残された恥知らずたち
人は、運命という言葉を使いたがる。
どうしようもない事柄への諦めであり、あるいは不可能に挑戦することへの美化として、運命には逆らえないとか、運命に抗うという。
しかし、どちらの意味であっても、安易に使われ過ぎている。
運命に逆らうというが、そもそも逆らえる時点で運命ではない。
抗えている時点、変えられる時点で運命ではない。
自分の行動でどうにもならないことを、運命と呼ぶのだから。
強大な敵を、激闘の末に倒したとしよう。ならば運命ではない。
強大な大国を、長年の抵抗で追い返したとしよう。ならば運命ではない。
それらの行動の困難さや気高さを否定するわけではないが、運命に勝ったわけではない。
また逆に、自分の行動で回避や軽減ができたにも関わらず、何もせずに不幸になった者が、運命には逆らえないなどと言ってはならない。
世の中には多くの苦難があり、悲哀が満ちている。
しかし準備や下調べ、努力や調整によって、ある程度は軽減ができる。
それらを怠っていたものが不幸になって、運命だのというのは呆れたことだ。
自分を哀れんで美化するなど、本当にみっともないことである。
さて、その上で。
克服できる範囲の苦難を乗り越えることが、どれだけ難しいことなのか。
理論上は可能であるということが、所詮は机上の空論であるということなのか。
英雄になること、勇者になること、主人公になることがどれだけ辛く苦しいことなのか。
知っている者たちだからこそ、期待さえもしないのである。
※
さて、時は遡る、という表現がある。
現在に至る状況を説明するために、過去に起きたことを描写するのである。
だが今回はそうではなかった。
離島来人は、文字通り時間をさかのぼっていた。
裏切り者である理の手によって死んだはずの彼は、目を覚ましていた。
「あ、ああ?!」
悪夢とは思えない実感があった。
確実に自分は死んだはずだった。
にもかかわらず、彼は己の部屋にいて、傷一つ負っていなかった。
「い、いったい……なにが……!」
彼は混乱の極みにいた。
二年ものあいだ何もできなかった彼は、何もしていないという苦しみの中で消耗していた。
自分の身に何が起きたのか、冷静に判断できなかったのである。
いよいよ自分が正気を失ったのではないか、今の自分の認識も誤っているのではないか。
混乱していた彼は、ある一つの可能性に達する。
「……まさか、チート?」
離島は、己のチートを知らなかった。
授かるチートは、本人の願望が反映されているとは聞いていたが、確かめようがないチートだった。
それが発現したのなら、状況の説明がつく。
離島は跳ね起きると、そのまま図書館へ向かった。
魔法やスキルなどを習得するための書物が大量に置いてあるのだが、他にも勇者にだけ意味があるチート名鑑も存在している。
理と同じようにチートを視認できる勇者が、長い時間をかけて記録したであろう、正確な名鑑だった。
それの中の特殊能力型を探して開いた彼は、最も異質なチートを開いた。
「ループ系のチート……『再開』〈ドッグイヤー〉!」
彼はその項目を、目に焼き付けるように熟読した。
大抵のチート能力は、極めてシンプルである。
レベルが上がるのが早いとか、筋力が高いとか、魔法を唱えるのが早いとか、ダメージを受けないとか、消費アイテムを生産できるなど。
一行で説明できるため、その性質や穴も簡単に理解できる。
だが特殊能力型は、説明が難しいものも多い。
その中でも『再開』〈ドッグイヤー〉は、ぶっちぎりで難解だった。
1 保持者が死亡すると発動する。この死んだ時間をゴールポイントに設定する。
2 保持者は死亡した時間の一年前に戻る。その戻った時間がセーブポイントとなる。
3 以降一年の間は、何度死亡してもそのセーブポイントへ戻る。
3-2 つまり際限なく過去へ戻ることはできない。
3ー3 習得した魔法やスキル、レベルや能力値は更新される。
4 ゴールポイントで死亡せず生き残った場合、セーブポイントは消える。
5 ゴールを超えた場合、一年の間この能力は再発動しない。
特記事項 保持者が自殺した場合、この能力は発動しない。
それを読み込んだ彼は、大いに慌てた。
この『一年』という時間が、どれだけ大きいのか彼は知っているのだ。
「ど、どっちだ?!」
自分が理に殺される一年前。それは若竹たちが死んだ後なのか、死ぬ前なのか。その差は余りにも大きい。
「若竹……加寸土……!」
やり直したいという強い思い。
そして実際に訪れたやり直せる機会。
たった一日、あるかないかの一日。
ありえる程度の、一日の違い。
期待してしまうには十分で、しかし期待しきれないことだった。
『さっさと自殺しろ』
敵である都理は、離島のチートを完璧に理解していた。
その彼が真剣に生き残ろうとしていた以上、好機を残しているわけがなかった。
走る彼の耳に、訃報が飛び込んでくる。
期待を吹き飛ばす、残酷な情報が、城のあちこちから聞こえてくる。
「……若竹様は、駄目だったらしい」
「ああ、なんということだ……」
「私たちのために立ち上がってくださった十人の勇者が……最後の希望が……」
それらが耳に入る度、走るのが遅くなっていった。
抱いていた淡い期待が、まさに淡く消えていく。
誤差の範疇で収まってもいいじゃないか。
そう呪いたくなる気持ちが、口から出そうになる。
そして遅くなっていた彼の足を止めたのは、己の似姿だった。
「俺達を元の世界に……日本に帰してくれよ!」
「もういや! 私だけでもいいから帰して!」
「なんで俺達が死なないといけないんだ!」
それは、やり直す前の自分そのものだった。
自分が頑張らないと自分が死ぬ、にもかかわらず頑張らない。
世界を救うとか魔王に勝つとか、そういう大それたことではなく、自分の身を自分で守るという最低限のことさえ放棄している『クズ』だった。
客観視すれば、途方もなく醜い。発言が正当であっても、醜態と言わざるを得ない。
反撃されないことをいいことに、責任者を糾弾し続けている。
もう誰も、自分たちの問題を解決してくれない。それを分かったうえで、吊るし上げることで安心しようともがいていた。
そう、安心だ。今の彼らは、あやふやな安全を求めずかりそめの安心を求めているのだ。
嘘でもいいから、大丈夫と言ってほしいのだ。
(でも、駄目だ)
文字どおり目覚めた離島は、絶望の未来を体験している。
このままでは、皆が死んで終わりだ。
なんの抵抗もできないまま、奴が生き残って終わってしまう。
この世界だって、滅びてしまう。
(俺だって最初は、この世界を救いたいって思っていたはずなんだ……!)
できることなら、もっと以前まで遡りたかった。
だがもうこれ以上過去へ戻れないのなら、今からやり直すしかない。
(そうだ、俺は今からやり直すんだ! もう二度と、あんなふうな結末は迎えない!)
彼は再起を果たしていた。
逃げても誰も助けてくれないとわかっているからこそ、自分の足で立ち上がったのだ。
「みんな! 話がある!」
残った十四人のクラスメイトへ、声を振り絞って叫ぶ。
この国の住人たちへすがりつく同級生たちへ、そんなことをしている場合ではないと叱咤していた。
「離島……?」
若竹たちと違って、失意に沈んでいたはずのクラスメイト。その離島の叫びに、十四人は驚いていた。
驚きのあまり混乱し、誰もが彼に注目していた。
「俺のチートがわかった。死亡したらループするタイプのチートだ。俺は……一年後の未来から戻ってきたんだ」
ギリシャ神話には、カッサンドラという予知能力者がいた。
彼女には未来を予知する力があったのだが、神々によってその予知を信じてもらえない呪いをかけられた。
だが神からの呪いがなくとも、予知など信じてもらえるわけがない。
それこそ神が与えた預言ならともかく、クラスメイトがそんなことを言い出せばまともに取り合うわけがない。
だがしかし、そうしたやり直しの物語は多い。
誰もがチートを持っているからこそ、証拠も見せられていないのに、全員が信じていた。
「俺が見た未来では、みんなが何もしないまま一年が過ぎて、全員が理に殺されていた……俺も、なにもできなかった」
そんなバカな、と言うには現実味がありすぎた。
むしろそれ以外の未来が見えないほどだ。
1年A組だけではない、この国の人々も彼の言葉を信じていた。
「だから……変えよう、こんな未来を!」
それを感じ取って、離島は更に熱弁する。
「俺達が……この未来を、運命を変えるんだ!」
本来なら、誰もが諦めていたはずだった。
本当なら、魔王たちの思惑通り、無抵抗で滅びるはずだった。
だがここで一人、離島が立ち上がった。
どれだけ乏しい確率だったとしても、可能性が生まれたのである。
「離島……お前のチートがなんなのかはわかった。それで、聞きたいことがあるんだが……」
もしかしたらどうにかなるのではないか。
今からでも頑張れば、なんとかなるのではないか。
生きて日本へ帰れるのではないか。
奇しくも、離島の知らないところで最後の抵抗を試みた、最も警戒すべきチート保持者糸杉。
彼は一番気にすべきことを問うていた。
「それで、お前は何周目なんだ?」
聞いて然るべきことだった。
何十周もしていて、多くの情報を持っていて、強大になっているのなら、それこそ希望の星だろう。
だがもしも、そうではないのなら。
「え」
酔いの醒める冷水だった。
チート能力なんて誰でも持っている、気づいたところで今更でしかない。
チートを自覚するのはスタートにすぎず、それだけでは希望たり得ない。
「……に、二周目だけど」
「……それで、一周目のときはなにかしたのか?」
素面に戻った離島は、自信を失っていた。
雄弁も熱弁もせず、おっかなびっくり答えるばかりだった。
「み、みんなと一緒に怯えているだけだった……」
さっきも言ったことだった。
だが先程と違って、明らかに勢いを失っている。
「つまりなにか……お前が知っていることは、このまま何もしなかったら死ぬってことだけか」
「うん……」
期待をしてしまった糸杉や、他のクラスメイトたち。
彼ら彼女らは、先程まで現地の人々へ向けていた矛先を、同じクラスメイトである離島に向けた。
「じゃあ何か、今回俺たちがどれだけ頑張ったって、俺たちが助かるわけじゃないんだな!」
情報を整理すれば、そうなるとしか思えなかった。
離島は何度もやり直せるが、それは彼一人である。
他のみんなには、今回の一回しかないのである。
「……うん」
離島は自分のチートを、最強だと思っていた。
これでもう、自分の心が折れることはないと思っていた。
それが、一過性の全能感でしかないと、今更理解した。
そして、クラスメイトたちに期待を抱かせてしまった罪は、まさに致命的だった。
「ふざけるな! それで助かるのは、お前だけじゃねえか!」
何十周もしていて、攻略の糸口や解決策を得ているのならまだしも。
まだ二周目でしかなく、なんの収穫もない。
それでは今回の周回は、いわば捨て石。うまく行かない事が前提で、この場の誰もが助からないことを意味していた。
「ま、待ってくれ……今回でうまくいく可能性だってある! 前回はみんなが努力していなかっただけなんだ! 今回みんなが頑張れば、それだけでうまくいくって!」
離島の言葉は苦し紛れだったが、あながち間違ってもいなかった。
だがそんなことは、全員がわかっていることだ。
この場の十五人が立ち上がって、一生懸命頑張れば、それだけで理に勝てる。
運命に逆らうなんて御大層なことはない、頑張ればそれだけで全部解決だ。
だがそれは、若竹たちが不在のままレベル上げをして、若竹たちが不在のまま理と戦うことを意味している。
普段から努力していた、自分たちの代わりに頑張ってくれる人がいないまま頑張ることを意味している。
それが嫌だから、こうしてわめいているのに。
もうこの場の全員が、責任を負うことを拒否しているのに。
異常ではない、勝手でもない、違法でもない。
ただ、子供だった。彼らはあまりにも、子供だった。
彼らは具体的な解決策を求めているのではない、それこそ理と同じように……。
どれだけ性格が悪くてもいいから、都合よく問題を解決してくれる誰かを求めていた。
「お前がやれ!」
糸杉の怒りは、理不尽だろうか。
一つ言えることは、他の誰もが彼の狂乱を止めなかったことだ。
ほかのクラスメイトも、むしろ離島をにらんでいた。
「お、俺だけじゃ無理なんだ! だ、だから……!」
「何度死んでも生き返るんだろうが! ならお前がやればいいんだよ! いや……そうじゃない!」
この場の全員がチートを持っているので、不適当ではあるのだが。
全員が、各々の認識において一つしか命をもっていないのに、この離島だけは無限の命がある。
なんというチートだろう。この場の全員が高確率で全員死ぬのに、離島だけは確実に助かるのだ。
「お前が! 今! なんとかしろ! 今の周回で、俺たちを助けろ!」
「そ、そんなの……」
離島は、当然の解答をした。
「俺一人でどうにかするなんて無理だ! みんなが助けてくれないと、理には勝てない!」
ただの事実である。
むしろ俺一人でどうにかする、というほうが無責任だろう。
「助けてくれ……?」
だが、それは言ってはいけないことだった。
人柱になれとか、壁になれとか、爆弾を抱えてつっこめと言っているわけでもない。
ごく普通に、一緒に戦ってくれという意味だった。
冷静に考えればわかることではあった、だがそれでも、その単語は……。
「助けて欲しいのはこっちだ!」
心からの叫びが、奇跡を起こした。
絶叫とともに放った糸杉の拳が、離島の顔をとらえた。
即死判定を持つ彼の攻撃が、離島にあたったのである。
「おい! 寝るな! 聞いてるのか!」
奇跡としかいえない。
いかに即死判定があるとはいえ、たった一撃で本当に即死するなど。
「……おい、ウソだろ?」
腰を抜かしたのは、他でもない糸杉本人だった。
くしくも、一周目の世界では最後に立ち上がった男は、真っ先に絶望していた。
※
三周目。
あまりにも早い二度目の死は、くしくも一切苦痛を伴わなかった。
だがあまりにも早い挫折だった。
目を覚ました離島は、自分が夢を見たとは思っていない。
一切混乱せず、現実を受け入れていた。
「どうすればいいんだ……」
ここでようやく、彼はスタートから一歩を踏み出した。
三十人全員にチートが与えられている状況では、チートを持っていることがそのまま勝利につながるなどありえない。
チート能力を理解したうえで、どう戦うかを考えなければならないのだ。
強力な武器ではあるが、最強でも無敵でもない。
これを手に入れれば、あとは一切苦労せずに明るく楽しく生きていけるわけではない。
「いや、もともとそういうチートだ……でも、どうすればいいんだ?」
離島は冷静になったからこそ、この難題と向き合わざるを得なかった。
一年後に理と戦って勝つには、残った十五人に奮起してもらわなければならない。
可能なら全員に立ち上がってほしいが、戦闘補助型と自己保存型の保持者だけでも立ってほしかった。
それでも十分に勝ち目がある、どころか高確率で勝てるだろう。だがそれがどれだけ難しいのか、彼はようやく理解した。
結局、それが出来ないから一周目は負けたのである。
必要性は全員が理解していたが、それでも全員義務を放棄したのである。
未来を体験した離島が何を言っても、何をいまさらとあきれて終わるのだ。
理に弱点があったとか、魔王の攻略法が見つかったとか、簡単にレベルが上がる裏技を見つけたとか、どこかに伝説の武器があったとか。
そういう情報が無ければ、誰も動いてくれまい。
「……いや、それがあっても難しい」
幸か不幸か、離島はまだ死へ恐怖を抱いていない。
だがそれでも、強烈な拒絶への恐怖は抱いていた。
成功するまで説得するなんて、彼にはできなかった。
あんな怖い思いを、成功するまで重ねるなんて無理だった。
「難しい? いや、無理だろ……」
本音が、弱音が漏れた。
ループ系の物語では、大抵周囲にある『材料』でなんとかする。
自分で攻略法を見つけることもさることながら、周囲の仲間と協力して課題を解決する。
だがそれは、主人公本人の頑張りだけではなく、周囲の仲間の助力あってのこと。
ループに耐える主人公だけが立派でも意味がないのだ。
「若竹……加寸土……」
つくづく、遅かった。チートに気付いてから再起しても遅かったのだ。
「いや……まだやり直せる」
だが希望はある。
周囲に立ち上がれという前に、まず己が立ち上がらなければならない。
「糸杉の言うとおりだ……まず俺が頑張るんだ……!」
ループ系の能力と言っても特徴は様々だが、『再開』〈ドッグイヤー〉はレベル上げなどが引き継がれる。
魔法やスキルの習得をして、自分一人でもレベル上げをする。今のままでは無理でも、強くなった己なら周囲を動かすことが出来るはずだった。
「理……俺は絶対にあきらめないぞ……必ず勝ってみせる!」
理に殺されることは、やはり運命ではない。
十五人の勇者たちにも、まだ勝ち目はある。
離島来人が諦めない限り、可能性は残っていた。
それが、どれだけ残酷なことなのか。
離島はゆっくりと学んでいく。
『再開』〈ドッグイヤー〉
1 保持者が死亡すると発動する。この死んだ時間をゴールポイントに設定する。
2 保持者は死亡した時間の一年前に戻る。その戻った時間がセーブポイントとなる。
3 以降一年の間は、何度死亡してもそのセーブポイントへ戻る。
3-2 つまり際限なく過去へ戻ることはできない。
3-3 習得した魔法やスキル、レベルや能力値は更新される。
4 ゴールポイントで死亡せず生き残った場合、セーブポイントは消える。
5 ゴールを超えた場合、一年の間この能力は再発動しない。
特記事項 保持者が自殺した場合、この能力は発動しない。
最大レベル1
反則性 A 事前の対策を要する
優秀性 E 大外れ
いわゆるループ系の特殊能力型チート。
武装などは無理だが、経験が蓄積されるため成長補正型の完全上位となりうる。
しかるべき人間が手に入れていれば、この上なく脅威となる能力。
とはいえ、それこそ『物語の主人公』でもなければ本人がつぶれる。
周囲へ情報の開示をしても能力そのものでデメリットが生じることはないが、周囲との軋轢を生みやすい。
理の『解析』〈ウォードウィスダム〉とは相性が悪い。
ループを終わらせる方法が分かるのだから、自殺するまで拷問するという方法であっさり対応できてしまう。
とはいえ離島自身も理がステータス閲覧の能力を持っていることは理解しているので、この点はあまり意味がないともいえる。
離島来人 りとらいと リトライ




