将来を憂うことさえ罪深い
今俺は、ホームルーム前に軽く勉強をしている。
学校は勉強するための場所だから、勉強していてもおかしくはない。
普段なら真面目過ぎると言われるかもしれないが、今はそんなことがない。
ふと周りを見れば、そこには俺と同じように勉強しているクラスメイトがいる。
もちろん勉強せずに友人と話しているクラスメイトだっているが、その話題だって真面目なものだった。
「おまえ、受かる自信ある?」
「いやそれがさ~~……親が大学行くなら国立以外駄目って言ってさ~~。しかも浪人は一回までっていうし、その一年も真面目に勉強してないとたたき出すっていうんだぜ?」
「ちょっと厳しいな~~……つうか、無理じゃね? お前の頭で国立、しかも浪人一回までとか無理じゃね?」
「そうなんだよ……もう専門に行くことにして、いろいろ調べてる」
俺は三年生になった。
だからクラスメイト達も、高校三年生になっていた。
二年前に起きた事件のことなんて、話題にすることもない。
そんな過去になんて目もくれず、来年のことで悩んでいた。
極めて、健全なことだった。
このまま順調にいけば、俺もこの学校を卒業できる。
廃校になっても不思議じゃない、大事件の起きたこの学校から、正式に出ることができる。
それは俺にとっても、この学校の先生たちにとっても、大きな意味があるだろう。
一つの区切り、という意味では、この上ないことだ。
「まあいいんじゃねえの? 専門学校の方が、下手な大学よりも就職率いいし」
「そうだけどさ~~……専門学校って基本二年だろ? 大学は四年だし……ぶっちゃけ、すぐ就職活動になるだろ……」
「そりゃそうだろ」
「……働きたくね~~」
だから俺は、真面目に卒業を目指している。
大学受験に合格するため、少しでも勉強している。
俺は知っている。
別に勉強できなくても、死ぬことはないと。
大学に行かなくったって、人生が終わるわけじゃないと。
一浪したって二浪したって、そこまで大きなことは起きないと。
いい加減で適当に生きていても、日本でなら、まあなんとかなると。
少なくとも、明日いきなり死ぬってことはない。
このクラスの誰かが頑張るのを止めたって、世界が滅ぶなんてことはない。
俺は勉強しなくてもいい、勉強しなくても殺されない。
俺は俺の自由意思で、勉強に励んでいる。
以前は現実逃避のために、勉強に没頭していた。
だが若竹たちとの戦いを経てからは、そうでもなくなっていた。
俺は、幸せになりたい。
それが、俺の今のモチベーションだった。
この国の誰もが、幸せになる方法を知っている。
幸せになるには金持ちになること、金持ちになるには給料のいい仕事に就くこと、給料のいい仕事に就くにはいい学校に行くこと、いい学校に行くにはいっぱい勉強することだ。
もちろん、簡単な話じゃない。同じように頑張っている人たちと競り合うことになるし、そもそも勉強自体が大変なことだ。
なんの役に立つのか実感がわかない勉強に、長い時間を割く。一日中勉強して、それをずっと続ける。
場合によっては、小学校に入る前からそんな生活をしていた、本物のエリートとも競り合う。
まあそれは行き過ぎだけども、誰でも知っている幸せをつかむのは簡単じゃない。
だから誰もが、他の方法があってほしいと願っている。
俺も、その一人だった。
だが今の俺は、努力しないほど楽観できないし、努力しない理由を探すほど気取り屋でもない。
結局努力したほうが、努力しないよりも楽だ。努力せずに生きていくよりも、努力して生きていく方が幸せだ。
もちろん、合理的な『努力しない理由』はある。
例えば、野球選手やサッカー選手。
努力しても成果が出るとは限らないし、成果が出てもプロになれるかわからないし、プロになっても成功できるとは限らない。
成功できるのは、同じぐらい努力している人たちの中でも、ごく一部だろう。
プロボクサーのような格闘家の努力は、もっと直接的だ。
さっき挙げた可能性だけではなく、場合によっては大けがをするし、最悪人生が終わってしまうこともあるだろう。
だからそうしたアスリートを目指さない、というのならそれは合理的だ。
実際に成功している人たちからしても、それは正しい懸念だと思うはずだ。
成功するかわからないから目指さない、大けがをしたくないから目指さない、というのは反論の余地がないことだ。
それでも頑張りたい、と思う者たちだけが、挑戦する資格を持っているのだろう。
だが、勉強しない合理的な理由はあるだろうか。
体を壊すほど、心を病むほどの勉強ならまだしも、最低限の勉強さえしないというのは何の意味があるのだろうか。
昔の俺なら、どう考えただろうか。
勉強しないことが悪いことだと思って、勉強しない自分を恥じていただろうか。
「お前大学で遊ぶ気かよ?」
「いいだろ、お前も働きたくないだろ!」
今教室の中で労働を怖がっているクラスメイトは、どう思っているだろうか。
まあ、気持ちはわかる。今までしてこなかったことをするのは、とても怖いだろう。
実際、とてもつらいことなんだろうし。
だが、働きたくないから遊ぶのは、まあよくないことだ。
それは結局、幸せから遠ざかってしまうことだ。
彼らだって本当は知っているはずだ。
勉強して大学に入って、大学でも勉強して、大きな企業に入って、そこでも頑張って出世するのが、一番幸せになれることなんだから。
もちろん世の中には、それだけ頑張っても幸せになれない人はいる。
人間関係や不慮の事故、あるいはいろいろな時代の流れで不幸になってしまう人はいる。
だがそれは『勉強をしないこと』で回避できるリスクではない。
プロボクサーを目指したら、確実に大けがをする。プロボクサーを目指さなければ、そのリスクを回避できる。
だが人間関係の躓きは、勉強をしないことで回避できることではない。
いわゆる上の層の人たちにも、悪い人はいるだろう。だが下の層の人たちにも、悪い人はいるはずだ。
家族へ暴力を振るってくる金持ちもいるだろうが、家族へ暴力を振るう貧乏人だってたくさんいる。
勉強をしないことは、嫌な人に巡りあう、というリスクを回避することにはつながらない。
「だってさ~~、俺頭悪いもん! 勉強したってしょうがないだろ?」
「まあな。お前がどれだけ努力したって、成果が出るとは思えないし」
「だったら遊んだほうがいいだろ!」
「お前……なあ……」
本当は、彼らだってわかってる。だから真面目に登校しているし、不満や不安も露わにしている。
そのうち勉強するだろうし、そうでなくても働くだろう。
毎日文句や後悔を口にしながら、まともな大人になるんだろう。
俺と違って、たくさんの人を殺すような、そんなどうしようもない男にはならないはずだ。
人を十四人も殺しておいて、のうのうと日常を満喫して、将来のことを悩んで、家に帰って親と一緒に食事をして……。
そんな面の皮の厚い男には、なったりしないんだろう。
※
この俺、都理は……コトワリ・ナインテイルという名前を授かっている、魔王様の下僕だ。
とある世界を救うためにクラスメイトと一緒に召喚されたが、その場に現れた魔王様に恭順を誓うことで、普段は日本で暮らすことができている。
魔王様の下僕になったため、クラスメイト達と殺し合うことになり、既に十四人も殺している。
この上十五人も殺し、今後も魔王様の配下として戦うことになる筈だ。
だが俺は、正直に言って悲観していなかった。
魔王様は遊びで、ゲーム感覚で世界を滅ぼす恐ろしいお方だが、だからこそ逆にわかることがある。
もう、このゲームは終わりなのだ。
勝ちが決まったゲームで、キャラの育成をやりこむほど、魔王様は暇じゃない。
魔王様がプレイヤーだからこそ、俺に対してもこのゲームに対しても、興味を失っているはずだった。
そう理解しているからこそ、俺は魔王様の城へ召喚されても、心が穏やかだった。
今までは殺人への忌避や、鍛錬への恐怖で身が縮こまっていたのだが、今はそんなことがない。
途方もなく強大な魔王様の元へ呼び出された俺は、恭しく跪きながらも恐怖をしていなかった。
「コトワリよ、ずいぶんと気が緩んでおるな」
「慧眼恐れ入ります、魔王様。もはや残る勇者共は……名前負けしている、臆病者の群れでございましょう。もはや脅威ではないかと存じます」
魔王様がその気になれば、俺に対して途方もなく強大な力を授けることができる。
九本の尾だけではなく、いくらでも凄い力を授けられるだろう。
それこそ、文字通りゲームバランスを壊すことだってできたはずだ。
だが、ゲームだからこそ、ゲームバランスはとっていた。
遊びだからこそ、遊びのルールを守っていた。
だから、俺に勝つかどうかという点において、あの一年生たちには勝ち目があった。
一回目の時も真剣に頑張っていれば勝てたし、二回目は危うくそうなりかけた。
だが、三回目はない。
もう残った連中は、完全に詰んでいる。
もう、ゲームとして遊ぶに値しない。
「その通りじゃな、コトワリよ」
飽きたと言うよりは、たたみにかかったというべきだろう。
魔王様はなんの情熱もなく、俺へ命令を下した。
「残る十五人、今からさっさと殺してこい」
「承知いたしました」
俺はわかり切っていた命令に、あっさりと頷いていた。
ゲームで言うところの、スキップという奴だろう。
育成ゲームというのはスケジュールを調整するタイプがあるのだが、ある程度の段階になると育成する必要がなくなる。
そうなると無駄にストレスのたまる操作があるだけなので『一日を終える』とか『一年を終える』とか、そんなコマンドを選ぶことがある。
今まさに、そんな状態だ。
今まで俺へ苛烈な試練を課してきた魔王様だが、あくまでも必要な『育成』だった。
理不尽に見える試練を、俺がそれを解決するため、一生懸命考えて頑張っているところを見る。
その経験によって強くなった俺と、強大になった勇者たちを戦わせる。
それが魔王様なりの育成ゲームだった。
だから、やはり、案の定……残った連中は、何もせずに過ごしていたんだろう。
命令を受けた俺は、謁見の間を出た。
するとそこには、とても驚いた顔のウイ様がいらっしゃった。
「……あのさ、コトワリ……もう行くの?」
「はい」
「はいって……ええ?」
今までは、一年ほどかけてみっちり修行してから、やはり一年経過した勇者たちと戦っていた。
なのでウイ様も、今から俺がギュウキ様からしごかれると思っていたようである。
「……なんで?」
新鮮な反応だった。
魔王様も俺も、決まり切っていたことをやっていただけなので、こうして素直に聞かれると少しだけ嬉しかった。
「貴方は今から殺しに行くけど、向こうでは一年が経過しているはずよ? 一年目より二年目が強かったんだから、三年目はもっと強いんじゃないの? お母様は貴方を見捨てたの?」
ああ、なんと純粋なことか。
残った連中が俺達の予想を裏切ってくれれば、それこそ魔王様は喜んだだろう。
俺だって……見直していた。
見直すという感情は悪いものじゃなかった。
二回目の戦いで、俺は間違いなく若竹たちを見直していた。
ことさらに、加寸土のことを。
見直すというのは、嬉しかったのだ。
「違います……残った十五人は、全員何もしていないんです。頑張ったのは最初の一年だけで、それからは一年経っても二年経っても、何もしていないんですよ」
「なんで?!」
なんて純粋なお人なんだろう、俺は胸が締め付けられた。
よかった、今日まで努力してきて良かった。
もしも努力していなかったら、この純粋すぎる踏み込みに堪えられなかった。
「だって……貴方を、その、倒せないと死んじゃうんでしょう?」
「そうですね」
「二年目の戦いは代わりに戦ってくれる人がいたけど、今は残った人が戦うしかないんでしょう?」
「そうですね」
「残った人たちには、強い力があるんでしょう?」
「そうですね」
「戦えない理由があるわけじゃないんでしょう?」
「そうですね」
俺は頑張っている。
学生としても、魔王の下僕としても。
だから、彼女は俺を理解してくれている。
だが、残った連中のことを、彼女は理解できない。
「なんでなにもしてないの?! 自分も死ぬし、世界も滅びちゃうのに!」
ああ、まったくその通りだ。
なんで自分が困ると分かっているのに、人は頑張らないのだろう。
頑張らない人がいることを、誰もが承知しているのだろう。
今の彼女のように、疑問に思うべきだろう。
「そうですね……」
なんと言えばいいのだろうか。
俺は語彙を総動員して、彼女が理解できるように伝える。
「やるべきこと、辛くて苦しくて大変なこと。それらを一生懸命頑張る人は、誰だって立派です。でもそれは……」
当たり前のことができない人、それのなんと多いことか。
俺は今の自分にそれを言う資格がないと知ったうえで、純粋すぎる人に、その純粋さを汚すことを言った。
「立派な人は、みんなが思っている以上に、ずっとずっと少ない。そうじゃない人の方が、ずっとずっと多いんですよ」
理がクラスメイトを殺すことは、次話で終わります。
今回の章は、そこから先の物語です。