緊張のし過ぎは、弛緩のし過ぎと同じように悪い
アベレージ40、不毛の荒野。
本来勇者たちが全員で赴くべき予定だった場所に、たった十人の勇者たちが赴こうとしている。
打ちのめされてなお立ち上がる、不屈の闘志をもつ十人を、チェスメイト王国の人々は見送ろうとしていた。
「クイン王女、行ってきます」
こんなことを言えるわけもないが、『いい面構え』だった。
十五人のクラスメイトを置いて出撃する十人は、誰もが恐怖をこらえて進む勇気があった。
今までの遠足気分とは明らかに違う、自分たちの死を意識した顔だった。
「はい、どうかご武運を」
その彼らへ、代表してクイン王女が武運を願っていた。
ある意味定型句なのだが、それを受け止める彼らの表情は緊張している。
武運を願うとは、死地に赴くものへの祈りなのだ。
それを理解しているからこそ、軽く受け止めることはできない。
「はい、必ず帰ってきます」
返す言葉も定型句。
しかしそれでも、とても重い定型句だった。
言葉の意味を知って、勇者たちは再び戦場へ赴いていく。
今までのように、ただレベルを上げるためではない。
かつての級友を討つための、本当の意味での修行の為に。
※
不毛の荒野と呼ばれる危険地帯にたどり着いた勇者たちは、あまりにもわかりやすい『不毛の荒野』に少しばかり拍子抜けしていた。
確かに草木の生えていない荒野だが、モンスターの影が無い。
とてもではないが推定アベレージ40という、危険なモンスターの生息している地域には見えなかった。
「事前に説明していると思うけど、ここはアンデットモンスターの住処らしいわ」
「地面から出てくるそうだが、あまり情報が無いらしいしな……」
当然だが、レベルが上がっていく毎に情報は少なくなっていく。
特にこの不毛の荒野は、旨味が少ないということでほとんど情報が無かったのだ。
前回までレベル上げを行っていた巨獣の深森の場合は、食料や防具の素材になるモンスターが多くいた。
だからこそ有益な情報も多かったのだが、ここには強いモンスターがいるだけである。その上で、食料にも素材にもならないのだ。レベル上げ以外に、侵入する旨味が無い。
加えて、普通の場合はレベルが35もあれば十分なのである。
モンスターを退治することによる練兵は、リターンが大きい一方で常に兵士の死というリスクを負う。よって、ここに立ち入るものはほとんどいない。
つまり、チェスメイト王国の兵士たちも、ここから先は来たものがほとんどいないのだ。
今までは経験者によって案内されたり護衛されていたが、ここから先はそうもいかない。
そういう意味では、都云々を抜きにしても、ここから先が本当の冒険だった。
「みんな、注意してくれ」
若竹が今更のようにそう言った。
今までも何度も言ってきたことだが、最初のうちの一度か二度しか守られていない。
何度も冒険をしているうちにゲーム感覚になってしまい、全体から緊張感が失われていったのだ。
「わかったわ」
返事をしたのは瀬音だけだったが、同時に私語も一切なかった。
誰もが緊張した面持ちで、手に武器を持って周囲を警戒している。
誰もが若竹の指示を心から守っていた。そうしなければ、死ぬのだと理解していた。
「丁半、打合せ通りに頼む」
「わかったわ」
もめ事が起きることもなく、事前の作戦通りに丁半白磁が荒野の上をゆっくりと歩いていく。
彼女は囮になって、索敵を開始している。すぐに助けられるように、誰もが遠距離攻撃の準備をしていた。
もちろん九人全員ではない。百葉だけは手に鞭を持って、丁半以外の面々をカバーしていた。
「伸るか反るか、吉と出るか凶と出るか、一か八か……」
ひきつった笑みを浮かべつつ、丁半は歩いていく。
空は晴れ晴れとしており、遮るものが無い荒野は光に満ちていた。
これでアンデットモンスターがでてくるとは思えないが、それでも気分は地雷原を進むようなものだ。
それでも笑っているあたり、彼女の性格が出ているのかもしれない。
「……!」
ずっと足元を注視していた彼女は、地面から小さな突起が突き出てきたことを視認できた。
「来たよ!」
彼女は迷わず、横に大きく跳躍した。
レベル35ゆえに、身体能力は相応に高い。だがそれだけではなく、とっさの緊急回避に必要なスキルを習得しているが故に、速やかに離脱できていた。
その彼女がいた場所から、地面が崩れていく。下に崩れていくのではない、上に崩れていく。
土が盛り上がって、なだらかな荒野を変形させていく。
大地に埋もれていたモンスターが、地表に体を出していく。
「みんな、まだ攻撃するな!」
まだ出現の最中だが、全容がまるで分らない。
既に見上げるほどに巨大なのだが、どれだけ巨大なのかまるで分らなかった。
「まだ、出てくるのか?」
巨獣の深森では、まさに巨大な獣たちが跋扈していた。
その彼らよりも巨大だったのが、太く古い森の木々だった。
今彼らが見上げているものは、その古い木々に匹敵する骨の集合体だった。
「どうする? まだ待つ?」
「……一旦距離を作ろう。丁半、戻ってきてくれ!」
生物というよりは、構造物の領域だった。地面からせりあがってくる姿は、まさに巨像である。
複数の生物の骨が、無作為に接続している。小さい骨も大きな骨も、乱雑に、適当に、でたらめにつながっている。
関節でつながっているというよりも、磁石でつながっているようだった。
「いきなり大当たりを引いちゃったかな?」
「かもしれない。だけど……これで勝てないなら、俺たちはどの道あいつに勝てない!」
後悔が混じっている丁半の軽口に対して、若竹は真剣な回答をしていた。
「みんな、丁半が言うように、これは大当たりだ! みんなで倒して、レベルを上げるぞ!」
不毛の荒野に存在するモンスターに、特定の形状は存在しない。
その大地に散らばっている無数の骨が侵入者に反応して自動的に連結し、ランダムな『骨格』を形成する。
その大きさもまちまちだが、最初に遭遇した骨格は最大級だろうと想像できた。
巨大な翼のように、というよりはドームのように勇者たちを包囲し、押しつぶそうとしている。
「相手は群体だ、弱点らしい弱点はない! 全部の骨を叩き折るんだ!」
まさに奇形、まさに異形、まさにモンスター。
生物ですらない不死の怪物、アンデット。
大質量で生物を殺そうとする死体を前に、勇者たちは立ち向かう。
「おおおお!」
無数の骨によって組まれた壁が、倒れるように押しつぶしにかかる。
骨だけが無作為につながっているため隙間だらけだが、それでも人間を殺すには十分すぎる密度だった。
それに対して、勇者たちは魔法や武器で応戦する。
「はああ!」
特に目立つのは、百葉武だろう。
彼自身はともかく、彼が両手に持っている武器は明らかに異常だった。
他の勇者たちが弓矢や短剣などで遠距離を攻撃しているにも関わらず、彼だけは『鞭』の二刀流である。
しかもただの鞭ではない。一つの取っ手から、複数の鞭が伸びており、それを両手に持っている。
誰がどう見ても、実用性が乏しい武器だった。一本一本の威力が見るからに低そうで、仲間や自分を攻撃しそうだった。
つまり扱いが難しそうな武器なのだが、それを百葉は自在に操っている。
「流石だな、百葉!」
「ああ、最近は特に調子がいい……!」
若竹が思わず称賛するほどに、百葉は活躍していた。
有効範囲が広く、攻撃回数が多い。理屈だけの武器を自由自在に操って、全体の半分を一人でカバーしていた。
彼が腕を振るう度に、接近してくる骨が砕かれていく。
「わかっていると思うが、骨組みを解体するんじゃない! 骨一つ一つを粉砕するんだ!」
「う、う、うおう! わ、わかってる!」
全員があわただしく動く中で、加寸土だけはうろたえていた。
自分の凡庸さを理解している彼は、その中で劣等感をぬぐう余裕もなかった。
だが、それでも彼は何とか手を伸ばす。
(こいつらに、群体相手に、俺のチートは意味がない!)
自分の受けた攻撃を相手に返す、彼のチート能力『報復』〈ジャスティスペナルティ〉。
それは相手が人間の大きさをしている場合、一人しかいない場合に最大の効果を発揮する。
しかしその一方で、死の恐怖を持たない大量の敵、というのは相性が最悪だった。
仮に彼が致命傷を負ったとしても、彼を傷つけた骨が一本砕けるだけだ。
(俺は、ちっともチートじゃない! 最強じゃない!)
いやそもそも、そこまでして報復がしたいのだろうか。
自分が傷ついてまで、相手に痛みを負わせたいのだろうか。
今となっては、以前の自分が馬鹿にしか見えない。
(でも……何もしないのは、ダサすぎる!)
「あああああああ!」
彼の手のひらから、魔法の弾丸が発射される。
チートでも何でもない、レベル相応の弾丸が発射される。
破れかぶれで放っているだけに、適切な場所へ当たっているとは言えなかった。
だがそれでも十分である。弾幕は確かに形成され、巨大骨格の接近を確かに阻んでいた。
大活躍をしているわけではないが、役割は確かに果たしていた。
「そうだ、いいぞ! 全員で死角をカバーするんだ!」
円陣を組んで、四方八方へ攻撃する。
とても単調で、お世辞にも都に有効とは思えないが、それでも作戦通りに全員が動いていた。
勝手に持ち場を離れることはないし、何もせずに蹲ることもない。
きちんと全体として、団体としての強さを発揮していた。
彼らはまさに一丸となって巨大な敵を迎撃していたのである。
※
当たり前と言えば当たり前だが、不毛の荒野は昼間よりも夜間のほうがモンスターが活性化している。
それはレベルを上げやすいということであるが、夜通し戦うということである。
流石にそれは無謀ということで、日が暮れるころに勇者一行は不毛の荒野を離れて、野営地に戻っていた。
そこが特別安全というわけではないのだが、不毛の荒野に比べれば格段に安全である。
勇者たちはここに訪れるまでの不安が、ある程度ぬぐわれたことに安どしていた。
先日の敗戦により戦いに対して恐怖を覚え、いざ実戦というときには体が動かないかもしれないとさえ思っていたのだ。
過剰な心配ではない。都がクラスメイトを殺したときには、全員の体が動かなかったのだから。
「多分なんだが……今の俺はカンストしていると思う。レベルが45になったんだ」
たった一日数回戦っただけなのだが、若竹は自分のレベルが上がり切っていると感じていた。
もちろん数値的に観測できるわけではないのだが、モンスターを倒しても強くなったという実感が得られなくなっていたのだ。その体感によって、上限に達したと判断したのである。
つまり若竹は、一回か二回でレベルが上がり切っていたということだった。若竹のチートが経験値ボーナスなので異常ではないが、今までよりも明らかにペースが速かった。
「多分、チート能力そのものがレベルアップしたんだと思う」
異常ではなく、あり得ること。
精神的な成長によって、チート能力が段階的に強化される。
それは最初から全員が知らされていることだった。
若竹の場合は経験値ボーナスがさらに向上し、レベルが今までよりもさらに上がりやすくなっているのだろう。
もちろん嬉しいことではあるのだが、彼はそれを素直に喜びきれなかった。
45に達したこともただ報告しただけであり、自慢する意図は一切ないようである。
「それは俺もだな。もちろん練習はしていたが、あんなにもうまくいくとは思っていなかった」
百葉武のチートは『武人』〈シークレットスクロール〉。成長補正型であり、武器の上達が早まるというチートである。
最終的にはあらゆる武器を使いこなせるようになる、というものだった。扱いの難しい鞭を両手で自在に操っていたことは、もちろんこれに由来している。
とはいえ今までは弓矢が百発九十中になる程度で、今回のように奇天烈な武器の二刀流とはいかなかった。
そういう意味では、彼の武器を操る術の向上は激しい。
「精神的な成長か……」
なにもかも、空しかった。
確かに自分たちは精神的に成長を遂げたのだろうが、それは悲しい成長だった。
試練が勇者を成長させるのはよくある話だが、こんな成長をしたかったわけではない。
明るく楽しい、誰も死ぬことのない、誰からも称賛される勇者になりたかったのだ。
それが甘えだとはわかっているが、辛い現実は成長をしてもなお先が見えない。
辛い現実と向き合うことが大人になるということだとは知っているが、自分たちは本当に安請け合いをしてしまったのだと後悔してしまう。
「……ねえ、もうやめようよ」
丁半白磁が、暗い空気をぬぐおうとしていた。
過去を省みないのは愚かなことだが、いくらなんでも引きずり過ぎている。
このままネガティブに冒険をしても、かえって悪いことになるだけだろう。
前向きと能天気が違うように、後ろ向きと真面目も違うものだ。
「私たちは確かに、あの四人に何もできなかった。鋼がひどい目にあっているときも、ただ眺めていることしかできなかった。でもさ、それはもうどうしようもないことだから……あきらめるしかないよ」
クラスメイトを見殺しにして、生き残った誰もが心を痛めた。病んだといってもいいだろう。
それは当たり前のことであり、むしろ傷めない方が人間としてどうかしている。
「私のチートは『豪運』〈キングロード〉……運が良くなるチートだけどさ、そもそも運がいいって何だと思う?」
彼女は確率が絡むことにおいて、極端に成功を拾いやすい。
だからこそ一番最初に、地中に潜む敵を探すという役割をすることになったのである。
「考えようによっては、都に私が殺されなかったのも運が良かったとは思うよ。でもさ、本当に運が良かったらこんなことになってないよね」
その彼女は、今の自分が幸運に恵まれているとは思っていない。
もしも自分が幸運なら、先日までの楽しい冒険が続いていたはずである。
「だからさあ、色々考えるようになったんだよ……運がいいって何だろうなって」
死んだ岡城の『怪力』〈パワープレイ〉のように、腕力が向上するのはとてもよくわかる。
だが、幸運とはいったい何なのだろうか。運がいいとは、確率が絡むことにおいていいことを引き当てることである。
深く考え始めると、本当に何がなんだかわからなくなってくる。
「私は運がいいと思ってた。顔もいいし、親も優しいしね。それは努力でどうなるものじゃないと思ってたし、この前までは勇者になったのも運が良かったと思ってたもんね。でも今にして思えば、あの時代の日本で生まれたってだけでも運が良かったんじゃないの?」
この一点に関しては、裏切った都も勇者たちも、全員が強く頷くだろう。
平和な日本に生まれている、世界が滅亡しようともしていない、自分が命を懸けなくてもいい。
どんなチート能力よりも尊いものが、あの国には確かにあるのだ。少なくとも、戦火に焼かれて死ぬことはなかったのだから。
「でもさ、私たちはそれを運がいいとは思っていなかったじゃん。日本に生まれて運がいいよね、勝ち組だよね、人生イージーモードだよね。とか言われても、昔は絶対にそうは思わなかったよね」
はっきり言って、日本で生活しているほとんどの学生はイージーモードだ。
だがそれを自覚していても、当時は全肯定できなかった。
それは日本に生まれていても、努力をしなければならなかったからだろう。
他国だとか別の時代から見れば安易でも、実際には過酷な努力を経なければ幸福にはなれないのだから。
「幸運ってさ、努力が伴わないものだと思ってたんだよね」
宝くじを一枚買って、一等が当たって、億万長者になる。これは紛れもなく幸運だろう。
だがしかし、まったく努力の伴わないことだけが、幸運とは言い切れない。
極限の努力を前提とする幸運もまた、当然のように存在している。
「例えばサッカーの全国大会とかってさ、滅茶苦茶努力しないと出場できないわけじゃん。才能があるとかないとか以前に、サッカーが強い学校に入学して、強いサッカー部でスタメンになって、そこでようやく挑戦のスタートラインだよね」
参加権や挑戦権は、全国の学生にあるのだろう。
だが地方の大会を優勝して全国大会へ出場するには、情熱をもって努力している対戦相手を、全員倒さなければならない。
「ようはさ、ガチ勢にはエンジョイ勢じゃ勝てないって話。そもそも勝負になってないんだよ。今までの私たちは、楽しみたいとは思っても勝ちたいとは思ってないんだからさ」
楽しい範囲で部活をしている者が、苦しい範囲で部活をしている者に勝ちたいと思うことが間違っている。
そこで『運さえよければ勝てる』というのは、勘違いも甚だしいといえるだろう。
それは都と一年A組も同様で、冒険を楽しんでいた者が苦しみながらも殺す準備をしていた者に勝てるわけもなかったのだ。
「頑張ればさ、運が良ければ勝てるところまで行けるよ」
それを希望と呼べるかはともかく、可能性は生じていた。
「都を倒すことだけ考えよう、そのために努力しようよ」
「そうだな……やれることをやらないとな」
加寸土はそれを肯定する。
異常にはなれなくとも、優秀にもなれなくても、前進はできる。
彼はすでに凡庸な自分を受け入れ、その上で何とかしようと思っていた。
「俺は、俺たちは、あいつに勝つんだ。そのための戦いだ」
この場の誰よりも劣っていると自覚している彼は、この場にいる意義を自分で作ろうとしていた。
「英……」
卑屈だった彼氏が卑屈なまま奮い立っているところを見て、高嶺は嬉しそうに微笑んでいた。
「ま、真面目な話はここまでにしようよ。寝る前に気張ってると、よく寝れないしね」
今までは気が緩み過ぎていたが、常に気を張っているとそれはそれで疲れてしまう。
先はまだまだ長く、休憩もしっかりと取らなければならない。
話を切り出した丁半は、反省を終えてくだらない話に切り替えようとしていた。
「ねえ百葉、もしかしてだけど……クラスの中に好きな子がいて、その子を戦わせたくないから、こんな作戦を提案したんじゃないの?」
「な?! ち、違う違う! 俺は草冠のことなんて、なんとも思ってない!」
「うわ~~すごいな、こんなに露骨に引っかかるなんて……」
「か、関係ない! 確かに草冠のことは憎からず思っているが! それはそれ、これはこれだ! もともと、やる気のないやつは置いていった方がいいと思ってたんだ! それを口にしただけで、一切他意はない! 本当だ、信じてくれ、嘘偽りない真実なんだ! 俺は草冠とは何の関係もない! これだけ否定しているんだから、俺とあいつのことを誤解したりしないだろう?! そうだと言ってくれ!」
焚火を囲んで、一笑が起こる。
ようやく誰もが安堵したのだ、再起ができたのだと。