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アリスをめぐるミステリー  作者: 大和麻也
文化祭特別号(文化祭当日編)
57/58

8-5 かくしごと

 午後五時を以て文化祭は終了し、喧噪の跡をそのままに、生徒たちは校舎を飛び出し次なる興奮――後夜祭を求めて体育館へ向かう。その流れに逆行し、おれはアリスを呼び出した。彼女が応じてくれるかはわからないが、おれはひとりモザイクアートの前で待った。

 色とりどりの写真がひとつのアートとして鳥が羽ばたく姿を見せている。準備時間が長くなかったからそれほど詳細な絵を完成することはできなかったが、それがかえって個々の写真の魅力を殺さずに済んでよかったと思っている。そして何より、おれたちらしい。

 窓の外がぐっと暗くなった。校舎全体が陰に入ったのだろう。

「あれ? まだ教室に?」

 教室の扉を開け、単に通りすがって声をかけただけのふうを装う。その彼女こそおれが呼び出したアリスを演じる少女であった。

 紺色のクラスTシャツとグレーのスカートとの組み合わせは昨日の朝こそちぐはぐに見て感じられたが、文化祭を過ごした時間と流れる汗がそこに加わっただけで、ひとつの完成されたユニフォームとして受け入れられる。

「エリー、君に対して敬語は要らないんだったな? ……ここに来たということは、メール、読んでくれたんだろう?」

 そう声をかけると、彼女は後ろ手に扉を閉めて歩み寄ってきた。

 気を付けの姿勢で向かい合う。ほんの一歩、二歩の距離。

「会いたかった。これを返したかったから」

 ピンクのカバーのついた小さなノートを差し出す。彼女は受け取る前に、「これは?」と尋ねた。おれの呼びかけに応じたということで事実上自分がアリスであることを認めてはいるから、形式上の問いということだろう。おれの持ってきた根拠を見せてくれ、と。

「このメモを拾ったのは推薦入試の日の特別棟だった。おれと同じ推薦入試を受け、学校を知るチャンスだと思って取材に回っていたんだろう? そのとき落としたこれを、おれが偶然拾った」

 彼女は微笑をたたえて頷いている。続きを促されているのだ。

「アリスは人格をマニュアル化された少女だ。ということは、彼女を演じる人物は複数いることを前提にされている。そのマニュアルの中に新聞部の名前があり、かつ新聞部のレイアウトに合致する原稿を送って来る。つまり、新聞部に協力者がいて、その人物と強く繋がる人物……まあ、お前が一番その条件を満たしているよな」


 そうだね――と進藤美妃(・・・・)は自慢の笑顔を咲かせた。


 現在星宮アリスを動かしているのは三人。

 進藤美妃、安斉直巳、進藤亜妃。

 文芸部と新聞部を兼部する安斉先輩がアリスの演者であることは簡単に想像できた。そして、進藤美妃の姉である亜妃は彼女の幼馴染であり文芸部の仲間である。亜妃先輩と安斉先輩が計画の中心にあったと考えれば、都合のよいことが多い。

 ふたりは文芸部の過去の部誌からリレー小説のことを知り、それをより高度にした星宮アリス計画を打ち立てたのだろう。昨年のことである。小説を書きはじめたのは亜妃先輩で、その小説を披露する場を安斉先輩が提供したのだ。しかし、星宮アリスは卒業の刻限を超えた期間小説を投稿する謎の人物として演出するためには、亜妃先輩が今年から受験に専念しなければならないという限界がある。とはいえ、新聞部員の安斉先輩が執筆担当を引き継ぐにはリスクが高いから、亜妃先輩の妹であり同じ高校に進学することが有力だった美妃に白羽の矢が立ったのだ。

 進藤がアリスであるという根拠――いや、根拠というほど真っ当なものではなく、アリスにアプローチする「きっかけ」を継ぎ接ぎして作った仮説を語ると、進藤はうんうんと頷いた。

「……最後に、証拠としては弱いがお前は左利きだ。でも、矯正されたこともあって、いまでは右手もほとんど不自由しない両利き。メモに残った書き方の癖には両方の手の特徴が出ていた」

 ほとんど証拠とも呼べないような小さな引っ掛かり。それでも確かに、心の中で進藤とアリスとを結びつける最初の要素となった。アリスが左右の手をほぼ等しく扱い、メモにもその時々の気まぐれで両手を使って書き込んでいたなら……と。あまりにも短絡的で単なる入口にしかならない発想だが、演者が複数いたということと無関係ではない。利き手の違う三人がメモを共有していた――思えば、最初にこれを指摘したのは三倉部長だった。そんな部長に計画を悟らせなかった安斉先輩には感心する。

 アリスを決定づけるには遠く及ばない曖昧な気づきにも、進藤は満足したように頷くのみであった。

「じゃあ、それはアリスに渡しておくよ」

「え?」

「ほら、返してあげるって言ってるんだから、早くちょうだいよ」

 手の平を見せて上下に振る。おれは催促に負けて、つい呆然と、Alice Memoを渡してしまった。

「……認めるのか? おれが話していることは、否定すればいつでもひっくり返せるんだぞ?」

 あはは、と彼女は声だけで笑った。

「そんなこと言ったって、間違ってないんだから認めてもいいじゃん。アリスだってひとりの、ごく普通の女の子なんだから」

 さっぱりとした彼女の言葉に、おれは驚くばかりであった。半年間おれが気を揉んでいたのと釣り合わない。


「そう、私が星宮アリスだよ」

 メモ帳の背表紙を口元に当て、おれの目をやや上目にじっと見つめながら、事もなげに――というより、最初から準備があったかのようにそう言った。



 認めるなら、進藤の言葉でアリスのことをすべて教えてほしいと頼んだ。半年間で知ったことは多いけれど、所詮企画の部外者にすぎない。真の意図と現在までのプロセスを聞いておきたかった。

「いいよ。文化祭直後の教室に男女ふたりきりでいるなんて、浮ついた噂が立ちそうだけど、まあ諒ならいいか。超特急で行くから、聞き逃さないでね。

 アリスはね、元々亜妃姉が文芸部に『伝統を作りたい』って言って始まったの。亜妃姉の代の文芸部って部員が少なくてね、去年の春の新入部員も直巳ちゃんしかいなかったんだよ。だから、幼馴染同士で話しはじめたの。このときは私も推薦で進学するなんて思っていなかったから、まだ計画の外ね。

 まずアイデア探しのために、昔の部誌を見て、五年くらい続いたリレー小説を見つけたの。伝統を作るには手軽でいいアイデアだったけど、そのリレー小説はもう続いていないんだから失敗したということ。まったく同じことをやって、二の舞になったら元も子もないでしょ? だから、長続きする計画を考えなきゃいけない。代が変わっても、自分たちが引退しても、迷うことなく伝統を引き継げるようにする必要がある。最低目標として、アリスが『卒業を超えた存在』だと明らかになる四年後にも存続できる方法を考えた。

 長続きする方法その一。アリスは徹底的に『謎の存在』にする。秘密を共有するモチベーションって結構強いものだよ。しかも、上手くいけばそれなりにセンセーショナルなものになる。だって、卒業したはずの生徒が連載を続けるんだよ? そうやって注目されたら亜妃姉たちが卒業したあとのアリスも、続けたくなる可能性が高い。

 長続きする方法その二。ほかの部を巻き込む……つまり新聞部に投稿するってこと。文芸部の内部で伝統を維持しても、いつかモチベーションが途切れちゃう。だから、直巳ちゃんのコネも利用して、新聞部で連載を始めた。そうすれば、もし代が続いていってアリスが続行不能になろうとしても、新聞部員が疑問に思って投稿を続けるよう訴えてくれるかもしれないし、後継者が新聞部から出る可能性だってある。文芸部だけでやるよりは安全。

 長続きする方法その三。アリスの人格は明文化して保存する。亜妃姉や直巳ちゃんの息がかからない後継者にもアリスがどんな女の子なのかはっきりとわかるようにしておけば、『アリスが何者かわからない』という理由で途絶えることはない。で、受け継いでいくために現実的な方法として、アリスの具体的な存在はインターネット上のアカウント、抽象的な存在はメモの形で残したの。……そのノートを落とすっていうのは完全に想定外! おかげで夏休みの諒からの連絡には大混乱、対応が直巳ちゃんと私で食い違って、いまに至るんだろうね。

 実際に計画を進めると、想定通り後継者の問題が浮上する。亜妃姉は受験勉強、でも直巳ちゃんが新聞部員を兼ねてアリスの役をすると秘密が危うい。そんなときちょうどいいのが私だったわけ。怪我で競泳を止めて趣味がなかった私は、推薦での入学が決まってからはずっと暇だったからね。高校受験が終わる前、十月ごろからAlice Memoを預けられていたよ。ああ、落としたのが悔やしい! それで、今年の四月から執筆をはじめたの。ミステリはもともと好きだったし、書いてみたら楽しいね。……あとは諒も知っての通りだよ」



 最後にふたつ、訊きたいことがあった。

 ひとつは、星宮アリスの名前の由来だ。

「英語でありふれた不特定の女の子を言うとき、アリスっていうんだって。アリスはまさに『誰でもない』から、ひとつそれが由来」進藤はこのことを訊いてほしかったのだろう、嬉しそうに語る。「もうひとつ、星宮のほうは……まあ、『星』がつく名前が付けたかったんだよ。アリスがかわいい女の子になれるような。そう、アリスは『誰でもない』からね」

 彼女の言葉に、ほっとするような気持になる。アリスはやはり、「ひとりの少女」だったのだ。計画者三人のうちの誰でもない。演者が受け継がれていく誰でもない存在。目に見えなくても関係ない、この世にたったひとりの女の子。

 校舎の消灯がはじまった。進藤は「時間がない」と言って教室の灯りを消し、楽しそうにおれの手を引いて暗い廊下を進んだ。

 引っ張られながら、おれはもうひとつの疑問をぶつけた。

「なあ、やっぱり気になるんだ。どうしてお前は、自分がアリスを演じていると簡単に認めたんだ? 不思議で仕方がない。否定すれば、アリスの秘密は守られたんだぞ」

 くだらないことを訊くなあ、と言って進藤はおれの手を解放した。昇降口、おれたちは靴を下足に履き替える。彼女はおれの問いに答えないまま外に出ると、そこでスカートを揺らしてこちらを振り返った。

「だからさ、諒がちゃんとアリスのことをわかっていたから認めたんだよ」

「そうじゃなくて――」

「そうだよ。だって諒は、ずっとアリスのことをひとりの人間として扱ってた。事実と合ってさえいればいつでも認めたわけじゃないんだよ? 諒が心を掴んだ半年間があってこそなんだよ」

 そして彼女は、笑窪を作る。同時に体育館の照明が灯され、グラウンドを背に立つ進藤まで赤や緑に照らした。


「諒はズルいね。アリスと私、ふたりいっぺんに落としちゃったんだから」

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