2-4 部員の話
サッカー部は朝練もしていると米原先輩から聞いたので、カメラの用意はできないが、傍から少し見せてもらおうと思い、おれは普段より一時間以上早く起床してばたばたと朝の支度をはじめた。
ブレザーに袖を通し玄関の姿見でネクタイを整えていると、礼奈が二階から下りてきた。見るからに機嫌が悪い。
「いま何時だと思ってるのさ」
眉間にしわを寄せ、寝癖の立ったショートヘアの毛先をいじっている。妹は何かしら不愉快なときは相手と目を合わせないようにするため髪の毛を触る癖がある。朝が苦手な礼奈は毎朝こんな調子なのだが、今朝は時間が早いだけになおさらご機嫌斜めなようだ。
「ごめん、きょうだけ。朝練で」
「……はあ、朝練? 部活?」
身だしなみが整ったので、鞄を肩にかけ靴を履いた。
「おれは新聞部。サッカー部の取材」
それを聞いて、礼奈はふん、と嫌味に鼻で笑った。
「兄貴が新聞部ねぇ……」
癪に障る捨て台詞を残し、おれに背を向けてまた階段を上って行った。おれは喧嘩だけは大人げないと自分に言い聞かせ、奥歯を噛みしめながら家を出た。
薄暗い中自転車を漕ぐこと二〇分ほどで高校に到着する。
校門をくぐり、自転車を指定の車庫に停めるところまでに見かけた生徒は、礼奈と似た髪形の女子生徒たったひとりであった。サッカー部員はすでにグラウンドに集合しており、いままさにランニングをはじめようというところらしい。
朝練にはマネージャーは参加しない。おれはどこでその様子を見ていようかとふらふらしていると、校門をくぐってきた制服姿の二人組に会った。
「浪漫じゃないか」
それはサッカー部期待の新人と、もうひとり足をやや引きずったように歩く――確か井野という名前の部員であった。
ふたりの一年生は練習に遅れたのだろうかと思い訊いてみると、浪漫は普段練習に参加しないのと同じ理由、井野のほうはきのうミニハードルを使った練習の途中に転んで――おれが去り際に見たあの転倒だ――捻挫をしたということで、いずれも免除になったのだと話す。怪我をしても朝練を行っているグラウンドの端に立っているのが暗黙の決まりなので、朝早く学校に来ようとしたものの、井野の足が思いのほか痛み、それに付き添った浪漫共々遅刻したのだという。
グラウンドの傍まで行くと、同じように怪我で練習に参加できない部員が十人ほど並んで待っていた。浪漫と井野も遅刻を平謝りしながら制服の列に加わった。
ランニングから戻るのを待ちがてら、井野に質問してみる。
「なあ、井野。サッカー部はどんな感じ?」
曖昧な問いだが、井野もおれが期待の新人の取材をしていることを知っているので、取材か、などと笑いながら答えてくれた。
「練習は走ってばかりで単調だし、きついし、練習後の片付けなんて面倒でしかないけど、これぞ『高校生の部活』って感じがしてやりがいがあるな」
楽しげに語る井野。おれだったらとても考えられそうにないポジティブな感想だ。いいや、おれでなくたって浪漫もこのハードなトレーニングを嫌がっていた。
この反応を見るに、きのう井野のことを倉庫の整理を雑にする犯人として中沢や米原先輩が疑っていたのが信じられない。
「まあ、たまに片付け方を間違えて怒られるけど」
井野が付け足した。
そういえばきのうの片付けまでは見届けなかったが、倉庫はちゃんと片づけられているのだろうか? そう思って朝練も最後まで見ていたものの、倉庫から道具を出すことはなくほとんどの時間を筋力トレーニングに費やして終わってしまった――早朝からボールを使いはしないだろうとは思っていたが。
解散すると、制服を着ている部員たちは着替える手間がないので一足先に校舎へと帰っていく。おれも浪漫や井野と少々他愛無い話をしつつ昇降口で靴を履き替えていると、浪漫がおれの肩をつつき、自分の靴箱の中を示した。
「ほら、見てよ。お菓子がある。ここのところ毎日のように入っているんだ」
中を見ると、下足を置く段のど真ん中にビスケットの個包装がひとつ、ぽつりと置かれている。気が付かなければそのまま靴を入れてダメにしてしまいそうだ。そのビスケットはコンビニでもスーパーでも、どこの店でも売っているごくごく普通の商品である。
浪漫がそれを取り出すと、井野はファンか、ファンかとはやしたてる。
ファンならこそこそしなくても。それにお菓子なんて些細なものでなくてファンレターでも入れればいいのに――などと不思議に思いつつ教室へと歩いた。
放課後、昼食を済ませてすぐに部室へ行ってカメラを借り、練習を見学した。
浪漫の写真を数枚撮ったほか、部員の練習風景やマネージャーの様子などを撮影し、合わせて一五枚くらいの画像を確保した。使用するのはせいぜい一枚か二枚だろうから、これだけあれば充分だ。
写真を撮っていて気が付いたのは、きょうは中沢がいないこと。そして、きのうはいなかったショートカットの女子生徒がいることだ。米原先輩の手が空いた頃合いに声をかけてみる。
「土曜日は中沢がいなくて、赤川先輩がマネージャーをやっているんですか?」
「そうだよ」紺色で細いカチューシャのようなヘアバンドを着けた米原先輩が頷いた。「充は英語部にも参加しているから。サッカー部は月曜日が休部のほかは毎日やっているんだけど、充は火、木、土とお休み。結子も木、金が出られないから、木曜日は私ひとりですごく大変! ……ほらね、マネージャーが三人必要だってわかるでしょ?」
…………。
そのとき、室戸監督が部員たちに休むよう伝えた。二時間ほどずっと動いていた。
米原先輩や赤川先輩に混ざっておれも部員にドリンクを配ったり、写真を確認したりして過ごした。その間聞こえてくるのは、室戸監督の愚痴ばかり。「きつすぎる」をはじめとして、「走ってばかり」だとか「もっとボールを使いたい」だとか。上級生たちは監督がいないのをいいことに、話をすれば不満ばかりだ。
それにしても、よほど評判が悪い監督なのだろうか。
…………。
試しに、近くにいた部員に訊いてみる。練習の様子から察するに、確か二年生の藤田というディフェンダーだ。
「室戸監督って部員には不評なんですか?」
藤田先輩が気づいて顔を上げる。
「まあね。去年までの監督とギャップが激しいし、特にエースの近藤先輩が参っちゃってるから」
そういって指さした先では、とりわけ苦しそうな表情の部員が胡坐をかいて汗を拭っていた。藤田先輩曰く、いままでムードメーカ的存在だったのだが、単調な体力トレーニングが苦手なためこのごろ愚痴が多く、ネガティブな気持ちが多くの部員にうつってしまっているらしい。
「今年からは浪漫と競争だから焦ってるんだろうね」藤田先輩は呼吸を整えつつ語る。「そういえば、岩出だっけ? 浪漫の取材に来たんじゃないの? 俺、中学時代に遠征で浪漫と一回だけ一緒にプレーしたことあるからよく知ってるんだ」
これはちょうどいいと思って話を聞こうと思ったら、米原先輩に呼ばれて赤川先輩を手伝うよう頼まれてしまったので、おれは藤田先輩にお礼だけ言ってそちらへ向かうことにした。
藤田先輩は駆けていくおれの背中に手を振った。
「とりあえず、藤田って先輩部員が相当な期待を寄せる新人だって書いといて」