8-3 再会
二日目の開門後最初のシフトはクラスにも新聞部にも入っていなかった。
昨日は文芸部、漫画部、その他複数の有志団体など見て回ったが、まだ有力な情報は得られていない。文芸部に関していえばチェックすべき数が多すぎたため、この時間にもう一度確かめに行くことにした。
開門間もなくの時間は来校者こそ少ないものの、生徒たちが一斉に動き出すため廊下を進み階段を上るのにも一苦労だ。しかし文芸部が展示している角部屋まで来ると生徒の姿はあまり見られなくなる。さほどの関心を誘っていないようだ。
ドアから中を覗くが、受け付けの席に部員は座っていない。一歩入ってみると、教室後ろの黒板に描かれた「文芸部」の飾り文字に装飾を加えている女子生徒の背中がひとつ。
「どうぞ」彼女がおれの気配にこちらを振り返ると、数秒ううん、と唸る。やがて思い出したようで、ああ、と声を上げて小さな笑窪を作った。「確か、岩出くんだね。新聞部の。久しぶり」
進藤亜妃先輩だ。
クラスメイトの姉の顔を見て、心の中で「しまった」……安斉先輩が受付にいない時間を狙ってはいたが、文芸部にはもうひとり知り合いがいたことをすっかり忘れていた。
「これ、新刊だから。持って行って」
「あ、はい」
もうすでに持っている、とは口が裂けても言えない。
これは前の代のものですか? などと初めて来たかのように進藤先輩といくつか言葉を交わしてから、数十冊が並ぶバックナンバーの中からきのう調べた年度の次の冊子を手に取り、目次を開く。目次だけ覗いて戻すのでは変なので中を読むふりなどしていたが、そのうちに進藤先輩はおれの案内が不要だとわかって黒板の装飾に戻った。
進藤先輩の関心が逸れたことを確かめて、おれは次々と冊子を取り換えては目次をさっと確認する。目次に作者名が書かれていないとわかれば、ページを素早く捲ってそれぞれの小説の作者を記憶していく。
夢中になってチョークを持った左手を動かす三年生は、時々鼻歌など歌っていた。……あ、これは『サービスしましょ』劇場版のテーマソングではないか。
つい、ぼそりと「左利きだ」と呟いてしまう。
「うん? 確かに私は左利きだよ?」
聞こえていたか。
「いえ、妹は右利きなのにな、と」
「美妃は右利きじゃないよ。美妃も左手。私が左で苦労したのをお母さんが知ってたから妹には右も練習させたのね。いまでは両方とも利き手同然みたいだから、まあ、勘違いも無理ないかな」
その級友ともこの土日言葉を交わしていないな、と振り返る。彼女はいまごろ実行委員として忙しく校内を駆け回っていることだろう。すると、肩を小刻みに揺らす先輩が目の端に映った。
何かおかしいですか? いいや、何でもないよ、というお決まりの問答。
「美妃もたまに、家で岩出くんの話をするからさ」
クラスメイトですから、と言っても、進藤先輩はいやらしく口角を上げたままだった。そのうち彼女はメロディに加えて歌詞を口ずさみはじめた。奥歯を強く噛みしめてこそばゆさを振り払い、もう一度バックナンバーたちに注意を向ける。
六冊目の目次を開いたとき、違和感を覚える。
それより前の年度の冊子に寄稿したペンネームと見比べる。
……ははあ、見つけたぞ。
そのとき、さらにもうふたり、見知った顔が教室に入って来た。ピンクのフレームの眼鏡とポニーテールがトレードマークの背が高い女子生徒と、対照的に控えめな印象に小柄な女子生徒の二人組だ。
「有紗先輩に、望先輩」
「おお、諒くんじゃない」
おれは冊子をそっと手元に戻した。
曰く、アニメ文化部員や漫画部員に違わず文芸部員たちも似通った趣味を持っていることが多いため、そのよしみで訪れたのだという。
「でも、誰もいなかったね」教室を見回して、望先輩は肩を落とした。「直巳のシフト、ちゃんと訊いておけばよかったね」
「知り合いだったんですか?」これには驚きを隠せない。おれはつい大きくなった声を抑える。「安斉先輩なら、確か、この時間クラスのシフトがあったかと」
「直巳はある意味有名人だからね」有紗先輩は冗談めかすが、その笑みを引っ込めると、首を傾いで不思議そうに見つめてくる。「そういう諒くんは? 直巳がいる時間に来ればよかったのに」
彼女の瞳は、ひとつひとつの言葉を強く印象付ける力を持っている。何気ない問いにも適当には答えられないように感じてたじろいでしまうほどだ。
「あちらの進藤先輩とは一応顔見知りです。でも、まあ、個人的な興味で来ましたので」
ふうん、と彼女はやや大袈裟に頷いて見せた。おれの心の内の何を見破ったわけでもないのに、こうして演技ぶる。それと凛とした眼差しとのギャップが彼女独特の魅力を生んでいるのだろう。
「それにしても今年は力が入ってるね」有紗先輩をよそに望先輩は新刊を小脇に抱えて、並んだ冊子を物色しはじめる。「去年ここまでたくさん昔の部誌は並んでいなかったと思う。あ、これなんか一五年前のだよ」
感心の言葉に進藤先輩が振り返って礼を言う。今年は比較的新入部員が多かったからこそできたことなのだという。小規模な部活は存続をかけて文化祭でアピールしたいのだ。もちろんそれは新聞部やアニメ文化部、漫画部だって同じことである。
昔のやつと言えば、と有紗先輩が声を弾ませる。
「リレー小説を五年くらい続けた時期があるらしいじゃない。直巳が言ってた。諒くんはもう見つけた?」
おれは微笑を作って――「そんなものがあるのですか?」
遅めの昼食を済ませて新聞部の部屋に戻ると、田崎が受付を担当していた。
「あ、岩出。いま、エプロンを着た背の低い女子が来て、これを置いていったんだ。新聞部に差し入れだってさ」
彼が手にしていたパックには、シュウマイが五つ並んでいた。
「一年生だったから、水橋の友達かな? 僕は先にひとつ食べちゃった。おいしかったよ。どこの模擬店がシュウマイを出してるんだっけ?」
「…………」
「岩出?」
「あ、うん。……食べるよ」




