ちゃんと話し合って分かりあうのは賢い
特に恨みがあるわけでもないクラスメイトを全員殺す。それも遊びで世界を滅ぼそうとしている魔王様の命令で。
非常に今更ながら、その行為に意味はあるのだろうか。やはり他人から言われると迷ってしまう。
日本に戻った俺は、魔王様に呼び出されることもなく、学校も休みと言う二重の意味での休日の中でとりあえず学校近くの駅に向かった。
遊びをしたかったわけじゃない。ただ、どこかへ行こうと思っていただけだった。
その行った先で、見たくない物を見ることになったのは、必然だったのかもしれない。
「この子を知りませんか?」
「この子を見ていませんか?」
「今、探しているんです!」
俺は、こちらの時間でも結構な時間の経過した、クラスメイトの失踪に関してビラを配っている人たちを見つけていた。
彼らのステータスを確認すると、その名前が分かった。
若竹 はぐくみ
状態 軽度の焦燥 わずかな諦念
加寸土 学
状態 軽度の混乱 わずかな諦念
二人を解析したところで、概ねを理解する。
ああ、つまりはウチのクラスメイトの、その親なのだと。
今異世界でノリノリでレベル上げとか、ハーレム形成だとか、現代知識で俺ツエーとか、モンスター退治だとか、ダンジョン攻略だとか、そういうことをしている奴らの、その親御さんだった。
俺がこれから殺す、クラスメイトの親だった。
心が重くなることを感じて、俺はその場を離れていった。
その道中で、交番を見つける。
そこには犯罪者の情報を求めるチラシと、行方不明者の情報を呼び掛けるチラシがあった。
つまりは、どっちも俺がお世話になりそうな、無関係になりそうにない話である。
「結局のところ……俺も傍観者気取りの痛い奴だったってことか」
駅近くの本屋に入る。そして小説を探してみる。
お目当ては、異世界へクラスごと召喚された設定の小説だ。
俺自身が参考にしていた、クラスメイトの多くが参考にしていた、異世界転移小説の数々がそこにあった。
果たして、俺の判断は正しかったのだろうか?
確かにあの時、魔王様が俺達を殺そうとすれば確実に死んでいた。
だが、その気はなかったのだろう。きっと、他のクラスメイト同様に生かされていたに違いない。
俺は皆と一緒に、この力で魔王様を倒す方法を探るべきだったのだろうか。
「まあ、この本に罪はねえよな」
全員ではないが多くのクラスメイトは、きっと読んだことのある本を思い浮かべたに違いない。
そしてその全てに『作者』がいて、勝ち目が存在するものだった。
ある意味当たり前だが、どんなに頑張っても絶対に倒せない、そんなラスボスはいない。
倒すべき敵は、どんな過程を踏むとしても必ず倒せるのだ。
だが、俺達の人生に作者がいる可能性は薄いし、あったとしても俺達に勝ち目があったかどうかはわからない。
だが、あるとすれば。
俺が知らないだけで、もしかしたら『宇宙ヤバイ』魔王様に対抗する手段があるのかもしれない。
確かに俺は皆を裏切ったが、まだ 一度もクラスメイトと戦っていないし、まだ誰も殺していない。
まだ、俺には踏みとどまる機会があるのではないだろうか。
「まあ、鋼や加寸土の奴は確実に許してくれないだろうが……」
俺は自分だけ助かろうとした。今でも自分の事しか考えていない。
そんな俺でも、今ならまだ間に合うのではないだろうか。
例えその先に死が待つとしても、帰りを待つ親の元に帰せるように努力するべきなのではないだろうか。
「……クラス転移に限らず、異世界転移系は元の世界に未練が無いか」
今の彼らが何をしているとしても、ほぼ確実に親の事なんて考えていない。
親が必死になって探していることなんて考えもせずに、向こうの世界で『楽しく』『楽に』チートライフを送っているだろう。
でも、そんな彼らでも親にとっては子供だ。きっと、家に帰ってくれば大喜びだろう。
きっと、向こうの世界でレベルを上げた結果体型が変わったり、服が凄いことになったり、綺麗な外国のお嫁さんを沢山連れ帰ったりするのだろう。
それでも、きっと無事を喜ぶに違いない。異世界から帰ってきた英雄と、もしかしたらもてはやされるのかもしれない。
「然るに俺はどうなんだろうねえ」
例えそれがどんなにか細い道であったとしても、自分は彼らのために戦うべきではないのだろうか。
魔王様に滅ぼされようとしている星の事はともかく、能天気に振る舞う彼らを、必死になっている親の元へ帰すべきではなかったのだろうか。
友情以前に、人の道に反することではないのだろうか。
そんな風に生きながらえて、それで良しとなるのか。
確かに彼らを友人と思ったことは無いのかもしれない。しかし、別に恨みがあるわけでもない。
もっと言えば、あの星の住人だって滅ぼされるほど悪くは無いだろう。
はっきり言って、あの魔王様を倒そうとするべきなのではないだろうか。
そのために、魔王の城の内側から何かをするべきなのではないだろうか。
「そんな度胸が俺にあるわけもないし……」
それでも後ろ髪を引かれるのは、俺が彼らにまだ手を差し伸べることができるから。まだ殺していないから。
一度殺せば、踏ん切りがつくのだろうか。
※
俺は自宅に帰って、横になっていた。
スマホを弄って、無料で小説を読むことができるサイトで『異世界にクラスごと召喚される作品』を読んでいた。
あるいは、複数の勇者が召喚される作品を読んでいた。
玉石混交の極みともいうべき作品の中では、大抵の主人公が絶対的な存在であり、彼を中心に話が進んでいく。
ざっくりいえば、主人公の敵に回ったクラスメイトは何処までも落ちて行き、主人公の周囲の女生徒は何処までも彼に心酔し……。
つまり、普通の娯楽作品と一緒だった。
主人公を中心に世界が回っている。それは多くの作品で言えることなのだろう。
主人公がどんな苦境に陥ったとしても、それは更なる飛躍の前振りでしかないのだろう。
然るに自分は?
クラスメイト全員を敵に回して、ラスボスから力を得て、更に人間の姿さえ失いつつある。
こんな自分が、実家でごろごろしている。色々と問題は多いが、魔王様は全ての約束を守っている。
こんな卑怯者は、それこそ主人公の敵役ではないのだろうか?
別に主人公っぽいことをしたいわけではない。主人公っぽいならば、あの場に残るべきなのだろう。
「理、ご飯よ~~」
夕食である。
俺は母さんに呼ばれるままに起き上がる。
そして、リビングに行った。
そこには夕食が机の上に並んでいる。
「今日もお父さん遅いらしいから、さっさと食べちゃって」
「あのさ、母さん」
都 彩子
状態 空腹
俺は、どうしても聞きたいことがあった。
既に違う時間の流れで生きているお母さんに、聞かないといけないことがあった。
母さんにとって、俺は毎日会っている息子だ。
でも俺にとっては、時折の空白が生じる母親だ。
そして、母さんにとってはそれが当たり前でも、俺にとっては薄氷の上のことだ。
俺は、魔王様と魔王様に滅ぼされそうになっている国の関係で、クラスメイト全員を見捨ててここにいる。
「駅前で、さ……一年A組の、その……お父さんやらお母さんやらがさ……その、ビラを配ってたよ」
親に対して愚痴を言っていた子供がいたと知っている。
子供が親に対して自立心を持っていることも知っている。
でも、あの光景には俺もぐらつくものがあった。
「そうね……あの人たちも大変ね……」
「何か、言われなかった?」
「ええ、まあね」
他の誰も行方不明になることなく、ただ一年A組の生徒だけがいなくなっていた。
ただ一名を除いて。
だったら、そりゃあ俺に何かを聞こうとするだろう。実際、警察も教師も俺に話を聞こうとしていた。
そして……それは母さんにも及ぶことだろう。
「何か知っていることはないかって聞いてくる人もたくさんいてねえ……それだけならいいんだけども……」
「やっぱあれ? なんでお前の息子だけとか?」
「そりゃあね、言われもするわよ。全員が全員じゃないけどね、言う人はいたわ」
そりゃあそうだ、どこの親だって、そう思っているだろう。
自分の息子や娘が行方不明だ。ウチみたいに一人っ子じゃないとしても、そりゃあ親は必死にだってなるってもんだ。
そんな、言っちゃいけないことだって、言いたくもなるだろう。
例え何も悪いと思わないとしても、誰かを悪くしないとやりきれないのだろう。
「ごめん」
「なんであんたが謝るの。そりゃあ私だって、言い返したいとは思ったわよ。でも私だってあんたが行方不明になって、他の所の子が無事だったら、きっと同じこと言ってたと思うしねえ……」
「うん……」
「だからね、理。アンタはそんなこと気にしなくていいの」
「え?」
「私は、あんたが無事に、何事もなく帰ってきてくれて本当によかったって思ってるんだから」
それは、そうだろう。
どこの親だって、そう思うに違いない。
でも、そう言ってもらえると、思うところはあるわけで。
ああ、でも、本当に、その言葉はありがたくて。
「本当に、そう思う?」
「当たり前じゃない。アンタは私の息子で、他の子なんてどうでもいいの。息子と、息子のクラスメイトとその親御さんなんて、比べるまでもないじゃない。そりゃあまあ、同じ親として思うところあるわよ。でもね、あんたはまだ子供なんだし、私は無事な一人がアンタで良かったって、本気で思ってるんだから」
「……酷いな」
「外で言ったらだめよ? 世間は厳しいんだから……でもね、これから先何があっても、絶対に帰って来なさいね? アンタは責任なんて感じなくていいんだから。私もお父さんも、アンタの事だけが大切なんだから」
何とか堪えながら食べる食事は、涙の味がしていた。
※
「……」
俺はベランダから飛び降りて、マンションの一室を抜け出して夜の街を歩いていた。
そして、夜の駅前に向かう。そこには、俺が昼に逃げた物があった。
行方不明になった二十九人の顔写真、それの書かれたビラだった。それを見て、俺は自分の中の殺意を確かめた。
これから先殺さなければならない二十九人を、再確認する。
そして、彼らが永遠に帰ってこないことで、絶望と共に全てを諦めていく彼らの家族を思った。
彼らが帰らないことで、一体何人が苦しむだろうか。二十九人が死ぬことで、両親が悲しむとして、五十八人。兄弟がいる奴だっているかもしれない。家族ほどではないとしても、友達だっているだろう。
百人以上を悲しませることになることは確実だ。
俺の場合はどうだろうか。俺が死んだら、俺の両親が悲しむだけじゃないか?
「俺は、殺すよ。俺が死なないために」
それで十分だ。俺には十分すぎる理由だ。
俺が死んで、帰ってこないことで、両親が悲しんでしまうなら。
それは、きっと俺が人の住む世界を見捨てるに足る理由だ。
「あと、二十九人……!」
全員殺す。
全員殺して生き残る。
チート能力で殺すことも、九つの尾で殺すことも、魔法で殺すことも。
剣で殺すことも、石で殺すことも、殴って殺すことも。
この世界で殺すことも、あの世界で殺すことも。
何も変わらない。そう分かった上で、俺は二十九人全員を殺す。
俺は、俺が死なないためだけに、俺のクラスメイト二十九人を全員殺す。
「俺のために、全員殺す……!」
能力が決定しました。
第一尾 斥力の尾
第二尾 傀儡の尾
第三尾 猛毒の尾
「俺が、これからも変わらずに家に帰るために……!」
俺は、俺のために、人を殺す。
※
何事もなく、静かな朝が訪れた。
俺のクラスメイトが全員行方不明になって、もう数カ月は経過したのではないだろうか。
にも関わらず、世界は滅ぶことはない。朝日は昇って、なんの支障もなく一日が始まる。
たった二十九人が行方不明になったぐらいじゃ、何も変わらないこの星の朝だ。
異世界を救うために赴いた、二十九人が行方不明なまま帰ってこなくても支障なく朝は来るだろう。
もちろん、俺がこの手で殺しても、何の問題もない。俺が死んだって、そのままだろう。
そんな朝が、今日も来た。
「母さん、行ってきます」
学校に行く時間になったので、俺は家を出ようとした。
そんな俺を、母さんが送ってくれる。ようやく気付いたのだが……結構心配そうだった。
「また何かあるかも知れないからね……寄り道しないでね」
「うん、大丈夫。直ぐに帰ってくるからさ」
俺が死んでも、この世界になんの影響もないとしても、俺の両親も悲しむんだろう。
それなら、それを防ぐためだけでも、俺が戦う理由にはなる。
※
仲間は素晴らしい、絆は素晴らしい、恋愛は素晴らしい、友情は素晴らしい。
物語に、絵巻に、書物に、小説に、事あるごとに描いてある。
それは力を、金を、摂理を覆す力となる。
文豪が、詩人が、歌手が、言葉を変えて記している。
魔王の娘、ウイはそういう物が好きだった。
よくも俺の仲間に手を出したな!
俺の女に傷一つ付けさせねえ!
俺の家族は俺が守る!
そんなありふれた言葉が、どこにでもいる子供のように、彼女にとっては好ましいものだった。
大抵の書物で『魔王』が負けるのは娘としてどうかと思うが、それはそれとして強大な敵に挑む彼らはとてもかっこよかった。
強大な相手に勝算薄くとも挑み、勝利する。それは何とも言えないカタルシスがあった。
そんな話をすると、母は笑う。そんな自分を可愛いと笑う。
自分の最大の楽しみは、そんな『きれいごと』に酔っぱらって、勝ち目もないのに勝ちを確信して挑んでくる相手を叩き潰すのが快感なのだという。
お母さん、嫌い。
そう言って、彼女の下を走り去ったこともある。
もちろん、ウイもわかっている。
実際母は最強で、脅かすものがこの宇宙に現れることは無いのだと。
現実と物語をごっちゃにしてはいけないのだと。
だがそれはそれとして、母親と娘以外の関係性にあこがれを持っても、さほどおかしくは無いだろう、と思ってもいた。
同年代の友達、或いは恋人。
異性同性を問わず、同年代の相手との『対等な関係』に憧れる。
それは無理もない話だった。
少なくとも、母親の次に慕い、おそらく父親とはこういうものだろうと思っているギュウキは、宴の席で良く語ってくれた。
友とは良いものである。
一緒に過ごした時間はかけがえのない宝であり、思い返すたびに心が温かくなるという。
彼らが罪を犯し、罰を受けるならばその時は共に首を斬られても惜しくはない。
例え今は会えずとも、決して彼らの事を忘れることはないという。
「じゃあ、私にもそんな友達ができるかしら?」
「さて……それは姫様次第ですなあ」
まさか、魔王の城に自分以外の人間がいるわけもない。ましてや、同世代の子供が。
仮にいたとしても、それは下男か奴隷扱い。そんなものが魔王の娘である自分に、声をかけられてもうまく応対できるわけもなし。
仮にも魔王の娘である自分の友である。できることなら、相応の相手がいい。
そんなどこにでもいる誰かの様な夢を見ていたウイの前に、都が現れた。
「え、人間の男?」
「そういう言い方はどうかと思いますがなあ……まあ、そうですぞ」
「その人、どんな人?!」
「臆病なところはありますが利発で、誠実で正直かと。ウイ姫様と同じお年頃ですな」
ギュウキの言う都の人物像に、彼女の期待は高まる一方だった。
しかし……。
「え、勇者なの? じゃあチート能力を持っているの?」
「さようです。解析という、相手の力を視認する力を持っているようですな」
「それって、読心術みたいなもの?」
「それとはまた別なようですが……あくまでも相手の力量を見極める力のようですな」
「……相手がどれだけ強いかわかるだけなの? それって、役に立つの?」
もちろん、何の役にも立たないというわけではあるまい。
しかし、仮に相手が火の魔法を使うと分かったところで、自分に対抗手段が無ければ燃やされて死ぬだけだ。
逆に、火の魔法が弱点だと分かっても、自分に火の魔法が使えないとそれまでではないか。
「いえいえ、最も重要な力ですぞ。確かに相手と戦って勝つ、ということであれば不要に思えますが……世の中には必ずしも戦わねばならない、という状況も、その逆もそうないのです」
「どういうこと?」
「戦うことも勝つことも、一つの手段であって絶対の手段ではありませんからな。相手の力を計り、自分の力を計る。そして不要な争いを避ける。それはとても『賢い』ことと言えますな。まあ、儂は未だに若い! そうした賢しい在り方にたどり着くにはどうにも血気が余って仕方がない! 強ければ強いほど、挑みたくなる性分でしてなあ」
不要な争いを避ける。それはとてもカッコ悪いことに思えた。
勝てない相手に尻尾を振る。それはとても格好が悪いように思える。
そんな卑屈で卑怯で、勇気という物を持たない男がこの魔王の城にいる。
もしかしたら、自分の友達になってくれるかもしれない男が、そんな奴では拍子抜けだ。
「それに……その力があればこそ、魔王様に挑むことなく命を拾ったともいえますしなあ」
「そうよね、お母さまは一旦敵になったら容赦しないから」
「……先に申し上げておきましょう、姫様」
膝を付いたギュウキは、それでもウイより大きい体をさらに縮こませて、視線を合わせていた。
「彼は、同じ学び舎に通う級友の多くを裏切って、見捨て、自らだけの助命を願い……その級友を討つことを良しとしています」
「友達を、裏切ったの?!」
「そうなりますな」
それは、不誠実の極みではないだろうか。
そんな奴、顔も見たくない。
そんな奴など、母親に頼んでたたき出してほしいところだ。
「ですが、姫様……彼は既に魔王様が迎えた、我らの同胞。余り厳しく接しては可愛そうというもの」
「ギュウキは……ギュウキはそれでいいの? 友達の事を大事だって、いつも言っていたじゃない」
「無論、儂にとっては宝ですな」
「だったら、友達をあっさり見捨てて、友達をあっさり殺そうとしている奴を、仲間だって言えるの?」
「無論です。儂の敵は儂が決めるのではなく、魔王様がお決めになること。魔王様が迎え入れたのであれば、誰であっても我が同胞です」
「……そんな奴と、私は仲良くしたくないわ!」
「なるほど、それも御尤もですな。ですが……儂が宝に思っているのは、あくまでも『儂の友』なのです」
とても真剣な目をして、ギュウキは諭すように語っていた。
その在り方は、彼女にはとても、心に刻まれるようだった。
「自分のために都合よく振舞ってくれる『友』、自分と一緒に苦楽を共にしてくれる『友』。そんな『者』は何処にもいません。友とは関係性であって、個人ではない」
「難しいことを言うのね、セラエノみたい」
「ガハハハ! 確かに浅学の身でえらそうなことをほざいたものです。ですが、これだけはしっかりと申しておきましょう」
「なに?」
「大切な『誰か』は、己で決めるのです」
ギュウキは、その固い手でウイの肩に手を置いていた。
その上で、真摯に語っていく。とても大事なことを語っているのだと、伝わるように。
「私が決めるの?」
「そうです。姫様が大切にしたければ、彼を大切にすればよい。彼をないがしろにしたければ、ないがしろになさればよい。ただ、それは貴女が彼を知ってからでよい」
「……でも、ソイツは友達を裏切るんでしょう? 私がソイツと友達になっても、その内裏切られて殺されるんじゃ……」
「そこを含めてです。彼が友を見捨てたことは、決して消えませぬ。その上で、彼とどう付き合うのか。彼の何を信じるのかを決めなされ」
「そいつの、何を?」
「過去の罪か、自分とのつながりか、をです」
一度友を売った男である。今後も売らないとは、誰にも言えないことだろう。
だがその事実を今知らなければ、後で知れば、それはより大きな歪みとなる。
彼は級友を全て見捨てて、力がある魔王に組した。それは彼が此処にいる理由そのものだ。
それを知った上で、ウイは彼と接さなければならない。それがギュウキの思う、正しい人間関係の始まりだった。
少なくとも、今のウイにはそれが必要だと信じて。
※
「ああ、ウイや。どうしたな?」
硬めの皮ではなく、柔らかい毛皮のソファーでくつろいでいる魔王。どうやら、退屈しのぎにセラエノから何かと話を聞いているようだった。
その彼女に、ウイは話しかけていた。魔王が暇である、と言うこともそうなのだが、ウイには魔王に対して『母と娘』という関係で接することが許されている。
無礼をすれば叱責するし、下品なことをすれば罰を与えられ、不敬なことをすれば折檻される。
それでも、それは一般的な裕福な家庭の域を出るものではない。魔王は長い時間でそうした適切な親子関係を熟知していた。
だからこそ、ウイは歪むことなく魔王の子女として恥じぬ立ち振る舞いをできている。
もちろん、それは魔王の娘のそれではあるのだが。
「お母さま、新しい玩具で遊んでいると聞きました」
「玩具、ふむ、コトワリの事であるな。うむ、楽しんでおるぞ」
彼女にとって、勇者を直接倒すなど手間さえかからないことだ。
チェスの盤上に並べられた駒を、ケースにしまう程度の手間しか要さない。
だからこそあえてギュウキなどに戦わせて、その様を見て楽しんでいるのだ。
とはいえ、掌中の駒と盤上の駒ならば、明確に違いはある。
ウイほどに愛でることはないが、忠義をつくすならば相応に大切に扱うのだ。
故に、お気に入りの玩具、という程度には気に入っている。
「身の程を知り、反抗的ではないからのう。敵方の勇者なら、その程度の気概や陶酔を持たねば興ざめだが、飼うならば身の程を知り弁えねば可愛くない。初々しい反応をする、若い玩具じゃ。それがどうしたな?」
「私、ソイツと遊びたいの。いいかしら?」
「あれと遊ぶか……まあよかろう。ただし、痛めつけるなよ? 無論、ふしだらな真似をされればこの母を呼べ。良いな?」
「うん、分かったわ」
ウイにとって、魔王は正しく母である。
比較対象が創作物程度しかなかったこともあって、彼女は魔王を母として慕っていた。
母が言うには、ウイは魔王の管理する宇宙の星のどこかで、捨てられていた赤ん坊の一人をランダムに選んで拾ってきたという。
血のつながりが無いことは知っているが、その程度の事でしかない。
魔王は今までも『娘』を育て、独り立ちさせては遠くから見守り、看取ってはしばし浸る。それを何度も繰り返しているという。
ウイは現在唯一の娘であり、既に全員死んでいる『姉妹』の中では一番下の妹だった。
そして、彼女は自分がそうなると知っている。この宇宙で、最も恵まれた人間と言い切っていい。
「まあ、アレは心底我に心服している上に、そう強欲でもない。勤勉な男ゆえに、そうそう無謀な真似はせぬであろうが……余り心を許すなよ? 間違いという物は、誰にでもあるもの故な」
「うん」
非常に当たり前だが、ウイは人間であり、無力である。
おそらく、そこいらのチンピラが木の棒を持って彼女を叩けば、それだけであっさりと殺せる程度の存在でしかない。
それは魔王が『娘にそんなことしても仕方がない』と思っているからであり、魔王の城にいる限り全く必要ではないという事実があるからだ。
故に、未だに弱い都でも十分襲うことはできる。その後何が待っているのか、語るまでもないが。
「もしもの時は……避妊をせよ」
「お母さま?!」
「ウイはまだ子供故な、産むのは早い。セラエノ、避妊具の用意を」
「承りました」
「い、要らないわよ!」
ウイはセラエノが好ましくないと思っていた。
もちろん、色々なことを知っているし、自分をないがしろにすることもないのだが、何分デリカシーが無い。
その辺り、ギュウキの方が理解があるほどだ。もちろん、本の付喪神故に仕方が無いのだが。
「冗談だ……うむ、笑えぬな。自分で笑っておいて、笑えぬ。母の失言を許してほしい」
急に真面目になる魔王。
寝そべったままだが、表情は真顔だった。
「思春期のウイには、少々刺激が強かったか。笑えぬ冗談ほど質の悪いものは無い」
宇宙を創造し管理し、気の向くままに星々を滅ぼして遊ぶ魔王の言葉とは思えなかった。
だが存在そのものが悪い冗談ともいえる魔王も、娘に対しては母として接していた。
そして、今のは謝らねばならないところである。
「うむ、アレはそう悪い虫でもない。しかし、今は我が愉しみつつ育てている『男』でもある。余り母の楽しみを奪ってくれるなよ?」
「それはどういう意味?」
「男という物はな、些細なきっかけで大化けするものだ。今は我が身可愛さに腹を見せて慈悲を乞うているだけだが……」
「お母さまにかみつくの?」
「いいや、意思をもって己の選択に責任をとるであろう。男が化けるとは、中身の話よ。やることは変わらぬが、貫禄が付く。それはそれで、見ていて楽しいものだ」
※
彼と遊んでみると、ウイは思いのほか楽しめていた。
彼は敏い人間だったので、ウイがどう遊びたがっているのか理解し、変に偏らないように遊ぶことができていた。
どっちも傷つくことなく全力で戦うことができ、しかもどちらが勝つのかわからない。
そんな遊びを、彼とするのは楽しかった。時間が流れるのが緩やかに思えて、もっと彼と遊びたいと思うようになっていった。
そして、それを重ねるごとに胸に積もっていくものがあった。
つまり、彼がそもそもここにいる理由である。
「変なこと言っちゃったかしら……」
死の危険、という物を感じたとこが無いという意味では、彼女は一般的な日本人とそう変わらない。
魔王に命を狙われる、或いは魔王と敵対して確実な死を迎える。それらを正確にイメージできずにいた。
それはなんとなくわかっているので、無神経なことを言ったと後悔もしていた。
ウイが言ったことは、極論すれば『魔王に従うよりも友達と一緒に戦って死ねばよかったんじゃないの』という酷薄なものだ。
少なくとも、魔王の庇護下にあり絶対的な安全の保障されているウイが言っていいことではない。
「怒ってないといいんだけど……」
ウイは反省していた。
彼の心中を全く軽んじていた。
対等な友人と呼べるものがいない彼女にとって、都は遊んでくれた年頃の近い唯一の相手だ。
その彼に迷惑をかけた、嫌われる、というのは余り気分の良いものではなかった。
ちゃんと謝るべきだと思っていたし、ちゃんと話をしたいと思っていた。
そしてできることなら、このまま彼と友達になりたかった。
「……入るわよ」
「どうぞ」
都は少々落ち着いた風だった。
怒っていないことは明白で、前に会った時よりも大人びた印象を受ける。
この雰囲気の変わりようは何だろうか。それは、彼女にはわからないことだった。
「あのね……私貴方に酷いこと言っちゃったわよね、ごめんなさい」
「いえ、いいんですよ。それに、正直そうだなって思いましたから」
何かを悟ったかのような風に、彼は語る。
椅子を彼女の前に置いて、ウイに着席を促していた。
それにちょこんと座った彼女は、ややそわそわしていた。
なんというか、改めて彼と話をすると、緊張してしまうのだ。
まともに都の顔を見ることもできなかったが、顔も見ずに話をするなど失礼千万である。
何とか気を引き締めて、彼と向き合っていた。
「あれから帰って、色々考えたんですけど……楽じゃなくてもいいし、楽しくなくてもいいって思ったんです」
「……いいの?」
例えばそれが友の為に十字架を背負う、愛する者のために汚名を受ける。
そういうこともあるだろう。少なくとも、そういう話は沢山あった。
だが、彼の行いはそれではない。あくまでも自分の命を守るためだけの行為だ。
にもかかわらず、楽でもなければ楽しくもないことに身を投じるという。
それはとても、信じられないことだった。
「向こうに帰って、クラスメイトの親御さんを見ました。見つかるわけもないのに、諦めかけているのに、それでも必死に探していました」
親とはそういう物だ。彼女には母がいるのでよく知っている。
少なくとも、自分が行方不明になったら、母親にはそうやって必死になってほしいと思う。
「それで、そのことを母さんに話したんです。俺の母さんはこう言ってくれました。何があっても、ちゃんと家に帰ってきてねと」
その言葉は、理解できるものだった。
「そっか、貴方は帰らないといけない家があるのね?」
「はい、そうなんです。俺はクラスメイトと一緒に、カッコよく世界を守るために戦うなんて、しちゃいけないってわかりました。俺は、あの家に帰らないといけない。何が何でもです」
それは、強い言葉だった。
確固たる覚悟を秘めた、強い言葉だった。
「俺は、死んじゃいけないんです。例え他の誰をどれだけ困らせたとしても、俺はまた母さんにただいまと言わないといけない。それが分かっただけでも収穫でしたよ。貴女と話をするまでは、なんとなく漠然と死にたくないと思っていただけでしたが……覚悟ができました」
まず間違いなく、不名誉なことだ。
帰るべき家があるクラスメイト達全員を蹴落として、帰りを待つ両親たちの下へ帰さない。
自分と何も変わらないはずの彼らを全員殺してまで、何が何でも生き残る。
それは決して美しいものではない。
それでもいい、絶対に帰る。魔王に魂を売ってでも、自分の家族の下に帰り続ける。
そんな精神状態を何と呼ぶのか、彼女はよく知っている。
「そっか……貴方は覚悟を決めたのね」
「ええ、腹は据わりました。もう迷いません、俺は自分の為だけに、魔王様に従います。その命令がどれだけ悪逆であったとしても……俺は生き残って見せます」
自分の知る物語において、悪とされ敗北する者たち。
それと同じことをほざく彼は、しかし……どこか、格好よく見えてしまうのだった。