メルとガス ~ギルドカードを作ろう~
「『ギルドカード』が欲しい!」
「うん、とりあえず『ギルドカード』って何?」
赤い表紙の本を掲げて大声を出した妹に、そっと肩を押さえつつ無理矢理落ち着かせる。
双子の妹のメルは、いつでもこんな調子だ。
少し体が弱いせいで、あまり家の外へでない。
そのため、物語を一番の友とし、世間知らずなため影響も受けやすい。
突然叫びだした『ギルドカード』というものも、物語の中に出てくるものなのだろうということだけは、すぐに想像ができた。
「ギルドカードはギルドカードよ! ガス、そんなことも知らないの?」
「僕はメルと違って、物語なんてほとんど読まないからね。だいたいメルが読む物語なんて、異世界の物語じゃないか。あんなどれも同じモノ、何冊も読む価値を感じない」
「物語を読む読まないは、価値のあるなしじゃないわ。いいじゃない、設定が似てたって、作者によって味付けは違うもの」
まずはこの本を読んで、とメルが赤い表紙の本を僕へと押し付けてくる。
タイトルはよく見かける系統の、ありきたりな長ったらしいものだ。
タイトルだけで中身がある程度想像できるという意味では、確かにタイトルとして役立ってはいる。
「ギルドカードはすごいの! 人の強さが数字で表示されたり、所持金の残高や称号も表示されたりするの!」
すごい! かっこいいっ!! と叫んだ後、メルは激しく咳き込んだ。
興奮のし過ぎで息が続かなくなったらしい。
渡された本を脇へと挟んで、先にメルの背中を擦る。
少しメルが落ち着くのを待ってからベッドへ押し込むと、ベッドの横へと椅子を移動させて座った。
「……今回はどんな物語に影響されたんだ?」
あまり興味はなかったが、メルが眠るまでは話しに付き合ってやることにする。
突然「ギルドカードが欲しい」などと理由の解らないことを言い始めたが、妹の妄想癖と暴走癖が強いのは、体が弱いせいだ。
自分と同じように外で走り回ることができない体だからこそ、作り物の物語にのめりこんでしまうのだろう。
……どうせ嵌るのなら、異世界の物語なんかじゃなくて、この世界の物語に嵌ればいいのに。
この世界の物語であれば、この世界にあるものや、まだ常識的に作れそうなものしか出てこない。
しかし、それが異世界の物語となると、出てくるものはこの世界に存在しないものや、再現の難しいものばかりになる。
……僕は知識をもった転生者なんかじゃないからな。メルが欲しがっても、作ってやれるものには限度があるぞ。
異世界の物語なんてものがあるように、この世界には時折異世界の知識をもった者が生まれる。
一番有名なのは、薬術の神セドヴァラの化身と謳われる聖人ユウタ・ヒラガだ。
この世界に調薬技術を持ち込み、いくつもの薬を作り出して数多の命を救ったことから、聖人として今でも崇められている。
二番目に有名なのは、聖邪カミーユだ。
火薬をはじめとした様々な武器を作り出し、この世界に戦禍を呼び込んだ大悪人ではあるのだが、火薬は使い方によっては人の生活の役にも立つため、その恩恵を受ける職についた者からは大恩人とも呼ばれている。
異世界の知識をもって産まれた者は転生者と呼ばれるが、天聖邪と言えばこの二人を指す。
文字通り、天が与えてくれた聖なる者と邪な者だ。
赤い表紙の本を膝に乗せ、何気なくひっくり返して奥付を確認する。
初版が発行されたのは、随分昔のようだ。
メンヒシュミ教会の名前の上に、この世界へと異世界の物語を持ち込んだ当時の転生者の名前が記載されていた。
「それでね! ギルドカードはね――」
いつまでも本を眺めるだけで中身を確認しようとしない僕に焦れたのか、横でメルが本の内容を語り始める。
大筋だけを聞けば何度も聞いたことがある異世界の物語と同じだと思うのだが、メルにとっては一つひとつ違う物語なのだろう。
飽きもせずに似たような物語を読んでは、困ったことに影響を受ける。
紙をすきたいだとか、腐葉土を作りたいだとか、簡単に実現できるおねだりなら良いのだが、自動車や飛行機は無理だ。
ガソリンを発見できたという話も、エンジンの開発に成功したという話も聞いたことがない。
……自動車はなんとか自転車まで格を下げさせたけど、あれは乗り心地が酷かった。
異世界の物語に出てくる『自動車』に一時期メルが憧れたことがある。
おかげで『自動車』の出てくる物語を片っ端から調べさせられるはめになったのだが、物語は物語であって、設計図ではない。
異世界の知識をもって書かれた物語だからといって、それを読めば誰でも同じものが再現できるというわけもなかった。
辛うじて再現ができそうだと思ったのは『自転車』という乗り物だ。
エンジンよりは仕組みが理解しやすかったので、なんとか形にすることができた。
ただ、衝撃を緩和してくれるらしい『ゴム』という素材が手に入らなかったので、タイヤは木製だ。
一応布を巻いてはみたが、乗り心地は最低としかいいようがない。
石畳で綺麗に整えられた街中であればなんとか乗れるかもしれないが、小石や凹凸が多いむき出しの地面しかない小さな町や村では衝撃をまったく緩和できないタイヤでは乗っていることができない。
ガタガタと揺れるし、お尻が痛くなるのだ。
……なんだこれ?
メルの話しを適当に聞き流し、『ギルドカード』という文字列のあるページを適当に流し読む。
読めば読むほどわけが解らなくなってきた。
「随時更新される個人情報に、どこで管理されているのか解らない通貨、体力がHPってなんだよ? 打ち所が悪ければ人間なんて一撃で死ぬぞ?? 数字にしたって意味なんてないだろ!?」
メルが読む本はほとんど僕が適当に選んで借りてくる本だったが、改めて中身を読んでみれば驚くほどに酷い。
いくら物語とはいえ、ある程度の説得力は必要だと思うのだ。
……メルはこんなツッコミどころ満載の物語を読んで、嵌れるんだな。
少しだけ妹の将来が心配になってきた。
現実と物語の区別が付いていないのではないだろうか。
いくら家に閉じ込められがちな妹であっても、これはあんまりだ。
「だいたい、なんで身分証明書がどこの馬の骨とも判らないような人間にポンと発行されるんだよ、おかしいだろ」
ギルドカードが出てくるくだりを読み込むと、必ずといって良い頻度で「身分証明書として有効である」という但し書きがついている。
異世界の記憶を持つ転生者ならばまだわからなくもないが、異世界から召喚された本当の意味で身元不明の人間の『身分証明書』が『ギルド』なる謎の組織へと登録するだけで碌な確認もなく発行されている。
この作品世界の住人達は、その危険性と危うさに気が付いていないのだろうか。
ついでに言うのなら、ギルドの多くは冒険者組織のことをさしているようなのだが、体力勝負の仕事に対して登録の際になんらかの試験が行われることはない。
名前を書いて終了である。
ギルドカードが無限にタダでどこかから配布されるものだと言うのなら理解したくはないが解らなくもないが、仕事を満足にこなせるかどうかも判らない人間へ簡単に発行するのは費用が無駄になる危険しかない。
「だいたい設定上の機能が本当なら、タダで手に入るのはおかしい」
身分証明書がタダで手に入るということも納得ができないが、『ギルドカード』なるものは設定上の優れすぎた機能面でも『タダ』での入手は不自然だ。
たまに登録料を取るシーンの挟まれる物語もあるが、それだって文無しに近い主人公がポンっと払える金額である。
「情報の管理はどこでやっているんだ? ってか、レベルってなんだよ。誰が決めるんだよ。腕力の数値には具体的な数字が設定されているのか? それだと最強美幼女の強さがカンストとか、エスコートするのも怖えーよ!」
そもそも文字を表示させる動力はどこから来ているのか、と物語の『ギルドカード』について思いつくままの疑問を口にすると、横で聞いていたメルの眉がつり上がる。
不味いと気が付いた時には、もう遅かった。
「ガスのアホーっ! なんでそう夢のないことばっか言うの!? 物語ぐらい素直に読んでよっ! もーっ!!」
横合いからメルに本をひったくられ、ベッドの住人であったお陰で裸足の足に頬を蹴り倒される。
ただし、倒れたのは僕ではなくメルの方だ。
病弱でひ弱なメルの蹴りぐらい、僕にはなんの攻撃力もない。
「それはメンヒシュミ教会で借りてきた本なんだから、大事に扱わないとダメだろ、メル」
「うっ……」
メッ、と眉間に皺を寄せて怒り顔を作ると、数瞬前まで怒っていたはずのメルがしゅんとうな垂れる。
ごめんなさいと小さく詫びて本を差し出してきたので、僕も怒り顔をすぐに解いた。
「ははっ。それで今回のガスは珍しくも異世界の物語なんてものを片っ端から読んでいるわけだ」
司書のこんなからかいの言葉を聞き流し、机に向かって黙々と本のページを捲る。
メルの読み終わった本をメンヒシュミ教会へと返しに来たついでに、異世界の物語を片っ端からひっくり返しているのだ。
すでに古典と言われる源氏物語やニクベンキには『ギルドカード』は出てこない。
ギルドカードというアイテムが出てくるのは、異世界の物語の中でも異世界を取り扱った物語の中ぐらいだ。
……異世界で考えた異世界って、つまりこの世界も異世界、なのか?
なんだかわけがわからないことになってくるが、考えようによっては、そうなのかもしれない。
それならば、たしかにメルが望む『ギルドカード』が存在しても良いのかもしれないと思えてくるのだから不思議だ。
「ガス君は妹に優しい、いいお兄ちゃんですねェ」
多分にからかいの色を含んだ司書の声音に、言い返せないところが少し悔しい。
なにしろメルが何かに影響されて物を欲しがる度に、メンヒシュミ教会の図書室へと足を運んで調べ物をしているのだ。
もしかしなくとも、僕がメルにねだられて再現したものに関しては、僕よりも記憶している可能性がある。
「そういえば、自動車は結局どうしたんだい? 一応動くものはできたんだろ?」
「メルは魔力がないから、魔力が動力の自動車じゃダメだって……結局自転車で満足してもらった」
動力をつけて動かす台車、と考えれば自動車の再現はそれほど難しいものではない。
エンジンやガソリンに拘れば完全な再現はまだ不可能だったが、動かすだけなら簡単だ。
馬車の馬を魔力で動く人形にするだけで条件としては成立する。
ついでに言うのなら、動力が魔法ならば車輪を少し浮かせることで自転車では辛い振動も緩和することができた。
「せっかくの発明品も、メルがダメって言えば失敗作になるんだから、甲斐がないね」
「いいんだよ。メルが欲しいって言うものと違うんだから、失敗作は失敗作だ」
これまでに自分が作ったものを指折り数えあげる司書に、唇を尖らせて拗ねてみる。
数を明確にされてしまうと、我ながら妹に甘すぎるだろうと、自分で自分が情けなくなった。
「……それにしても、今度は『ギルドカード』か。簡単そうなおねだりでよかったじゃないか」
「どこが簡単だ。読めば読むだけ、調べれば調べるだけ、むちゃくちゃすぎてどこから手をつけたらいいのか判らなくなる」
「自動車やビデオゲームよりは優しい課題じゃないか。わけがわからない加減が魔術的で、ガスには再現できそうな気がするよ」
「魔術よりは魔術よりで、メルが使えないからダメだって拗ねる可能性がある」
「それでも作ってやるんだろ?」
「……メルのおねだりには勝てない」
にやりと嫌な笑みを浮かべた司書に、こちらの負けを悟って目を逸らす。
どんなに我がままな暴君だと思っていても、結局のところ僕は妹のおねだりに弱いのだ。
家からあまり出ることができないメルが望むのなら、叶えられる望みは全て叶えてやりたい。
「オレリー! そろそろ仕事あがりの時間だろう? どうだろう、今夜は私と夕食でも……」
「あら、珍しくグッドタイミングよ、バート」
賑やかな声とともに開かれた扉に、声音だけは柔らかく、その実冷たい微笑みを浮かべた司書が話しかけてきた若者へと顔を向ける。
図書室に来ると時折出くわす若者なのだが、バートという名前は初めて知った。
見かける度に司書のオレリーを口説いている、図書室としては迷惑な来客だ。
司書が冷たく追い払っている姿しか記憶していないので、今日のように歓迎されたのは若者も初めてなのだろう。
若者は判りやすく頬を赤く染めた後、きりりと顔を引き締めた。
「バートの雄姿が見たいわ。ここに丁度これから重い本を何冊も借りて帰る少年がいるの」
「お安い御用だ! きみのためなら少年ごと本を運ばせていただこうっ!!」
……良いようにあしらわれているぞ、オッサン!
司書の言葉を訳すのなら「早くどっかへ行け」である。
それを若者の耳に聞こえよく装飾した結果が「貴方の雄姿が見たい」となるのだろう。
荷物運びは、ただの手段だ。
宣言通り僕ごと運ぼうとする若者を丁重に断り、だがお言葉に甘えて本を運ぶことだけは手伝ってもらうことにした。
図書室が開放されている時間内には、とてもではないが読みきれる量ではない。
「……うん、わかんない」
メンヒシュミ教会で借りてきた本全てに目を通し、ギルドカードの記述について拾い出しての感想がこれだ。
調べれば調べるだけ謎過ぎて、理解できそうにない。
「とりあえず、実現できたとして、個人で作れるものじゃないな」
文字を表示する金属板と考えれば、作るだけならば簡単なのだが、メルの望む『ギルドカード』としては、文字が表示されるだけの金属板ではダメなのだ。
身分証明書としての効力をつけるためには一定の公的な評価が必要になってくるし、金銭のやり取りまで行おうと思ったら絶対に安全であると信頼できる金庫が必要になってくる。
子どもが自分の小遣いの出し入れを行う貯金箱と考えるだけならば出来ないことはないが、それだって絶対に安全な金の隠し場所にはならないだろう。
……作るだけなら簡単な気がしてきたんだけどな。
物を作るのなら簡単だったが、『ギルドカード』として機能させることは難しい。
主に、運用面の問題がある。
「まあ、いいや。ようはメルが満足すればいいんだから」
物語そのままの『ギルドカード』は、物語そのままの冒険者組合がない以上は作りようがない。
だとしたら、メルが希望する機能を持った金属板を作るだけだ。
「……とりあえず、強さの基準はなんだ?」
文字を表示する金属板を作ること自体は簡単だと思う。
金属板に魔術を施し、文字や数字を表示させるだけで終わる。
任意の言葉や数字を表示させるためには、設定と数式が必要になるが、それだって魔術で仕組みを付与すれば終わりだ。
問題は、メルが望むようなレベルやHP、MPといった曖昧な要素の数値化だ。
何をレベルやHPの0とし、1にどれだけの力があるのかの基準が曖昧すぎて取り掛かれない。
「だいたいHPが体力で、数値化する意味がわかんないよ。レベル99でHPが99999あったって、少し太めの血管を切ったり、首を刎ねたりしたら簡単に人は死ぬだろ。数値なんてただの飾りにしかなってない」
数字の大きさでなんとなく強いのだろう、と錯覚してしまうのだが、人の体はそんなに便利にはできてはいない。
レベル99の冒険者であっても、眠らせて身動きを封じた上でなら、レベル0の赤ん坊にナイフを握らせて頚動脈を切らせるだけでも殺すことができる。
ならばHPは体力ではなく耐久力と考えるべきだろうか。
たとえば、レベル99でHP99999ある者は、レベル1の冒険者に99999回殴られたら死ぬ、といった具合に。
しかしこの場合はまた別の問題が出てくる。
人を99999回殴るとしたら、誰だって途中で疲れるし、レベル1ともなれば当人の体力ではなくスタミナが少ないはずだ。
「……やっぱHPの数字は飾りだな。あとどのぐらい動けるか、攻撃を受けても平気かなんて、数字で表すのは無理だろ。……ってことは、体の損害率を表記した方が合理的な気がする」
例えば、健康状態で100%。
怪我をすると数字が下がり、90%で文字の色を黄色にして注意。
70%まで下がると赤字で警告、というのも良いかもしれない。
人間は体が資本の生き物だ。
体力の限界まで働けるわけがないので、生き残るためには早めの撤退が必要になってくる。
「メルが望むような凄い数値のカードにはならなさそうだなぁ」
実用を考えたら、基準のわからない数値など採用はできない。
健康状態を100%と設定し、人体の急所への攻撃は数値を減りやすく設定する。
これだとレベル1でも99でもHPはみな一律100%で表示されるが、便利さを考えるのならあやふやな数値よりもこちらの方が良いだろう。
「となると、レベルアップは体作りがものを言う感じか?」
経験値をためてレベルアップ、というシーンが異世界の物語には出てくるのだが、これもまた良くわからない。
経験など、値として溜められるものではない。
せいぜいがその作業に対するコツを覚えてあり、効率的な体の動かし方に気が付いたりといった、ひらめきや上達、熟練といった感覚に近いものな気がする。
少なくとも、ある日突然経験値が溜まったからといって、それまで苦労していた作業が簡単にできるようになったりはしないはずだ。
となれば、経験を積むためには日々のたゆまぬ努力が必要になってくる。
その種類が体力づくりであったり、知恵の輪解きであったりと、目指すものによって種類が変わるだけだ。
「お金はどうしようかなぁ……?」
カードでお金の出し入れができる、というのは少し面白そうな要素ではある。
大金を持ち歩けば悪人に狙われることもあるし、金貨でも銅貨でも、集まればそれなりに重いものが金属板一枚の重さに変わるというのも利点だ。
「出し入れだけなら簡単なんだよ。転送と召喚の魔術をギルドカードに仕込んで、金庫と繋げばいい」
問題は、金庫という物理的なものにお金を溜め込むことだ。
どこかに現物を隠しておく以上、常に金庫自体が盗まれる危険はなくならない。
「……まあ、世界でメルだけが持つ『ギルドカード』なら、小さな金庫を地中深くにでも埋めとけばいいんだろうけど」
メルの望む『ギルドカード』はなんとか形になりそうだ。
ただ一つ致命的な問題があるとすれば、魔術を組み込んでいるため、魔力のないメルには使えない、ということぐらいだろうか。
「メルにも使えるぐらい魔力を節約するには、やっぱり機能を制限するしか……」
「ほら、メル。『ギルドカード』」
「ホントに作ってくれたの!? ガスすごーいっ!!」
苦節一ヶ月半。
差し出した金属板を受け取ると、メルは顔を輝かせた。
この笑顔のためだけに、性に合わない異世界の物語を調べ上げ、魔術をデタラメに組み込んでなんとか『ギルドカード』を再現したのだ。
……こんなデタラメなもの、もう二度と作らないぞっ!
毎回こう思っているのだが、この決意を貫けたことは今のところない。
妹は妄想癖と暴走癖をもった我がままな暴君だったが、僕は僕でそれらのわがままを全て叶えられるぐらいには優秀で、すぐにその苦労を忘れるぐらいには妹馬鹿だ。
どうせすぐにメルの次のおねだりが始まるのだが、今だけはこの達成感と妹の笑顔に酔っていたい。
今回のメルのおねだりから形にするまで、実に長い道のりだった。
大凡の形自体はすぐにできたのだ。
金属板に文字を浮かび上がらせるなど、簡単な魔術だった。
ただ、そこからが長く辛い道のりだった。
HPや強さといった明確な数値のないものを数字にするのがとにかく辛い作業だったのだ。
まず、メルが求めている『ギルドカード』は冒険者が持つものということで、ある程度の戦闘力があって初めてレベル1になる仕様にした。
具体的に言うと、レベル0が一歳の赤ん坊の腕力などを測定した基準で、レベル1は村中の十五歳の少年から測定した平均値を採用している。
村の少年は町の少年よりも畑仕事で鍛えられており、筋力という意味では勝っているはずだ。
レベル1の冒険者の参考値としては、とりあえずではあるが丁度良いと思っている。
あとは世代ごとに測定をして、年齢的に筋力が落ち始めるところで上限とした。
上限以上の数値が出せれば、自作の『ギルドカード』ではカンスト扱いになる。
もっと数値の幅を広げようと思えば国中の人間の測定をする必要が出てくるので、メルが欲しがる範囲では村の中だけの数値で良い。
というよりも、これ以上広く数値を調べ上げることなんて、個人では不可能だ。
今回のメルのためのギルドカードだって、みんなが顔見知りである村の中だからこそ、測定に協力してもらえたのである。
またメルの我侭につき合わされてるのか? 大変だな、と生暖かい目で応援されてしまったことは、良い思い出として早々に忘れてしまいたい。
僕が妹のメルに弱いのは、村中に知れ渡っている事実だった。
「ガス、ガス! どうやって使うの?」
「まずは物語みたいに、『登録』しないとね」
魔力のないメルにも使えるように、と登録用紙は魔力の込められた紙とインクを用意した。
この辺りはさすがに物語のような安価に押さえることはできない。
自分の魔力があれば金属板に直接必要事項を書き込んでも良いのだが、魔力の才能がない人間にはこうした補助がどうしても必要になってくる。
「書けた! 次はどうするの?」
名前と年齢、それから身長と体重が書き込まれているのを確認し、メルの髪の毛を一本抜く。
メルは一瞬だけ痛がったが、個人認証させるためには必要なのでそこは我慢してもらった。
「あとはこの用紙と髪の毛を金属板に挟んで……魔力を込めて起動したら完成だ」
メルへと説明をしてやりながら、ギルドカードを起動する。
魔力のある人間なら誰でも起動できるが、メルには魔力を誰かが補充してやる必要があった。
とはいえ、メルの玩具にしかならない『ギルドカード』だ。
魔力の補充ぐらい僕がしてやればいいので、なんの問題もない。
「……アルメル・バルデム、十一歳。レベルは……0?」
メルは早速金属板へと表示された自分の情報を読み上げ、表示されている数値に眉を寄せる。
不満タラタラといった顔つきで見上げられ、レベルについての設定値を説明した。
十五歳の少年でやっとレベル1になるのだから、女の子で十一歳なメルのレベルが0以上になることはない。
ついでに言えば、病弱なメルは非力でもある。
十五歳になったとしても、レベルが1に上がることはないだろう。
「……ガスのギルドカードは? ガスのだって、作ってあるんでしょ?」
「あるよ。はい、これ」
メルのギルドカードを作る前に試作品で作った自分の金属板をメルに手渡す。
僕のギルドカードは金属板に直接文字を書き込んだので、メルのギルドカードと比べるとどうしても見栄えが良くない。
走り書きだらけに見える金属板に魔力を流して起動させると、表示させたい文字が浮かびあがってくる。
「ガスパー・バルデム、十一歳。レベルは0……? あ、でもMPが1ある! ずるいっ!」
「僕はメルと違って魔力があるからね。でも、まだ勉強中だから1だ」
魔力も体力と同じで、数字になど直せるものではない。
そのため、魔力を持った者という時点で数値を0とし、魔力制御の基礎を覚えて1、知識を修めて2、この二つを応用できるようになって3といったように、魔術系の修得段階が示されるようにした。
ちなみに、メルのような魔力無しにはマイナス記号が表示されるようになっている。
「……ガスで1なら、テオドール様だって2にいくかどうかじゃない?」
「テオドール様は騎士なんだから、3ぐらい行ってくれなきゃ困るだろ」
一年ほど前から近所のお姉さんに惚れたといっては三日と開けずに口説きに村へと通っている騎士の後姿を思いだし、二人で笑う。
年下などお断りだ、と振られ続ける姿しか見ていないので、文武両道を修めたはずの騎士であってもなんとなく気安く、またマヌケな印象が強い。
「それで、満足したかい?」
メルの望む異世界の物語に出てくる『ギルドカード』を出来る限り際限できたぞ、と「合格」の一言を待って妹を見つめる。
ギルドカードと僕の顔とを見比べたメルは、笑顔を輝かせて口を開いた。
「全然!」
「え゛?」
「全然足りないわ、ガス! まだこれはギルドカードがたったの一枚じゃないっ! お話の中のギルドカードみたいに身分証としての効力と、お金の出し入れとかできるように改良しなきゃっ!」
欲を言えば『アイテムボックス』のように、道具の出し入れが出来たら最高だ、とメルは言う。
困ったことに、要求レベルが一気に跳ね上がってしまった。
「メル、それについても話そう。まず、お話のギルドカードみたいに身分証明書としての効力をつけようとしたら、公的にギルドカードには信頼にたるものがある、と認められる必要がある」
公的な信用など、十一歳の子どもである自分には無理だ、と説明するのだが、メルは笑顔でこれを聞き流す。
ガスなら大丈夫、となんの説得力も根拠もなしに両手を握り締めて目を輝かせていた。
……うん、さすがにちょっと殴りたい、うちの妹。
夢見がちな妹の願いはできる範囲でかなえてやりたいが、出来ることと出来ないことがある。
ギルドカードに公的な信用を得て身分証としての効力を持たせるなんてことは、今の僕には不可能だ。
「公的な信用を得るためには公共性を付けて、誰でも知ってるぐらいに広めなきゃいけないし、そもそも個人情報を管理・運用していくためにはそれなりの仕掛けと法の整備が必要だ。あと、責任者も必要になってくるだろうし、絶対に安全な大きな金庫も用意する必要がある」
「絶対に安全な金庫なら、精霊か妖精に預ければいいのよ」
精霊の世界へ金庫を置いておけば、少なくとも泥棒に盗まれることはない。
精霊や妖精は嘘をついたり人の物を盗んだりする人間が嫌いなので、精霊の世界へ泥棒が忍び込むことは不可能だ。
精霊の手を借りるなどと、普通ならば考えるまでもなく不可能だったのだが、『ギルドカード』をほしがっているのは精霊の寵児であるメルだ。
魔力がない代わりに生まれつき精霊に愛されるメルの願いであれば、精霊は耳を傾けてくれるかもしれない。
「……そうか、メルが手伝ってくれるなら精霊の世界に金庫を隠すことが出来るかもしれないのか」
「できそう?」
「メルが精霊にお願いしてくれたら出来るかもしれない」
僅かながらも目途が立ってきた。
そう表情をつい緩めてしまい、気が付いた。
必要なのは、金庫の隠し場所だけではない。
「……メル」
金庫の隠し場所は解決しても、他にもまだまだ解決すべき問題がある。
そう釘を刺そうと思ったのだが、少し遅かった。
「ガス! ギルドカードが完成したら、今度は冒険者組合を作ってっ!!」
キラキラと目を輝かせて、メルが興奮気味に叫ぶ。
メルの中では先にあげた問題点など、華麗に片付けられてしまったようだ。
ギルドカードに公共性を持たせようと思ったら、国中の人間の体力測定をするだとか、とんでもなく地道で終わりの見えない作業が待っているというのに。
「物語と現実は違うって、そろそろ解ってよっ!?」
「ガスなら大丈夫よ! 絶対につくれるわっ!」
いけるいける! と興奮してはしゃぐメルは、僕ならできると本当に疑いもしないのだろう。
にこにこと笑うメルの笑顔が眩しくて、現金な僕の頭は問題点の改善方法を考え始めていた。
ガスパー・バルデム。
後の世で魔導師として讃えられることになる、冒険者組合の創立者にしてその中枢を支えるギルドカードシステムを作り上げた賢者の名前である。
諸説ある彼の人となりの中で一際異彩を放つ一説には、「彼は類稀なる妹至上主義であった」と記されていた。
つくづくギルドカードって謎だよなぁ……と図書館で借りた本を読んでいて素に返ってしまったのがこのお話の動機です。
ギルドカードをネタにしただけなので、舞台設定はグルノールから適当に。
キャラの名前も然り。