賢愚、善悪、罪恥を越えて
ああ、勇者様。ついに呪いが解けたのですね、おめでとうございます。
いいえ、アイテムや聖剣のことではございません。貴方ご自身にかかっていた、貴方ご自身の呪いが解けたのです。
貴方ご自身が理解なさっているはず、己の中の執着が無くなり、寂しくさえあることを。
ええ、貴方はついに、自分の正当性を主張せずにいられない、という呪いから抜け出たのでございます。
ええ、呪いです。貴方は今まで、周囲に自分を全肯定する女だけ集め、何をしても褒めるように強いていました。
正しくは強いていたというよりも、それ以外を認めず怒鳴り散らしていたというべきですがね。
結果的には同じですよ、私めも含めて貴方様の周りにいる女は、他の対応が許されなかったのですから。
ですが、それももう終わりです。貴方はついに執着から解放されたのですから、強いる気はなくなったわけですね。
実際、私から何を言われても、まあそうだろうなと納得できているのでは?
はあ?
今までの自分は悪だったのか、ですか?
変なことをおっしゃいますね。
ええ、下劣で低俗で、野卑で無学なふるまいでしたよ。
個人としては、最低の部類ですね。ええ、軽蔑されても仕方ない、褒めるところの無い振る舞いばかりでした。
ですが、お気になさらず。
貴方がどれだけ横柄に振舞っても、私たちはそれを受け入れます。
貴方が望むのなら、人格も人権も人生も人体も、好きなように踏みにじってください。
たかが二十人、安いものです。
どうぞ、今後も同じようになさってください。
何であれば、飽きたら捨てて、新しいのを所望しても構いませんよ?
貴方が満足するまで、一生こんな生活を続けてください。
こんな生活があと五十年ぐらい続いたとしても、十分に許容範囲内です。
我々は、嫌々うんざりしながらも、我慢してみせましょう。
ええ、全員が喜んで耐える、なんてことはできません。
私は喜んで耐えますが、他はまあ、ええ、程度はともかく辟易しているでしょうね。
でもお気遣いなく、それぐらい我慢するべきでしょう?
だってあなたは、世界を救っているんですから。
どんな手段を使ったとしても、世界を救った功績は多大です。
その貴方に対して、たった二十人の女性を差し出すことも厭う……そんな世界の方が間違っていると思いませんか?
私を含めた二十人で、いったい何ができたんです?
世界の危機に対して、何もできやしませんでしたよ。
そんな役立たず二十人を、どこの誰よりも高く評価しているのは、むしろあなたでは?
そこいらの一般男性に聞いてください。
絶世の美女二十人を好き放題できるから、世界の命運を背負って戦えと。
そのために力を蓄えて、強大な敵に立ち向かえと。
みんな嫌がりますよ、ええ。
挑むだけならまだしも、その前段階として過酷な鍛錬が必要なのですから……。
まあ、実際に請け負っても、全員死んでいたでしょうね。
その程度の報酬でつられるような輩が奮起したぐらいで、先日の危機を打破するなんてできませんから。
それでどうにかできるなら、貴方が出るまでもなく何とかしていますよ。
わかりますか? 貴方は偉いお人なのです。
貴方の功績を、貴方が強くなった方法とか、貴方が身に着けている武具とか、貴方の振る舞いとかで区別する方がどうかしているのです。
無辜の民を指さして、皆殺しにしろと言い出したり。
適当な神殿を指さして、ぶっ壊せと言い出したり。
適当な街を指さして、素人考えの政策を強要しだしたり。
そんな、末期の暴君めいた振る舞いをしない限り、貴方は許容されるのですよ。
ええ、貴方は許容範囲です。
この程度、我慢しないほうがどうかしている。
救ったあなたへ、救われた我らが、商売でならありえる範囲の奉仕をしているだけなんですよ?
※
さて、都理の話である。
登校途中に背中を押され、車道に押し出された彼は、運転手のおかげでなんとか命を拾ったものの、押した犯人を追跡してしまった。
その犯人から逆に暴行を受けて、彼は入院生活を送ることになった。
とはいえ命に別状はなく、甚大な後遺症が残ることもなかった。
学校や警察、家族から無謀な行いを咎められたものの……。
彼は高校三年生という大事な時期に、数か月入院する……という程度の被害に収まっていた。
それによって彼は卒業こそできるものの、実質的に一年の浪人生活を送ることになる。
世間的に見て不幸な目にあった彼は、松葉杖を使ってベッドから離れて、病院内にある庭のベンチに座っていた。
昼ご飯を食べてしばらくたった後、まだ夕日にもならない時である。
黄昏るには早い時間だったが、彼はぼけっとしていた。
その顔には、何もなかった。
罪悪感も、虚無感も、情熱も絶望もなかった。
自然体、と言っていいのだろう。
気負いのない彼は、ただのんびりとしていた。
その彼の脇に、誰かが座った。
病院の患者ではなく、医師や看護師でもない。
明らかに浮いた格好をしているのに、誰もそれに気づかなかった。
「よう、思ったより元気そうだな」
「円木……見舞いに来てくれたのか」
だが都理だけは、それに気づいていた。
自分へ暴行を加えた加害者であるにも関わらず、笑いながら迎えていた。
大げさに喜ぶことはない、しかし自然な笑みが顔にあった。
怨恨による事件だったと、彼は理解している。
だがその加害者が、途中で攻撃を止めたことも理解している。
二人に争う理由はなくなっていた。だからこそ、申し合わせていたように話が始まったのだ。
「お見舞いの品、とかあったりするのか?」
「あるわけねえだろう、来てやっただけでもありがたく思え」
「……ああ、嬉しいよ。お前に会えて、それだけで嬉しい。病院生活って、結構暇だからな」
ごく普通の暴行を受けて、ごく普通に治療を受けて、ごく普通に入院生活を送っている理。
彼を見る円木は、もはや拳を振り上げようとしていなかった。
「お前、真面目に入院しているんだな」
「そりゃそうだろ、暴れたりしないさ」
「そういう意味じゃねえよ。魔法やらアイテムやらで、あっさり治してないってことだ」
「ん、まあな。でもお前は、俺の呪いやらなんやらを解いてくれただろ?」
「あのまま放置してたら、死んでたからな。それは……ズルいだろう」
「お前はそういう奴だもんな」
もしも、理が元気になっていたら。
円木との戦いの結果を、なかったことにしていたら。
それこそ円木は、また怒っていたかもしれない。
両者、それが分かっていた。
だからそれは、口にしなかった。
「卒業はさせてもらえるけど、受験は諦めたよ。一年でちゃんと体を治してから、後輩と一緒に進学するさ」
「なんだ、一浪で大学に行く自信があるのか?」
「結構真面目に頑張ってたからな……お前も知ってるだろ?」
「ああ、そうだった……そうだったな」
円木は思い出す。
いいや、整理していった。
そもそも理は、真面目に勉強している生徒だった。
己のことを相手にしていない、すかした奴だと思っていたが、それは言いがかりだった。
「俺が話しかけてやったのに、勉強してたもんな」
「ああ……お前すげえ邪魔だったよ」
「じゃあ帰るわ」
「おいおい! 待てって! 今は邪魔じゃないって! まだ帰るなよ、寂しくなるだろ?」
わざとらしく立ち上がる円木を、理はわざとらしく大げさに引き留めた。
二人は再び並んで座って、あえて視線を外し合った。
共に同じ方を向いて、本題を始めた。
「お前さ、何があったんだ」
それは今更のように、でも今だからこそ。
「……聞いてくれるか?」
理は、胸の内の秘密を明かしていた。
「もったいぶるなよ、さっさと言えよ」
「……どこから、話そうかな。いや、複雑な事情があったわけじゃないんだが……」
理は、何もかもを語るつもりだった。
だがいざ話そうとすると、中々うまく行かない。
「……ちょっと、待ってくれよ」
とっくに通り過ぎたことなのに、拍子抜けなほどに終わってしまったことなのに。
自分で戦い始めて、そのさなかでも葛藤をして、最後のけじめをつけた後なのに。
どうしてだろう、知らない人に語ろうとすると、涙がこぼれてくる。
いまさら、咎められるのが怖いわけじゃない。悲しすぎるわけでもないし、安心しているわけでもないのに。
涙がこぼれてくる。
それは、自分の体の一部を失って、ふらっとしたときにその喪失を思い出すような。
そんな、そんな、そんな。
「話す、話すからさ」
伝えたい気持ちがある、届けたい想いがある。語りたい罪がある。
ありすぎて、言葉にできない。
円木は、黙っていた。
話を促すことも、怒って帰ることもしない。
かといって、興味津々でもなければ、気遣ってもいなかった。
ただ待っていた、表面上は知ろうとしていたことを、今は語られることを待っていた。
「……俺達は、一年A組は」
理は、最初の一言目を口にして。
それだけで、胸がいっぱいになる。
喉に声がつかえた。
ああ、いつ以来だろうか。自分のことを、一年A組と呼ぶのは。
「異世界に召喚されて、世界を救うように願われた。みんな、結構やる気で、俺もやる気があったんだ……でも……」
あの時は、こんなことになるなんて、想像もしていなかった。
改めて最初から語ろうとすると、当時の心情を思い出してしまう。
心が揺さぶられ続けた日々、その中に戻ってしまう。
言葉にすれば陳腐の極みだが、辛かったことや苦しかったことを思い出してしまうのだ。
「魔王様が現れた。俺達に言ったんだ……」
胸が苦しい。
あの時はただ、助かりたい一心だった。
絶望で頭がいっぱいで、人を殺すことの罪深さなんて考えていなかった。
「今なら、軍門に下ることを許してやるって……俺は、怖くて、裏切ったんだ」
その後は、辛く苦しい日々ばかりだった。
何度も諦めそうになって、その度に頑張る理由を思い出して。
何度も何度も、小さな達成感を重ねて、痛みや苦しみを重ねて。
その先に、今がある。
「だから、俺は……お前の言う通り、俺は、アイツらを殺したんだ!」
楽になっていた。
そんな気がしていたが、気のせいだった。
実際には、しこりが残っていた。
楽になんかなっていない、爆弾が自分の中に残っていた。
だからこそ円木に会った時、それが爆発してしまった。
高揚して、感動して、躊躇してしまったのだ。
「……自分の意思で、自分の選択で。でも、ああ、でも」
何が起きたのか話すというのなら、ここまででも十分だろう。
細かいところなど、話す意味がない。だとすれば、言いたいだけ。
だが、しかし。蛇足ではない、蛇足ではないのだ。
「魔王様の、命令だった」
円木という男が知りたかったのは。否、聞きたかったのは。否、否、否。
理という男に言わせたかったのは、まさにコレだったのだ。
「命令されたならまだしも……俺は、自分の判断で……殺したくないお前を、殺したくなかったんだなあ……」
理は、ようやく安堵した。
自分の中にあった、まともな倫理観。
悪ぶっている心、或いは悪くなってしまった心。
その中にあった、まともな部分。
それを再確認できた、それで十分である。
「俺は、お前の言う通り人殺しで、クラスメイトを殺したくせに学校に平気な顔で通っていて、問い詰められても平然を装っていて……でも、率先して人を殺す奴ではなかったんだな」
余りにも、悲しい安堵だった。
人を殺さなくて良かった、という安堵などできない。
人を殺していなかった、という改ざんはできない。
人を殺したくなかった、という欺瞞はない。
人を殺して隠せなかった、という純真さもない。
だが、率先して人を殺すことはなかった。
余りにも、悲しい安堵だった。
人知れず人を殺した。罰を受けないとはいえ、悪を成した男の。
悪にまみれた手を直視して、その中のひとかけらの汚れていない部分を見つけた。
そんな、安堵だった。
「そうか」
この話を、誰かが聞いていれば。
果たして理は、周囲からどう思われただろうか。
あるいは彼が悪であると、今更のように事件の真相が暴かれるのか。
否、それはない。
聞いていたのは、あくまでも円木一人。
「言いにくいことを聞いたつもりだったんだが、思いのほかペラペラしゃべるな、お前」
「言いにくいんじゃない、誰にも言えなかったんだ。誰かに……いや、お前には言いたかったんだ」
二人は、わかり合っていた。
賢さや愚かしさ、善や悪、罪と恥。
それらを越えきったところにいる二人は、『後日の談笑』を分かち合っていた。
そう、結局この二人は、その域にいる。
二人はもう、己自身の呪縛にまみれていない。世界を救うという祝福もまた、とっくに終えてここにいる。
そうでなければ、二人は。
こんなにも心穏やかな時間を、過ごすことができなかったのだ。
理は二十九人を殺さなければ、生き残ることができず。
円木は自分を傷つけた者たちを痛めつけなければ、呪いが解けることはなかった。
だがそれを越えたところにいる二人は、重荷を下ろして、椅子に座って、語り合うことができるのだ。
二人の間には、もはや勝敗さえもない。
ああ、話し合うとは、分かり合うとは、腰を据えるとは、胸襟を開くとは、腹を割るとは、かくも多くを越えなければ至れないのだろうか。
だがその先にあった対等な関係は、余りにも心地よかった。
分かり合うことが、話し合うことが、伝え合うことが。
相手のことが分かることが、相手の話を聞くことが、相手から伝えてもらうことが。
一方的なようで、そうでもないようで。
二人はただ、晴れやかだった。
「今、お前に、会えてよかった」
理は、涙をぬぐった。
この、涙を拭うという行為が、本当の意味で涙を拭えたのだと、今更のように実感できた。
もう泣かなくていい、泣くことはない。泣ききったから、拭えたのだ。
「そうか」
二人とも、誰かから傷つけられて、誰かを傷つけてきた。
だがもう、それはない。
今、この瞬間だけは、そうだった。
「……お前がどうして俺を倒さなかったのか、よくわかった。ああ、お前が半端者だったから、俺は勝ったんだな」
「ああ、そうだ……半端であることが、愛おしいよ」
「気持ち悪い奴だな……はあ」
ため息をついた円木は、実務を切り出すことにした。
本当は、今の話こそが意味の無いことだった。
だが心の中の秤は、もう帰っていいんじゃないかと、そうふれかけていた。
「……」
だがしかし、ああしかし。
ちょっとしたアイデアが生まれた、だからそれを口にする。
とても、とても素敵なアイデアだった。
きっと理も喜ぶだろう、そう思ったからこそ……。
「おい、理。実はな」
こいつを喜ばせたいと思って、円木は話題を切り出した。
「俺がこの年でこんなに強いのには、いろいろわけがあったんだ。そのうちの一つに、呪われた武具による継続ダメージってのがあってな……」
「……物凄くろくでもない方法の気がする」
「モンスターを倒せばレベルが上がって強くなれるだろ? だがダメージを与えれば、倒すほどじゃないとしても経験値が入るんだ。だから俺は、高レベルのモンスターへ呪われた武器で継続ダメージを与え続けた。それはもう身動きが取れなくなるほど、徹底して呪いまくった。一体や二体じゃない、大量にな。それで継続的に経験値を得ていたわけだ」
「……めちゃくちゃ恨まれてそうだな」
「ああ。しかもお前が呪いを解いたから、そいつらの呪いも解けつつあってな……そいつらは傷を癒したら、結託して俺を襲うつもりらしい」
「……結託する知恵がある相手を、お前は呪いまくっていたのか」
「ああ。聖剣を得た身ではあるが、割とピンチでな」
結構深刻な問題なのだが、円木は今緊張していなかった。
ずっと抱えていたものが、もう解消されてしまったから、なのかもしれない。
もう彼の中に、執着も妄執もない。だが、それでも。
このまま殺されてやるほど、潔くもなかった。
「だからお前、俺に力貸せよ」
「は?」
「お前は一応、俺に負けただろ? 俺と主従契約を結んで、俺の召喚獣になれ」
もう戦わなくていいはずの男を、再び戦いの中に誘う。
無理強いする気はなかったが、それでも乗ってくれると思っていた。
「そんで、俺と一緒に戦え」
「おいおい、浪人生になんてことを……」
「そうしたら、対価として……」
円木は、理の方を向いた。
「今度は、俺の話をしてやる」
驚いた理は、円木の顔を見た。
「……お前の話、聞かせてくれるのか?」
「ああ、聞きたいだろ?」
案の定、理は驚くくらいに喜んでいた。
「……魔王様にお許しをもらったら、いいぜ」
「そうか、お前もう魔王の下僕だもんな」
「ああ、勝手に契約したら怒られちまう。でも……」
理は、心から笑っていた。
「魔王様も、お喜びになるさ」
いつ以来だろうか。
あるいは初めてだろうか。
「そうか……なら期待しているぜ」
円木も、笑っていた。
朗らかに、楽し気に。
一切裏表なく、笑っていた。
多くを越えた二人は、今更ようやく……。
『自分のために都合よく振舞ってくれる『■』、自分と一緒に苦楽を共にしてくれる『■』。そんな『者』はどこにもいません。■とは関係性であって、個人ではない』
漫画に描いてあるような、漫画の登場人物同士のような、断ち切りがたい関係を得ていた。
※
世界を救った勇者、ボール・マックス。
彼は世界を救った後で、呪われていた聖剣を清めた。
だがそれは、多くのモンスターへかけていた呪いが解かれたことも意味していた。
若干十四歳の少年が、世界を救う。その歪みの反動か、世界を救った彼は結託したモンスターたちと戦うことになる。
「来たれ、わが友! コトワリ・ナインテイルよ!」
『おおおお!』
世界中の呪いを集めた勇者は、戦いが終わった後にそれらを清めた。
そして新しく得た乗騎、金毛白面九尾の妖狐にまたがって、その脅威に立ち向かっていく。
「行くぞ、理!」
『まかせとけ、円木!』
余りにも晴れやかに戦う人馬一体の姿を……とある存在は好ましく見ていたという。
※
とある世界で……。
一人の男が、街の掃除をしている。
落ち葉を竹ぼうきで集めて、塵取りでまとめて、ごみ箱に捨てていた。
なんてことはない、ただの掃除夫だった。
その脇を、一人の男が歩いていく。
「よく頑張った」
話しかけられたのかと思った彼は、掃除夫を見る。
だが掃除夫は、相変わらず掃除をしていた。
気のせいかと思い、彼は去る。
だが掃除夫は、続けて言った。
「私は、驚いた。まさか、彼に負けて、彼と救い合うとは……」
神は、目を閉じる。
「だが……満足のいく結末だ」
神は目を開き、掃除を再開する。
掃除の仕事は、まだまだこれからである。
この物語を読んでくださり、誠にありがとうございました。
読者の皆様に、深い感謝をお伝えいたします。
明石




