表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/17

極み無き悪

終.

 夕焼けが、二〇二号室のリビングの窓から差し込んでいた。


 内藤の心臓が停止したのを、大樹は確認し、ほっと息を吐く。


「終わった……」大樹は呟いた。


 残虐の限りを尽くした。酒井と内藤は、酷い拷問をして殺した。彼らは身体のパーツを(いく)らか失っている。その分、鉄串が身体に刺さっている。

 啓介は理子の目前で殺した。無論、楽には殺さなかったし、理子も同様に苦しめて殺した。

 残念ながら、武山は即死だった。老いた身に、脳天を一撃したのが(わざわ)いしたか。


「終わったよ、お父さん」大樹はもう一度、呟く。


 自分が尽くした、数多(あまた)の非道。

 その償いを、どう果たすべきなのか、大樹はこの瞬間まで、まるで考えもしなかった。


 大樹は鬼に()った。復讐の魔に憑依(ひょうい)され、その身を返り血に躊躇(ためら)いなく晒した。


 ここで死ぬか、とも考えた。自殺の手段は、(いく)らでもある。自ら二〇二号室の住人となるのも、いいかと思った。


 だが。

 夕焼けの美しさと、蝉の鳴き声。夏の香り。

 それらに気が付いた時、大樹は涙を流していた。


 どうしてだ。


 復讐が終わった安心感なのか。それとも、ひっそりと隠れていた、大樹の良心だったのか。

 複雑な感情が、大樹の肺を占拠する。


 決して、命が惜しくなったわけではない。

 なのに、人に戻りたい。そう、切に思っている自分を、大樹は自覚する。


 殺した。徹底して、殺した。

 疲れ果て、もう生きる意味など見出せない。

 気力など、意思など。

 その命と共に、全てを絞り、(ひね)り出し尽くし切った大樹に、浴びせられる初夏の情調。それが、大樹を諭すように、優しく包み込んでいる。


 大樹は、(しばら)く考え、決断した。


 ――通報しよう。


 大樹は死を選べなかった。自ら命を絶たず、法の裁きに全てを委ねる決断を下す。

 大樹は内藤のスマートフォンの電源ボタンを押下し、表示されたロック画面に、緊急連絡ボタンが備えられているのを認めた。


 大樹がそれをプッシュしようとした瞬間、内藤のスマートフォンに着信が入った。


 大樹は思わず、画面を左から右にタップし、着信を拒んだ。

 だが、内藤のスマートフォンは、もう一度鳴らされる。


 そこで、大樹は異変に気が付いてしまう。武山の死体からも、着信音が鳴っているのだ。


 これは、おかしい。


 この状況を見計らい、内藤と武山の携帯電話に、同時に着信が入れられているのか。もしかすると、他の住人達の携帯電話にも、一斉に着信が入っているのかもしれない。


 そう考えると、大樹はぞっと背筋が凍っていくのを感じた。


 未だ鳴る、内藤の携帯電話。

 大樹は意を決し、応答することにした。


『もしもし』ボイスチェンジャーで変声された、無機質な声が耳に入った。

 相手の呼び掛けに、大樹は答えられない。


『夏元大樹さんですね?』電話口の相手は、そう言った。


「誰だ?」大樹は自分で思うより、低く冷たい声が出た。必死で、焦りを隠そうとした。


『私は、武山さんの友人です』声は事務的なまでに淡々とした口調で述べる。


 大樹は自分の心拍数が、どんどんと上がっているのを感じた。もう、(ろく)な目に遭う気がしない。


 終わっただろ。終わった筈だろ。

 そう、怒鳴りつけたくなった。


 一方で、この謎の電話が、自らの心を再び灰色に塗り潰していくのがわかる。重たくなった大樹の心は、深海の闇に沈んでいく。


『全員、殺しましたね?』性別すらも判断させない声が、淡白に問うてくる。


 大樹は言葉を発することが出来ない。

 切実な願いが通じたのか、大樹はすっかりと只人(ただびと)に戻っていた。口の震えを必死で抑え、正気を何とか保とうとしている自分がいる。


『二〇二号室の出来事は、全て映像を通じて把握しています』


 大樹の脳裏に、武山の一言がよぎる。

『ばっちり、撮ったからね』

 あの時、武山はカメラを構える様子はなかった。それはつまり、隠しカメラの存在を示唆している。


『私はある意味で、二〇二号室の真の住人と言えるかもしれません』


 大樹は眩暈(めまい)を覚えた。


『間もなくそちらに、医師と清掃員が数名到着します』機械的な言葉が聞こえる。『あなたは、今は自分の治療に集中して下さい』


 大樹は何を言われているのか、理解できない。何故、この人物が大樹の身の心配をするのか。


『警察に行ってはいけません。病院にも』そう、機械に加工された声に忠告を受ける。『これ以上、親しい人が、二〇二号室に住むのは、耐えられないでしょう?』

 その真意に気が付いた時、大樹はようやく震えることが出来た。


 凍て付いている。夏の入り口にも拘らず、全てが寒く感じられる。


 大きな絶望が、大樹を再び包み込む。深淵(しんえん)から伸びる魔手に、いつの間にか心臓を握られていたのだ。


『もちろん、あなたの回復が最優先ではありますが、それから先の話も大事です』


 声の主は、大樹が想像していた最悪の言葉を、当然のように突き付けた。

『裏野ハイツの仕事の引き継ぎに関しまして、また後ほど、ご連絡いたします』


 大樹は乾いた笑いを漏らしてしまったようだった。足元から、全てが崩れ去るような錯覚に陥る。


『それでは、また改めて』

 通話が切れた。


 大樹は膝を着いた。


 大樹を人に引き戻してくれた夕陽は、いつの間にか沈み、もう二〇二号室は暗い。


 大樹はスマートフォンを強く両手で握りしめる。


 この社会の裏側に根付く、巨大なネットワーク。大樹が見たものなど、所詮はただの枝葉に過ぎない。裏側は更に奥があり、暗闇には更に暗い処が存在する。地獄の釜という言葉があるが、真の地獄は底無し沼だ。

 大樹は本当の意味で、それを思い知った。


 際限などないのだ。


 それは、必ずしも暴力に限った話ではない。

 人間が持つ、真の闇に際限などないのだ。


「――――――!」大樹は気付けば叫んでいた。慟哭(どうこく)は夜の世界へと溶けていく。


 もう、大樹は逃げられないのだ。


 希美を追った時。


 否、希美を見たその瞬間から。


 大樹はもう、二〇二号室の住人になっていたのかもしれなかった。


 夕焼けの美しい光は、もうない。

 蝉の声も、大樹の絶叫により、完全に塗り潰されていた。

 初夏の(おもむき)など、もはや大樹には届かない。


 いつか訪れる破滅の瞬間までに、大樹はそれを取り戻すことが、出来るだろうか。



<二〇二号室の住人 了>

くぅ疲。これ完。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ