誰も傷つかなければそれが善い
王手高校の二年A組の教室で、生徒たちは一人のクラスメイトに視線を集めていた。
とても上機嫌そうに英単語帳を眺めている、都理を、である。
およそ一年前。一年A組の生徒は、彼を除いて全員失踪した。
ド田舎で子供が一人いなくなったのとはわけが違う。
それなりに都会であり、街中に防犯カメラがあり、そもそも周囲にはたくさんの人がいるはずだった。
にもかかわらず、誰の足取りもつかめなかった。どの時点で消えたのか、まるでわからなかったのである。
そして、そうした怪奇性とは別に、二十九人もの学生が消えたのだ。
二十九の家庭が日常を失い、嘆き悲しんだ。学校そのものも管理責任を問われることになった。
世間では一時期現代の怪談として騒がれたが、やがて沈静化していった。
しかし、この学校では終わっていないことだった。
当時、つまり一年前はきちんと学校側から、生徒へ説明されていた。
だからこそ、うかつに都へ関わる生徒もいなかった。
当たり前だろう。まず一般的な良識と常識において、クラスメイト全員が失踪し、一人だけ残ることになってしまった被害者へ近づきたいとは思えない。
仮に良識や常識を持っていない、危機感のない生徒がいたとしても、当時は教師が本気で都へ気にかけていたので、接触する暇がなかった。
もちろん努力と熱意があれば別だったかもしれないが、流石にそこまで暇ではない。せいぜい噂話を匿名でネット上に書き込むぐらいだっただろう。
しかし一年という時間は、教師からも生徒からも、都への配慮を忘れさせるには十分な時間だった。
良識と常識を持っていない一人の生徒が、しばらくの間バカなことをしたのもそれが原因であろう。
だがそれも、周囲の良識と常識によって、つぶされてしまうのは当たり前だった。
「なあ、円木の奴。先生に呼び出されたんだってよ」
クラスメイトの一人が、都に聞こえない場所でそう口にした。
「そりゃなるだろ。アレ、完全にいじめだったし」
「バカだよな~~頭沸いてるよな、絶対」
「誰かがスマホで映像とってたんだってよ。で、教師にチクったんだって」
「毎日言ってたから撮り放題だったしな……馬鹿って怖いぜ」
「なんで誰も止めなかったんだろうな……」
「いや、止めてただろ? あいつが暴走してただけだって!」
「ああいう奴が、ネット上にバカな写真を上げて、炎上させるんだなあ……」
良識と常識のある生徒たちは、だからこそ呆れていた。
少し想像すればわかることなのだが、学校内のいじめ問題が活性化しているとしても、場合によっては教師が動かないこともあるだろう。
だがしかし、都理だけは話が別である。まして、失踪事件に関して明確に発言をしていたのなら、生徒から話を受けた時点で即座に動くだろう。
「ねえねえ、あのバカのこと撮ったの誰か知ってる?」
「一人や二人じゃないって話だよ」
「あ、やっぱり、私も撮ってたんだ。そろそろ言おうかと思ってたんだけど……」
「私も~~。こう、撮ったのを見せて、先生に言うよって言おうかと思ったけど……」
「そんなことしたら、アンタがあいつに何されるかわからなかったじゃん。やらなくてよかったよ」
「そうそう、面倒なことは大人に任せようって」
だからこそ逆に、生徒たちもうかつには動けなかった。
円木が都をいじめていると分かれば、それも証拠が伴っていれば、ただ一言でもこうなると分かっていたからだ。
先生に呼び出されてしまうといっても、軽いものであるわけがない。
はっきり言って、いじめを止めたいとは思っていたが、いじめをしている相手を停学にしたいだとか退学にしたいだとか、そこまでの正義感は発揮できなかった。
もちろん、他の誰かが止めるだろうと期待していた節もあるのだが、それにも限度があったのだ。
下手をしたら、都が追い詰められて、自殺をしてしまうかもしれない。
常識と良識、想像力のある生徒たちは、するべきことをしていた。
※
複数の生徒から、複数回にわたる罵倒の証拠を渡されたことで、教師たちは速やかに動いていた。
生徒指導室に円木を呼出し、教頭と担任が彼へ指導をしていた。
拗ねたようなことを言う円木は、誰とも視線を合わせようとしなかった。
「俺、悪いことをしたなんて、思ってないから」
何もかもが露見したからこそ、彼は自己正当化を止めようとしていなかった。
もしも証拠がなければ、ごまかそうとしていたかもしれないが、そんなことはできなかった。
なので、ただ自分を正しいということしかできなかった。
「悪いの、アイツでしょう? 誰がどう考えたってそうなのに、誰も言わないから俺が言ってやったんですよ。それが悪いことだなんて、嘘ついてるようなもんじゃないですか」
真実とは、時に奇妙なものである。
円木が都に投げた言葉は、すべて真実だった。
今言っていることも、実際正しいことだった。
彼は殺人者へ正しい糾弾をしていたにすぎない。
だがしかし、それには全く証拠が伴っていなかった。
根拠なく他人を悪人と決めつけ、周囲の前でののしる。それは紛れもなく悪行である。
「円木」
その彼に対して、担任の教師はたんぱくな言葉を送った。
「お前がどう思っているかなんて、関係ないんだよ」
目の前の生徒を軽蔑しきっていた。
嫌悪を通り越して、失望さえしていなかった。
「お前が自分のやっていることをどう思っていたとしても、そんなことは周りの人間は気にしないんだよ。お前が都のことを悪人だと思っていたように、周りの人間はこれからずっと、お前のことを悪人だと思い続けるんだよ」
円木にとって、とてもつらいことを言い続ける。
「周囲からどう思われても気にしない、と言っても意味がないぞ。周囲の人間は、お前をいじめたりしない。相手にしないだけだ。学校も職場も、誰もが行きたがるような、人気のある場所にお前はいけなくなる。なぜなら、お前に関わりたくないからだ」
善悪ならば、いくらでも自己弁護できる。
しかし進路や損得が絡めば、それは彼個人の自己欺瞞を超えている。
「お前の気持ちなんてものを大事にしてくれるのは、お前とその家族ぐらいだ。他の誰も、お前の気持ちなんて気にしないよ。もしかしたら慰めてくれるかもしれないが、実際には力になんかなってくれない。頑張れよとか応援しているよとか、そんな責任のない言葉を投げてくるだけだ」
淡々と人生に生じる不利益を語られて、円木はだんだんと体を震わせていく。
「お前は損をしたんだよ」
自分の行動が不利益を招いたのだと理解すればするほど、自分が負けたような気分になってしまう。
それを認めることは、彼にとってとても耐えられないことだった。
今日まで都に絡み続けてきた日々のすべてが、全面的な敗北ということになってしまうからだ。
「正しいことをしたら、褒められるべきじゃないんですか? 正しいことをしたやつが、罰を受けるなんておかしいですよ!」
「で?」
「空気を読めとか、腫物には触れるなとか、証拠がないから動けないとか! そんなことを言っているから、日本は駄目なんですよ!」
「で?」
「だから、俺は言ってやったんですよ!」
「それで?」
「だ、だから……俺が罰を受けるなんて間違っている! 悪いのはあいつなんだ! あいつは人殺しなんだ!」
損得から善悪に話を戻そうとする。
自分が正義なのだから、損をするのはおかしいと主張する。
「それで?」
「だから、あいつに罰を与えるべきなんだ!」
「この日本ではな、証拠もないのに人を殺したなんて言うやつが罰されるんだ。もう一度言うが、お前がどう思っていても、どう考えていても、罰を受けるのはお前だ」
「日本はおかしい!」
「そうだな。確かにお前が言うように、日本にはおかしいところがたくさんあると思う」
彼の主張には、それなりに正しい面もある。担任はそれを認めていた。
「今まで常識とされていたことが、少しずついい方向に変わりつつあるのは、そういう発言をされてきたからだ」
「でしょう!」
「おかしいことには、おかしいと言わなければならない。周囲からどう思われたとしてもな」
「ですよね!」
「例え周囲から迫害されても、周囲から距離を置かれても、生活に支障が出ても、進学に支障が出ても、罰を受けても、言わなければならないな。間違っている我々から、推薦を欲しがるなんてことはないだろう?」
「……う」
戦うということは、弱いものを一方的にたたくということではない。
強いものに対しても、勇気をもって行動しなければならない。
そうでなければ、何も変わりはしないのだ。
「もう一度言う。お前を納得させるつもりはないし、お前の言い分を聞く気もない。お前の気持ちなんてどうでもいい」
「それでも教師かよ、先生かよ!」
「教師は社会の厳しさを教えるのが仕事だ」
「俺の気持ちがどうでもいいだなんて……! それこそ、言われたら困るんじゃないのかよ!」
ここで、にやりと意味ありげに円木は笑った。
「実は俺がこの会話を録音していたらとか、思わないのか?」
「その場合は、この画像が出回ることになるだろうな」
「え……」
まさか教師がそんなことをするなんて、と思ってしまう。
おかしい、自分への暴言が流出するのはいいが、自分の正義が流出するなんて不都合はありえないはずなのに。
「円木君」
ここまで黙っていた教頭が、静かに口を開いた。
「君が怒っても、納得できなくても、私たちは全然困らないのだよ。君が思っているほど、君が何かをしても困ることはないのだよ。君を納得させるために、労力や時間を割くつもりはないんだ」
「そんな……!」
「君は、罰の本質がわかっていない」
自分には可能性があると思っている生徒へ、身の程を教えていく。
「円木君、我が校は君を推薦しない。それによって君は、大いに進路を狭められるだろう。行きたい大学に行けないことで、君は不満を持つかもしれない。それによって、就職にも影響が出るはずだ」
「そこまでわかっていて……」
「だがね、そんな先の話をせずともだ。君がもしも都君へ再び余計な接触をしたのなら、そのときは即座に退学処分とする」
「そ、そこまで……! なんでそこまでするんですか! あの人殺しが、そこまで大事ですか!」
「大事に決まっているだろう!」
教頭の強い言葉に、円木はひるんでいた。
「高校は、学業の為にある! まじめに勉強をしている生徒を守るのは当たり前で、そうではない生徒へ罰を下すのも当たり前だ! ましてや、勉強をしている生徒へ邪魔をするなど、罰を下さない方がどうかしている!」
教頭の言葉には、確固たる誇りがあふれていた。
「君は罰がわかっていない」
もう一度、言う。
「学校における罰とは、痛めつけるためにあるわけではない。君に更正を促すためにある」
「……」
「君は私たちが何を言っても、叩かれても親に言われても、絶対に納得しないだろう。であれば、痛い目を見てもらうしかない。勝手な思い込みで他人を罵倒すると、自分が損をするということを体験してもらわなければならない」
はっきりと、お前が悪いと言っていた。
罰を与え、人生に悪い影響を与えるといいきっていた。
「もしも罰を与えなかった場合、君は私たちを侮り、世間を勘違いするだろう。他人へ暴言を吐いても、注意されただけで済んだと思って、今度こそ取り返しのつかないことをする。そうならないためにも、注意以上の損をするべきだ」
「……本来なら停学にするところだが、都君は自分の両親に過剰な心配をさせたくないらしい。だからあえて、今回だけはそれ以上重い罰を下すことはない」
厳しい、言葉を贈った。
「反省しなさい」
※
「けっ」
円木全威。
彼は王手高校の二年生ではあるが、とても幸運なことに一年前の事件と全く無関係である。
一年A組の生徒ではないのは当然として、その関係者でもなんでもなかった。
「なんでこうなるんだよ、まったく……おかしいだろ、絶対」
失踪した生徒と同じ部活だったということや、親しい友人だったということはない。
だからこそ、彼にとって失踪事件は他人事だった。
「クラスの中で、あいつだけがいなくなってないんだぞ。おかしい……絶対なにかあるはずだ」
なので、彼は事件のことをすぐに忘れていた。
親しくない者がいなくなった、という程度なら心に傷を負うわけもない。
「そうだ、あいつのことをもっと調べよう。証拠さえあればいいんだ、証拠さえあれば!」
彼が事件のことを思い出したのは、一年が経過したころである。
都は見ていなかったが、ネット上に『失踪事件から一年』という記事があったのだ。
そこでようやく、自分のクラスに失踪していない生徒がいることを思い出したのである。
「なければつくればいい! 悪いのはあいつなんだからな! 証拠さえ突きつければ、教師だって俺に謝るはずだ! 都が悪いってことになるはずだ! そうならないなんておかしいしな!」
重ねて言うが、彼は本当に失踪事件と縁が無かった。
失踪した生徒の家族を手伝って、ビラを配ったことはない。警察の捜査に対して積極的な協力をしたわけでもないし、自主的に足取りを追おうとしたこともない。
そして、今後もそれをするつもりなどない。彼がしたいのは正義による一方的な攻撃であって、地道な捜査や家族の苦しみを癒すことでもないのだから。
「よし、それじゃあ……ん、誰だよ、お前」
だからこそ、彼は本当に想像していなかった。
自分の発言が都だけを傷つけていると、信じて疑っていなかった。
一年A組の生徒が死んでいると決めつけることが、どれだけ家族や友人を傷つけるのか考えていなかったのだ。
「あ」
そして、スキルも魔法もなく、超能力でも完全犯罪でもなんでもない、ただの暴力がどれだけ恐ろしいのかも考えていなかった。
それが、どれだけありふれているのかも、想像しようとさえしていなかった。
きわめて物理的で身体的な暴力が、どれだけ直接的に人生を脅かすのかも、これからの長い人生でゆっくりと学ぶことになっていた。
※
※
※
教師から叱られた円木は、何者かから暴行を受けたらしい。かなりひどいけがだったらしく、入院もしているそうだ。
もちろん俺は、暴行に対して一切関与していない。暴行して黙らせるぐらいなら、もっと早い段階でやっている。
ほぼ間違いなく、一年A組の関係者だろう。俺程ではないにしても、一年前のことが終わっていない、割り切れていない生徒はいたようだ。
罪悪感が、心に残っている。
もっと早い段階で先生に言いつけておけば、円木は暴行を受けずに済んだのではないだろうか。
エスカレートしていくことはわかり切っていたのだから、早めに止めてあげるべきだった。
今更ながら、そう思ってしまう。
家を抜け出して、いつかのように夜の街を歩く。
深夜というほどではないが、それでも街の明かりは少ない。
街灯ではなく、家の中の明かりだ。
もちろん空き家もあるのだろうが、もう寝ている家もあるのだろう。
小さい子供がいれば早く消えるだろうし、一人暮らしでも年齢や仕事次第ではもう暗いのだろう。
ただ今の俺は、明るい家は団欒に見えて、暗い家は家族と寝ている家に見える。
街の明かりも暗がりも、どれもが幸福に見えてしまう。
「円木の人生は、お先真っ暗か……」
この街で暮らす多くの人たちが、実際には充実して満足して幸福な暮らしをしているわけではないのだろう。
ブラック企業だとか、借金生活だとか、底辺層だとか、フリーターだとか。もしかしたら、病気などで不健康かもしれない。
「それでも、マシなんだろう」
だがしかし、少なくとも一年A組の生徒よりはましだと思ってしまう。
もちろん実際にはそんなことはないのだろうが、歪み切った俺の主観はそう捉えてしまう。
今頃円木は、自分の前途を嘆いているのだろう。
強烈な目標意識をもって進学をしたかったわけではないだろうが、いけないと思うと不満はたまっていくものだ。
自分の人生に致命的な傷ができてしまって、転落していくとでも思っているのだろう。
今の場所から這い上がろうともせずに何もかも諦めて、自分が満ち足りていない理由をすべて他人のせいにして生きていくのだろう。
それが、とてももったいなく感じる。確かに最高の地位を望めるわけではないが、元々そんなものを目指していたわけでもないだろうに。
今からでも普通に頑張って普通に辛くて苦しい思いをして、嫌な気分になりながらも地道に積み重ねれば、充実して幸福な生活は営めるだろう。
もちろん場合によってはそれが崩れることもあるだろうが、そんなのは円木に限った話じゃない。
「チート能力を得て、異世界に行きたいと思うんだろうか……」
とてもではないが、お勧めできるものではない。
俺の境遇を基準にしなかったとしても、どれだけチート能力があっても、日本以外に赴いて帰れなくなるなど帳尻が合わない。
少なくとも俺は、魔王様の部下になったことやチート能力を得ていること、常人をはるかに超える力を得ていることを喜べていない。
戦う力を得ることは、誰かを傷つけて殺すことなのだ。とてもではないが、人間のすることではない。
例え殺さなければならない相手だったとしても、たとえ自分を一方的に傷つけてきた相手だとしても、例え自分の手を汚さずに自分の見てないところで自業自得の憂き目を見ただけだとしても。
人が傷を負うと、とても嫌な気分になる。
授業前に声をかけられて、正直うっとうしいと思っていた俺でさえこうなのだ。彼の家族は、一体どんな気分になっているだろうか。
普通の高校に通っていたはずの息子がいきなり教師から叱られ、さらに暴行を受けて入院したのだ。
暴行を受けるような真似をした息子を叱るのだろうか、それともただ泣いているのだろうか、あるいは加害者を憎んで厳罰を下してほしいと思っているのだろうか。
「若竹……」
だが、相対的にはましだ。
少なくとも、どこにいるのかもわかっていない、一年A組の生徒を待っている家族よりはましだ。
円木は日本の病院に入院しており、どこにいるのかがはっきりしていて、適切な治療を受けているのだろう。
どこにいるのかもわかっていない、もしかしたら明日帰ってくるかもしれない、最悪このまま帰ってこない。
そんな状況のまま、諦めることもできずに堪えているのだろうか。
「あと、二十五人……」
二十九人が失踪して、一年以上が経過した。
残された家族は、今でもその二十九人を探しているのだろう。
そのうちの四人はもう死んでいる、俺が殺した。
残る二十五人はまだ生きていて、遠い世界で冒険をしている。そして俺と殺し合うのだ。
それが、せつない。
楽しくもなければ面白くもない、終わった後に達成感や満足感を得られるわけもない。
俺の人生は、不幸で不運で、自己嫌悪に満ちたものになると決まり切っている。
「全員殺す……!」
バラ色の未来は手に入らない、灰色の未来を得るために、不幸であっても死なないために俺は頑張っている。
幸せになれなくてもいい、ただ家に帰って、母さんや父さんに顔を見せたい。
内心がどれだけ擦り切れていても、普通の大人になって普通の生活をして、親を安心させたい。
俺がどれだけ不幸でもいいから、自分の親には幸せであってほしい。
今この街のどこかで苦しんでいる、一年A組の家族と同じ思いをしてほしくない。
俺は、どこにでもいる最低の犯罪者だ。
自分さえよければいい、最悪の殺人鬼だ。
「必ず、成し遂げる」
それでも、俺はもう決めているのだから。
※
「そらそらいくぞ!」
「はい!」
俺はとても小さくした九本の尻尾を振りながら、全力でベルトコンベアの上を走っている。
常に前だけを見ているわけではなく、小刻みにギュウキ様の方を確認しながらだった。
ベルトコンベアの速度は一定なので、一定の周期で確認すれば障害物の接近を把握できる。
「ふん!」
「よっと!」
「ぬうん!」
「はあ!」
もちろんギュウキ様は視線を切ったタイミングで鉄球を投げてくるのだが、それに関しては一度通った道なので対応できる。
そう、元々俺は魔法の呪文を唱えながら身を守る練習をしていたのだ。今は障害物を飛び越えながら、身を守るという練習に変わっただけなのだ。
大がかりなベルトコンベアに面食らって主題を忘れていたが、これはあくまでも発展形。いきなり新しいことが始まったわけではない。
それに気づくのに、どれだけ時間と命を減らしたのだろうか。過去を想うと、後悔しかない。後悔をしたくないという後ろ向きな理由で、俺は未来だけを見ていた。
「アイアン千本ノック!」
「斥力の尾!」
大きさを調整できるようになったことで、斥力の尾を防御に使用できるようになっていた。
猛烈な連射力を誇るアイアン千本ノックだが、逆に言えば一発一発は比較的軽い。
斥力場を小さく展開すれば、俺に当たらないように軌道を曲げることはできていた。
「アイアンアウトロー!」
「なんの!」
俺の足元、斥力の及びにくい場所を狙われたが、それは他の尻尾で受けていた。
腕を守れば足を狙われるように、あえて足下の防御をおろそかにしておけば、そこを狙われやすくできる。
つまり、攻撃を誘導できる!
「アイアンジャイロボール!」
「傀儡の尾!」
俺自身に変身させた尾を、文字通りの盾にする。肉盾ならぬ、尾壁である。
もちろん俺の分身一体で受けきれるダメージではないが、俺の分身が吹き飛んできたところを回避した。
「ならば、もう一発!」
「え? へぎゃん!」
もう一回同じ技を使われた! すげえ痛い! 今まで通りに吹っ飛んで、ベルトコンベアから落ちていた。
クールタイムとかがあるわけじゃないんだから、連射はできなくても同じ技を二回続けて使うことはできる。そんなの当たり前だ。
当たり前なことが見えていなかった、不覚!
「うむうむ。なかなか上達したではないか、コトワリよ」
満足そうに、魔王様からお褒めの言葉を頂く。
とても嬉しそうで、正直安堵してしまった。
これで最悪の最悪である、魔王様から飽きられるというのは回避できたのだから。
「光栄です」
「よくぞ己自身で答えを導き出したな」
「魔王様から頂いたヒントのおかげでございます」
「そうか、コトワリ=ナインテイルよ」
ますます嬉しそうな魔王様。
「そうそうに最短で答えに行き着くとそれはそれで面白くないが、長々進歩のない忍耐を見続けるのも飽きるからな。ちょうどよい塩梅であったぞ」
喜ぶべきなのだろうが、正直腹立たしく感じそうなお言葉を頂く。
いよいよ本格的に、ゲームのコマなのだと理解してしまう。
リセマラさせる前に、何とか最適解に至れたようだ。
「さて、これは後に勇者どもへも言うことであるが……」
魔王様はゲームマスターとして、一応の筋は通す。
俺へまじめに話すということは、そういうことなのだろう。
「最初に四人殺させ、残りは二十五人であるな。しかし流石に、あと六回も繰り返すとなると、冗長で面白くない」
ゲーム的というか、メタ的な配慮だった。
確かに二十人、十六人、十二人、八人、四人、ゼロ人と減らしていくのは何とも冗長である。
「お主が察しているあの、リトウのチートもある。よって、二回で終わらせるとしよう」
「二回、ですか?」
「うむ。主観的にはどうなるかはわからんがな」
俺が把握している中で、一番気の毒なチート。
それ次第では、どうなるかわからない。
そしてそれは、魔王様にとっても俺にとっても、どうでもいいことだった。
「次で十人殺し、最後に十五人殺せ。そして勇者が全滅すれば、その時点で世界を滅ぼす」
前者にくらべて、後者のなんと重いことか。
二十五人が死んで、その世界で暮らす多くの人々の命も失われる。
公平で客観的な秤にかければ、余りにも比較にならない。
しかし俺にとっては、どちらが重いかと言えば前者だった。
もしも俺が一年A組の生徒を全員殺せば、その時は世界が滅ぶ。
しかしあの世界などどうでもいい。まったく現実感が湧かず、罪悪感もわかなかった。
本当に、あの二十五人だけが意味のある人命だった。二十五人も殺すというだけで、俺の罪深さは十分に過ぎる。
「承知いたしました。魔王様の偉大さを示すためにも精進し、必ずや勇者どもを打ち倒して見せましょう」
「うむ、期待している」
こうしてわざとらしいほどに悪役の真似事をしているのは、魔王様への媚なのか。それとも自嘲なのだろうか。
一つ確かなことは、一々助命嘆願するような段階は、とっくの昔に通り過ぎてしまっているということだろう。
うじうじ悩むのは仕方がないとしても、それを口にするには、あまりにも手遅れ過ぎる。
魔王様が最初に提示した前提は、何も変わっていない。
であれば、文句を言う方が不誠実だ。
ただその一方で、ウイ様が俺を見る目が少し厳しいことを、どうしようもなく察してしまっていた。
「よし、では続けるか」
「はい!」
だが俺はそれどころではなかった。
「難易度を上げるぞ」
「え」
「人数を一人追加する。左右両側から攻撃をするので、そちらにも気を使うのだ!」
何をとは言わないが、どうしようもなく察してしまった。
「難易度は第二段階に突入したというわけだな!」
今までの試練は序の口でしかないということを……。
一体何段階まで難易度が上がるのか、聞きたくもあり、聞きたくもなし。
※
結論から言うと、そんなに死なずに済んだ。
アクションゲームでたとえるのなら、一面で死にまくると二面は多少楽になるアレである。
どのボタンを押せばいいのかパニックになっていたが、操作性を覚えるとそこまで頻繁に死ななくなるのである。
もちろん死ななかったわけではないし、無傷で走り切れたわけでもない。
ただそれでも、難易度が上がっただけなので何もできないまま倒されたわけではなかった。
本当に、それだけが救いである。
「ねえ、コトワリ。ちょっといい?」
そしてウイ様が俺に話しかけてきたことも、正直どうでもよかった。
「はい、なんでしょうか」
我ながら白々しいにもほどがある空返事だったが、ぶっちゃけ帰って寝たいので会話をしたくなかったので仕方がない。
ウイ様が何を考えているのか大体察しはつくし、それが俺を想ってのことだとは分かるのだが、それよりも何よりも帰って寝たい。
ウイ様と俺は友人ではあっても、恋人や夫婦でもなんでもない。
しかしこの状況は、よく話に聞くような「夫を気遣う妻と、疲れているのでとにかく寝たい夫」の図式に近い。
以前の俺なら話ぐらい聞いてやれと思うのだが、疲れていると話をするのも億劫だった。
とはいえ、相手はウイ様である。
魔王様が唯一と言っていいほど気遣っている人であり、同時に俺の事情を完全に知っている唯一の友人である。
ここでそっけない対応をすると、あまりにも多くのものを失いそうだった。
我ながら打算まみれではあるが、それを計算するにも脳をフル回転させるほどに、俺は疲れ切っているのだと自己弁護しておく。
「あのさ……もうぶっちゃけ、お母様にもっと強くしてもらえばいいんじゃないの?」
案の定だった。
俺だってことあるごとに心折れそうになって、その言葉が喉元まで出かかっていることがしばしばだった。
しかしそれだけは、なんとかこらえている。
「それは……したくありません」
自覚しているのだが、俺は過酷な修行を付けてもらうことで、元同級生を殺すことへの罪悪感を薄れさせている。
覚悟をしていないわけではないのだが、覚悟をしたら一切の迷いがなくなるとか、そんなことは一切ないのだ。
少なくとも俺は、いまだに葛藤を抱えている。ただ修行の辛さに比べると、全く持って釣り合いが取れていないだけで。
「我ながらしょうもないこだわりだとは思うんですが……仮に残る二十五人を余裕で倒せば、本当にただのゲームになってしまうと思うんです」
仮に魔王様が俺に対して『何があっても絶対に勝てるチート』を与えたとする。
その場合、魔王様にとって俺と一年A組との闘いは、ゲームではなくなってしまう。茶番を通り越して、白けたお遊戯以下になってしまう。
しかし俺の場合は逆だ。絶対に勝てる状況で魔王様にアピールをしなければならないとなると、それはゲーム以外の何物でもない。
「俺は、必要だから殺しているんです。遊びで人を殺したくない」
おそらくウイ様は、俺をいたぶるギュウキ様や魔王様を見て、それを醜悪に感じたのだろう。
実際醜悪だとは思うのだが、俺がそれを一年A組の連中にやるのは、どうしようもなく心にしこりを作る。
「俺は、これからも故郷で暮らしていくために、ここで踏ん張っている。それはつまり、アイツらの家族がいるところにとどまるってことなんです」
正当防衛やら緊急避難やら、殺さなければ殺されるという状況であること。
殺すために苦心し、殺されうる戦力差であり、そういう言い訳を心の中に用意しておかないといけない。
「これからの人生は、きっとろくなもんじゃない。でもだからこそ……俺は、多少でも、マシにするために……」
殺人という、著しく倫理観を逸脱する行為を、俺はしなければならない。
誰も助けてくれないからこそ、倫理観よりも優先されるものはある。
しかしそれでも、また別の倫理観が構築されるだけなのだろう。
殺人を正当化させる、罪悪感を緩和させる、そんな倫理観が必要なのだ。
「俺は、命を賭けているんです」
言い訳のために、俺は命を晒す。
ウイ様に説明をすることで、俺は心が再び整理されていくことを感じていた。
「勝つこと、生きることが家族のためなら、苦しんだり悩むのは自分のためなんです。ウイ様、どうか俺の醜態にお付き合いください」
俺が苦しんでいることを家族が知ったら、きっと俺を咎めるだろう。
実際、ウイ様は俺が苦しんでいるところを見て、俺を咎めている。
だからこれは、自分のためだ。ささやかなわがままで、ささやかな言い訳だ。