表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/17

破滅への歓迎(後篇)

 この大きすぎるショックが、顔面に表れていないだろうか。

 そんな心配など、大樹は一切しなかった。集まったメンツに対して、疑問をぶつけたくなる。


 全員?

 これで全員?


 大原は椅子にのっそりと腰かけた。残りの一脚。あの女性のものと、大樹が信じていた最後の椅子だ。

 その瞬間、大樹の期待が木端微塵に粉砕された。


「やっと全員そろったねえ」武山は嬉しそうに言った。

「すんません」テーブルの上に一升瓶を置き、大原は呟いた。


「あの」思わず、大樹は呟いていた。「一人、足りなくないですか」

 そんな大樹の問いに、住人達は一瞬だけ不思議そうな顔をみせる。


「他に女性が、住んでる気がしたんですけど」ショックで半ば自失しながら、大樹は尋ねる。

 放たれたその言葉に、場が凍り付いた。


 しかし、そんな空気を理子が氷解させる。

「もしかして、希美(のぞみ)ちゃんのことじゃないかしら?」

 ああ、と酒井が合点のいったように頷いた。

「もしかして、大学生くらいの子のこと?」武山が笑顔のまま確認する。


 良かった。皆の反応に、大樹は安堵する。

 存在した。

 あの女性は存在した。


「いえ、よく知らないんですけど……」


「多分、それは青野(あおの)希美(のぞみ)さんだねえ」武山は顎に手を当てる。「今は二〇二号室に住んでるんだよ」


「青野、希美さん……」

 大学生ということは、大樹より(いく)らか歳が下だろう。どんな女性なのか、もっと知りたくなる。


「けど、どうして青野さんのことを、ご存じなんですか」酒井が尋ねた。


 そこで、大樹は自分の暴走をようやく自覚した。まさか、追っかけてきたとは、口が裂けても言えなかった。


「武山さんに初めて会う、ちょっと前の話なんですけど」大樹は自然体を装い、何とか言い訳を(ひね)り出す。「このアパートの近くをうろついていた時、彼女が入っていくのを見かけたんですよ」


 苦しいだろうか。自分で言っていて、大分怪しい。まさか、ストーカーだとこの場で思い至れる者はいないだろうが、今の説明で納得して貰えただろうか。大樹は内心、冷や汗ものである。


「ああ、事前に下見してたんだね」武山の言葉からは、特別(いぶか)しんでいる様子はない。

「ええ、実はそうなんです」助け舟と言わんばかりに、大樹は笑顔で乗っかった。


 大原が立ち上がり、一升瓶と空のグラスを持ち、大樹の近くへと寄って来た。

「大吟醸」大原は愛想無く呟いた。「飲めるなら、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」大樹はコップを受け取り、大原から酌をしてもらう。

 随分と不愛想な大原であるが、根は好人物なのかもしれないと大樹は思う。


「それにしても、希美ちゃんね」理子がビールを片手に言った。「もしかして、気になってる、とか?」

 理子の指摘に、大樹は口にした大吟醸を吹き出しそうになる。図星だ。心臓まで出てきそうになるのを、必死で(こら)えた。


 周りは何も言わず、意味深な視線を大樹に集中させるばかりだ。

 大樹は顔が熱くなっていくのを感じた。これは、酒のせいではない。

 皆の無言の尋問に耐えきれず、大樹は観念した。


「……少しだけ」

 そう大樹が認めると、住人達は爆笑した。(もっと)も、大原だけは笑った様子はないが。


 恥を忍ぶように、大樹は大吟醸に再び口をつけた。



***



 大分、酒が進んだ。腕時計を確認すると、もう二十時半になる。


「啓介君は、将来何になりたいの?」大樹は手持ち無沙汰(ぶさた)そうにしている啓介に問い掛けた。

「動物園のひと!」そう、啓介は元気よく言った。

 これは、微笑ましい夢ではないか。そう、大樹は思う。


「動物が好きなの?」

「うん」啓介が間髪入れず答える。「あのね、この間、学校で飼ってた、にわとり食べたの」


 突然の啓介の発言が理解できず、大樹は固まってしまう。

 もしかして、命の授業のことを言っているのだろうか。飼っている豚を食べる授業が存在することを、大樹はどこかで聞いたことがある。


「昨日ね、ハムスター川に流した」

 驚愕の発言をする啓介に、大樹は耳を疑った。


 ハムスターを、川に流した?


「こら、啓介」一喜が啓介を(たしな)める。「こんな場で、滅多なことを言うんじゃない」

「酔っぱらっちゃったのかしら?」理子が啓介を抱き寄せ、彼の頬に自分の左手を当てた。


 大樹は寒気を覚えた。

 大樹とて、小さい頃には、アリを虐め殺したりした。だが、小動物には流石に手を出していない。


「はは。じきに慣れますよ」酒井は小さく笑い飛ばした。

 『慣れる』とは、啓介の酒気帯びのことを言っているのだろうか。それとも、啓介の過激な発言に、大樹が慣れていくということだろうか。

 正直、大樹は啓介のことを異常に思ってしまう。それに慣れるなど、あり得ることではない。


 その瞬間からだ。大樹は妙な違和感をはっきりと認識し始める。


 何か、おかしくないだろうか。

 自分と、この裏野ハイツの住人達に、何か認識の齟齬(そご)、決定的な食い違いのようなものが存在するように、思えてならない。


 大樹が硬直していると、大原が突然立ち上がった。そのまま、何も言わずに外に出ていってしまう。

「きっと、煙草だね」武山は言った。


「我々は、そろそろ失礼しようか」一喜が理子に言った。

「そうね」頷き、同意する理子。


 武山が壁掛け時計を確認した。

「もう、こんな時間」武山は柔和に提案する。「じゃあ、名残惜しいけど、お開きにする?」


 未だに、違和感を払拭しきれず、「そうですね」と気のない返事をする大樹。

 そうして、裏野ハイツの夏元大樹歓迎会は終了となった。


「夏元さん」締めに、武山が言う。「改めて、これからよろしくお願いします」



***



 二〇三号室に戻った大樹は、洋室の布団の上に横になった。酒が回り、倦怠感が身体を支配する。

 酒でぐるりと回転する頭で、大樹は青野希美のことを考えていた。どんな女性なのか、もっと聞いておけば良かったと後悔する。


 何故彼女が歓迎会に来てくれなかったのか、大樹にはわからない。

 だが、間違いなく彼女は住んでいるのだ。大樹の部屋の、隣に。


『今は二〇二号室に住んでるんだよ』

 武山の言葉が甦る。


 そこで、大樹は気が付いた。


『今は』とは、どういう意味だろう?



***



 目の前の惨状に、理解が及ばない。


 どうして、こんなことになったのか。


 翌日、大樹は思いもよらぬ形で、青野希美との出逢いを果たした。


 二〇二号室で、大樹は呼吸を荒くし、希美の姿を見る。正直、直視に堪えなかった。

 希美はぐったりと洋室に寝そべっている。


 下着姿で露出させているその肌は、所々が異常に黒い。醜悪な顔が特に目立つ。舌はだらしなく垂れ下がり、首には大きな縄の痕が残されている。


 間違いなく、彼女は事切れていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ