気分が善い、気持ちが悪い
「一年ぶりだな、一年A組」
苛立たしげだった一年前と大きく変わって、親しげですらある理。
より巨大になった九本の尾を上機嫌そうに揺らして、朗らかに笑っている。
この世界を滅ぼさんとしている魔王の下僕にして、一年前に四人の生徒を殺した悪人だった。
その彼が嬉しそうにしている姿をみて、しかし十人の勇者は理解を示していた。
なぜ彼はあんなにも嬉しそうにしているのか、悔しいことにわかってしまうのだ。
「よかったよ、お前らがまともな勇者になっていて」
それは皮肉にも、鏡合わせだった。
世界を救うために幸せをあきらめた者と、自分を守るために幸せをあきらめた者。
ともに、面白くておかしい異世界生活を捨てた者だった。
「これで前と大差なかったら、いよいよ俺は今後のことを絶望していた。魔王様はお厳しいからな、お前らがどれだけ不甲斐なくても、俺への修業は手を抜かないだろう」
ようやく、殺し合いになっていた。
鍛えてきたことが無駄にならずに済んでいた。
「意味のない苦痛ほど、心を削るものは無い。それをこの一年で実感したよ」
晴れやかな笑顔だった。
彼にしてみれば、本当に久しぶりの歓喜だった。
「逆に言って、積み重ねてきた苦行が無意味ではなかったと知った時ほど、嬉しくて顔がほころぶもんだな」
本当にうれしそうに、小さく笑っている。
「くっくっく……」
あまりにも年相応で、場違いで、全身に刻印が刻まれている魔王の下僕には不釣り合いだった。
「なんにも終わってなくて、これからお前らに殺されるかもしれないのにな……」
それでも、本当にうれしそうな顔をしていた。
「それでも、嬉しいもんだ」
勇者たちは虚を突かれた気がしたが、それでも理から変わらない決意を感じていた。
予定に変更はない。その上で、嬉しそうに笑っている。
理自身、それが滑稽に感じられて、なおさらおかしいのだろう。
「なんで自分が死ぬかもしれないのに、苦労するだけなのに、こんなにうれしいんだろうなあ」
おかしくておかしくて笑ってしまう。
自分がおかしくなっていることが分かってしまう。
「殺す敵が強いのが、こんなにうれしいなんて」
おかしくておかしくて、泣きながら笑っていた。
「悪人なら困るべきなのに、まるで『悪役』になったみたいだ」
涙をぬぐうしぐさは、本当に感動しているそれだった。
「お前も辛いみたいだな」
笑っている理へ共感を示したのは、他でもない加寸土だった。
彼は決して笑わずに、敵意を隠さないまま探りを入れる。
「ああ……お前と違って一人だからな。前は何とも思っていなかったけど、今はお前がうらやましいよ。恋人がいるってのは、いいもんなんだろうな」
理にとっても、加寸土がここにいることは意外だった。
本人にとっても意外なことだったのだから、理がその理由を察するのは十分だった。
「ああ、俺もそう思っている。本当に、心から」
加寸土は見栄ではなく、誇りをもって答えていた。
「そうか」
「……何があっても、絶対に守る」
「やれやれ、のろけてくれるのは嬉しいけども……勝つって約束だろ?」
「お熱いな」
まるで定型文のようなやりとりが、お芝居のおふざけのような時間が、あっという間に過ぎていった。
もう冗談を言い合う時間はない。最初からそうだったのだが、全員にとって未練だったのだろう。
違う場所で同じように苦労をした、クラスメイトの時間の終わりである。
「理」
「若竹」
「お前を殺しに来た」
「そうか」
「お前が哀れだよ、都理」
緩んでいた空気が、若竹と理の会話で引き締まっていく。
「俺を可哀そうだと思ってくれるのか?」
「ああ、お前がかわいそうだ。てっきりお前は、魔王のところでぬくぬくと過ごしているんだと思っていた。チートを与えられて、俺たち以上の力をもって、得意げにふるまっていると思っていた。だが違ったな」
「分かるか?」
「わかるさ、お前は俺たちと変わらない苦しみの中にいる」
心がぶつかり合い、削りあう。
「だが違うことがある。お前が首尾よく俺たちを皆殺しにして、なんになる? 魔王がお前に何をしてくれた? 魔王はお前を幸せにしてくれたのか?」
「不敬な話だな、若竹。俺が魔王様を幸せにするんであって、俺が魔王様に幸せにしてもらうなんて、恐れ多いよ」
「ならお前はなんのために戦っている」
目の前の相手を上回ろうとする。
「俺たちは勝つ。お前に勝って、魔王に勝って、この世界を救って見せる。それは意味があることだ」
「まさに勇者だな」
「魔王の下僕であるお前は、俺たちに勝っても何もない。どれだけの褒美を受け取っても、心は決して救われない。それが邪悪に組した、お前の人生だ」
自分たちを鼓舞し、相手を削ろうとする。
「それでいい。俺はもう、それでいい」
だがそれでも明らかになるのは、互いの固めた覚悟だけだった。
「お前たちにはどんな人生がある? 俺に勝って魔王様に勝って、それで何になる? この世界を救ってどうする? そのまま永住するのか? 地球に、日本に帰るんじゃないのか?」
「そうかもな」
「俺は地球では、知らぬ存ぜぬで通してる。もう四人殺してるのに、誰も殺してないって言ってる」
理は、また自嘲気に笑った。
「だけどな、残った全員を殺したって、俺は日本で暮らせる。完全犯罪を達成したようなもんだ、誰も俺を犯罪者扱いできない。むしろ、法で守られているほどさ。先生に助けてって言えば、大慌てで助けてくれるんだぜ」
誰もいない荒野で、また理の声だけが続いていく。
「だが、お前らはどうだ? 俺を殺して魔王様を殺して、それで日本に帰った時なんて言うんだ? あっちでも二年ぐらいたってるんだぞ、何も覚えてないで通ると思うか、誤魔化せるのか? これから先誰も死ななかったとして、それでも五人死んでるんだぞ。鋼や岡城、鶯に恩業、そんで俺だ。その家族になんて言うんだ?」
荒涼たる生命のない世界は、まさに全員の心中だった。
「四人は異世界を救うために戦って死んだと言う、お前のことは俺たちが殺したと言う」
「それで、家族が納得してくれると思うか?」
「それでも、そう言うよ。嘘を言うつもりはない、お前と違って。そこから先は、どう償うかは、罰を受けながら考える」
豊かとは程遠い場所で、それでも自分の足で立っている。
「そうか……本当に格好がいいな」
ハッピーエンドが失われた、苦い現実の中で戦っている。
「……若竹、もういいわ」
瀬音が手にしていた武器を構えた。
もはや臨戦態勢だった。
「やりましょう、私たちは理を殺せる」
「そうだな、瀬音」
殺し合いが始まる。
死ぬのが怖くてたまらない普通の人間だけで行う、普通の殺し合いが始まる。
「みんな」
最高のハッピーエンドなど望めない、望まない。今のあるがままを全力で生きる、大人への階段を上る少年少女。
「魔王の下僕、コトワリ=ナインテイルを殺すぞ」
若竹 伸 レベル65
成長〈スピードラニング〉〈レベル4/5〉経験値ボーナス+経験値習得限界突破
状態 興奮 覚悟 闘志 勇気
中位物理攻撃力強化『補助効果延長』『補助効果増幅』使用者;瀬音らり
上位物理攻撃力強化『補助効果延長』使用者;万マナ
中位魔法攻撃力強化『補助効果延長』『補助効果増幅』使用者;瀬音らり
上位魔法攻撃力強化『補助効果延長』使用者;万マナ
中位物理防御力強化『補助効果延長』『補助効果増幅』使用者;瀬音らり
上位物理防御力強化『補助効果延長』使用者;万マナ
中位物理防御力強化『補助効果延長』『補助効果増幅』使用者;瀬音らり
上位魔法防御力強化『補助効果延長』使用者;万マナ
中位敏捷強化『補助効果延長』『補助効果増幅』使用者;瀬音らり
上位敏捷強化『補助効果延長』使用者;万マナ
中位集中力強化『補助効果延長』『補助効果増幅』使用者;瀬音らり
上位集中力強化『補助効果延長』使用者;万マナ
上位体力自動回復『補助効果延長』使用者;万マナ
上位魔力自動回復『補助効果延長』使用者;万マナ
上位状態異常自動回復『補助効果延長』使用者;万マナ
上位毒耐性『補助効果延長』使用者;万マナ
上位麻痺耐性『補助効果延長』使用者;万マナ
上位呪詛耐性『補助効果延長』使用者;万マナ
上位封印耐性『補助効果延長』使用者;万マナ
上位石化耐性『補助効果延長』使用者;万マナ
「こい……勇者共!」
都 理 レベル80
解析〈ウォードウィスダム〉〈レベル3/5〉
第一尾 斥力の尾 レベル65
第二尾 傀儡の尾 レベル67
第三尾 猛毒の尾 レベル45
第四尾 弾丸の尾 レベル55
第五尾 透過の尾 レベル50
第六尾 同期の尾 レベル60
第七尾 未定 レベル40
第八尾 未定 レベル41
第九尾 未定 レベル37
状態 悲哀 興奮 闘志 自棄
防御魔法 ポイントハート〈5/5〉
防御魔法 ブレイクポイント 5
防御魔法 イージスアガートラーム 両腕装備
「貴様らの命を、魔王様に捧げよう!」
※
「斥力の尾、出力100パーセント!」
強く大きくなっている理の尾のうち一本が、大きくうねった。
「パワースイング!」
斥力を放出しながら、巨大な尾が周囲を薙ぎ払う。
荒野の地表を大きくえぐりながら、前方にいた勇者たちを押し飛ばそうとする。
それは爆発にも似た突風であり、勇者たちも踏みとどまることなどできずに後ろへ飛ばされていた。
「分かってるな!」
斥力でえぐられた土くれが、高速で体にぶつかってくる。
もしも普通の人間なら、それだけで絶命しかねない巨大な攻撃。
局所的な嵐にもまれた勇者たちだが、それでも体勢を整えながら両足で全員着地する。
「そんな雑な手をつかうとはな……舐めるな!」
百葉は背中に背負っていた大量の武器の中から弓矢を取り出し、理に向けて射掛ける。
「斥力の尾! フィールドウェーブ!」
向かってくる矢を、斥力の波でそらす。
鉄球の猛攻を受け続けてきた理にとって、なんの細工もない矢をいなすなど何のこともないことである。
「雑なのはどっちだ? 百葉!」
「勝ち誇るの早いぞ! チャージ!」
より強く引き絞った弓から、先ほどよりもはるかに強い矢が放たれる。
それは斥力の波にも軌道を変えられることなく、斥力の尾に突き刺さっていた。
「まだだ! 万!」
「分かってる、百葉! 火属性魔法付与!」
万の補助を受けて放つ三の矢は、チャージに加えて燃え盛っていた。
赤い流星となった矢は、先ほどよりも深く斥力の尾に食い込む。
「……!」
壊れた笑いを浮かべる理。
それは明らかに、攻撃が無意味に終わった嘲笑ではなかった。
「やるじゃないか! そうだよ、やればできるんだよ、お前たちはな! なんで前はやれなかったんだよ!」
ほんのわずかだが、攻撃が届いた。
そのことを誰よりも喜んでいるのは、他でもない理だった。
当てた百葉がひるむほどに、偽りのない狂気の歓喜を隠さない。
「もっとだろ? もっとできるだろ? もっともっともっと! もっと頑張れよぉ!」
「……ああ、やってやる! みんな、先手は取られたが、手はず通りに!」
若竹の指示によって十人が、右翼左翼中央の三つに分かれて布陣する。
4、3、3になった面々は、腰を据えて遠距離攻撃を開始する。
「よくわからないが、理が混乱しているうちに攻撃を叩きこむんだ!」
「若竹、簡単に言うけども……難しいよ!」
なぜか感動している理は、あえて足を止めて受けに徹している。
その理由はわからないが、それでも反撃が無いうちにダメージを蓄積させるべきだった。
だが感極まって足を止めている理は、九本の尾を縦横無尽に動かして遠距離攻撃を弾いている。
「私の魔法も当たらないってことは、理はちゃんと防御をしてる! やたらめったらなら、尾じゃなくて本人に刺さってるはずだ!」
「それでも尾には刺さっている! 全部じゃないが、尾には攻撃が通っているんだ! 少しずつでも攻略するぞ!」
「動きを止めている間に部位破壊とか、本当にゲームみた……みんな、下がって!」
幸運ゆえにか、丁半は理の兆候を見逃さなかった。
九本の尾を目まぐるしく動かしていただけの状態から、別の動きに切り替わる。
「第四尾、弾丸の尾! ショットガンスプリンクラー!」
尻尾のうち一本だけが直立した。雄々しくまっすぐに、搭のようにのびたそれから、細やかな弾丸が発射されていく。
勇者たちを狙ったものではなく、自分の周囲すべてへ無差別に降り注ぐ。
「一発一発の威力は大したことが無いけど、ずっともらってると危ない! みんな、本当に早く下がって!」
「せっかく防御力を上げたのに、こんな豆鉄砲も防げないなんて!」
「相手が強いなんてわかってただろう! とにかく下がるんだ!」
一点集中ではなく全体攻撃、一瞬ではなく継続。
明らかに最強威力の攻撃ではないが、それでも理は魔王の下僕。
勇者たちよりも格上であり、無数にばらまく攻撃の一発一発でさえ地面に深々と突き刺さっていく。
しばらくして攻撃が止んだときには、なにもなかった荒野がハチの巣になっていた。
さながら積もった雪の上に雨が降ったようで、明らかな様変わりをしている。
「嫌になるな……削るどころかこっちが削り殺されるぞ」
「あんな適当な全体攻撃でも、確実にダメージを与えてくるなんて……」
「今のところ自動回復が間に合ってるが、全力で攻撃してきたら耐えられない」
今まで勇者たちが戦ってきた、どんな相手とも違う。
今の理は、明らかに狂気に浸っている。
だからこそ行動が読めない。最適な行動をするわけではなく、イノシシのように突貫してくるわけでもない。
ひたすら不気味で、意図を読むことが恐ろしかった。
「いいや、あいつはそこまで壊れちゃいない」
恐怖で覚悟が鈍りかけていた九人を、加寸土が奮い立たせた。
確かな希望をもって、勝利への確信を目に宿す彼は、しっかりと理を観察していた。
「そうだろう、理」
「俺は壊れちゃいないさ、普通でまともだ。嬉しくて笑ってて、悲しくて泣いてるだけだ」
笑いながら泣いている理は、加寸土と向き合っていた。
その両者には、まったく同じ傷が刻まれている。
「痛い、痛いよ……お前はこんな痛みに耐えているんだな」
本当に、悪役のようだった。
明らかに普通ではない理は、自分が傷を負っていることが嬉しくて笑っていた。
「俺のチートを、お前は知っている。だから全力で殺しに来れない。そうだろう?」
「ああ、その通りだ。受けた傷を相手にも負わせるお前のチート、『報復』〈ジャスティスペナルティ〉。まず間違いないく、一番厄介なチートだよ」
その上で、痛くて泣いていた。
「お前は好きなだけ俺に攻撃出来て、俺がお前に攻撃すれば自分も傷を負う。なんともずるい、チートな能力だ。しかもお前は、万のおかげで自動的に怪我が治る! 俺だけ一方的……はははは!」
危うい状態だった。
全体攻撃をすれば自分が怪我を負うと知った上で、死ぬわけじゃないからそれでいいと思って実行したのだから。
「なってるな、能力バトルに! 魔王様もお喜びだ!」
「魔王を喜ばせるために、わざと俺のチートを食らって見せる……それでいいのか、お前は」
「いいさ。さっきも言っただろう、俺は魔王様に幸せにしてもらうつもりはない。俺はあくまでも、魔王様を幸せにする立場だ」
血をぬぐって、それでも理は平然としている。
「それよりも、加寸土。お前こそもうちょっと気にした方がいい」
狂気に落ちかけている理性で、とても残酷なことを告げる。
「俺は苦痛に負けないぞ」
十人の勇者は、言われてようやく気付く。
理がアピールしているのは、ダメージにひるまない心の強さだった。
全身に針が刺さっているような苦痛を受けても、理は攻撃の手を緩めない。
加寸土のチートがあるからと言って、攻撃を躊躇することが無いと証明したのだ。
「俺がお前へ攻撃してしまったときは、俺が苦痛でひるんだ隙を叩く。そんな作戦も考えてたんじゃないか? それは俺には通じないぞ」
「……命を懸けることになるかもしれないな。だがだから何だ? そんなことは、ずっと前から覚悟している。今更だろ、そんなのは」
「それもそうだ……くっくっく……ハイになってるなあ、俺は」
鬱屈を晴らす理は、あらためて揺さぶりの無意味さを知る。
「勇者と戦えるのは、下僕冥利に尽きる」
前とは違う。本当に、違うのだ。




