家族だからこれで善い
一度もクリアしていないのに、ひたすら難易度だけが上がり続けるベルトコンベアの上での障害物競争。
俺のことを攻撃してくるギュウキ様は、部下を五人も追加していた。五方向から攻撃してくるのではなく、五人が移動しながら俺へ鉄球をぶつけてくる。それはもう訓練されている、見事な集団攻撃だった。
「斥力の尾! フィールドウェーブ!」
しかしいつまでもやられっぱなしの俺ではない。難易度が上がっているということは、俺自身が成長をしていることも意味している。
大きさを調整した斥力の尾から、俺を中心に斥力の波を放つ。それによって、俺へ殺到してくる鉄球の軌道を曲げているのだ。
波というのが重要で、斥力が一定だと軌道を修正されてしまうのだが、不規則に波を持たせることで偏差射撃を防いでいるのだ。
最近分かったのだが、俺の尻尾は半自立で行動ができる。よって一旦『不規則に斥力を発する』という状態にすれば、俺は尻尾へ意識を割かなくてよくなるのだ。
痛覚もつながっているので酷使すると痛いのだが、鉄球が当たるほうが痛いので我慢する。
「ふん!」
「ぬん!」
「どりゃあああ!」
そんな俺の力場を、ギュウキ様とその部下は超えてくる。
波があるということは弱くなる時があるということで、狙えずとも投げ続けていればそのうち当たってしまう。
「あぐあ!」
だが多少は持ちこたえられる。
狙われていないということは、連続で投げられているということ。力を込めた渾身の一投でないのなら、ある程度は我慢できる。
忍耐の限界というよりは辛さへの慣れや麻痺なのだが、深く考えても幸せになれないので積極的に麻痺しておく。
麻痺はバッドステータスではない、むしろ痛覚遮断だと思え! 痛いと泣いて叫んでも、誰も助けてくれないのだ!
「へぐ、ひぐ!」
他の尾を使って防御をしているが、そもそも尻尾自体に痛覚があるのであんまり意味がない。
っていうか、五人が移動しながら攻撃してくるから、防御が追い付かない。
「ち、ちくしょう!」
「そんな痛そうな顔をするな! 相手は勇者、大喜びで追い詰めるぞ!」
「はいいい!」
走りながら泣いている俺を、ギュウキ様が叱咤してくださる。
まあそうかもしれないけど、やせ我慢をし過ぎてダイエットの限界に挑戦しているようなものだ。
もう耐えられない、死にたい。もっと強いチートがよかった、ステータス閲覧だけだと辛すぎる! なんで俺は、自己保存型のチートを授からなかったんだろう!
「そらそらそらそら!」
「へぐ、ひぐ、うぐ、ほぐ!」
「ふん、ぬん、とぅああ!」
「あぎゃん!」
こうして四方八方から攻撃されていると『ああ、ゲームの中ボスってこんなに辛い目に合っていたんだなあ』という気分になる。
なまじ耐えて走れるようになっているぶん、苦痛による精神の摩耗が激しくてヤバい。
本当は走ることや避けること、防御することに集中しないといけないんだけど、この苦行に意識を集中していると悲しくて悲しくてたまらなくなるから心を無にしないといけない。
幸せなことを考えて、辛いことをしているという意識を失わせるんだ!
「よい、そこまでとせよ」
ベルトコンベアがゆっくりと止まり、鉄球がぶつかってくることがなくなり、俺は顔から液体を垂れ流しながら倒れかけた。
魔王様からストップが入って、俺の特訓が終わったのである。
「この一年、修行を課したわけだが」
魔王様の声から、表情を察することができる。
多分少し後悔しているというか、思った展開になっていないという感じだ。
手ごたえがない、と言っていいのかもしれない。
「どうだ、ギュウキよ」
「まあまあですな」
「まあまあか」
倒れている俺は、魔王様の声色に対してやるせなさを感じる。
こんなに頑張ったのに、一年ボコられ続けたのに、まあまあって……。
「確かに、まあまあか」
まあまあってなんだっけ……褒めてもらえているんだっけ……。
これが、詰め込み教育なのだろうか。ゆとりのない教育体制なんだろうか。
ほめて伸ばす要素とか、どこにもないんだろうか。
「てっきり一年経てば、お主の試練も悠々と超えられると思っていたが」
「我らも鍛えられておりますのでな!」
「そうか、特訓しているはお前たちも同じか」
「ははははは! よき特訓でした!」
「ははははは! お主も悪よのう!」
前も思ったけど、指導している側が上達するのって理不尽だと思う。
俺に鉄球をぶつけることの上達スピードが、俺の成長速度を上回るってなんだろう。
誰かに物を教えることは、結果として上達につながると言うけれども。
それは俺に利益をもたらしたのだろうか。弟子の成長につながりましたか、ギュウキ様。
「コトワリよ」
「は、はい、魔王様」
「褒めて欲しいか?」
「はい! 魔王様からお褒めの言葉を頂きたく存じます!」
突っ伏したまま、俺はなんとかそんな声を上げた。
だって、本当に褒めて欲しかったんだ。
魔王様から『よく耐えたね、偉いね』って言ってほしかったんだ……。
魔王様を楽しませるために頑張ってるんだし、それぐらいいいじゃない!
「では明日、勇者どもを十人殺してまいれ」
魔王様は、威厳をもって俺へ命令を下した。
俺は慌てて起き上がり、跪く。
「何もなさぬうちから、この口から労いの言葉が漏れると思うな」
「お許しください」
「許すも何もない。褒められたくないと言えば、むしろ腹を立てていたやもしれん」
魔王様は、俺にコマとしての役割を果たすように、強く圧力をかけてきた。
圧迫面接どころの騒ぎではない。
「この魔王を楽しませよ。それ以外に、お前のなすべきことはない」
およそ一年ぶりに、俺は勇者たちと会う。
若竹たちと殺し合い、負けられない戦いをするのだ。
「承知しております。そのために、ギュウキ様やセラエノ様から指導を頂いていたのですから」
「うむ」
元クラスメイトを殺さないと褒めてもらえないが、そんなことをして褒めてもらっても嬉しくなくて、でも褒めてもらえないと死ぬというジレンマ。
褒めて欲しいことで褒めてもらえず、褒めて欲しくないことで褒めてもらわなければならない、俺のこのなんだろういったい人生の辛さ的なものはどう処理すればいいのかわからなくて愚痴も言えねえ。
役に立たない魔法も教えてくるセラエノ様や、俺を痛めつけること技術が向上していったギュウキ様。その二人に対して指導していただいたなんて言わないといけなんだろう。
下っ端って辛い、悪の手先って大変、チート主人公になりたい。
「必ずや、魔王様のご期待にお応えします」
この怒りを、若竹たちにぶつけるしかねえ。
ここまで鍛えたのにいざ襲いに行ったら、部屋の隅でガタガタ怯えていたりしたら、もう本当に何のための一年だったのか分からなくなってしまう。
その場合は、若竹たちが変に覚醒してチート主人公になっていた時よりも、更に心の傷が深くなってしまうだろう。
流石に俺も、立ち直れる自信がなかった。
※
魔王様の居城から帰宅した俺は、晩御飯を食べたあとにまた勉強をしていた。
自室にこもって、建設的に学業に勤しんでいる。
もちろん、無駄ではないだろう。
今までは、こうして勉強をすることに、勉強ができることに感謝や感動をしていた。
だがそれも、流石に無理が来ている。
辛いことが麻痺しているように、充実していることも麻痺している。
はっきり言えば、勉強することに疲れていた。飽きていたというのではなく、苦痛になっていた。
いつものように勉強しようと思ったけど、手が動いてくれなかった。
「……勉強したくねえ」
死ぬ思いで守っている日常なのに、それを満喫することができなくなっていた。
有難味がなくなっていた、ということだろう。自己分析はできても、教科書やノートを開くことができない。
楽しいことをしたいと思っても、それをするには罪悪感が湧く。
マンガやアニメを楽しもうと思っても、自分の体験と重ねてしまう。
何をやるにも、鬱屈した感情が付きまとってしまう。
「限界だ」
勝たなくてもいいのではないかと思ってしまう。
これからも頑張らなければならないのだと思うと、うんざりしてしまう。
未来が暗いことで気がめいってしまう。
今まで大言を吐いてきたが、現実と戦うことに疲れてしまった。
だが異世界に召喚されて、日常的に非日常とかかわっている俺は、夢に逃げることもできなかった。
誰かに褒めてもらえることを期待できない現状で、それでも誰かに労ってほしくて。俺は矛盾を隠せなかった。
もうどうなってもいいから、親や他の誰かにすべてを明かしてしまおうか。
承認欲求が満たされないあまりに、鬱屈した時間が長すぎたがゆえに、自暴自棄になりかけていた。
今更のように、世間の人がどうしてバカなことをするのかを理解していた。
誰もが辛くて悲しくて苦しくて、ただ生きていることに耐えられなくて。
それが破滅につながると分かっていても、変化を求めてしまう。
……。
それが、冒険心なのだとしたら。
それがどれだけ愚かなことなのか、誰よりも知っているはずの俺が、そんなことを考えてしまうのだから。
俺が蔑んでいた人たちは、どれだけ衝動を抱えて生きているのだろうか。
「……」
「おいおい、勉強しているんじゃなかったのか?」
笑いながら部屋に入ってきたのは、俺の父親、父さんだった。
「父さん」
「怒っちゃいないさ、まじめに勉強しているから、疲れて嫌になったんだろう。そういうこともあるさ」
非常に今更だが、俺には両親がそろっている。
特別に裕福というわけではないが、極端に貧乏ということはない。
俺が一人っ子ということもあって、普通の範囲なら進路が狭まることはなかった。
「理、お前本当に頑張っているんだなあ」
都 懐
男性
精神状態 上機嫌 真剣 真面目
現実逃避のために受験勉強に没頭するという、意味不明の状況になっている普段の俺は、周囲から見ればまじめな生徒だろう。
実際にはクラスメイトを殺している、前代未聞の連続殺人鬼なのだが。
しかしそんなことは、俺の父さんには分からない。とても嬉しそうに笑いつつ、俺のことを褒めてくれていた。
「父さんが高校生の頃は、そんなことを考えずに毎日馬鹿をやってたが……お前がこんなに立派になるなんてなぁ」
「そ、そんなに大したことないって」
実際、大したことはない。
俺自身真面目に勉強をしている自覚はあるが、塾や予備校に通っているわけではないし、学校で一番になっているというわけですらない。
高校二年生の時から受験を意識しているのは『真面目』ではあるのだろうが、立派だと言われることはないだろう。
少なくとも、父さんから大いに褒められるほどではなかった。
「いやいや、そんなことはない。お前は大事なことが分かっているからな、父さんぐらい褒めてやらないと」
「大事なこと?」
「お前は、幸せを期待していない。それはとても大事だ」
幸せを期待していない、という言葉はその通りだと思う。俺はこれからの人生、幸せになることはないのだから。
しかしそれを父親に言われるとは思っていなかった。だって、俺の事情を理解しているわけではないのだから。
「理。お前はもう立派な男になったから、あえて辛いことを言う」
父さんは、とてもまじめな話を始めようとしていた。
「人はな、仕事や勉強に幸せを期待してはいけないんだ」
子供が聞けば、世の中の不条理を嘆くだろう。
今の俺なら、まあそんなものだろうと受け流せる。
だがなぜ今、受験勉強をしている息子にそんなことを言うのだろうか。
「世の中には、勝手に幸せを期待するものがたくさんいる。見当違いな思い込みと現実のギャップを受け入れられない、どうしようもない奴がわんさかいる」
その言葉には、嫌悪感があった。多分、職場とかで嫌なことでもあったのだろう。
正直あんまり聞きたくない愚痴だった。
「特に学校や仕事には、そんな期待を持ち込む。とんでもなく迷惑で、自分勝手なことだ」
「そ、そうなんだ……」
「妄想と現実にギャップがあるなら、現実の方を重んじるべきなのにそんなこともわかっていない。本当に度し難いぞ」
俺としては父親にもっと偉大であってほしいのだが、そのことも期待してはいけないのだろうか。
父親が誰かをバカにするのは、あまり聞きたくない。
「理。お前が一生懸命頑張って勉強をして、希望していた大学に入って、最終的には職業に就けたとする。それでお前は幸せになれるか?」
「ど、どうだろう」
俺の場合、明確な目標なんてない。
行きたい大学があるわけじゃなくて、就きたい仕事もない。
なので見当違いな話だった。
「なれるかもしれないし、なれないかもしれない。だがな、幸せになれると期待してはいけない」
「どうして?」
「幸せとはな、してもらうことで成立するからだ。お金をもらっておいて、してもらうことを期待するなんてどうかしているだろう」
一事が万事というわけではないだろう。
実際俺だって、父さんに何かをしてあげているとは思っていない。
だけどそんな揚げ足取りをする気はなかった。
俺自身、今の仕事で幸せになれるとは思っていないし、期待もしていないからだ。
「仕事とはお金を受け取って、してあげるものだ。一番大事なことはお金を払っている側が幸せになることで、自分が幸せになることは優先順位では一番下だ」
父さんの言葉は、社会人としての気構えだった。
「職場に期待していいのは、仕事をしてあげることでお金をもらうことだけだ。お金をもらって、そのお金を誰かに払って幸せにしてもらうことが、仕事によって確実に得られる幸せだ。他のことは期待してはいけない」
「そう、だね……」
「仕事そのもので幸せになろうとすれば、大抵ろくなことにならない。手抜きが横行し、接客が雑になり、失敗をした時に頭を下げることができない。勉強も同じだ。楽しくなかったら勉強しないとか、嫌になったから勉強をしないとか、勉強の目的を忘れている」
それは確かに、俺の魔王様へ対する姿勢そのものだった。
「難しい言い方をすればだ、仕事とは客の需要を満たすためにあるのであって、当人の承認欲求を満たすためにあるわけではない。勉強も頭がよくなるため、仕事に求められる能力を得るためにするもので、褒めてもらったり楽しむためにあるわけではない」
魔王様に喜んでもらうために一年A組を殺していて、母さんや父さんのために家に帰っている。
俺が自分のために、褒めてもらえるために頑張っていたら、きっと破綻していることだろう。
「じゃ、じゃあさ、父さん。なんで父さんは俺のことを褒めてくれるの?」
「それは、家族だからだ」
虚を突かれて、涙がこぼれた。
「理。お前がコンビニで従業員に感謝をすることがなくとも、悪いところには目が行くだろう。同じように、世間もお前の悪いところは見ても、いいところを褒めることはない」
父さんは俺の都合なんて知らなくて、もしも知っていたらこんなことを言ってくれないだろう。
受験勉強を頑張っている息子を、普通に褒めているだけなんだろう。
だけど、それでも、俺は、頑張っていることを褒めてもらえたことが嬉しくて。
「でも父さんは、お前の父さんだからな。いいことをしていたら、そりゃあ褒めるさ」
「と、父さん……」
「いつも頑張っていて偉いな、理。お前は父さんの、自慢の息子だ」
俺はようやく、自分が普通の男子高校生であることを思い出せた。
異世界に召喚されて、魔王様の部下になって、家に帰って母さんに会った時のことを思い出していた。
気が抜けて、緊張が取れて、安心して、涙腺が緩んでいた。
「誰にも褒めてもらえないのに、一生懸命頑張っているお前は本当に自慢の息子だ」
「……うん」
「これからも頑張るんだぞ、父さんも母さんも応援しているからな」
きっと、普通の親子の会話だ。
だがそれでも、俺にとっては救いの言葉だった。
俺が殺した四人にもあったはずで、明日殺す十人にもあるはずのものだ。
だとしたら俺は、一体どれだけ罪深いのだろう。
嬉しいことがある度に、俺はそれを感じて、涙に様々なものを混ぜてしまう。
だから、中々泣き止むことができなかった。
そして、それでも明日は来る。明日は来るのだ、それでも。