌンチャクを繁々と眺めながら呟いて、康太に噛んで含めるように語り掛ける。

「なぁ湯村、大塚は大怪我しとるんぞ。中学三年ならこげなもんで人殴ったら危ないことぐらい分かろうが」

 康太は押し黙って応えない。

「執行先生、湯村君は今日は興奮しとるでしょうから、後の処置は学校に戻ってからということでどがんでしょうか?」

 ミス原が執行の耳許で囁く。

「ん、そうですな。そいがよかでしょう」と執行も同意する。

 ミス原は執行から預かったヌンチャクを康太の眼前に差し出して、「これは先生が預かっとくよ。よかね?」

 康太がこっくりと頷く。

「みんなこの事はなるべく触れんように」

「後の事は先生たちがやる。いいな」

 執行は両手で生徒を押しやる仕草で、「ほら、先急げ」

 事を聞きつけて、学年400人の殆どが集まって厚い人垣ができていたが、次第に崩れていった。康太はこの凶行で学年の反感を買った。一組の中で完全に浮いた存在になってしまった。もともとクラスでは村八分のような状態だったから今さら何とも思わないだろうが。


 中島が顎にタオルを当てて寝かしている大塚を乾いた眼差しで見遣りながら、「先生、大塚はだいぶ酷かようですが…」

 その言葉内には、大塚の容態に対する心配よりも建前的なものが強かった。大塚は坪口と双璧を成す学校一の悪だ。かつあげ・喧嘩、殴られた生徒は数知れず、報復を恐れて誰も教師・親に報告しない。

 教師などへとも思っていない。授業妨害は日常茶飯事、机に足を上げて漫画本など見ている。女性教師は怖がって、授業中、大塚・坪口には見て見ぬ振りで、腫れものに触るように接している。

 奴らは時折、懐にナイフを忍ばせている。気分次第でどこかの組に出現し、教室後方の板壁に的を描いて、生徒の前でナイフ投げのデモンストレーションだ。ただちゃんと刺さる率は五回投げて一回くらいだが。

 機嫌を損ねたら最後、時・所構わず暴れ回る。停学・退学のない中学校は奴らにとってはまさに天国だ。大塚・坪口を抑えることが出来るのは、ガタイがデカく柔道有段者の体育教師の執行だけだ。奴らは何度も執行に組み伏せられているし、刃向かってぼこぼこにもされてもいる。執行はまだ30代前半だ。

「そうですな。まず大塚と湯村の父兄に連絡して、すぐ宮崎市内の病院に連れて行きましょう」と執行。

 

 足をちょっと引き摺って歩く康太の前後では生徒のひそひそ話が囁かれていた。

「危ねぇ奴やなぁ。あいつあんなもんズタ袋に入れとったんか」

「頭おかしいんやないんか」

「護身用か何か知らんばって、普通ヌンチャクとか修学旅行に持ってくるかぁ」

「危ねぇ奴には近寄らんに限るぜ」

「糞が!転校生のくせしやがって」

「あげな奴ぁ無視じゃ。気色悪ぃ」

 しかし、こういう空気の中で、三浦美代子だけは初めて康太を意識したような反応を示す。

「ばって大塚君も惨めやね。日頃突っ張っとってもああ見事にやられると幻滅ね」

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