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末路

十二.

 時計の秒針が進む音が、聞こえている気がした。


 ぼんやりと、意識が戻っていく。

 大樹は目を開けた。


 自分が拷問を受けていたことが、思い出される。

 生きていることが不思議でならない。


 大樹は自分の腹部を見るように、がっくりと項垂(うなだ)れているようだった。頑張って頭を持ち上げようとするが、動けない。

 体中の感覚が鈍く、視覚や聴覚、味覚が上手く機能していない。過度な痛みのせいだろうか。大樹に理屈はわからないが、頭がどんなに命令しても、身体の何処にも力を込めることができなかった。


 この期に及んで感じる痛みだけが、唯一自らの生を示している。


 かろうじて動く目。


 大樹の足元の右側には、関根の死体がまだ転がっている。度が強すぎる眼鏡を掛けているように、視界が(おぼろ)げであり、どんな死に様をしているのか判断出来ない。


 目線だけを前にやると、大きなバケツが無造作に置いてある。

 大樹は父が殺されてしまったことを、ぼんやりと認識した。


 涙が、大樹の血まみれの太ももに落ちた。刺さっている鉄串を濡らしていく。


 大樹は何度も父に謝罪する。


 もうすぐ、そっちに行くよ。と伝えた。


 自分は死ぬ。住人達が、何時をその時にするのかは知らない。だが、確実に殺されるのだ。まるで(もてあそ)ばれるかのように。


 殴られ、刺され、削られ、千切(ちぎ)られ。

 焼かれ、折られ、貫かれ、(えぐ)られ。

 あらゆる死痛(しつう)蹂躙(じゅうりん)された挙句、殺される。


 暴虐はそれに留まらず、大樹の死体を分解するのだろう。

 もう、大樹ではなくなってしまうまで。


 ただ、ここの住人の愉悦が為に。

 死ぬ。


 ――死ぬ?


 酒井の怒鳴り声が、脳裏に蘇った。

 きっかけが、それだったのかわからない。


 だが、ずっと沈黙していた大樹の心が、必死に抗議を始めたのを感じ取った。


 げらげらと、住人達は笑う。


 ガチリ、と音が鳴る。拳銃の撃鉄(げきてつ)が起こされたように。


 その時、もう一人の大樹が産声を上げた。

 死にたくないという願望とは、ある意味で対極に座する、最も破壊的で原始的な衝動を(たずさ)えて。


 ――死ぬのは、駄目だ。


 もしかすると、大樹は生まれて初めて、目が()めたのかもしれない。


 ――殺人を強要され。


 どろりと流れながら全てを飲み込む、溶岩のような感情が、大樹の心をゆっくりと満たしていく。


 ――子供が玩具にするように、虐げられ。


 大樹の命が燃えていく。自らの中で、ぶすぶすと微かに煙幕を立てる火種に、何の躊躇(ためら)いなく、命をくべたのだ。


 ――何より、大切なひとを殺されて。


 生気が戻る。痛みが徐々になくなっていき、視界や聴覚、奪われたものを大樹は取り戻していく。


 ――奴らに何の報いも受けさせないまま。


 脳に血液が回り、意識がはっきりとした。ゆっくりと拳を握り、力が入れられるようになったことを確かめる。


 ――殺されてなるものか!


 大樹は腕に全力を込めた。まだ、足りなかった。怒りが、殺意が、復讐心が、なお足りない。


 死ねよ。自分を罵倒する。ここで死ね。

 命の滴を絞りに絞り、心で肥大化していく獄炎(ごくえん)を、爆発させた。


 大樹は、殺す為に死ぬ。


 そう自覚した途端、大樹を拘束していた椅子の背もたれが、容易(たやす)く破壊された。

 大樹の怒りが、たかが外れた力をもたらしたのか。老朽と血液による腐敗で、椅子が(もろ)くなっていたのか。


 あるいはその僥倖(ぎょうこう)は、この二〇二号室で無残に殺された住人達の、怨嗟(えんさ)(とどろ)きだったのかもしれない。


 いずれにしても。


 大樹は血塗れの体を、ゆっくりと立ち上げた。

 大樹の使命は、住人の殺戮以外にあり得ない。暴力に際限などないことを、大樹は既に知っている。



***



 大樹は洋室に転がっていた凶器の中から、内藤が持っていた木製のバットを手に取った。


 その時、室外から物音が聞こえてくる。

 それを、洋室に近づいてくる足音と認めると、大樹は扉の影になる位置に身を潜めた。


 ガチャリとゆっくりと音を立て、扉が開けられる。


 しばらく間が開き、「夏元さん?」と武山の声が聞こえた。


 大樹は扉に勢いをつけ体当たりし、武山を突き飛ばした。

 猫のげっぷのような悲鳴が上がる。


 気配を察するに、武山が一人で様子を見に来たようだった。

 大樹は扉の影から飛び出すと、視界に入った武山の頭部に、バットを思い切り叩きつけた。


 骨が砕ける手応え。老躯はあっさりと崩れ落ち、うんともすんとも言わなくなった。


 大樹は洋室の入り口横の壁に張り付き、誰が来ても不意打ちが出来るよう備える。

 案の定、騒ぎを聞きつけて来たのだろう。何者かが警戒しながら洋室に入ってくる。

 大樹はその人物の顔面目掛けて、バットを一振りした。見事にバットは命中し、入って来た者はあっさりと倒れる。


 金髪の頭。内藤だった。


 大樹は仰向けで倒れている内藤の息が、まだあることを確認し、安堵する。

 こいつは、苦しめて殺さなければならない。


 大樹は内藤の右膝を二回、三回と殴りつけ、骨を粉砕する。痛みのせいか、意識を取り戻した内藤がやかましいので、黙るまで顔面を拳で殴りつけた。

 無数に殴りつけられ、ぐったりと静まり返った内藤に背を向けて、大樹は外へと向かう。


 廊下に出ると、街灯の明かりが大樹を迎える。よく晴れた夜空から、はっきりと半月が見える。

 その景色を見て、大樹はため息を吐いた。

 何十時間も拘束されていたかわからなかった大樹は、外の空気を懐かしく感じる。その哀愁(あいしゅう)が、大樹の胸を切なく締めつける。


 だが、大樹には、しなければならないことがある。まだ、害虫が一階に居るのだ。連中を二〇二号室にぶち込むまで、大樹は表に帰るつもりはない。


 階段を下り、一階に辿りつく。大樹は一〇一号室の前に立った。


 バットを思い切りドアノブに叩きつけ、扉を()じ開ける。

 結果、バットは重心部を粉々にしてしまったが、もはや大樹は止まらない。


 部屋の電気が消えた一〇一号室を、ずかずかと踏み込んでいく。


 綺麗に片づけられている部屋だった。リビングに着いた大樹は、無感動ながらにそう思う。

 酒井は仕事での暴虐ぶりとは裏腹に、普段は几帳面で言葉遣いも丁寧だ。

 仕事になると頭が狂って、気が大きくなるだけか。大樹は鼻で笑ってしまう。何故、あんな雑魚(ざこ)に恐れをなしていたのか。


 洋室の扉が開かれ、酒井が現れる。急に部屋に入ってきた侵入者に、おっかなびっくりという様子である。


「夏元さん……、ですか」震える声で、酒井は言った。


 あるいは、下着姿で全身血(まみ)れ、太ももに鉄串を生やし、砕けたバットを持ち歩く大樹の姿を、亡霊のそれと勘違いでもしたのだろう。


 酒井は洋室に逃げ込もうとした。


 酒井が扉を閉め切る前に、大樹の投げたバットが酒井の脳天に直撃した。

 豚のように呻き、酒井は跪いた。


 大樹は自らの太ももから鉄串を一本抜き、酒井の背中に突き立てる。

 酒井の酷い絶叫が、(わずら)わしい。大樹は酒井の腹部に蹴りを入れ、黙らせた。

 もう一本、太ももから鉄串を抜き、酒井の左脚に突き立てた。本当は、自分の鉄串を、全て酒井に返したかったが、大樹は急いで一〇三号室に向かわねばならない。


 大樹は折れたバットを拾い上げる。

 苦しむ酒井の顔面に、見舞いの代わりに蹴りを入れ、大樹は一〇三号室へと急いだ。


 一〇三号室の前に着くと、太ももから一本、鉄串を抜いた。左手に逆手で鉄串を持ち、武器とする。

 だくだくと血が流れているが、先程から痛みがまるでない。身体の調子は、普段よりも良いぐらいである。


 大樹の予想通り、一〇三号室の扉は内側から開けられた。理子が騒ぎを聞きつけ、啓介と共に逃げ出すだろうと踏んでいたのだ。


 扉の前に立っている大樹を見ると、理子は大きく目を見開いた。大樹はバットを理子の目前に突き付ける。

 理子の後ろには、啓介が隠れている。


「夏元さん……」理子が声を上げる。その綺麗な瞳は、今は険しい。

 硬直状態が、数秒間続いた。

「……見逃して下さい」理子は自分の不利を認めたように言う。「啓介だけは、助けて」


 白々しい。

 大樹は心中で毒吐いた。


「武器を捨てろ」大樹は自分でも驚くほどに、静かな声を出していた。

 理子はぴくりとも動かない。ただ、黙って大樹を見ている。


 大樹は黙ってバットを振り上げ、意思表示をした。


 理子は扉を支えながら、反対の手を後ろに回す。

 カラン、と街灯の明かりに反射する金属が、玄関の床に落ちた。


 大樹はそれを確かめると、理子の左肩を鉄串で刺した。


「おかあさんっ!」

 悲鳴をあげて仰け反る母を、後ろにいた啓介が受け止めた。大樹はそれを好機とみて、啓介の首根っこを左手で引っ張る。


 途端に支えを失い、倒れる理子。


 大樹は啓介を片手で宙に浮かせ、廊下のコンクリートの上に叩きつけた。

 奇声をあげ、床に這い(つくば)る啓介の頭に、右足を乗せる。


「やめて! やめて下さいっ!」理子が必死で叫んだ。「啓介だけは、傷つけないで!」


 大樹はこの親子の利用価値を考慮する。別に、今すぐ殺しても問題はないが。


「わかった」大樹はそう答えた。「酒井を二階に運ぶのを手伝え。まずは、酒井を拘束しろ」

 理子は首をかくかくと縦に振った。


「手伝えば、もう危害は加えない」大樹は大嘘を吐いた。そして、本当のことも教えておく。「逆らえば、息子が死ぬ」


 理子は一〇一号室を目掛けて、飛んで行った。細かい指示など出していないが、理子なりに考え、酒井を縛ることだろう。


 たとえ酒井を起こし、大樹を殺そうと企てようとも、大樹は負ける気がしなかった。

 大樹も、大樹なりのやり方で、啓介を拘束しておくことにした。



***



 一〇三号室の中で、啓介をガムテープで雁字搦(がんじがら)めにしていると、理子が姿をみせた。

「酒井さんを、縛りました」

「あっそ」大樹はつれなく返事をする。


 理子は縛られた啓介の姿を見ると、顔を歪めた。

 その目が気に入らず、大樹は理子に酒井の運搬を手伝うよう命じた。


 慎重に、理子に先導させて一〇一号室のリビングに行くと、確かに酒井がビニール紐で、両手を後ろ手に、両足を揃えて縛られているのを確認した。


「夏元さんっ」酒井が怯え切った声を放つ。「助けて下さい! お願いします!」

「黙れ」

 酒井は沈黙した。


 大樹は理子に足の方を持つように命じる。

 理子の力が思いのほか弱く、途中で一度休憩を挟む羽目(はめ)になる。到着が遅くなると啓介が死ぬ。そう理子を脅すと、理子は必死になったようだった。


 やっとの思いで二〇二号室に辿りつくと、内藤が這いずりながら逃げようとしていたので、酒井の身体を内藤の上に落してやった。

 潰された蛙のような声を内藤があげ、酒井も苦しそうに呻き声を出した。


 そんな二人に、大樹は告げた。

「今から、お前らは二〇二号室だ」

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