罪が暴かれるまで
この俺都理は、多くの誘惑にさらされてきた。
それは可愛い女の子が言い寄ってくるとか、そんな前向きなものじゃない。自分の中から湧き上がってくる、どうしようもない弱音だった。
誰でも体験する、誰の中にもあるもの。頑張らない理由探し、頑張るのを止める理由探し。俺や加寸土はそれに勝ち、離島たちはそれに屈した。
その中に、俺が今持っている幸せへの疑念があった。
頑張って頑張って、二十九人のクラスメイトを全員殺したとして。
頑張ってよかったと思えるような、幸せな日々に浸れるだろうか、と。
俺の出した結論はシンプルだ。
幸福になれない日々が続くとしても、死ぬよりはましだと。
あの十五人を殺した時、それは間違っていないと確信した。あんな絶望、味わいたくない。
そして他にも……両親が不慮の事故で死ぬ可能性も考えていた。
どれだけ頑張って両親の元に戻っても、その両親が事故や病気で死んで、なんのために頑張ったんだって悔いるんじゃないか。
そんな考えが、やっぱりあった。
それに対して、やっぱり俺は答えを出した。
それは仕方ない。誰にでも起きてしまうことなのだから、その時は諦めて受け入れるしかない。
だからこの状況も、決して想定外じゃない。
どこかのバカに、両親が殺されてしまうかもしれない。
それは、起きてしまうかもしれないことで、泣いて悲しんで、受け入れるしかないことだ。
だがそれは、無防備に受け入れるような話じゃない。
避けられるのならば、避けなければならない。
避けるために最善を尽くさなければ、何のために頑張ったのかわからなくなる。
いや、仮に俺が魔王の下僕でなかったとしても。
父さんや母さんが、自分なりに家族を守ろうとしたように。
俺は俺で、家族や自分を守るために、最善を尽くさなければならなかった。
※
クラスメイト二十九人を殺し、さらに離島がループを諦めたその日から、魔王様は俺へ興味を失っていた。
それは見捨てたとかではない。ソーシャルゲームで言えば、キャラクターのイベントが終わったとか、その程度のことだ。
俺を嫌いになったわけではないし、俺を用済みと思ったわけでもない。
しいて言えば、棚に飾るトロフィーだろうか。もう終わったことであり、壊したり捨てたりしない。
仮に動き出して話しかけてきても、頻繁でなければ怒ったりしないだろう。
そう思ったうえで、俺は魔王様へ謁見を願っていた。
今の俺は、魔王様の城へいつでも行くことができる。そして魔王様の城に行ってから戻るまでの間、元の世界は止まったままなのだ。だから俺が留守中に両親が襲われる、なんてことはない。
迷うことも恐れることもなく、この地へ来ていた。
「……どうしたのだ、コトワリよ。その鬼気迫る顔、中々難事を抱えておるようじゃな」
「お察しの通りです」
いつもの通り寛いでおられる魔王様。
進化した俺のチートには、相変わらず『無理』という表記が列挙されている。
このお方の機嫌を損ねることは、絶対に避けなければならない。
だがだからこそ、俺の方から関わらなければならなかった。
「地球に残っていた勇者の家族や、勇者の通っていた学校の責任者……そして、およそ関係ないはずの男が相次いで襲われました」
「ふむ……」
「場合によっては、私や両親も襲われるかもしれません」
俺がここに来た最大の目的、それは戦闘の許可をもらうことだ。
「その際には、私に力を振るうことを許していただきたいのです」
「……」
数多の世界を支配する、絶対の強者。
文字通りの意味で、次元が違うお方。
その魔王様が、俺の言葉に返答ができていない。
その理由を、俺は既に知っていた。
「セラエノから既に聞いていようが……お前の世界は、我が支配下にない。つまり……そもそも許可を出すも出さないもない」
俺の生まれた世界は、魔王様が支配している世界ではない。
神と呼ばれている別の高次元のお方が、独自の価値観で管理していらっしゃる。
つまり魔王様にも同等の相手がいらっしゃり、世界を滅ぼすように消す、ということができないのだ。
それどころか、魔王様の僕である俺が神へ迷惑をかければ、魔王様でさえ迷惑をこうむるだろう。
試す気はないが、俺が唯一魔王様を困らせられる手段といえるだろう。
「よって、できることは忠告のみ。お前の生まれた世界の、そのルールを乱すな。もしもそうなれば、我が助けようと思ったとしてもどうにもならぬ」
「寛大なお言葉に感謝いたします」
戦うな、とは言わないでくれた。それだけで、俺としては涙が出そうなほど嬉しい。
もしも無抵抗で殺されろと言われれば、俺はそれに従わざるを得ないのだ。
自分に飛び火する可能性があると知ったうえで、俺へ忠告をしてくれる。超越者であらせられる魔王様は、俺にとてもお優しかった。
「……それから、ギュウキとセラエノには訓練の許可を出しておく。鍛えたくば、頼ってもよいぞ」
「ありがたき幸せ」
「なに……あれだけ苦心して鍛えてやったお前が、取るに足らぬことで死ねば我も面白くは思わんのでな」
ツンデレとか照れ隠しとかではない。本心から『せっかくクリアしたゲームのデータが壊れて欲しくない』と思っているだけだ。
だがそれでも、俺には十分すぎるほどの温情だ。頑張って自己解決しろよ、と言ってくれるだけでも感謝しかない。
「この御恩……一体どうお返しすればよいか……」
「ことが終わった後に、顛末を報告するだけでよい。お前が抱えた難題……気の抜ける結果になっても面白そうなのでな」
魔王様の笑みは、それこそ追加シナリオが発表されたようなものだろう。
正真正銘、俺自身が遭遇した俺自身の解決するべき問題。
運任せで何もせず、ただ祈って震え、誰かが問題を解決した後で、何もありませんでしたと胸をなでおろす。
そんな無様を晒すはずがないと、期待なさっているのだ。
その期待に応えるため、ではない。俺は俺の家族を守るために、最善を尽くすと決めていた。
※
俺は勇者になった十人のことを、決して嫌っていなかった。むしろ、とても好ましく思っていた。あの十人を殺すために全力を尽くしたが、憎んだりしていなかった。
多分それは、アイツらも同じだろう。いや、それは流石に押し付けだとは思うが……共感は出来ていた。
戦いを通じて、俺達はお互いの苦労を理解しあった。理解し合ったからこそ、その努力に対して軽蔑はなかった。
俺が悩んで苦しんでいたとき、アイツらもまた苦しんでいたのだ。
だから、尊敬に値した。殺されてもいいって、本気で思えた。
一生懸命頑張った、頑張り抜いた、言い訳に逃げず最善を尽くしたアイツらに、心を動かされた。
そんな俺だから、逆も想像できる。
一生懸命頑張って結果を出した俺を、評価してくれる人がいる。
それは決して、不思議でもご都合主義でもない。
「話は聞いたぞ。何やら面倒なことが起きているかもしれんらしいな……親族に累が及びかねんのなら、さぞ恐ろしいだろう。助太刀してやりたいぐらいだが……あいにく目立つのでな」
「私もお力添えいたしたいところですが、それは叶いません。せめてと思い貴方の世界で戦うために必要な戦術をいくつか構築いたしました、どうか参考になさってください」
ギュウキ様とセラエノ様は、謁見の間の外で俺を待っていてくれた。
ついさっき魔王様が『言っておく』とおっしゃっていたばかりなのだが、この世界であの方の振る舞いを時系列で考えても仕方ない。
心強いのは、この二人の力を借りられること。嬉しいのは、この二人が俺のことを心配してくれていることだ。
「ありがとうございます」
俺の所業をすべて知っている、俺の苦しみを知っている、その二人が俺を心配してくれている。
みっともない話だが、後ろ暗いことばかりの俺は、それだけでも救われていた。
「心強いです……!」
思わず、涙がこぼれていた。
思ってはいけないことかもしれないが、図々しいかもしれないが、俺の幸せを願ってくれている人が、二人もいることが嬉しかった。
親が死ぬことが、怖かった。せっかく生き残ったのに、殺されるかもしれないことが怖かった。
でもそれを口にしたり、言葉にすることが恥ずかしいと思っていた。
「泣くな、とは言わん。今は泣け、今だけは泣け。だがすぐに切り替えろ、直ぐに切り替えるために泣け! お前はそれができる男だ、そうだろう」
「貴方は自分という生物の性質を理解しておられる。感情も本能も制御し、正しく論理的な行動ができるお方です。むやみに抑え込まず、出し切るのがよろしいかと」
だがそんな強がりは、虚勢だ。
泣くまいとしていただけで、泣きだしそうだった。
泣いたら死んでしまう、隙だらけになって殺される、そう怯えていただけだった。
俺はそれを出した。
今泣くしかないと、今しか泣けないと、駆り立てられるように泣いていた。
今だけが、楽になれると。
今を逃せば、息継ぎもできないんだと分かっていた。
俺はセラエノ様にしがみつき、ギュウキ様に撫でられながら、無様を晒していた。
そして、泣くだけ泣いた俺は、気を入れ替えた。泣きはらした目を赤くしたまま、恥ずかしげもなく切り替えた。
「ありがとうございます、もう大丈夫です」
もう大丈夫、屈さない。ことが解決するまでは、持ちこたえられる。
若竹たちを殺した後で嗚咽を漏らしたように、騒動を排除するまでは弱音に逃げずに済む。
「よしよし、それでこそ男だ。それで……今回の状況、お前はどう見る?」
それを察したのだろう、ギュウキ様は話題を一気に切り替えた。
本題に入り、今回の戦術について話を進める。
「相手は……一人です」
証拠があるわけじゃないが、俺はそう言い切った。
実際に人を殺した俺だからこそ、今回の殺人、傷害が単独犯だと分かっていた。
「どう考えても、利益目的じゃない。たくさんの人を襲っている割に、散発的すぎる。それに……」
俺が、俺自身が解決しなければならないと思った、最大の理由。それはこの犯行が、余りにも大胆で、そのくせ尻尾を掴ませていないことだ。
「捕まると思っていない」
はっきり言えば、犯人は馬鹿だ。入院していた全威を殺したこともそうだが、大勢の一般人へ危害を加えるなんて、賢い奴のすることじゃない。
こんなことをする奴が何人も、何十人もいるわけがない。
「相手は、一人……私情で人を殺す、とんでもない馬鹿です。ですが、だからこそ……殺さなければ止まらない」
無価値なクズと有害な馬鹿なら、世間的な評価において前者の方がましだろう。
だが俺は違う。行動をしない者と行動をする者なら、後者のほうが評価に値する。
少なくとも、無抵抗に殺された一年A組よりは、よっぽどマシだろう。
……世界を救おうとしていた連中を殺した俺が、傷害犯や殺人鬼を軽蔑するなんて、あってはならないことだ。
「強敵だ、と俺は認識しています」
もしかしたら、勘違いかもしれない。
実際にはただの犯罪者で、俺の尻尾の一振りで殺せてしまえるのかもしれない。
十分あり得る可能性なのだが、セラエノ様もギュウキ様も笑わなかった。
「強敵であるかどうかはともかく、難敵であることは認めざるを得ないでしょう」
むしろ率先して、セラエノ様は俺へ警戒を促していた。
「これまでの貴方は、あくまでも襲う側でした。もちろん相手は相応に警戒、対応の準備をしていましたが、探す手間はありませんでした。正体も目的は当然の事、能力さえもある程度は把握できていました。今回は、それがない」
分かり切っていたが、羅列されると緊張せざるを得ない。
俺のチート能力は、あくまでもステータスの閲覧。一度でも会えば、能力や経歴、感情の状態さえも把握できる。
だが会ったことがない相手には、何の意味も持たない。
そして会った時には、もう遅いのだろう。
戦闘が始まってから相手の能力が分かっても、そこまで意味があるとは思えない。
事前に対策を練れないのなら、相手次第で詰みかねない。
「相手が貴方と無関係、ただの犯罪者なのなら問題ありませんが、相手が弱いかもしれないと想定するのはただの愚か者です」
「然り! むしろ格上と考えて鍛えるのがいいだろう。今までのお前は、多数の格下と戦うことを想定してきた。それについては上達しているが、格上と一対一で戦うことは訓練していないからな!」
セラエノ様の警告を、ギュウキ様も肯定した。
「どれだけ時間があるのかわからないが、備えておいて損はないぞ」
「……はい」
そして武人であるギュウキ様の顔は、チートで確認するまでもなくこわばっていた。
直感的なものだろうが、取越し苦労ではないと確信している顔だった。
それこそ、今までの特訓の時とは、比較にならない本気度だった。
「よし、では儂自ら相手をしてやろう! 中庭に出るがいい!」
「……はい!」
ちょっと後悔しかけたが、それでも振り切る。
頑張らない奴らを見下して軽蔑した俺が、ここで頑張らないなんて選べない。
※
今まで何度も痛めつけられてきた、お城の中庭。
そこに入った俺は、大斧を構えていらっしゃるギュウキ様と対峙していた。
今までは呪文を唱えながら四方八方から投石される特訓や、ベルトコンベアの上で走りながら投石を避ける訓練ばかりだった。
どちらも、今にして思えば防御寄りの特訓だった。だが考えてみれば、とても正しい特訓だった。チートという特殊能力を持っている格下多数が相手なのだから、うかつに攻撃を受け続ければ負けてしまう。
一撃当てれば勝てるのだから、攻撃はさほど意識しなくて良かったのだろう。
だが今回は、そうではない。
「儂を親の仇と思って殺しに来い……これが比喩ではないと、お前が一番分かっているだろう」
セラエノ様が見守る中で、一対一の練習が始まる。
今までのアスレチックめいたお遊びとは違い、残虐性は低いのかもしれない。
だが相手がギュウキ様である以上、一方的な試合にしかならない。
仮に俺を狙っている誰かがいても、ギュウキ様より強いなんてありえない。
だからこそ、仮想敵としては、この上ない。
「……弾丸の尾、出力百パーセント」
俺は一本だけ尾を大きくし、他の八本は小さくしておく。
あくまでも牽制、当てていくだけの攻撃。まず当てなければ、何もできはしない。
「マシンガンカーペット!」
有効打にはならない、そうとわかったうえで撃つ。
他の八本の尾は、防御や回避へ使う。そのつもりでの攻撃だった。
「温いわぁあ!」
だがそんな甘えを、ギュウキ様は蹴散らした。
防御も回避もへったくれもない、ギュウキ様は弾丸の雨の中を普通に突進して、普通に打ち込んできた。
もちろんギュウキ様にしてみれば、豆腐を掴むような力加減だったのだろう。
だがその一発で、俺の腹筋がぶっ壊れていた。
「おご……!」
一撃で悶絶した。
声が口から出ないのは、肺がつぶれているからだ。
いや、ぶっちゃける。
すげえ痛い!
死ぬ、マジで死ぬ!
久しぶりの激痛、久しぶりの猛撃だった。
「親の仇と言ったはず……貴様は親の仇を相手にした時、悠長に戦術など組み立てるのか? ちょっと工夫したぐらい、堅実な戦い方をしたぐらいで勝てる相手を想定しているのか? スポーツでもしているつもりか、貴様!」
ありがたい指導だった、だがそれがどうとか以前に、マジで死ぬ。
セラエノ様からの回復魔法で治ってきているが、まだ致命傷の圏内を抜けきらない。
「おぐ……」
ダメージを受けた直後から治っているが、今回復を止めたらそのまま死ぬ。
そうわかるほどに、体が壊れていた。
「攻撃するにしても、防御するにしても、回避するにしても! どれも全力だ! それでようやく、相手から『本気』を引き出せる! 本気も引き出せぬまま、勝てると思うな!」
「は……は……」
「返事ぃ!」
「押忍……!」
良くも悪くも、前と全然違った。
前は部活感覚の『可愛がり』だったけども、今は本気の指導だ。
普通に殴ってくる分、ダメージが段違いだ……!
っていうか、流れで押忍って返事しちゃったよ……人生で初めてだよ……。
「違うだろうが! 親の仇だぞ!」
本気で心配してくれているから、本気で俺を鍛えてくれている。
有難迷惑だけども、これが必要だっていうのが悲しい……!
「……ぶち殺してやる!」
「その意気だぁ!」
こっちが素の性格なのかな。
そう思いながら俺は突っ込んで……。
「ふん! ぬん! うりゃあああ!」
俺は一撃ごとに殺されていった。
※
論理的に言って、ギュウキ様と戦ったのはよかったと思う。
残りカスのクズを一方的に殺したことで、いろいろと思い上がっていた。
引退していた伝説の殺し屋とか、指導者になっていた格闘チャンピオンとか、世界を救ったあとで隠棲していた勇者じゃない。
俺もあいつらと大差ない、キャリア二年かそこらのガキだった。
そんなのが『バランス調整されてない未知の強敵』と戦うんだから、本気で心配されて当然だ。
でも感情的にはこう思ってる。
「来なきゃよかった……」
今の俺は、SFで拷問されてる状態になっていた。
首から下が、原形留めてない。
麻酔とかそんなものが無くて、めちゃくちゃ痛かった。
目の前で自分の体がミンチにされていったので、物凄く怖くもあった。
またしても心の中の弱音がささやき始めた。
こんなに苦しいんなら、自殺したほうがよくね?
現時点でも結構強いんだから、ぶっちゃけ努力しなくてもよくね?
今から努力しても間に合わないかもしれないだろ?
最後の時間かもしれないんだから、穏やかに過ごしたほうがいいんじゃ?
ここまで痛めつけられて取り越し苦労だったら、それこそ精神崩壊起こすんじゃ?
そんな弱音が、脳内で反響していた。
そうだった、俺ってこんなもんだった……。
弱っちい自分を再確認して、逆に素面になっていた。
「ここまで痛めつける意味があったのですか?」
「そこいらの軟弱者なら、ここまでせんさ。適当に食らってやって、適当に褒めて、勇気づけて送り出してやるわい」
そんな俺を見下ろしながら、お二人は話をしていた。
もちろんセラエノ様は俺を治している。というか、治すのを辞めた瞬間俺は死ぬ。
即死だ。
「……死なせたくないのでな、こいつも、こいつの親も」
「そうですね」
だけども、卑怯だった。
思わぬ奇襲に、俺は涙がでかけた。
さっきまで俺を散々痛めつけてきたこの人へ、感謝さえしてしまった。
ギュウキ様が、セラエノ様へ言った言葉が真理だ。
人殺しである俺はどうなってもいい、自殺だってしてもいい。
でも父さんと母さんが、こうなるかもしれない。
一つの世界を見捨てた俺だ、ただ殺されるだけでは済まない。
俺を無力化した後で、俺の前で両親がこんな目に遭うかもしれない。
それは、受け入れられない。
どれだけみっともない話でも、厚顔無恥と言われても。
ありふれている動機だが、親には何もさせない。
そしてそれ以上に……親には……知ってほしくない。
きっと、悲しむから。
「それで、どうだ? お前は今、魔王様に命令されているわけではない。ここで放り投げても、誰も咎めたりせんぞ?」
「いえ……この後も指導をお願いします……!」
誰かのために戦う、誰かのために苦しむ、誰かのために鍛える。
それは決して楽しくない、むしろ焦燥だけがある。
そしてその焦燥がないのなら……死に憶えなんてできない。
今の俺にとって、父さんと母さんは……。
ただの一般的な高校生にとっての、父さんと母さんじゃないんだ。
「俺はどうなってもいいんです……父さんと母さんは死なせられない……指一本触れさせない!」
「……いい死に物狂いだ。そうでなければ、この特訓は逆効果にしかならん」
「では記憶の除去などは止めましょう。このトラウマが必要だと、私も彼も理解したので」
こんなの、普通じゃない。
こんなの、普通は耐えたりしない。
でも俺は殺人鬼だから、耐えないといけないんだ。
「コトワリが来たって本当……きゃああああ!」
そう思っていたら、普通の人が来た。
ウイ様が中庭に現れて、モザイク状態の俺を見て悲鳴を上げていた。
「……ウイ様へ記憶除去の治療を行います」
「……そうしてくれい」
「そうですね……」
普通の人の視点は、忘れないほうがいいな。
そう思いながら俺は、非人道的な治療行為を看過するのだった。
※
普通の人である、箱入り娘のウイ様。
彼女はここ数分の記憶を消されたことにも気づかないまま、俺との再会を喜んでいた。
「もしかしたらもう会えないかと思ってたけど……会えて嬉しいわ、うん!」
「そ、そうですか……」
引きつった笑いを浮かべる俺は、彼女へ真実を隠していた。
多分彼女が心理的な外傷を負った場合、セラエノ様もギュウキ様も、まとめて始末されてしまうだろう。
割と普通の範囲で、親である魔王様が怒る案件だった。
しかし……普通の人なら見ただけでもトラウマになる状況へ、自ら身を投じる俺っていったい。
やはり俺は、相当難儀な人生を送っているらしい。
正気に戻った後だと、一気に悲しくなってくる。
しかしそれも隠す。だってこの人も、そんなことを知らなくていいんだから。
「それで、ギュウキが鍛えているの?」
「え、ええ……」
ちょっと普段より弱気になっているギュウキ様。
しかしそれを、俺はみっともないとは思わない。
「事情は聞いたけどさ……別に鍛えなくてもいいんじゃないの?」
そして、やっぱり『まとも』なことをおっしゃるウイ様。
確かにまともな人間なら、相手がよくわかっていない状況で、意味があるかもわからない鍛錬をしないだろう。
「誰が襲ってきてるのか、調べてからでもいいんじゃない?」
まともな言葉だった。
まともすぎて、自分の行動を省みてしまう程だった。
やっぱり俺は、まだ正気じゃないのかもしれない。
しかし……。
殺人鬼である俺は、だからこそ言える。
そもそも相手が、まず正気じゃない。
「それに……入院している人を殺したり、戦う力がない人を襲う卑怯者が、そんなに強いわけないでしょ?」
ウイ様の発言は、あくまでもまともな人間の発想だ。
論理的には、とても正しいだろう。
だがギュウキ様は、それを全面的に否定する。
「……違うのですよ」
俺なんかとは格が違う、本物の強者。
幾多の試練を越えたであろう、魔王様の側近。
そのギュウキは、知らなくていい事実をウイ様に伝えていた。
「ウイ様には信じられないかもしれませぬが……強大な力をもち、数多の実績を重ね、莫大な富と名声を得た英雄であっても……いえ、そんな『本物の勇者』だからこそ」
つまりは、醜聞。
本当に強かったとしても、最低限の品性さえないこともあるのだと。
いわゆる『下品な主人公』のようなことをする英雄が、本当にいるのだと。
ギュウキ様は、よく知っているようだった。
「時に……信じられない程下劣なことをしでかすのです」
「俺は……わかってるぜ、都、理。お前がどれだけ罪深いことをしたのか、よおく知ってるぜ」




